第10話 鞍馬月光~前編~竹内文献キリスト伝説殺人事件
《大和太郎事件簿・第10話/鞍馬月光》
〜竹内文献キリスト伝説殺人事件・前編〜
鞍馬月光1;プロローグ(北から来た七人の僧侶)
2012年2月2日(木) 癸巳、大安、定、斗
京都・嵐山の渡月橋
藤原大造・照子の夫婦は大山咋命と市杵島姫命(別名;中津島姫)を主祭神とする松尾大社に月参りの参拝をした帰り道、嵐電(京福電鉄嵐山本線)の嵐山駅に向かって、渡月橋の上を歩いていた。
渡月橋は桂川を南北方向に渡る、長さ150mくらいの架け橋である。江戸時代の葛飾北斎の画には『吐月橋』と書かれている。そうすると、桂川は月と云う事になるのだろうか。渡月橋近くには西高瀬川への取水口がある。江戸時代や明治時代、西高瀬川は東や南に流れ、天神川と交差して渡り、伏見区の下鳥羽向島で鴨川に注ぐ運河として利用された。
「南無妙法蓮華経」、《バンバン》、「南無妙法蓮華経」、《バンバン》、「南無妙法蓮華経」、《バンバン》、・・・・・・・。
黒っぽい竹で編んだ半円球形の托鉢笠を被った法華宗の僧侶7人が縦一列になって、藤原夫妻の前方である北の方角から松尾大社方面に向かって、「南無妙法蓮華経」七文字の題目を唱え、《バンバン》と、左手に持った丸い団扇のような題目太鼓を右手の桴で叩きながら渡月橋上を歩いてくる。
道行く人々は僧侶の行列にぶつからない様に注意しながら歩いている。
「あら、珍しいわね。今時、法華経のお坊さんの行列だなんて。」と照子が言った。
「法華宗には天台(比叡山)系と日蓮系がある。南無妙法蓮華経のお題目を唱えるのは日蓮宗系だが天台系でもこの題目を唱えて修行する僧侶は存在するらしい。我々が子供のころには、よく題目を唱えながら道を行く僧侶連を見かけたが、最近は交通事情も悪くなったから、ほとんど見ることはなくなったね。」と藤原大造が50年くらい前を思い出しながら言った。
そして、七人の僧侶の行列は二人の横を通り過ぎていった。
「七人が縦一列になっているのには意味があるのかしら?」と照子が大造に訊いた。
「七人の僧侶は北斗七星を意味しているのだよ。南無は命がけの信仰心を意味し、妙は真理・真実を意味し、法は救い主である御釈迦様の教えの事だよ。蓮華は白い蓮華の花を意味し、汚れた泥水の中に咲く無垢の白い花で、穢れた世界に生まれた無垢の真理を意味しているのだよ。また、北辰妙見信仰と謂って、地上からは宇宙にあるすべての星が北極星を中心に回転しているにように見えるので、北極星を太一神として信仰の対象にしている宗教もある。すなわち、妙法は太一神である北極星の教えを意味する言葉でもある。妙法、すなわち北極星を中心に宇宙を回転しているように見える北斗七星は、法華経の妙法を中心として信仰している七人の僧侶を意味している訳だよ。」と大造が照子に説明した。
「そうすると、北斗七星は北極星に向いている訳ね。そうすると、あの七人のお坊さん達は北斗七星か宇宙の星なのね、あなた。」と照子が言った。
「その通りだよ。北斗七星の斗に当たる部分の4つ星のうち、斗の先端部にある二つの星、天枢星と天琁星の距離をほぼ真北に向かって約5倍した位置に北極星があるのだよ・・・・。ああ、そうか、なるほど。距離を5倍した位置に救い主が居る訳か・・・。照子、判ったぞ!!」とヒラメキを感じた大造が嬉しそうに叫んだ。
「どうしたの、突然に大声を出したりして。周りの人がびっくりするじゃないの。」と照子が大造をたしなめた。
「いや、悪かった。しかし、照子の質問のお蔭で、長い間考えていた問題が解けるかもしれないよ。」
※著者注;
北斗七星は柄杓星、七剣星とも呼ばれる。北極星を中心にして1年間で時計の針の如く360°回転し、北極星を一周する。
天文学ではドーベ(α星)、メラク(β星)、フェクダ(γ星)、メグレス(δ星)、アリオト(ε星)、ミザール(ζ星)、ベネトナシュ(η星)の七つの星である。星座ではおおくま座の腰から尻尾に当たる部分を構成する七つの恒星である。
また、北極星はこぐま座の小さな柄杓の形を作る七つ星の一つであり、こぐまの尻尾の先端に相当する。
ギリシア神話では、おおくま座の大熊は、もともと森の泉に住む妖精・カリストとされている。カリストは月と狩りの女神アルテミスの侍女で、大神ゼウスの寵愛を受け、ゼウスの子・アルカスを産む。そして、ゼウスの妻神であるアルテミスの嫉妬する呪いによって、カリストは大熊に変身させられて森の中に隠れてしまいます。そして、成長したカリストの子・アルカスは狩人となり、カリストの大熊を弓矢で殺そうとしてしまいます。その光景をオリンポスの山から見ていた大神ゼウスはアルカスの母親殺しを防ぐために竜巻を起こし、狩人・アルカスを小熊の姿に変え、大熊のカリストと共に天上に巻きあげて星座にしてしまいました。これが、大熊座(母)と小熊座(子)が北極星を介して結ばれている所以です。
なお、月と狩りの女神アルテミスはオリオン座の神話では兄のアポロンに騙されて恋するオリオンを弓矢で射殺してしまいます。
α星とβ星を結ぶ線の距離をα星側に延長し、β星から測って約5倍の直線距離の位置から少し右に寄った位置に北極星がある。日本では北極星のことを北辰星とか妙見星と呼ぶこともある。北極星が地球の回転軸(地軸)の延長線上にあるため、地球の北半球では、宇宙にある多くの星が北極星を中心にして24時間で1回転移動しているように観測される。
またα星とβ星を結ぶ線とほぼ直角にα星から線を伸ばすとζ星・ミザールに行き当たる。
一方、η星・ベネトナシュの近くには美しい渦巻き銀河・M101があり、大熊と小熊を宇宙に巻きあげた竜巻を現わしていると云う人もいる。
※ギリシア文字の読み方※
α:アルファ、β:ベータ、γ:ガンマ、δ:デルタ、ε:イプシロン、ζ:ジータ、η:イータ
日本では柄杓の器である杓斗に当たる4つの星はα天枢、β天琁、γ天き(てんき)、δ天権と呼び、握り部である斗柄に当たる3つの星はε王衝、ζ開陽、η揺光と呼ばれる。とくに、α星の天枢星とβ星の天琁星を結ぶ線を柄杓の先端にあるから先斗と呼ぶ人もいる。
また、斗柄の端に当たる揺光星は破軍星、あるいは七剣星の剣先星とも呼ばれ、弓矢の神様とされています。
かつて中国では、『破軍星のある方向を背にして戦えば勝利し、破軍星のある方向に向かって戦いを挑むと必ず負ける』と信じられていました。三国誌に登場する名軍師・諸葛孔明もこの故事を信じて作戦を考えたとされています。
また北辰妙見信仰では、北極星は太一神(天御中主神)とか北辰妙見菩薩に喩えられ、天皇大帝(王)を護る星、国土を災害や悪人から守る星とされていました。
因みに、天き(てんき)星は禄存星とも呼ばれ、陰陽道では寅年生まれの守護星とされている。
その他、
天枢星は貪狼星、
天琁星は巨門星、
天権星は文曲星、
王衝星は廉貞星、
開陽星は武曲星、
とも呼ばれています。
日本では北斗七星を柄杓に譬えますが、古代バビロニアでは『荷車』、エジプトでは『オシリスの車』、イギリスでは『アーサー王の戦車』、北欧では『オーディンの戦車』、中国では『帝王の車』と呼ばれる場合があります。
鞍馬月光2;
2012年2月2日(木) 正午ころ 松尾大社本殿前
七人の僧侶は竹編の托鉢笠を脱ぎ、題目太鼓と共に自分の足もとに置いた。
そして、それぞれの僧侶が黒衣の袖口から取り出した熊野・牛王神符札を左手に持って、前に突き出した。
そして、七人が一斉に呪文を唱えた。
「ノーマクサマンダ、バザラダンカン。ノーマクサマンダ、バザラダンカン。・・・・。」と不動明王様を呼び出す呪文を唱えたのであった。
神仏習合時代、松尾大社の本地仏は祭神の大山咋神が釈迦如来、奥津嶋姫が不動明王、中津嶋姫が十一面観音であったとされている。現在も、松尾大社の北方にある摂社・檪谷神社には奥津嶋姫・不動明王が祀られている。
なお、松尾大社の神紋は賀茂社と同じ二葉葵である。
7枚のそれぞれの神符札の裏には、十種神宝の中の七種である、
1『沖津鏡』、2『辺津鏡』、3『十握の剣』、4『生く玉』、5『足る玉』、6『死返しの玉』、7『道返しの玉』、の文字が黒く書かれ、その文字の上に朱文字でそれぞれ、
1『文曲』、2『武曲』、3『破軍』、4『貪狼』、5『巨門』、6『禄存』、7『廉貞』、と重ね書きされている。
※十種神宝;
物部文献によると、大和物部氏が所持していたとされる十種の神宝を秋田物部家(唐松神社)が伝承していたとされる。秀真伝や先代旧事本紀では死者を蘇らせる神宝とされており、一から十を数える唱法や、神宝を振りながら呪文を唱える呪法が伝えられているとされる。
1『沖津鏡』、2『辺津鏡』、3『十握の剣』、4『生く玉』、5『足る玉』、6『死返しの玉』、7『道返しの玉』、8『蛇の比礼』、9『蜂の比礼』、10『品々物の比礼』の十種である。比礼は神を祀る手法、組織を束ね、秩序を守る手法などを意味し、神社の神殿などで長く垂れ下がっている布切れを比礼と呼んでいる。それぞれの神宝の具体的な効能ははっきりしていないようである。
「鳴り鏑の神に物申す。善く、我らの願いを叶えたまえ。恐こみ、恐こみ、もの申す・・・。」と言ってから、右手で印を結ぶ所作をした。
古事記には「松尾の神は鳴鏑を持つ神」と書かれている。
鳴鏑とは神事によく用いられる鏑矢の事と考えられるが、音を出しながら飛んで行く矢と云うことであろうか。古代の戦では鏑矢が発する音を戦闘開始の合図としたらしい。北方アジア騎馬民族ではなんらかの信号用として用いられた矢であるらしい。
2012年度NHK大河ドラマ『平清盛』のタイトル映像の中で主役の松山ケンイチ演じる平清盛が放っている矢が鏑矢である。
松尾大社の祭神である大山咋神は火雷天神とも謂われ、丹塗矢となって玉依姫に賀茂別雷神を産ませた神様とされている。
この七人の僧侶が何者で、何を祈願したのかは不明である。
鞍馬月光3;
2012年2月2日(木) 午後5時ころ 東京池袋西口広場近くにある弁慶寿司
北辰会館での空手稽古を終えた大和太郎がいつもの特上寿司を食べている。
夕刻の早い時間である為か、寿司屋の店内に居るのは太郎と板前の二人だけである。
そして、有線放送用のスピーカーから、和田弘&マヒナ・スターズの松平直樹と松尾和子がデュエットで歌う『お座敷小唄』の歌声が流れている。
♪富士の高嶺に降る雪も♪
♪京都・先斗町に降る雪も♪
♪雪に変わりがないじゃなし♪
♪溶けて流れりゃ、皆同じ♪
♪・・・・・・・・・・♪
♪妻と云う字にゃ勝てやせぬ♪
♪泣いて別れた河原町♪
♪・・・・・・・・・・♪
♪一目見てから好きになり♪
♪・・・・・・・・・・♪
♪あなたしばらく来ないから♪
♪・・・・・・・・・・♪
♪お金も着物もいらないわ♪
♪あなた一人が欲しいのよ♪
「また、古い歌が流れているなあ。この歌、50年くらい前の歌じゃないの、板さん。ところで、何時から有線放送を契約したんですか?」と太郎が訊いた。
「ええ、昨日からね。夕方のこの時間帯はほとんどお客が来ませんので、あっしは寂しくってね。まあ、歌謡曲でも聴いて、気を紛らわせようって云う寸法でさ。旦那のように、夕方4時半ころから来てくれる方が多いと助かるんですがね・・・。」
「なるほど。僕は板さんの救い主って訳ですかね・・・。」
「まあ、そんなところですかね。有線放送には負けますがね・・・。」
「そうですか。お役に立てず、申し訳ありません。あっはっはっは。」
太郎と板前が他愛もない話をしている時、突然に携帯電話のベルが鳴り、太郎はポケットから携帯を取り出した。
液晶画面には藤原教授の文字が映し出されている。
「はい、大和太郎です。」
「ああ、京都の藤原です。」
「何かありましたか、教授?」
「北茨城市磯原にある天津教・皇祖皇太神宮とその真南にある鹿島神宮の謎が解けたよ。」と藤原教授が言った。
「ええっ、ほんとうですか。」
「まあね。いろいろと君の意見を聞きたい事があるのですが、明日、京都に来ることは可能ですか?」と教授が言った。
「ええ、大丈夫です。このところ、探偵依頼がないので退屈していたところです。明日、午後にでも京都の御自宅にお邪魔します。」
「明日の午後1時から2時間くらいまでは、教授会が大学であります。そうですね、午後3時ころにD大学の私の研究室で会いましょうか。」
「判りました。それでは、明日午後3時に藤原研究室に参ります。楽しみです。」と言って、太郎は携帯電話を切った。
鞍馬月光4;
2012年2月3日(金) 午後3時ころ 京都御所の近くにあるD大学構内・神学部建物・藤原研究室
京都駅前の京都Tホテルで宿泊手続きをしたあと、D大学に行くために地下鉄の京都駅に向かった。
地下鉄の烏丸今出川駅を出た太郎は、D大学の西門から大学構内に入って行った。
大学構内を歩きながら、太郎は学生時代を思い出していた。
「ああ、授業開始までの待ち時間には、あそこにある石のベンチに座りながら、学生仲間が通リ過ぎて行くのをボンヤリと眺めていたこともあったし、勉強仲間とだべったりしたこともあったな。今の学生はバイトに忙しいのかな。あまり、ぼんやりしている奴はいないな。それとも、図書館で一生懸命に勉強しているのかな。そうそう、この経済状況で就職戦線も厳しいらしいから、企業訪問で飛び歩いているのかもしれないな。就活戦線異常なし、かな・・・?」と他愛もないことを考えながら、神学部・藤原研究室のある2階建て赤煉瓦の建物に向かって太郎は歩いて行った。
「お邪魔します。」と言いながら、太郎は研空室の見慣れた古い黒光りのする木製ドアーを開けた。
室内は適度に暖房が効いているが、寒い外から来た太郎には少し暑く感じられた。
「はい?」と、学生らしい青年が事務机から立ち上がった。
「藤原教授は?」と太郎が訊いた。
「まだ、教授会から戻ってきませんが、大和さんですか?」
「ええ。午後3時にお会いする約束なのですが。」
「教授から聞いています。こちらのソファーに座ってお待ちください。」
「教授会が延びているのですかね。」と太郎が言いながら応接用テーブルのあるソファーに座った。
「そうかも知れませんね。2時半には(教授会は)終わる予定と聞いていたのですが、まだ戻られないところを見ると、延びているのでしょう。」と青年が答えながら研究室に備えられている冷蔵庫を開けた。
「失礼ですが、あなたは大学院生ですか?」と太郎が訊いた。
「ああ、失礼しました。はい、修士課程の2年です。今年の4月からは博士課程に進む予定です。今日の教授会で正式決定する予定です。」
「それは、おめでとうございます。ところで、お名前を聞いていませんでしたが。」
「ああ、たびたび失礼いたしました。鞍地大悟と申します。少し冷たいですが、どうぞ。」と言いながら、青年は冷蔵庫から取り出したペットボトルの日本茶を応接テーブルの上に置いた。
「ありがとう。頂きます。」と言って太郎はペットボトルを取った。
その時、藤原大造が部屋に戻ってきた。
「やあ、お待たせしました。少し教授会が長引きましてね。まあ、無事終わりました。鞍地君の博士課程への進級も正式に決まりましたよ。また、君の修士論文の話が話題になりましたよ。」
「ありがとうございます。」と鞍地が言った。
「その、鞍地さんの修士論文の内容は何ですか?」と太郎が訊いた。
「『キリスト教と竹内文献』云う題名だよ。大和君なら題名から内容は推察できると思いますよ。」と教授が言った。
「面白そうな題名ですね。あとで、読ませてください。」と太郎が言った。
「それは置いといて、早速に茨城県北茨城市の皇祖皇太神宮の件に入りましょうか。」と教授が言った。
「となりの会議室に資料を準備しておきました。」と鞍地が言った。
「鞍地君も一緒に考えましょう。」と教授が言った。
そして、衝立で仕切られた会議室に3人は入って行った。
「それで、教授の推理は?」と太郎が訊いた。
「北斗七星です。北斗七星の先斗の距離を約5倍延長した場所から少し右にずれる所に北極星がある訳です。」と教授が言った。
「それで、約5倍延長した北極星に相当する場所とは?」と太郎が訊いた。
「青森県の戸来村です。」
「竹内文献によると、イエス・キリストの墓があると云う青森県三戸郡新郷村大字戸来ですね。」と鞍地が言った。
「そう、戸来は救世主キリストが葬られている場所で、ヘブライを意味すると云う人もいます。北茨城市磯原にある天津教・皇祖皇太神宮とその真南にある鹿島神宮の海中磐座を結ぶラインが、北斗七星の先斗にあたる天枢星と天琁星を結ぶラインに相当します。そのラインの距離を約5倍した位置にある十和田湖の東方近くに戸来村があります。」と藤原教授が言った。
※イエス・キリストの墓:十来塚
竹内巨麿が所持していた竹内文献によると、エルサレムのゴルゴダ丘で処刑されたのはイエス・キリストではなく、キリストの弟であるイスキリと云う人物であったらしい。
そして、キリストは日本で5年間の修業を行い、世界伝導に旅立つ。弟が処刑された4年後にキリストは青森県の八戸に上陸し、戸来嶽で死亡したと竹内文献には書かれているらしい。また、竹内文献の一つである『キリストの遺言状』ではイスキリスクリスマスフクノ神がキリストの名前とされているらしい。
現在、青森県三戸郡新郷村大字戸来には新郷村観光協会によって十来塚として木の十字架が建てられている。
また、横浜の共立女子神学校(現:東京基督教大学)を卒業した山根キク(1894年〜1965年)の著書では、日本に来たイエス・キリストは病気平癒の術や空中歩行の術、姿を隠す術など18種くらいの術をマスターしたと書かれているらしい。まあ、修行によって天狗のような能力を身に付けていたらしい。鞍馬山発祥の病気平癒の術は現在では霊気と呼ばれて、世界中にその術を使える人々がいるようである。
どうも、山根キクの著書は女史の独自調査だけでなく、竹内巨麿から聞いた事をも記したのではないかと推測される?(著者記)
因みに、昭和10年に青森県三戸郡戸来村にあるキリストの墓の場所を発見した(決めた?)のは竹内巨麿であるらしい。この時、ピラミッド研究家の酒井勝軍も同行していた模様である。
藤原教授は会議室の壁に貼られている大きい日本列島地図を指さした。
その地図の上には北斗七星が描く柄杓の形が鉛筆の線で描かれている。
そして、七つの星の場所に相当する位置に丸印が書かれている。
α天枢(貪狼)星は天津教・皇祖皇太神宮のある北茨城市。
β天せん(巨門)星は鹿島神宮の磐座がある茨城県鹿島神宮東方沖の見目浦。
γ天き(禄存)星は大国魂神社がある東京都府中市。
δ天権(文曲)星は群馬県榛名山。
ε王衝(廉貞)星は皆神山がある長野県松代市。
ζ開陽(武曲)星は天津教・天神人祖一神宮がある富山県滑川市。
η揺光(破軍・剣先)星は白山比め神社がある石川県鶴来市。
「この七つの都市を結ぶと北斗七星が描けます。」と藤原教授が言った。
「なるほど。竹内巨麿は北斗七星を暗示するために、北茨城市の地に天津教・皇祖皇太神宮を創建し、そして滑川市に天津教・天神人祖一神宮を設けた訳ですか。そして、北極星に相当する場所は青森県の戸来村ですかね・・・。」と太郎が言った。
「この七つの都市が選ばれた意味は何ですかね?」と鞍地が訊いた。
「さあ、それだがね。まず、富山県滑川市の天津教・天神人祖一神宮を真東に進むと北茨城市の皇祖皇太神宮があり、真西に進むと高岡市二上山麓の射水神社があります。滑川市の天神人祖一神宮は稲荷神社でもあり、射鳴り、すなわち鏑矢に通じます。石川県鶴来市の白山比め神社は金剣宮、岩本宮、別宮、三の宮、中宮、佐羅宮と合わせて白山七社と呼ばれ、天台宗修験道場として栄えた時代もありました。鶴来は剣でもあります。」と教授が言った。
「なるほど。竹内巨麿は北茨城市に天津教・皇祖皇太神宮を創健することによって日本国土に描かれた北斗七星を暗示した訳ですか。」と太郎があらためて言った。
「この七つの都市が暗示する意味は何でしょうか?」と鞍地大悟があらためて疑問を呈した。
「それです。それを大和君と鞍地君に考えてほしいのです。どうです、何か良い意見はありますか?3人寄れば文殊の知恵と云うではありませんか。何かないですかね・・・。」と教授が訊いた。
「うーん。何でしょうね?特に、皇祖皇太神宮がある北茨城市と天神人祖一神宮がある滑川市、そしてキリストの墓がある戸来村は天津教の教祖である竹内巨麿が選んだ場所ですからね・・・。竹内巨麿がこの世に残した北斗七星の謎ですか・・・。」と太郎と鞍地の2人は顔を見合わせ、腕組みをして考え込んだ。
「北斗七星は北辰妙見信仰と関係があります。妙法蓮華経です。」と教授が言った。
「法華宗の妙法蓮華経ですか?」と鞍地が訊いた。
「そうです。4〜5世紀の中国六朝時代に鳩摩羅什と云う仏教のヒンズー語教典を漢字に訳した僧侶がいました。この僧侶が蓮華経の意味を解釈した漢字経典本『妙法蓮華経』を著わしました。」と教授が言った。
「鳩摩羅什ですか。どこか、鞍馬山の魔王尊であるサナート・クマラに似た名前ですね。」と太郎が言った。
「鳩摩羅・什とすれば什がサナートを意味するのかも知れません。そして、什と云う漢字はイ(にんべん)に十の字を書きます。」と教授が言った。
「什とは十字架を背負った人を意味すると云う訳ですか。そうすると、サナートとはイエス・キリストと云う事になりますか。」と鞍地が言った。
「北極星からプレゼントを持って来るサンタ・クロース。サンタ(SANTE)はサンタ(SANTA)で、すなわちサナート(SANAT)。クロースはCLAUSEではなく、少し発音を変えたクロス(CROSS)で十字架。サナート(SANAT)はサタン(SATAN)にも書き換えられます。12月25日のイエス・キリストの降誕を祝う日に現れるサンタ・クロス。そして、現代の暦であるグレゴリオ暦(新太陽暦)での1月7日は紀元前(B.C)から16世紀までに用いられていたユリウス暦(旧太陽暦)では12月25日に相当します。」と教授が言った。
「そして、1月7日は人日の節句(人を殺さない日)ですね。」と太郎が言った。
「しかしですね、これでは、魔王尊であるサナート・クマラと常陸坊海尊が結びつかないのです。もっと別の証拠がないですかね。」と教授が言った。
「はあ・・・。北斗七星の謎と鞍馬山の魔王尊ですか・・・。そして、キリスト教の悪魔であるサタン・・。いつもながら、教授の発想には驚かされます、全く。ふうー。」と、太郎は考えを巡らせながら、ため息をついた。
「鞍馬山の伝説を再調査する必要がありそうですね。」と鞍地が言った。
「それでは、2週間後くらいに再度会議を行いたいのですが、それまでに新しい情報を手に入れ、推理をしておいて下さい。場所は、東京か埼玉の東松山でどうですか?」と教授が言った。
「私は京都でも構いませんが、鞍地さんはいいのですか?」と太郎が言った。
「東京からの帰りに富士山浅間神社などの調査を考えています。鞍地君にはレンタカーの運転手をしてもらいたいのです。鞍地君の旅費と宿泊費は私が出します。それでいいですかね、鞍地君。」と藤原教授が鞍地に訊いた。
「はい。それで構いません。」と鞍地が答えた。
鞍馬月光5;
2012年2月3日(金) 午後9時ころ 京都・先斗町
京都市の四条通りが東山に突き当たったところにスサノオ尊を祭神とする祇園・八坂神社がある。
八坂神社の門前から大和大路通りまで広がる地域が江戸時代からの祇園花街である。
花見小路通りと八坂神社の間は祇園甲部とか祇園東とか呼ばれ、初期の祇園花街である。
現在の四条通りの北側にある祇園東はキャバレー、パブ、スナックなどが立ち並ぶ繁華街となっている。
四条通りの南側の祇園甲部は昔ながらの茶屋花街の雰囲気を残しており祇園コーナーと呼ばれている。その花街・祇園コーナーの一角には、毎年4月に祇園の舞妓・芸妓による「都をどり」が上演される祇園甲部歌舞練場がある。
一方、祇園花街の西側には鴨川が北から南に向かって流れている。その鴨川に沿って西側には先斗町がある。先斗町という住所地名はないが、三条通りと四条通りの間の鴨川沿いの細長い地域を江戸時代から先斗町と呼び、花街として栄えていたようである。
また、先斗町歌舞練場では毎年5月に先斗町の舞妓・芸妓による「鴨川をどり」が上演される。
「都をどり」と「鴨川をどり」は春(4月・5月)の京都を華やかに彩る一大ページェントである。
先斗町を道路地図で探してみると、鴨川にへばり付いた一本の太い線のように見える。
この先斗町を真北に鴨川を上ると下鴨神社に突き当たる。下鴨神社の南側の出町柳と呼ばれる場所で鴨川は二つに分かれる。ここから北北東方向に向かう川が高野川、北北西方向に向かう川は賀茂川と呼ばれる。
なを、先斗町がある三条大橋と四条大橋を結ぶ距離(先斗町の長さ)を四条大橋から5倍した距離の位置に出町柳がある。そして、更に真北に行ったところには鞍馬山がある。
高野川を上ると八瀬の御蔭神社旧社地に至る。この御蔭神社旧社地から真西方向に向かい、賀茂川と交わる処に上賀茂神社の奥宮がある丸山に行きあたる。丸山の更に北側には磐座がある神山がある。
下鴨神社の境外摂社である御蔭神社と上賀茂神社では5月15日の葵祭り(賀茂祭)の前の5月12日に神の降臨を願う御生れ神事が行われる。
そして、下鴨神社を真北方向に上ると鞍馬山に鞍馬寺がある。
下鴨神社と鞍馬寺を結ぶ線と、御蔭神社旧社地と丸山を結ぶ線は十字に交わり、北向きを頭にして見れば、逆さ十字架を描く。なを、先斗町と鞍馬寺を結ぶ線との十字交わりの場合は正立十字架を描く。
先斗はポルトガル語で『先端』を意味する『PONTO』が語源らしい。
因みに、下鴨神社と鞍馬寺を結ぶ線上にノートルダム女子大学がある。ノートルダムとはフランス語で高貴な婦人を意味する。すなわちイエス・キリストの母である聖母マリアのことである。
細長い路地裏のような先斗町通りに並行して、50mくらい西側には木屋町通りが南北に走っている。この木屋町通りに沿って高瀬川が流れている。更に、木屋町通りから100m西側には河原町通りがある。
大正時代中期まで、高瀬川は大阪から淀川を上って来て伏見港に着いた船荷を高瀬舟と云う舟底が平らな小船で京都の街中に運ぶための人工の運河であった。高瀬川の川底は石畳でできている。高瀬舟は舟底が平らなため、水量の少ない浅瀬の川を走るのに適した舟である。当時の水深は30cmくらいあったらしいが、現在の推進は5cmから10cm程度である。
なお、高瀬川は丸太町通りの南から鴨川の水を引き入れ河原町十条で再び鴨川合流する。
かつては、この地で鴨川を渡って東高瀬川となり、伏見港で淀川に合流して大坂・天満橋近くの八軒屋港まで舟で往来できたようである。
客待ちのタクシーがゆっくり走る木屋町通りの道路横を一人の男がふらふらと歩いている。
「富士のオー、高嶺にーい、降るーう・・・・」と男は呟きながら、ふらついている。
酒にでも酔っているのであろうか。そして、水深は5cmくらいの高瀬川に倒れ落ちた。
川底の石畳で頭を強打したのか、バシャーンと云う水音と共に『ゴン!』と川面に音が響いた。
そして、男が高瀬川に落ちるのを見たタクシーの運転手が倒れている男の姿を道路上から眺めながら携帯電話で救急車を呼んでいる。
河原町通りと木屋町通りの間を東西に走る細い小路の中ほどに『ワインリバー』と云う名の洋酒喫茶がある。そこで鞍地大悟の博士課程進級祝を行い、カクテルを楽しんだ後、藤原教授、大和太郎、鞍地大悟の三人が帰宅のためにタクシーを拾うため木屋町通りに出てきた。ほどよく酔っ払った三人が高瀬川沿いの歩道を歩いている。
そして、救急車の停まっている事故現場を通りかかった。
「どうしたんですか?」と太郎が野次馬の一人に訊いた。
「酔っぱらいが川に落ちたようどすな。意識があらしません様で、頭から血を流してはりますわ。」と京都弁の言葉が返ってきた。
担架に乗せられた男が救急車に乗せられている光景を三人はしばらく眺めた後、タクシーを求めて通行止めになっている木屋町通りの車道を三条通りに向かって北へ歩いて行った。
パトカーの横では警察官がタクシー運転手から事情を聴いてメモを取っている。
鞍馬月光6;
2012年2月6日(月) 午前10時ころ 京都府警本部捜査一課
「病院からの検視解剖所見によると、死因は頭部骨折による脳機能不全で、呼吸困難による窒息死です。体内の血液反応からはアルコールの他に、睡眠薬と覚せい剤反応が出ています。左腕には注射針の痕が2か所あったようです。睡眠薬を飲んだ後に覚せい剤を注射したのではないかと思われます。あと、正体不明の薬品反応が体内から出ているようですが、現在の文献資料には無い薬品反応とのことで、調査検討中との報告です。」と川村刑事が言った。
「間接的な殺人の可能性は、ど(う)や?」と武井課長が訊いた。
「まだ、なんとも(言えません)。被害者が強制的に睡眠薬と覚せい剤を注射されたと考える訳ですが、なんとも。あと、正体不明の薬品反応が何なのかです。」と川村刑事が答えた。
「(被)害者の石田純二は野田女総理大臣の私設第一秘書やろ。それに45歳やろ。そいつが覚せい剤をやるか?」
「まあ、その通りですが・・・。確証はありまへん。」
「それで、なんであんな処を歩いとったんや?」
「どうも、先斗町の『火の子』と云う茶屋で午後7時ころから午後8時20分過ぎまでの一時間ちょっとくらい、ある人物と二人きりで会っていたようです。そこからタクシーを探しに木屋町まで歩いて来たのでは(ないでしょうか)?」
「ある人物とは、女か?」
「いえ、男です。『火の子』の従業員の話では、初めて来た人物で名前や所在は判らんそうです。石田純二と一緒に入ってきたらしいです。タモリみたいに夜でもサングラスを掛けていたそうで、顔ははっきりしてまへん。中肉中背で背丈は石田純二と同じくらいの高さやったそうです。どのくらいの年齢かは判断できんようですが、感じからは、50歳以下だろうと云うことです。」
「どんな話をしとったんや?」
「仲居が料理屋やお酒を運んだ時は話を中断していたそうです。どうも、英語で話をしていたようだと仲居が証言しています。」
「外国人かいな?」
「白人ではなさそうですが、サングラスを掛けていたので、日本人かどうかは判らんかったようですわ。外見的には日本人か中国人、韓国人のようだったと云うことですが・・・。」
「サングラスを掛けた東洋系の男か。それで、(被)害者は『火の子』の常連(客)か?」
「ええ。唄奴子とか云う名前の芸妓と出来ているらしいですわ。その日、唄奴子は座敷には呼ばれてへんかったようですがね。」
「唄奴子となあ・・・。」
「課長、(唄奴子を)知ってはるんですか?」
「あほ言え。貧乏刑事が芸妓を知ってる訳ないやろ。」
「こら(これは)、どうも(失礼しました)。」と川村刑事が頭をかいた。
「まあ、政治に関する話でもしとったんやろかなあ?そんで、その男の映像はない(の)んか?」
「『火の子』はお茶屋と云うことで、(お客の秘密厳守が大事ですから)監視カメラは設置されていませんさかい、記録映像はありまへん。」
「そうか。(被)害者が高瀬川に落ちたんが午後9時頃やろ。先斗町通りから木屋町通りまで3分あったら歩けるやろ。いったい、害者は午後8時20分過ぎから9時頃までの40分間くらいは何処をうろついとったんや?」
「それは、判っておりまへん。ところで課長、野田女総理の方からは何か情報はないんでっか?」と川村刑事が訊いた。
「なんで京都なんかに行っとったんかよう知らん、と云うこっちゃった。」
「知って(い)ても、警察なんかに話す訳にはいかん、ということでっか。」
「まあ、そんなとこかな。政治活動の資金集めの為に京都まで来ていたのかどうかやな?」
「それで、帳場(殺人事件の捜査本部)は開きまっか?」
「出島君と一緒に、もうちょっと詳しいに調べてくれ。自殺、他殺、それとも事故死か、その判定はそれからや。判断材料が少なすぎるわい。」
「判りました。それで、何を調べましょ(うか)?」
「あほたれ。自分で考えんかい。何年、刑事やっとんねん。」と武井課長が言った。
「すんまへん、課長。しかし、東京の害者の奥さんと連絡が取れませんねん。子供は無かったようですから、奥さんに遺体確認と引き取りを依頼でけへん状態でおます。」
「警視庁で親戚を探してんのんか?」
「ええ。調べてもろてますが、(引き取り手が現れるのか)どうなることか・・・。」
「やっかいやな(困ったな)・・・。」と武井課長が呟いた。
鞍馬月光7;
2012年2月7日(火) 午前10時ころ 東京・桜田門の警視庁捜査一課
「課長、本日の午後2時から石田純二さんの父親に立会ってもらい、港区白金台にある石田宅マンションの室内調査を行います。」と河合刑事が言った。
「石田純二の父親が青森から出てくるのか。そうか、よろしく頼む。しかし、石田咲子は何処に行ってしまったのだ?京都では夫が死亡していると云うのにな。」と高松課長が言った。
「妻である咲子の失踪は京都の事件と関係があるのかどうかですね。」
「ところで、京都の事件は殺人なのか、単なる事故死なのかがはっきりしないようだな。」
「京都府警の話では、結果的に事故死となるかもしれないが、現時点で覚せい剤反応が体内から出ているので、慎重に調査中とのことでした。」
「もしかしたら、こちらの家宅内調査の結果を待っているのかな。」と高松課長が言った。
鞍馬月光8;
2012年2月10日(金) 午前10時ころ 京都府警本部捜査一課
「先っき、警視庁から連絡があった。2月9日現在、石田純二の妻・咲子の行方は不明。山梨県富士吉田市にある実家にも立ち寄った形跡なし。姿が目撃された最後の日は2月3日午前10時ころで石田が住むマンションの管理人がマンション玄関で目撃。以上だ。」と武井課長が言った。
「こちらの調査でも唄奴子が行方不明です。唄奴子の本名は鞍地麗子と云います。年齢は29歳で独身です。左京区北白川のマンションに一人で住んでいますが実家は鞍馬で、鞍馬寺の門前にある土産物屋です。実家に立ち寄った様子はありません。目撃された最後は2月3日で石田純二が死亡した日です。こちらも、マンションの管理人が午前中に目撃したのが最後です。その日は置き屋や茶屋にも顔を出していません。2月3日の唄奴子は非番でお座敷は無かったようです。現在、仕事の予約は別の芸妓さんでやり繰りしているようです。置き屋の女将から早く探してくれと言われてきました。」と出島刑事が言った。
「石田純二に関係する女性が二人とも行方不明か・・・。」と武井課長が呟いた。
「それから、鑑識課からの報告ですが、被害者の体から抽出された正体不明の薬品反応の件ですが、試薬反応テストから想定される薬品結晶構造がナチスの使っていた自白剤に似ていると云うことですが、どうも新種のようです。薬品名称は不明です。」と川村刑事が言った。
「自白剤かも知れん、と云うこっちゃな。しかし、そんな薬品を誰が作りよるねん。」と武井課長が言った。
「薬品メーカーを当たりますか?」
「それは鑑識に任せとけ。こっちは、唄奴子の行方を捜すのが先決や。被害者の午後8時過ぎから午後9時までの足取りは掴めたんか?」
「いえ。まだ判明して(い)ません。目撃者捜しが大変ですよって捜査員を増やしてくれませんか、課長。」と川村刑事が言った。
「そ(う)やな。ちょっと考えてみるわい。しかし、正体不明の薬剤が自白剤として、誰が、石田純二に、何を白状させようとしたんかいな?唄奴子はそれを知っとるんかいな?」と武井課長が考え込んだ。
「それから、石田純二の死亡までの2月3日の足取りですが、東京・四谷にある野田女総理の議員事務所を午後1時ころに出て行った、との事務員の証言です。事務員の話では、総理大臣官邸へ行くと言ってタクシーに乗って出て行ったそうです。しかし、総理官邸には現われていません。東京駅から京都に向かったと考えるのが筋かとおもいます。現在、JR京都駅の監視カメラの記録映像を調べています。」と出島刑事が言った。
「ホテルとかの予約はしてなかったんか?」
「京都市内のホテルを軒並み調べましたが、2月3日の石田純二名での予約者は居ませんでした。また、キャンセル客の名前にも石田純二の名前はありませんでした。ホテル予約で偽名を使っていた可能性も考えましたが、2月3日夜に無断で宿泊キャンセルになった人物はいません。」
「ホテル予約はなしか・・・。どこで、宿泊する予定をしておったんかいな?」
「北白川の唄奴子のマンションでは?」
「そうやな・・・。その可能性はあるな。早よ、唄奴子の居場所を見つけんとあかんな。殺されてへんように祈るしかないな、ほんま。ところで、石田純二の出身地はどこやったかな?」と武井課長が訊いた。
「4日前の警視庁からの連絡では、青森県三戸郡新郷村と云う事でした。大学に入学して東京に出てきたようです。四谷にあるJ大学の神学部を卒業しています。クリスチャンで洗礼名はペテロです。ペテロ石田純二と呼ぶそうです。」と手帳のメモを見ながら出島刑事が言った。
「クリスチャンか。洗礼名がペテロね。たしか、ペテロはギリシャ語で岩を意味する言葉だったな。ローマのバチカンにあるサン・ピエトロ寺院にはキリストの12使徒のひとりであるペテロの墓があったなあ。」と武井課長が言った。
「課長、博識ですね。」と出島刑事が言った。
「去年、娘が大学の卒後旅行やとかぬかして、卒業仲間と一緒に、イタリアのローマへ旅行に行きよった。国内旅行するより海外旅行の方が安いとか、何とかぬかしてな。ほんま、贅沢な時代に成りよったなあ。その時の土産話で、娘から聞いた話の受け売りや。わっはっはっは。」と武井課長が笑った。
(『ぬかして(ぬかす)』:大阪弁で、『言って(言う)』の意。京都弁はもっと上品に『言いはる』どうも、武井課長は大阪人のようである。)
鞍馬月光9;捜索依頼
2012年2月13日(月) 午後3時ころ 東京池袋のメトロシティホテル255号室
「突然に呼び出し、ご足労いただき恐縮です。」とジョージ・ハンコックが流ちょうな日本語で言った。
「どういたしまして。丁度、この近くにある北辰会館に空手稽古に来る直前でした。それで、ご用件は?」と大和太郎が訊いた。
「行方不明の女性を探して頂きたいのです。」
「はあ、CIAでは探せないのですか?」
「その女性は日本人ですので、アメリカ人の我々ではちょっと荷が重いのです。それに、その女性は京都の人ですから、大和探偵には土地鑑があると思いましてね。」
「京都の女性ですか?」
「この写真の人物で、鞍地麗子と云います。漢字は鞍馬の鞍に地面の地です。麗は麗しいと云う字です。」と言いながら、ハンコックは2枚の顔写真を太郎に渡した。
「芸妓さんですか。」と日本髪を結い、和服を着ている厚化粧をした芸妓の写真の方を見ながら太郎が言った。
もう一枚は長い髪を垂れた洋服姿の女性の写真であった。
「一週間前の2月3日から行方不明です。」
「2月3日ですか。京都で?」と太郎が訊いた。
「ええ。先斗町で芸妓をしていますが、住んでいる北白川のマンションの管理人が2月3日の朝に見かけて以来、姿が見えません。」
「警察は動いているのですか?」
「まあ、唄奴子を探しているようですがね。ああ、唄奴子と云うのは鞍地麗子の芸名です。それから、新聞報道にもありましたが、2月3日の夜に京都で死んだ石田純二と云う野田女総理大臣の私説第一秘書は唄奴子を贔屓にしていたようです。また、石田純二の妻が2月3日から行方不明です。」
「それで、捜索対象は鞍地麗子さんだけでよろしいですか?」
「石田純二の妻の咲子は捜索しなくても良いです。捜査の都合上、必要なら探しても構いませんが、あくまで、鞍地麗子を見つけ出すのが目的です。」
「わかりました。」
「これが、鞍地麗子の身上調書です。」と言いながら、ハンコックはA4サイズの封筒を太郎に渡した。
「石田純二の身上調書はないのですか?」
「ありません。それは、大和探偵が調べてください。」とハンコックがあっさりと言った。
鞍地麗子の身上調書を見た太郎は、鞍地麗子がD大学の藤原研究室の鞍地大悟の姉であることを知った。
そして、太郎はハンコックに質問をした。
「この身上書は石田純二が死んでから調査したものですか?」と太郎が訊いた。
「調査時期が知りたいのですか?それが調査に大和探偵の捜索活動にとって意味があるのですか?」とハンコックが太郎に訊き返した。
「いえ、この調書の調査時期が何時であっても捜索活動に影響はありません。ちょっと、興味があっただけです。」
「どのような興味ですか?」
「いえね、以前に貴方が京都に旅行をされていた時に姿を見かけたものですから、そのころから鞍地麗子を調査していたのではないかと、ふと思ったものですから。」と太郎は素直に答えた。
「それはいつ頃のことでしょうか?」
「確か、2008年の秋でしたかね。京都の鞍馬寺でお見かけしたように記憶しているのですが。」と太郎が言った。
「3年半くらい前ですか。その時に私の姿を見ましたか・・・京都の鞍馬で、そうですか。」とハンコックは考えるように言った。
「私の見間違いでしたでしょうか?」
「あっはっはっは。あなたは、本当に運の強いお方ですね。まあ、それが貴方に調査依頼をお願いする理由の一つでもありますからね。私の見る目に狂いはない訳です。あっはっはっは。」とハンコックは嬉しそうに笑ったが、太郎の質問に対するはっきりした回答はしなかった。
「ところで、鞍地麗子が死んでいないと云う確証はあるのですか?」と、笑いで誤魔化されたなと思いながら太郎が訊いた。
「死んでいるとしても、何処で死んだのかを調べてください。我々は生きているのではないかと考えています。」とハンコックが答えた。
「それで、CIAが鞍地麗子を見つけ出さなければならない理由がよく判らないのですが?」と太郎が訊いた。
「それは、申し上げられません。秘密です。それが判らないとこの依頼を受けられませんか?」とハンコックが訊いた。
「いえ。捜索依頼はお受けします。あくまで、個人的な興味があっただけです。」とD大学の鞍地大悟の事を考えながら太郎は答えた。
「今回の依頼の危険度レベルは2と想定しています。したがって、CIA支払条件により、月額120万円の調査費が大和探偵には支払われます。もちろん、調査活動の実費は別途支給されます。とりあえず、調査期間は3か月です。単独で調査ねがいます。捜索活動の進捗状況報告は週一回で結構です。別途支払いになる成功報酬は100万円です。」とハンコックが言った。
「危険度レベルは2ですか・・・。そして、期間は3か月ですか・・・。拉致事件と仮定して、CIAは鞍地麗子が殺されることはないと考えているのだろうか?それとも、誰かに狙われた鞍地麗子が自ら姿を隠したと考えているのだろうか?危険度レベルは2か・・・。」と太郎は考え込んだ。
「ところで、以前にお話しいたしました暴力団・聖武祇園連合会の組長である岡上正一の調査の件は進んでいますでしょうか?」と太郎が遠慮がちに訊いた。
「ああ、そのような話がありましたかね。例のサラ・シスターズとオメガ教団が関係していた菅原清隆の天神伝説殺人事件が警察の観点からは事実上終了したので、もう必要ないかと思っていました。調査は中止しています。」とハンコックが投げやりな態度で言った。
「そうですか。CIAではあまり岡上正一には興味がないのですか?」と太郎が問い詰めるように訊いた。
「まあ、聖武祇園連合会が世界情勢に影響を与える可能性があれば、調査しますが、岡上正一が姿を隠し、組も事実上解散状態ですからね。」とハンコックは投げやりな感じで言った。
「私は岡上正一がナンバーセブン計画と関係があるのではないかと推理していたのですがね。CIAではナンバーセブン計画を追及していないのですか?」と太郎は更に問い詰めた。
「その件に関してはノーコメントです。今回の大和探偵への依頼事項は鞍地麗子の所在を見つけることだけです。鞍地麗子の生死は問いません。」とハンコックがきっぱりと言った。
「判りました。鞍地麗子発見に全力を尽くします。」と言いながら、太郎はハンコックの態度に何か裏があるかも知れないなと感じた。
「岡上正一がナンバーセブン計画に関係しているのではないか、と俺が推理している理由をハンコックは何故に訊いて来ないのか?通常なら、質問してくるはずだがな・・・。ブラッククロスのナンバーセブン計画の実態を把握することはCIAにとっては最重要事項のはずだが・・・。すでに、CIAはナンバーセブン計画の実態を知っていると云うのだろうか?」と太郎は考えを巡らした。
鞍馬月光10;
2012年2月14日(火) 午後3時ころ、京都Tホテルのコーヒーラウンジ
大和太郎と鞍地大悟が鞍地麗子の失踪の件で話をしている。
「お姉さんの行方の心当たりはないのですね。」と太郎が言った。
「ええ。全くありません。2月5日に警察の方が鞍馬の自宅に来た時にはじめて姉が失踪していることを知りました。置き屋の女将さんやお茶屋のご主人達もご存じないとの警察の話でした。姉は北白川のマンションで一人住まいですから。連絡も月に1度くらい母親に電話してくる程度です。僕と話すことはめったにないですね。それで、大和さんも姉の捜査をすると云うことですが、誰からの依頼ですか?」
「それは言えません。守秘義務がありますから。」
「大和さんは失踪人捜索の名人であると藤原教授から聞きました。よろしくお願いします。お手伝いすることがあれば何でも言ってください。」
「お姉さんが自分から姿を隠したのか、拉致誘拐されたのかが不明な状況です。失礼ですが、お姉さんは恨みを買うような人柄でしたか?」
「いえ、学生時代はおとなしい方で、友人などから嫌がらせを受けたような事はありませんでした。」
「大学時代の友人や知人の名前はわかりますか?」
「あまり知りません。これは家に来た姉あての最近の郵便物です。普通は母が姉宛てに転送するのですが、転送を忘れていたものです。」と言いながら鞍地大悟がテーブルの上に差し出した。
デパートや洋服屋からのダイレクトメール(DM)が3通と石田咲子からの封書が1通であった。
「警察には見せなかったのですか?」
「ええ。警察には聞かれなかったし、母も忘れていましたので。大和さんが、姉あての古い手紙でも残っていたら持ってきてほしいと言われたので、存在が判明したものでした。」
「鞍地君は石田咲子さんのことはご存じですか?」と太郎が訊いた。
「いいえ。始めて聞く名前です。母も知らないと言ってました。」
「警察からは何も聞いていないのですか?」
「警察からは事故死した方が姉の贔屓筋だったということは聞きました。その事故死した方の事を聞くために姉を探していたが、姉が北白川のマンションに居なかったので、実家に居るのかどうかを調べに来たそうです。」
「そうですか。事故死した贔屓筋の人と云うのは石田純二と云う人物で、この手紙の石田咲子さんの夫です。」
「姉は、その石田純二と云う人物の愛人だったのですか?」
「それはどうか、現在のところ判っていません。今後の調査で判明するでしょう。この前、木屋町で救急車が来ている事故があったでしょ。あれが、石田純二氏が事故死した現場でした。」
「あの時の、川に落ちた人物が姉の知り合いだった訳ですか・・・。」
「この手紙を開いてよろしいですか?」
「ええ。状況が状況ですから、開きましょう。僕が責任を取ります。」
石田咲子からの文面は次のような簡単な内容であった。
『前略 鞍地麗子様 私の夫は石田純二です。夫の上着のポケット内にあったメモの紙切れから、あなたの住所と名前を見つけたので、この手紙を送付します。来たる2月3日(金)、午後五時に京都駅近くの京都Gホテルロビーにあるコーヒーラウンジでお待ちします。至急で申し訳ありませんが、重要な用件ですから、必ず来て下さい。お互いの顔は判らないと思いますから、私は白いスーツを着ていきます。また、胸には赤いバラのブローチを付けていきます。コーヒーラウンジのウエイトレスには私の名前を伝えておきます。そのウエイトレスが私の座っている席に案内してくれるでしょう。なお、私の携帯電話の番号は○○○・・・です。 早々 一月二十八日 石田咲子より』
「この手紙を君の姉さんが見ていないのだから、二人は会っていない訳だな。少なくとも、この時間には・・・。」と太郎が言った。
「手紙以外の手段では連絡を取っていないとすれば、そうなりますかね・・・。」と鞍地大悟が言った。
「確かに、そうだね。石田咲子が他の手段を見つけたかどうかだね。兎に角、京都Gホテルのコーヒーラウンジに聞き込みに行きましょう。」と太郎が言った。
「しかし、何故に北白川の住所でなく、鞍馬の住所なのでしょうね?姉は8年前から鞍馬の実家には住んでいないのですから。百貨店などは学校の同窓会名簿などの住所を見て、DMを送ってきますから、判るのですが。石田純二と云う人物が何故に鞍馬の住所のメモを持っていたのでしょうね?」と鞍地大悟が不思議そうに言った。
鞍馬月光11;
2012年2月14日(火) 午後3時半ころ、京都Gホテルのコーヒーラウンジ
京都Tホテルから京都Gホテルまでは歩いて5分程度の距離である。
大和太郎と鞍地大悟が京都Gホテルに入って行った。
そして、コーヒーラウンジにいるウエイトレスに太郎が質問している。
「2月3日の事ですが、白い洋服を着た女性が此処に来ませんでしたか?」
「2月3日ですか。10日くらい前ですね・・・。」
「石田咲子と云う名前ですが。」
「ああ。石田咲子さんですか。ええ、此処でコーヒーをお飲みになりました。」
「その時、鞍地麗子と云う名前を聞きませんでしたか?」
「ええ、その鞍地様がお見えになったら、石田様の席にご案内するように頼まれました。しかし、鞍地様は来られませんでした。」
「その時、石田さんは一人でしたか?」
「ええ、お1人でした。」
「どのくらいの時間、石田さんは此処にいましたか?」
「一時間半くらい、ですかね。確か、夕方の4時半ころにお見えになって、午後6時ころにお帰りになりました。私は、午後6時半までの当番ですから、時刻は合っていると思いますよ。」
「石田さんはこのホテルに宿泊されていたようですか?」
「それは判りません。フロントで訊いてみてください。」
「石田さんがこのコーヒーラウンジに居る間に何か変わった事でもありませんでしたか?」
「別に、何もなかったと記憶しておりますが・・・。」
「携帯電話で話でもしていませんでしたかね?」
「電話で話ですか・・・?特に記憶にないですね。」
「席を立って、この場所に居なかった時間帯があるとかは?」
「そういえば、お手洗いの場所を訊かれたのでお教えしました。その時、7、8分くらいですかね、席を離れられましたね。トイレの方向へ歩いて行かれました。それくらいですかね・・・。」
「ところで、この写真の女性は見たことがありますか?」と、太郎は言いながら、鞍地麗子の写真をウエイトレスに見せた。
「いえ。見たことはありません。」
その後、太郎と鞍地は石田咲子の宿泊の有無を確認するためにホテルのフロントへ行った。
「私立探偵の大和と申しますが、2月3日の夜に石田咲子さんは宿泊されていましたか?」と名刺を渡しながら太郎が言った。
「石田咲子様ですか?2月3日の宿泊者ですね・・・。」と言いながら、フロント係が宿泊記録台帳を捲った。
「石田咲子様の名前はありませんね。先日も警察の方が石田純二様の宿泊記録を調べに来られましたが、石田咲子様は石田純二様のご親戚ですか?」とフロント係が興味ありげに訊いた。
「ええ、奥様です。それで、石田純二さんは2月3日に宿泊されていたのですか?」
「いいえ。宿泊記録には石田純二様の名前はございませんでした。宿泊予約もありませんでした。」とフロント係が言った。
「2月3日の午後4時半ころから6時ころまでの監視カメラの記録映像を観せていただけませんか?」と太郎が訊いた。
「地下に警備室があります。そちらで聞いてみてください。あそこの非常階段を降りたところにあります。」と言いながらフロント係が非常階段のドアーのある方向を指差した。
2012年2月14日(火) 午後4時ころ、京都Gホテルの地下・警備室
ホテル地下にある警備室内でパソコン内に録画された2月3日夕刻の監視カメラ映像を太郎と鞍地が警備員に見せてもらっている。
「このサングラスの男は?」と鞍地が叫んだ。
「時刻は午後5時5分ですか。石田咲子の座っているテーブル席の後の席に座りましたね。」と太郎が言った。
鞍地麗子が姿を見せない為か、午後6時5分に石田咲子は席を立ち、コーヒーラウンジを出て行った。その直後、サングラスの男も席を立ってコーヒーラウンジを出て行った。
ホテル玄関を出て行く鞍地麗子の後ろから、サングラスの男もホテル玄関を出て行く映像を大和太郎と鞍地大悟は確認し、警備員に礼を言って、警備室を出た。
鞍馬月光12;
2012年2月14日(火) 午後8時ころ、烏丸御池にある朝読新聞京都支社・応接室
鞍地大悟と別れた後、大和太郎は先斗町で死んだ石田純二に関する情報を得るために、朝読新聞京都支社の事件記者である中山隼人を訪問していた。
「石田純二は青森県三戸郡新郷村の出身です。年齢は45才です。東京のJ大学神学部を卒業して商社マンをしていましたが、15年前から野田女総理の私設秘書になったようです。クリスチャンで洗礼名はペテロです。議員秘書になった経緯は不明です。昨年から第一秘書に格上げされました。資金調達力を見込まれたようです。自宅は東京都港区白銀台○○○です。現在、石田純二の妻・咲子が行方不明です。2月3日の死亡当日に何故に京都に来ていたのかは不明です。野田女議員事務所の事務員たちには総理官邸に行くと言って出たきり、京都に直行してきたようです。総理官邸には立ち寄っていなかったようです。」と中山記者が言った。
「石田咲子さんの出身地は判りますか?」と太郎が訊いた。
「山梨県富士吉田市上吉田○○です。」
「石田咲子さんはクリスチャンですか?」
「いえ。そうではないようです。しかし、大和探偵は何故に石田純二に興味があるのですか?」と中山記者が訊いた。
「某所からの依頼で石田純二氏が贔屓にしていた芸妓の唄奴子こと鞍地麗子さんの所在を突き止めることになりました。」と太郎が言った。
「行方不明になっている鞍地麗子を探す訳ですか?」と山中記者が驚いたように訊いた。
「そうです。」
「依頼人の某所とは、神武東征伝説殺人事件の時と同じで、警察庁ですか?」
「それは言えません。」
「やはり、石田純二は殺されたのでしょうかね?」と中山が言った。
「どうですかね・・。警察の見解はどうなんですか?」と太郎が訊いた。
「京都府警ではまだ結論が出ていないようです。何か未発表の情報があるようなのですが、それが何か判りません。」
「未発表の情報ですか・・・。」
「半田刑事局長補佐からは何も聞いていないのですか?」と中山が太郎の依頼人を探るために誘導尋問をした。
「はっはっはっはっは。私は何も某所が警察庁とは言っていませんがね、中山さん。」と太郎が言った。
「これはどうも、早合点でした。」と中山が頭を掻いた。
「石田純二氏の直接の死因は高瀬川に落ちた時に頭を強打したことでしょうが、お酒に酔ってふらふら歩いていたということですが、本当にお酒に酔っていたのでしょうか?」と太郎が訊いた。
「茶屋『火の子』の従業員から聞いた話ですが、石田純二は午後8時ころまでサングラスをした謎の男性と食事をしながら話をしていたようです。ビールを2本くらい飲んでいたようですが、茶屋を出る時には酔ってはいなかったようですよ。なぜ、タクシーの運転手が酔っぱらっている石田純二を目撃したのかです。午後8時過ぎに茶屋を出てから、午後9時ころに高瀬川に落ちるまでの石田純二の足取りが不明です。歩いている時間などを差し引いて、30分くらいは先斗町近くのどこかで飲んでいたと考えられるのですが、石田純二を目撃した人物はいません。」と中山が言った。
「先斗町近くではなくて、もっと離れたところで飲んでいた可能性はないのですか?」
「そこのところを警察が調査している模様ですが、まだ京都府警からの発表はありません。ところで、行方不明の鞍地麗子がこの事件に関係しているのですか?」と中山が訊いた。
「それは判りません。これからの調査でそれが判明するかも知れません。」
「石田純二と芸妓・鞍地麗子の関係か・・・。なるほど、そこを追いかけるか・・・。大和探偵、なんでも言ってください。私も鞍地麗子発見に協力しますよ。」と中山が言った。
「それは助かります。よろしくお願いします。」
「ところで、石田咲子の失踪とその鞍地麗子の失踪は関係しているのでしょうかね。」と中山が訊いた。
「その件もこれから調査するつもりです。しかし、私の目的はあくまでも鞍地麗子さんの発見ですので、そこのところはご理解ください。」と太郎が中山に念を押した。
「判りました。出過ぎたまねはしないように心がけます。ところで、話は変わりますが、昨年に九州で起きた都府楼殺人事件がすっきりしないまま捜査本部が消滅しましたが、そのあたりの理由を大和探偵はご存じですか?」と中山記者が訊いた。
「ああ、あれですか。北九州市のオメガ教団研修所に自衛隊のジェット戦闘機が墜落炎上した事件がありましたよね。」
「ええ。それが?」
「あの事故で、菅原清隆を殺害した犯人ではないかと思われる人物が死亡しました。警察ではその人物が犯人であると云う確証はなかったのですが、いろいろな情報や証拠からその男が菅原清隆を殺した人物と推定して、捜査規模を縮小して経費節減に踏み切ったと云うところです。」と太郎言った。
「なるほど。被疑者死亡での経費節減ですか。それで、福岡県警での担当刑事が二人だけになった訳ですね。二人で残務整理ですか・・・。そうすると、都府楼殺人事件はオメガ教団が関係していたわけですね。」と中山が言った。
「そのあたりの事は詳しく知りません。警察に訊いてください。」と言って、太郎は誤魔化した。
「いやあ、福岡支社の担当事件記者の話では、捜査本部解散についての福岡警察の説明も歯切れが悪いようです。」と中山が言った。
「ところで、聖武祇園連合会の組長・岡上正一の経歴などについて、何か知っていますか?」と太郎が訊いた。
「ああ、行方を晦ましている男ですね。福岡支社からの情報では、北九州の小倉で暴力団・聖武祇園連合会を立ち上げる以前の経歴は不明です。5年前まであった弱小暴力団・祇園組の組長が解散を宣言した時に、岡上正一が突然に現れて、組と組事務所を買い取りました。そして、当時の組員や顧問弁護士を引き取り、聖武祇園連合会として、再結成したようです。それほど悪どい行為は無いようです。組の運営資金源の詳細は警察でも把握できていないようです。岡上の個人的な人脈があるのではないかと謂われていますが、実態は不明です。結局、今回の岡上正一の行方不明で聖武祇園連合会も解散になると、もっぱらの噂だそうです。本名は田中義一と云い岡上正一は偽名です。田中義一の出身地は東京都調布市となっていますが、高等学校を卒業後、東京都大田区にある機械加工会社の営業を3年くらいしていたようです。その会社を辞めてからの経歴は不明です。住民登録は調布市の実家に置いたままになっていたようですが、5年前に調布市から北九州市に住民登録を遷しています。実家の両親はすでに他界していました。現在の本籍地は北九州市の自宅マンションの住所地ですが、謎の多い人物のようです。」と中山記者が説明した。
「なるほど、謎の多い人物ですか・・。その田中義一に関する情報は警察発表ですか?」と訊きながら太郎は鶴ケ岡八幡宮の拝殿前で岡上正一が他の男から何かを手渡された光景を思い出していた。
「いえ、東京本社にある我社独自の調査チームが岡上正一こと田中義一の住民登録などの情報を遡って調べた結果です。高等学校の同級生などから情報を収集しましたが、機械加工工場を辞めてからの経歴は見つかりませんでした。警察も調査に動いていたようですが、何処まで田中義一の事を調べ上げているのかは判りません。それで、岡上正一が石田純二死亡事件と関係しているのですか?」と中山が訊いた。
「いえ。全く関連はありません。都府楼殺人事件の時に疑問だったものですから、ちょっと訊いてみただけです。単なる好奇心です。」と太郎が言った。
「そうですか。信用しておきます。」と言いながら、中山は太郎が何かを隠しているのではないかと疑っていた。
「ところで、貴社の調査チームでは電話会社とのコンタクトは可能ですか?」と太郎が訊いた。
「どういう意味でしょうか?」と中山が訊いた。
「ある携帯電話に掛って来た相手の電話番号や掛けた相手の電話番号から相手の名前や住所を調べられるかと云うことです。」
「まあ、通常は電話会社でもコンプライアンス(法令遵守)が重視されますから、個人情報の開示には制限があります。警察が事件がらみで調査協力を依頼する場合には情報開示を行っているようですがね。しかし、わが社の調査部は様々な情報源を開拓していますから、大和探偵のご期待に沿えるかもしれませんよ。しかし、電話番号調査と云うことは、大和探偵の今回の依頼人は警察関係ではありませんね・・・。」と中山がニヤリとした。
「これは、藪蛇でしたね。京都府警も調べていると思いますが、警察に訊いても教えてもらえないでしょうからね。どうです、貴社の調査部で電話相手を調べられますか?」と太郎が訊いた。
「その携帯電話番号と所有者の名前を教えていただけますか。東京本社の調査部に依頼してみます。」と中山が言った。
「鞍地麗子さんの電話番号は・・・・。」と言いながら、太郎は鞍地大悟から聞いてメモしておいた番号と携帯電話会社名を読み上げた。
「この電話番号から石田咲子の電話と繋がるかどうかですね。」と中山が言った。
「そうです。」
「なるほど。行方不明の石田咲子と鞍地麗子が繋がるのかどうかですか・・・。」と中山は太郎が何を考えているのかと考えを巡らした。
鞍馬月光13;魔王尊の秘法
2012年2月18日(土) 午後3時ころ、東松山市内の紫雲館ホテルの貸会議室
箭弓神社の近くにある紫雲館ホテルの貸会議室を借りて、藤原教授、大和太郎、鞍地大悟の三人が竹内文献のキリストの墓と鞍馬山の魔王尊、竹内巨麿の関係を推理する会議を行っている。
「先ほど到着されたばかりで、お疲れではないですか?」と太郎が訊いた。
「大丈夫です。新幹線の中ではグッスリと睡眠を取ってきましたから。早速、始めましょう。」と教授が答えた。
「それでは、私から宿題であった鞍馬山寺の歴史と魔王尊伝説の鞍馬山弘教に関する調査から説明します。」と鞍地大悟が言った。
「戦後の昭和22年(1947年)までは鞍馬寺として比叡山の天台宗に属していましたが、神智学の影響を受けた貫主・信楽香雲が鞍馬山弘教を宣旨し、昭和27年に宗教法人となりました。総本山は鞍馬寺です。この時から魔王尊の伝説が語られ始めました。曰く『護法魔王尊は650万年前に金星から地球に降臨した。』現在の奥の院魔王殿は昭和20年に焼失したものを再建した建物であると云うことらしいです。戦前から魔王尊伝説があったのかどうかは文献が見つかりませんでしたので、何とも言えません。魔王尊は16歳のまま歳をとることがない永遠の存在とされています。天津教の16弁菊花紋と関係するのかどうかです。
鞍馬寺の創建は、772年に奈良(南都)の僧呂である鑑真上人の弟子・鑑禎が宝の鞍を乗せた白馬の霊夢を見て鞍馬山の地にあった毘沙門天像を祀る草庵を造り、藤原南家出身の藤原伊勢人がその草庵を796年に発見し、毘沙門天と千手観音を祀った時から始まる。藤原伊勢人は『一人の童子が現れて、毘沙門天も観音様も、もともとは同じものであると言った。』と云う夢を見たらしいのです。現在の鞍馬弘教は、毘沙門天を光の象徴である太陽の精霊、千手観音を愛の象徴である月輪の精霊、護法魔王尊を力の象徴である地球(大地)の霊王とし、三身一体で本尊としています。戦前は、四天王の内で北方を守護する毘沙門天を本尊とし、脇侍として千手観音を祀っていました。
ところで、鞍馬山から花背峠を越えた北方に大悲山峰定寺と云う修験道場の山岳寺があります。ここの本尊は十一面千手観音です。そして、脇侍として毘沙門天と不動明王二童子が祀られている。大悲山の大悲とは観世音菩薩の大いなる慈悲心の意です。」と鞍地が説明した。
※神智学(Theosophy);
秘教、密教、オカルトなどの神秘主義的思想の総称で、宗教、哲学、科学、芸術などの根底にある真理を追究する学問を謂う。Theosophy(神智学)はギリシア語のtheos(神)とsophia(知恵・上智)の合成語である。隠された奥義としての神の知恵、とされている。
究極的には神人合一をめざす教義を実践する学問。ある種、修験道に通じる一面を持つ。神秘的な奥義・超能力を体得した人物は大師と呼ばれる。修験道では先達と呼ばれる。19世紀にロシア帝国生まれのブラヴァツキー婦人を中心にして米国のニューヨークで設立された「神智学協会」の紋章は蛇が形成する円の中にダビデの星が描かれ、更に、ダビデの星の中には十字架が描かれている。後に、神智学協会の本部はインドに遷され、インドで発展してきたようである。
「明治・大正時代に竹内巨麿は鞍馬山や大悲山で修験修行を行ったとされています。この時に竹内巨麿は魔王尊から何らかの影響を受けたのかどうかです。」と藤原教授が言った。
「魔王尊から何らかの影響を受けた、とはどういう意味ですか?」と太郎が訊いた。
「魔王尊の秘法です。」
「魔王尊の秘法?」
「以前にも大和君に話しましたが、鎌倉時代の常陸坊海尊、江戸時代の残夢老人などの伝説です。魔王尊の秘法と云うものがあると仮定すると説明ができます。」
「それは?」
「竹内巨麿に不老不死の魔王尊の意志が乗り移ったと云う私の仮説です。それは、現在の茨城県北茨城市磯原の地に16弁菊花紋を神紋とする高祖皇太神宮を置き、青森県戸来村にキリストの墓があると決めることです。これによって、北斗七星と北極星の位置関係を日本国土に描き、何かを暗示することが魔王尊であるサナート・クマラの目的であったと推理できます。竹内文献の中で、能登にモーゼの墓があると決めることによって、オリオンの三ツ星であるエジプトのピラミッドの意味を暗示したのと同じです。」と教授が説明した。
「ピラミッドの暗示とは何ですか?」と鞍地が訊いた。
「ああ。鞍地君は知らなかったですね。大和君と推理した、宝達山、石動山、円山の配置がエジプトのギーザにある、クフ、カフラー、メンカウラーの墓とされるピラミッドの配置と同じと云う事の意味です。その並び方はオリオンの三ツ星の並び方と同じです。余談ですが、石川県能登の宝達山、富山県高岡市の二上射水神社、富山県滑川市の天津教・天神人祖一神宮、茨城県北茨城市の天津教・皇祖皇太神宮は同緯度、すなわち東西に伸びる直線上にあります。そして、三大ピラミッドの存在は下鴨神社の御生れ神事の意味に繋がってきます。筑紫の皇子が生まれる事の暗示がオリオンの三ツ星と云う事です。そして、竹内文献の中にあるキリスト伝説は救世主が北極星であると暗示している訳です。救世主キリストの墓のある場所・戸来村は日本列島に描かれた北極星のある位置を示しているのですからね。」
「日本列島で北斗七星のそれぞれの星の位置に相当する神社には何か意味があるのでしょうか?」と鞍地が訊いた。
「それは何でしょうね。キリストが救世主として地上に再臨するのかどうかの暗示なのか。それとも、もっと違った救世主を北斗七星に相当するそれぞれの神社が暗示するのか。今のところ、判りません。護法魔王尊を祀る鞍馬山の尊天と大悲山の本尊が何を意味しているのかですね。あるいは、もっと違う何かがあるのかもしれませんね。」と教授が言った。
「筑紫の皇子とは関係がありますかね?」と太郎が言った。
「どうでしょうかね。筑紫の筑は古代楽器のことです。音楽の神であるアポロンは弓の神でもあります。富山県高岡市の射水神社の筑山神事に天から舞い降りてくる男神が音楽の神なのか、弓矢の神なのか・・・?二上山の奥宮には鳴り鏑の神である大山咋神を祀る日吉神社の祠がありましたが・・・。」と教授が首を傾げた。
「北方を守護する毘沙門天、そして十一面千手観音と二体の不動明王童子、ですか・・・。更に、筑紫の皇子。」と鞍地が呟いた。
「ところで、鞍馬山と下鴨神社と先斗町を結ぶ南北に走る直線。そして、上賀茂神社の奥宮である丸山と八瀬にある御蔭神社旧社地を結ぶ東西に走る直線。この二つの直線は十字架を形成します。」と教授が言った。
「先生。更に南にある伏見稲荷大社も鞍馬山と下鴨神社を結ぶ直線上に乗ります。」と太郎が言った。
「そして、この南北の直線上には、京都ND女子学院が下鴨本通北山にあり、京都SB女子学院が伏見深草にあります。どちらの女学院も聖母マリアの精神を実践することを教えとするミッション系の女学校です。」と鞍地が言った。
「なるほど。聖母マリアが十字架に乗っているのですか。」と教授が言った。
「京都ND女子学院の建学精神は『徳』と『智』であり、京都SB女子学院の建学精神は『愛』と『奉仕』と『正義』です。」と鞍地が言った。
「『徳』と『智』と『愛』ですか。能登の石動山古縁起では『福』と『智』と『愛』が光る三つの石から生まれたと書かれています。そして、それは『日』と『月』と『星』を意味していると暗示されていました。」と太郎が言った。
「鞍馬弘教では、毘沙門天を太陽で『日』、千手観音を『月』、護法魔王尊を地球や金星、すなわち『星』と見なしていますね。」と教授が言った。
「これらが魔王尊の秘法と繋がるのでしょうか?」と鞍地が訊いた。
「聖母マリアとサナート・クマラ。そして十字架のイエス・キリストですかね・・・。」と教授が言った。
「下鴨神社と鞍馬山を結ぶ直線で出来る十字架は北を上にすれば逆さ十字架。伏見稲荷大社と鞍馬山を結ぶ直線で出来る十字架は正立十字架ですね。」と太郎が言った。
「逆立十字架と正立十字架ですか・・・。」と鞍地が考えるように言った。
しばらくの沈黙の後で鞍地大悟が口を開いた。
「ペテロとキリストですね。そして、聖母マリア。」
「なるほど。逆十字に磔にされたペテロ。正立十字で磔にされたイエス・キリストですか。」と太郎が言った。
「そして、横浜にあるF女学院も『奉仕』を建学の精神にしていますね。」と鞍地が付け加えた。
「聖母マリアの『奉仕』の精神か・・・。確か、鞍地麗子さんは京都ND女子学院高等部の卒業でしたね。」と太郎が鞍地大悟に向かって言った。
「ええ。そうですが、それが何か?」
「いえね、麗子さんの仕事が芸妓ですから、お客に奉仕することに繋がるな、と思っただけです。他意はありません。」と太郎が言った。
「先生の謂わゆる魔王尊の秘法とは、不老不死の霊的存在であるサナート・クマラがこの地球上、あるいは宇宙に刻まれた暗示が実現させると云うことでしょうか?それとも、霊的な人体への憑依能力を云うのでしょうか?」と鞍地が訊いた。
「その両方です。魔王尊ことサナート・クマラが北斗七星と北極星に示された神の計画を実現させるために秘法を駆使しているのか?それとも、神の計画を阻止しようとしているのか?どちらでしょうね・・・。」と藤原教授が言った。
「北斗七星の武曲星に当たる富山県滑川市の天津教・天神人祖一神宮と破軍・剣先星である白山比め神社の延長線上には福岡県の太宰府天満宮か筑紫野市にある筑紫神社に行き当たりそうですね。」と大和太郎が日本列島の描かれている地図に定規を当てながら言った。
「なるほど。剣先星はオリオン座の巨人の剣星・サイフ(The Saiph)に繋がっていましたか。それとも、破軍星として筑紫神社の祭神であるスサノオ尊の御子神である武神・五十猛に繋がるのですかね・・・。そして、その意味は何でしょうね。」と教授が言った。
「7+1=8ではないでしょうか。」と太郎が言った。
「7+1=8とは?」と鞍地が訊いた。
「7は北斗七星。1はAとしての北極星です。」と太郎が言った。
「それは、北野天満宮近くの大将軍八神社に繋がりますかね。かつては火雷天神を祀った地に建てられている大将軍八神社。そして、上賀茂神社の伝承では、火雷天神は大山咋神でもあり、松尾大社の祭神でもあり、下鴨神社の祭神でもあります。そして、糺の森ですかね・・・。大将軍八神社に残されている1体の童子像と29体の位冠束帯を着た政治家像、50体の鎧を纏った武神像と関係するのかどうかですね・・・。」と教授が言った。
「糺の森の『糺す』とは世の中の間違いや嘘を正すと云う意味でしたね。Aである北極星が世の悪を取り除く訳ですか。クリスマスの夜に北極星から来るサンタ・クロース、すなわち聖十字架(Santa Cross)によって世の中は正され、幸福が訪れる訳ですかね・・・。それとも、・・・・。」と鞍地大悟が考え込んだ。
「それが、魔王尊の意志を受けた竹内巨麿が竹内文献の『キリストの遺言状』の中で残した言葉、イエス・キリストはイスキリスクリスマスフクノ神と呼ばれていた、と云うことでしょうかね・・・。すなわち、魔王尊の秘法ですかね・・・。」と藤原教授が言った。
「うーん。救世主のイエス・キリストですか・・・。そして、650万年も地球に居る魔王尊ですか。」と大和太郎は腕組みをして考え込んだ。
鞍馬月光14;十字架殺人事件
2012年2月19日(日) 午前7時ころ、青森県十和田市奥瀬の十和田湖畔休屋
十和田湖は秋田県と青森県の県境にある湖周44Kmの外輪山に囲まれた二重カルデラ湖である。最深部の深さは327mで、水面位の標高は400mである。
十和田火山は現在も活火山であり湖底の地下深くにはマグマが流動しているらしい。
2008年に面積比で青森県6:秋田県4の割合で県境が湖面上に決められた。
元来、魚が生息していなかったが、現在は放流等でヒメマスなどが生息している。
湖畔には高村光太郎作のブロンズ像『乙女の祈り』がある。
『乙女の祈り』は高村光太郎が妻・智恵子の死後、(生前に描いてあった?)智恵子の裸婦デッサン画を参考に創作されており、二人の裸婦が向かい合って立っているブロンズ像である。二人の裸婦は同じ顔形をしており、互いの左手のひらを合わせる形で立っている。光太郎は何故に二人の裸婦像にしたのであろうか? 一方の裸婦は正常な智恵子で、もう一方の裸婦は統合失調症と呼ばれる精神病の智恵子、あるいは十和田湖の澄んだ水面に現れる智恵子の影なのだろうか。
智恵子は福島県二本松にある実家・長沼家の造り酒屋『米屋』が倒産し一家が離散した後、心労からか、精神を病み始めたらしい。28歳で光太郎と結婚したものの、智恵子は入籍を断っている。智恵子が45歳の時に統合失調症の症状が現れ、49歳で東京・品川の大井町にあるゼームス坂精神病院に入院した。なお、智恵子が52歳で死亡する5年前に光太郎が入籍手続きを行ったようである。3歳年長の光太郎は精神病の智恵子を残して自分が先に死んだ場合、智恵子に多くの遺産が残るようにと考えたらしい。
高村光太郎の『十和田湖畔の裸婦像に与ふ』と云う詩の一節にこんな言葉が書かれている。
・・・・・・・・・・・・
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のやうに立ってゐる。
・・・・・・・・・・・・
その二人の裸婦ブロンズ像は高さ1.8mくらいの石の台座の上に載っている。
光太郎はブロンズ像の徐幕式に出席した2年後に吐血し、更に、その1年後に死亡している。
鹿島神宮の海中磐座がある見目浦を出発点として北茨城市を通過し、ほぼ真北に向かうと十和田湖がある。その十和田湖から東へ5kmのところに青森県新郷村の戸来嶽がある。戸来嶽からさらに東へ13kmのところに竹内文献を残した竹内巨麿が謂うところのキリストの墓がある。
昨夜の冬花火大会の見学に訪れていた数人のホテルの女性宿泊客が『乙女の祈り』像を見るために、雪が掻き分けられた道を散歩してきた。
「キャー!!」と一人の女性がブロンズ像の前で叫んだ。
白い木の十字架に左右の手のひらを大きな釘で打ちつけられた男の死体がブロンズ像の台座に立て掛けられている。両脚は揃えられて縄で十字架に括りつけられている。そして、二つの足は十字架に設けられた受け台に乗せられており、死体の重量を受け止めていた。
何かの祈りが捧げられたのか、裸の胸は鋭い刃物によって十字に引き裂かれいる。
2012年2月19日(日) 午前9時ころ、青森県十和田市奥瀬の十和田湖畔休屋
刑事たちが現場検証をしている。
「猟奇殺人か・・・。」と青森県警本部の古牧刑事が呟いた。
「この様子では、他所で殺されて、此処に運ばれてきたようですね、古牧さん。」と十和田署の大河原刑事が話し掛けた。
「ああ、そうらしいな。名前の判るような物も無さそうだな。それに、観光者のために雪も掻き分けられているから、足痕も残っていないな。」
「下着のブリーフ一枚の裸ですからね。この寒空に、気の毒なことです。」
「死因は出血多量によるショック死かな・・・。」と青森県警本部鑑識課の人間が死体を観ながら呟いた。
「その割には血糊の量が少ないですね。死んだ後に胸を十字に切り裂かれたのかも・・・。凍死の可能性もありますねかね。死体が凍っているみたいにカチカチですよ・・・。」
「監察医の解剖結果待ちかな。しかし、異常な死体だな。十字架に磔とはな・・・。イエス・キリストでもあるまいし。」と現場写真を撮っている鑑識課員が言った。
鞍馬月光15;
2012年2月22日(水) 午前11時ころ、京都府警本部・刑事部長室
「先ほど警察庁の半田刑事局長補佐から連絡がありました。青森県の十和田湖での殺人事件の被害者の右腕に自白剤を打たれたのではないかと思われる注射痕があったようです。そこで、木屋町で死んだ石田純二の監察資料と照合したところ、同じ自白剤が注射されていたことが判明したらしいです。よって、石田純二死亡事件に関して、傷害致死事件として捜査本部を設置するようにとの半田刑事局長補佐の指示がありました。そして、青森県警本部との情報交換を行うようにとのことでした。」と玉木刑事部長が捜査一課長の武井に言った。
「傷害致死でっか?」
「そうです。注射痕は傷害事件の証拠です。」と玉木刑事部長が言った。
「それで、十和田湖の被害者の状況はわかってまっか、部長?」と武井課長が訊いた。
「胸がナイフか何かで十字に裂かれた男性の半裸死体らしい。ブリーフ一枚を身に着けていただけで、白い木の十字架に磔にされていたそうです。年齢は30歳代後半と推定されています。身元はまだ判明していないとのことです。」
「パンツ一枚でっか、冬の雪国で。不憫なことですな。それで、背丈は?」
「中肉中背で身長が175cm。石田純二とほぼ同じ身長です。」
「こりゃ、ひょっとしたら、ひょっとしまっせ、部長。」
「何がですか?」
「お茶屋の『火の子』で石田純二と密会していたサングラスの男でんがな。」と武井が言った。
「武井さんの勘か・・・。まあ、青森県警本部の捜査一課と連絡を取ってください。以上です。よろしくお願いします。」と玉木が言った。
「青森まで出張人を出してもよろしおますか?」と武井が訊いた。
「具体的な捜査指揮は武井さんにおまかせします。しかし、なるべくテレビ会議装置を活用して経費節減してくださいね。」
「判りました。」
鞍馬月光16;
2012年2月24日(金) 午後2時ころ、朝読新聞・京都支社の応接室
鞍地麗子の携帯電話の通話記録が手に入ったとの連絡を受けた大和太郎は朝読新聞・京都支社の中山隼人事件記者を訪問していた。
「どうも、青森県十和田湖で十字架に磔になって殺されていた男が先斗町のお茶屋『火の子』で石田純二と会っていたサングラス男ではないかと云う話で、木屋町高瀬川傷害致死事件捜査本部が設置されました。傷害致死で捜査本部が立つなんて、前代未聞ですよ。」と中山事件記者が言った
「何が理由で、十和田湖で殺された男性が先斗町のサングラス男と云うことになったのでしょう?」と太郎が訊いた。
「京都府警の発表では、石田純二とサングラス男には同じ成分の自白剤が注射されていたそうです。このことから、十和田湖十字架殺人事件と石田純二の傷害致死事件の犯人は同一人物ではないかと云う事になったようです。警察庁からの指示で捜査本部を設置したそうです。」
「警察庁の指示ですか・・・。それで、サングラス男の身元は判っているのですか?」と太郎が訊いた。
「いえ。ブリーフ姿の裸で十字架に磔にされていたらしく、身元を示すものは何も発見されていないようです。十和田湖畔の乙女の祈り像の処まで運ばれてきたようで、殺害現場も不明です。火の子では英語を話していたということから、京都警察では死体の顔写真と入国管理局の外国人入国者のパスポート登録写真記録を照合調査しているとのことです。」と中山が説明した。
「サングラス男性は外国人ですか・・・?」と太郎が訊いた。
「火の子の仲居さんの目撃証言では東洋人風であったと云う事ですから、日本人かも知れませんが、警察では、石田純二と英語で話していたことを重視しているようです。」
「なるほど。それで外国人と推理しているのですね・・・。」と太郎も考えながら呟いた。
「それで、鞍地麗子の持っていた携帯電話の通話記録の件ですが、事件前の1月末までの通話記録を入手し、8人の相手を調べました。2月分はまだ手に入っていません。2月分の通話料金請求のための通話記録の打ち出しは3月1日以降になりますから。事件関係者としては、石田純二との通話記録はありましたが石田咲子の携帯電話番号はありませんでした。また、石田純二の自宅電話との通話記録もありませんでした。これが、その8人の名前です。このうち4人が芸妓仲間で2人が置屋の人間でした。残りが石田純二と公衆電話からの正体不明の人物です。」と中山が名前リストのメモを太郎に渡した。
「石田純二との通話記録の日付は何月何日ですか?」
「1月25日と1月30日ですね。」と通話記録リストのコピーを見ながら中山が言った。
「公衆電話からの通話日時は?」
「東京の成田空港公衆電話からの1月20日午後3時17分と京都駅公衆電話からの1月31日午前11時23分の2回ですね。」
「2月2日の石田純二は東京に居たのでしたね。」
「そうです。警察発表では2月3日の新幹線で京都に来たことになっています。」
「1月30日の石田からの電話は鞍地麗子さんと2月3日に会う約束ですかね。」
「通話時間は45秒ですから、落ち会う場所と時間を決めた程度の話の可能性が高いですね。」
「公衆電話が気になりますね。特に、1月31日の京都駅公衆電話からの話の内容は何かですね。」と太郎が言った。
「通話時間は2分25秒と少し長いですね。」と中山事件記者が言った。
「石田咲子さんは2月3日午前10時ころには東京・港区の自宅マンションに居たのでしたね。」
「ええ、警察発表では午前10時ころにマンションの管理人が石田咲子を目撃しているとのことです。」
「と云うことは、1月31日には、まだ東京に居た可能性が強いですかね・・・。2月3日に京都に来る予定なら、余程のことがない限り、わざわざ1月31日にも京都に来る必要はないでしょう。1月31日の京都駅公衆電話の主は誰でしょうかね。単なる友人の一人ですかね・・・。」
「1月20日の成田空港公衆電話から通話時間は?」
「13秒です。」
「番号間違いの電話ですかね・・・。」
「ちょっと待って下さい。それがですね、この時刻にこの成田空港公衆電話から3本の電話が連続して掛けられいます。この3本の電話の前後は10分間くらい公衆電話は利用されていませんが、この3本は1分弱の間隔で掛けられています。最初が東京都千代田区にあるローマ法王庁大使館。次に、この鞍地麗子への13秒間の電話。その次が石田純二への電話ですね・・・。そして、鞍地麗子の電話番号と石田純二の電話番号は似ていません。全く違います。ですから、鞍地麗子への電話は間違いとは考えにくいですね。」と中山が通話記録リストのマーカー部分に目をやりながら言った。
「ローマ法王庁大使館ですか。確か、石田純二はクリスチャンでしたね・・・。しかも、洗礼名がペテロでしたね・・・。」と太郎が考えを巡らせながら言った。
「ペテロが何か?」と中山が訊いた。
「ペテロはイエス・キリストの12使徒のひとりで、キリスト教を創始した人物と謂えます。ペテロはキリストの死後、指導者として目覚め、初期キリスト教会の確立に奔走した人物です。ローマ皇帝ネロのキリスト教迫害で捕われ、十字架に磔にされて処刑されました。この時、キリストと同じ正立十字架の形で処刑されることを拒み、ペテロ本人の希望で頭を下向きにした逆さ十字架にて処刑されました。ペテロが処刑された場所には、現在のイタリアローマ・ヴァチカンにあるカトリック教会の総本山であるサン・ピエトロ寺院が建っています。」と太郎が言った。
「十和田湖で死体が発見されたサングラスの男が外国人として、成田空港の公衆電話を使ったのは、もしかして・・・。」と中山が呟いた。
「その可能性はありますね。そして、ローマ教皇庁に関係する人物である可能性がありますね。」
「ローマ教皇庁から来た人物ですか?」
「ええ。なぜ、石田純二に電話をしたかですね。通話時間はどのくらいですか?」と太郎が訊いた。
「成田空港の公衆電話と石田純二の携帯電話との通話時間はっと・・・。5分23秒ですね。」
「電話としては長い時間ですね。単に、アポイントの約束ではなく、何かの情報交換をしていますね。」と太郎が言った。
「サングラス男はローマ法王庁大使館から石田純二と鞍地麗子の電話番号を聞いて、すぐに、電話したのですかね。」と中山が言った。
「鞍地麗子さんへの13秒間の電話は間違い電話ではなかったと云うことですか?」と太郎が訊いた。
「そうですね・・・。何故に、ローマ法王庁大使館が鞍地麗子の電話番号を知っていたのかになりますかね・・・。」
「いえ。ローマ法王庁大使館はクリスチャンである石田純二から鞍地麗子さんの電話番号を聞いて知っていた可能性がありますね。その鞍地麗子さんの電話番号を成田空港に到着したばかりのサングラス男に伝えた理由と、何故にサングラス男が石田純二より先に鞍地麗子さんに電話を入れたのかです。鞍地麗子さんは、英語での話声だったので間違い電話としてすぐに切ってしまったのかどうかですね・・・?」と太郎は考え込んだ。
「石田純二はローマ法王庁大使館から事前にサングラス男のことを聞かされていた訳ですかね。」
「そう云うことかも知れませんね・・・。」
「入国外国人を照合調査している警察はサングラス男を発見できますかね・・・?」と中山が言った。
「ローマ法王庁大使館の電話番号は何番ですか、電話をしてみましょう。」と太郎が言った。
中山隼人は応接室にある電話器を取り上げ、通話記録に乗っている番号に電話を掛けた。
そして、ローマ教皇庁・国務省総務局から派遣されたナオキ・パウロ・タグチと云う名の日系3世のローマ・ヴァチカン市国在住の男性が1月20日に来日し、日本国内でキリスト教に関係する調査活動を行っているとのことであったが、調査の内容は秘密と云うことで教えてもらえなかった。ただ、現在、ナオキ・パウロ・タグチは日本国内の調査旅行を行っており、連絡が途絶えた状態にあるとの返事であった。
「サングラス男はヴァチカンの人間か・・・。そして、行方不明か。」と太郎が呟いた。
「やはり、十和田湖で死んでいた男はヴァチカンの人間ですかね。」
「可能性は非常に高いですね。警察調査の発表待ちですがね。しかし、ヴァチカンから来た人間が単独で日本国内を旅行するのですかね・・・。」
「日系3世ですから、日本人の親戚に案内してもらうとか、日本の事はよく知っていたのでしょうかね・・・。それで、鞍地麗子さんはどうしますか?」
「石田咲子さんの新しい情報は何か持っていますか?」と太郎が訊いた。
「現在のところ、特に詳細な調査は進んでいません。」
「石田咲子さんはクリスチャンではなかったのでしたね。」
「ええ、そうです。その他、調べてほしいことがありますか?」と中山が訊いた。
「石田咲子さんの経歴を調べたいですね。」
「石田咲子は山梨県富士吉田市上吉田の出身で、42歳です。石田純二とは東京四谷にあるJ大学の学生時代の『政治研究会』と云う同好会サークルの活動仲間で先輩後輩の間柄だったようです。結婚は石田純二が野田女議員の秘書になってからで、今から10年前の35歳の時です。石田純二が現在45才ですから大学卒業の13年後に結婚したのですね。長い春だったんですかね・・・。結婚前の苗字は大山です。大山咲子。」と中山が言った。
「富士吉田市の実家の職業とかは判りますか?」
「調べておきますが、今回の事件の裏にあるものは何でしょうかね?」
「そこを推理できないと、この事件に取り組む入口が見えてきません。鞍地麗子さんの行方不明の原因もね・・・。どうも、キリスト教が絡んでいるのかも知れませんね。五里霧中です。うーん。どうしましょうかね・・・。突破口が見えません。石田咲子は何処に行ったのだ・・・?」と太郎が腕を組んで考え込んだ。
鞍馬月光17;
2012年2月24日(金) 午後5時ころ、D大学神学部・藤原研究室
大和太郎と鞍地大悟の二人が応接テーブルでコーヒーを飲みながら話している。
藤原教授は大学の入学試験の入試論文の採点のため、教職員室に行っていて、留守である。
「麗子さんは京都ND女子学院の時に何か事件でもありませんでしたか?」と太郎が訊いた。
「いえ。特に記憶にないです。それが何か?」
「いえ。ヴァチカンから来日した人物から麗子さんの携帯に電話が掛って来ていたのです。間違い電話だったのか、13秒で通話は切られています。麗子さんは外国語が話せましたか?」と太郎が訊いた。
「ええ。英語を少し話せたと思います。お茶屋では外国人の相手をすることがあったので、英語会話の勉強はしていたようです。」
「麗子さんはクリスチャンではなかったですよね?」と太郎がハンコックから手渡された鞍地麗子の身上調書を思い出しながら言った。
「ええ。京都ND女子学院はミッション系の学校ですが、姉はクリスチャンにはなっていません。」
「じつは、このヴァチカンから来日した人物が石田純二とお茶屋『火の子』で会っていたサングラス男の可能性があります。」
「そうですか。」
「そして、先日、青森県の十和田湖で殺されていた人物がサングラス男である可能性があります。」
「ええっ、ほんとうですか・・・。新聞に載っていた、あの十字架磔殺人事件の被害者ですか。」と鞍地が驚いたように言った。
「ええ、たぶん間違いないでしょう。警察も同じ考えで、京都府警と青森県警とが連絡を取り合っている模様です。男の名前はナオキ・パウロ・タグチと云い、日系3世です。」と太郎が言った。
「そのヴァチカンから来たパウロ・タグチの来日目的は何ですか?」
「判りません。ローマ法王庁大使館から聞いた話では日本国内を調査旅行しているとのことでした。」
「そうですか。ヴァチカンのローマ教皇庁には列聖省と云う列聖に叙すべき人物の奇蹟や功積を調査する組織があります。だれか、聖人に値する人物が日本にいると云うことでしょうかね?」
と鞍地大悟が言った。
「列聖省が動く時には、対象人物が聖人に値するとして、現地の司教が事前調査をしてローマ教皇庁に申請提案する必要がありますね。ローマ法王庁大使館からはそのような発表がありましたか?」
「3カ月毎に全国神学部協会から発行されるカソリック教会情報資料のヴァチカン情報には目を通していますが、特に記憶にはありませんね。ちょっと、知らべておきます。」と鞍地が言った。
「ローマ教皇庁・国務省総務局からの情報なども手に入りますか?」
「どのような情報ですか?」
「列聖ではなく、単に奇蹟的な事が日本に起こっていて、その調査をする場合は国務省総務局の管轄になるはずです。」と太郎が言った。
「パウロ・タグチは総務局の特別調査官であるのかもしれない訳ですか・・・。」
「まあ、私の推理ですがね。そして、調査対象が鞍地麗子さんですかね。」
「私の姉が調査対象ですか・・・?」
「過去に、麗子さんに何か変わったことはなかったですか?」と太郎が改めて訊いた。
「さあ、母からも聞いたことがありません。」
「石田純二が何かを知っていた。そして、ローマ法王庁大使館を通じてローマ教皇庁にそれを知らせた。と云った推理はどうですかね・・・。」と太郎が言った。
「姉に奇跡が起こった訳ですか?その情報提供者が姉の贔屓筋である石田純二ですか・・・。」
「そう、鞍地麗子さんに何かが起こった。だから、石田咲子さんの手紙には『重要な用件』と書かれていたのでしょう。」
「なぜ、石田純二からではなく石田咲子さんなのですか?」と鞍地大悟が訊いた。
「そこが判りません。パウロ・タグチに会っていたのは石田純二。石田純二と石田咲子さんとの間には鞍地麗子さんに関する件での合意があったのかどうか・・・。石田咲子さんの手紙には、石田純二の上着のポケットにあった紙きれのメモを見て手紙を書いたと記されていました。石田純二から聞いたとは書かれていませんでした。石田純二は咲子さんから鞍地麗子さんと会うつもりであることを聞かされていたのかどうかですが・・・、不明です。」と太郎が言った。
「結局、姉と石田咲子さんとは会っていないのですかね。二人とも行方不明と云うことは、2月3日に京都Gホテルでは会わなかったが、その後、会ったかもしれない訳ですかね。」
「拉致誘拐されたと考えた場合には同一犯人と考えられますが、何かの理由で自ら姿をかくした場合には二人が会っているかも知れませんね・・・。」
「その場合には、姉から実家に連絡があってもおかしくないのでは?」
「まあ、そうとも言えますがね・・・。まあ、失踪理由の決め手が判らない状況ですからね。」
「姉は無事ですかね・・・。」と心配そうに鞍地大悟が言った。
「死亡していたら、遺体が発見されているでしょう。たぶん、無事です。」と太郎が鞍地大悟を安心させるように言った。
「しかし、ジョージ・ハンコックは鞍地麗子の捜索を俺に依頼する時、石田咲子の捜索は不要と言っていたな。あの時は、鞍地麗子が見つかれば、同時に石田咲子も見つかるから、石田咲子を探す必要がないと云う意味と捉えたが、奴は本音で石田咲子を探す必要はないと言っていたのだろうか?奴は鞍地麗子が生きていると判っているのだろうか?ヴァチカンが調査対象にしているのは鞍地麗子ひとりだけなのかな・・?ヴァチカンから来たパウロ・タグチが成田空港から電話をしたのは鞍地麗子だけだったが・・・。しかし、鞍地麗子と同じ日に失踪している石田咲子の役目は何だったのか?何故に、石田咲子は鞍地麗子に会いたがったのか・・・? 如何なのだろう・・・。」と太郎は考えを巡らした。
鞍馬月光18;
2012年2月28日(火) 午前10時ころ、京都府警本部・木屋町高瀬川傷害致死事件捜査本部の捜査会議
「十和田湖の遺体はローマ教皇庁から来日していたナオキ・パウロ・タグチ氏と思われる。明日、ローマ教皇庁から遺体確認のために枢機卿が来日される。一応、ローマ法王庁大使館の職員が青森県警本部まで案内して行くと云う事だが、京都府警からも刑事を派遣して立ち会っておいて下さい。青森県警本部への出張者はお客様に失礼がないように対応をよろしくお願いします。」と玉木刑事部長が言った。
「青森県警へは最初からこの事件を担当している川村刑事と出島刑事に行ってもらいます。」と武井課長が言った。
「タグチ氏の来日目的は秘密調査と云うことでローマ法王庁大使館からはその内容は明らかにはしてもらえなかった。殺害状況から見て、タグチ氏が殺された理由がキリスト教の秘密調査に関係する可能性が濃厚です。ローマ教皇庁から来る枢機卿にも秘密調査の内容について質問することを忘れないようにしてください。川村さん、出島さん。」と玉木刑事部長が言った。
「はい。判りました。」と川村刑事と出島刑時が同時に言った。
鞍馬月光19;
2012年3月1日(木) 午後3時ころ、青森県警本部・応接室
2月29日に成田空港に着いたロベルト・ソダーニ枢機卿は東京に一泊したあと、2月30日に東北新幹線を利用して青森県警本部に来ていた。イタリア語の通訳兼案内人はローマ法王庁大使館の滝沢司教であった。
十和田湖で発見された遺体がナオキ・パウロ・タグチであることを遺体安置室で確認した後、青森県警本部の応接室で青森県警本部の刑事部長や担当刑事と話をしている。京都府警本部の川村刑事と出島刑事も同席している。
「パウロ・タグチ氏の来日目的は何だったのでしょうか?」と高崎刑事部長が訊いた。
「鞍地麗子と云う女性に起きた奇蹟を確認するのが目的でした。そして、その奇蹟を証明するための事実を秘密裏に収集することでした。」と滝沢司教がソダーニ枢機卿の言葉を通訳した。
「その奇蹟とは?」と刑事部長が訊いた。
「ペテロ・石田さんからの紹介だったのですが、鞍地麗子さんの左の手のひらに血の滲んだ様な赤い十字架が2ケ月前くらいから現れたとの事だったようです。私が、その件をペテロ・石田こと石田純二さんから聞いてローマ教皇庁に伝えました。」と滝沢司教が言った。
「2ケ月前と云う事は昨年の年末ころですか?」と刑事部長が訊いた。
「年末ではなく、1月7日ころからと云う事でした。石田さんも、十字架の現れた日時の詳細はご存じではなかったようです。そのあたりの事は鞍地麗子さんに訊いて下さい。」と滝沢司教が言った。
「その鞍地麗子さんが行方不明で我々も探しているところです。」
「ええっ、本当ですか・・・。」と滝沢司教は言った後、イタリア語でソダーニ枢機卿にそのことを伝えた。
「鞍地麗子さんも殺されているのでしょうか、と枢機卿がご心配されています。」と滝沢司教は言った。
「それは、これからの捜査活動で明らかになってくると思われます。鞍地麗子さんの行方は全力を挙げて探しています。必ず、無事に保護します。日本の警察力を信頼してください。」と高崎刑事部長が強調した。
「ところで、秘密裏に事実を収集するのが目的と言われましたが、何故に秘密である必要があるのですか?」と京都府警の出島刑事が訊いた。
「それは、ヴァチカンの将来に関係するためです。そして、ブラッククロスと云う秘密結社が不穏な動きをしているとの情報を某国から得ているとのことです。」と滝沢司教が枢機卿の言葉を訳した。
「ヴァチカンの将来とは?」と刑事部長が訊いた。
「それは、申し上げられません、との事です。」と滝沢司教が枢機卿の言葉を通訳した。
「あのブラッククロスか・・・。とすると、ヴァチカンの将来とは聖マラキ予言に関することかな。そして、殺されたパウロ・タグチは聖マラキ予言を左右する重要な情報を集める為に来日した訳か・・・?」と高崎刑事部長が警察庁からのテロ対策通達に補促として添付されていたキリスト教やイスラム教、ユダヤ教の歴史に関する文書を思い出しながら考えを巡らせた。
※ヴァチカン:
イタリアのローマ市内にあるキリスト教・カソリック教会の総本山で、統治者をローマ教皇とする独立国家を形成している。統治の実行責任者は教皇庁国務省長官の枢機卿である。
住民はすべてローマ教皇庁の関係者であり、ヴァチカン市国の住民とされている。
教皇庁には国務省のほか教理省、東方教会省、典礼秘跡省、列聖省、司教省、福音宣教省、聖職者省、奉献使徒的生活会省、教育省の9省があり、さらに裁判所、評議会、事務局、教皇内事管理室がある。
行政実務は国務省配下のヴァチカン市国行政庁と委員会が行う。
本小説に登場するナオキ・パウロ・タグチはヴァチカン市国委員会委員長である枢機卿から特別任務・奇蹟調査を命じられた人物で、日本人3世で日本語が話せないと云う設定である。
※聖マラキ予言:
11世紀、アイルランド出身のマラキ・オーモガン司祭が将来に登場するローマ教皇(法王)の呼称を予言した『法王の予言112』の文献。ヴァチカンの極秘文書とされており非公開文書である。しかし、いろいろなルートからその内容は漏れ伝えられており、日本では「ダニエル・レジュ著 佐藤智樹訳「聖マラキ・悪魔の予言書」二見書房 昭和57年 刊」がある。
その内容は、現在の法王・ベネディクト16世の予言呼称・予言111『オリーブの栄光』で終わっており、そのあとにローマ人のペテロと云う人物が法王になる話になっているが、予言呼称は無い。
(詳細は第8話・連邦の光芒24;予言書の項を参照してください)
鞍馬月光20;
2012年3月3日(土) 午前11時ころ、東京千代田区の国会前庭
警察庁刑事局長補佐の半田警視長と大和太郎が噴水池の近くのベンチに座って話している。
「突然に呼び出して申し訳ありません。」と半田警視長が言った。
「それで、十和田湖の十字架殺人事件の件と云うことですが?」と太郎が言った。
「D大学神学部出身である大和探偵のキリスト教に関する知識をお借りしたいのです。」と半田が言った。
「はあ、キリスト教の知識ですか?」
「まあ、この写真を見てください。」と言いながら、十和田湖畔にある乙女の像に立てかけられた十字架に磔になっている男の写真を半田が太郎に手渡した。
「裸の男の胸は十字に切り裂かれていますね。しかし、ブリーフ一枚の姿ですか・・・。イエスキリストを模したのですかね・・・。」と太郎が写真を見ながら言った。
「殺された男性はヴァチカンから派遣されてきたナオキ・パウロ・タグチと云う奇跡調査官です。その胸の引き裂かれた十字の意味が判らないのですが、大和探偵は何だと思いますか?」と半田が訊いた。
「何かの儀式でも行ったのかどうかですかね・・・。」
「十字架に十字架を、ですかね・・・?」と半田が言った。
「なるほど、『十字架の十字架』ですか。」と太郎が反応した。
「十字架の十字架?」
「聖マラキ予言の第101・ピオ9世の呼称が『十字架の十字架』です。ローマ教皇のピオ9世の在位期間は1846年から1878年の32年間です。そして、ピオ9世が教皇になった年の1846年9月19日にフランスのラサレットと云う町に聖母マリアが現われました。」と太郎が言った。
「その、ラサレットの聖母マリアとは?」と半田が訊いた。
「イタリアの国境に近いラサレットと云う山村で牛追いをしていた少女と少年の前に涙を流しながらしゃがんでいる聖母マリアが現れ、36の告知をしたと云う話です。その36の告知は当時から世の終わりまでに起こる事柄を述べたものであると言われています。『十字架の十字架』の意味については種々の意見がありますが、私はラサレット第2の告知に書かれている内容だと考えています。」
「ラサレット第2の告知?」
「『御子の代理者である司祭達が不忠実で悪い生活を送るため、神の怒りを買い、再び御子を十字架に掛けようとしている。人類のために憐れみと許しを願い求める人が居なくなっている。』と云った内容です。神の御子であるイエスキリストはすでに十字架に架けられています。更に、もう一度十字架に架けることになる、と云う意味で十字架の十字架と呼ばれたのでしょう。十字架をシンボルとしているキリスト教が十字架に掛けられると云うことでしょうか・・・。」と太郎が言った。
「それで、パウロ・タグチの胸の十字の意味は何でしょうかね?」と半田が再び訊いた。
「十和田湖から東に20kmくらいの所にキリストの墓があります。」と太郎が言った。
「竹内巨麿が残した竹内文献に書かれている戸来村ですね。」
「そこは調べましたか?」と太郎が訊いた。
「青森県警が調べましたが、血痕などは見つかりませんでした。何か儀式を行ったような痕跡もなかったですね。」と半田が言った。
「そうですか。すると、キリストではなく、聖母マリアかも知れませんね。」
「聖母マリアですか?」
「聖母マリアを呼び出すための儀式をどこかで行ったと云うことです。」
「その、何処かとは?」
「秋田県です。」と太郎が言った。
「秋田県?」
「1973年6月30日、八朗潟の南南東15kmのところにある秋田市添川湯沢台の聖体奉仕会の聖堂で祈っていた笹川かつ子と云う名のシスターの左手のひらに十字架の聖痕が現われました。その後、その十字架の中央に穴があき、そこから血が流れ出たそうです。そして、笹川シスターは聖母マリアの声が度々聞こえるようになったそうです。そして、7月27日の祈りを最後に十字架の聖痕は消えたようです。また、1974年10月13日に耳が聞こえなかった笹川シスターの耳が5カ月間一時的に聞こえるようになったそうです。そして、1982年5月30日の聖霊降臨の祝日の日に正式に耳が聞こえるようになったと云うことです。なお、1917年10月13日はポルトガルのファチマという町の3人の子供の前に聖母マリアが現れ、太陽の光束を虹色に変化させ、四方八方に飛散させた日です。それより5カ月前から毎月13日の同じ時刻、同じ場所で子供たちの前に現れていたそうです。結局、ファチマには聖母マリアは6回出現した訳です。」
「秋田県にも聖母マリアが現れたわけですか・・・。左手のひらに十字架が現れたのですか・・・。」と半田が言った。
「秋田湯沢台の聖体奉仕会聖堂にある聖母マリア像は101回、涙を流したそうです。そして、最後の101回目は1981年9月15日だったそうです。ヨーロッパなどでは9月14日に相当します。カソリックの正教会系では9月14日は十字架挙栄祭の日です。」
「101回ですか。聖マラキの第101番の予言は『十字架の十字架』でしたね・・・。それで、秋田ですか、なるほど。」と半田警視長が言った。
「その13日後の9月28日、礼拝中の笹川シスターの眼に大きな聖書が見え、旧約聖書の創世記・第3章15節を読むようにとの天使の声が聞こえたそうです。そして、101の二つの1はイブとマリアを意味し、0は永遠に存在する神を意味するとその天使が話したそうです。」
「二つの1はイブとマリアですか・・・。ところで、旧約聖書の創世記・第3章15節はどのような話なのですか?」と半田が訊いた。
「『わたしは、お前と女の間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。』と神である主が蛇に言われた、という内容です。女とはエデンの園で禁断の木の実を食べたイブであり、女の子孫とは聖母マリアと思われます。そして、敵意と云う神の意志がある訳です。」と太郎が言った。
「キリスト教では蛇を悪魔の化身と考えていますが、彼とは誰ですか?」と半田が訊いた。
「この話の前後では、アダムが登場しているのですが、アダムと考えるより、聖母マリアの御子であるイエス・キリストではないかと考えられます。しかし、モーゼが創世記を記した時点では、聖母マリアもイエス・キリストも生まれていません。神は、予言として、聖母マリアの更なる子孫、あるいは神の御子である救世主を彼と呼んだのではないかと考えることもできますが・・・。キリスト教での救世主はイエス・キリストの再臨と考えられていますが、やはり、謎ですね・・・。」と言って太郎は考え込んだ。
「謎の彼ですか・・・。うーん・・・。それに、お前が蛇を意味するとして、お前の子孫とは何ですか?人ですか、蛇ですか、それとも、獣ですかね・・・?それとも悪魔ですか?」と半田も考え込んだ。
「それから・・・。」と太郎が思い出したように言った。
「それから?」
「創世記・第3章15節に続く、第4章15節に『主は彼に言った。それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。そこで、主は彼に出会う者がだれも彼を殺すことのないように、カインに一つの印を与えた。』と書かれています。イブの子であるカインは弟のアベルを殺したため、神によってエデンの東の地、ノデ(さすらいの地)に追いやられ、地上のさすらい人とされてしまった人物です。実は、カインとアベルは神に献げ物をしました。しかし、神はアベルの牧畜献上物を受け取りますが、カインの農作献上物は受け取りませんでした。それに嫉妬したカインはアベルに敵意を持ち、殺してしまった訳です。このことが、神が言った『おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く』ということではないでしょうか。イブは神によってカインを身ごもったと旧約聖書に書かれています。地を這う蛇の子孫として神がイブに産ませたのがカインであり、アダムとイブの子孫であるアベルと敵対するように仕向けたのが神であったのかもしれません。」と太郎が言った。
「カインに神が与えた一つの印とは?」
「判りません。ただ、創世記・第3章24節には『人を追放して、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置いた』と書かれています。それは、『命の木への道を守るために』と書かれています。その炎の剣が一つの印なのかも知れません。」と太郎が自分の推理を言った。
「それが、1月7日の人日の節句ですかね・・・。」と半田が訳のわからないことを呟いた。
少し間をおいて太郎が言った。
「ところで、現在、京都先斗町の芸妓である鞍地麗子さんと石田咲子さんが行方不明ですよね。」
「よく、ご存じですね。」
「私の知り合いが鞍地麗子さんの弟です。そして、麗子さんの行方を探しています。石田純二の死亡とパウロ・タグチの死亡。そして、鞍地麗子さんと石田咲子さんの失踪。事件の裏には何がありますか?」と太郎が訊いた。
「大和探偵も鞍地麗子を探していましたか・・・。なるほど。実は、ローマ法王庁大使館によると、鞍地麗子の左手のひらに十字架が現れたようです。」と半田が言った。
「それは、いつ頃ですか?」
「1月7日ころらしいです。」
「グレゴリオ暦(太陽暦)での1月7日ですか。ユリウス暦(太陰暦)ではキリストの誕生を祝う12月25日ですね。」と太郎が言った。
「1月7日は人を殺さない人日の節句でもあります。京都木屋町の高瀬川で死んだ石田純二が鞍地麗子の十字架をヴァチカンに伝え、パウロ・タグチが調査確認のため来日し、『十字架の十字架』を暗示する形で、何者かに殺された訳です。殺害現場が青森でないとすると、秋田湯沢台ですかね・・・。」と半田が考えを巡らせるように言った。
「十字架はキリスト教会のシンボルでもありますが、悪、不運、苦痛を意味する言葉でもあります。十字架の十字架とはキリスト教会の苦痛や不運を願っていると云う意味にも捉えられます。」と太郎が言った。
「犯人はヴァチカンに恨みがある訳ですか?」
「恨んでいるのかどうかは判りません。キリスト教の不運を願っているのかもしれませんね。」
「キリスト教の不運ですか・・・。」と半田が呟いた。
鞍馬月光21;
2012年3月3日(土) 午後3時ころ、東松山駅前の大和探偵事務所
半田警視長と会った後、埼玉県東松山市の事務所に戻った大和太郎は鞍地麗子の行方について推理を巡らしていた。
「鞍地麗子さんと石田咲子さんは会ったのであろうか?ここをどう仮定するかだな・・・。京都Gホテルには現われなかった鞍地麗子に対し、石田咲子はどのような行動に出たのだろうか。俺なら石田純二のメモにあった住所を訪ねるだろうな。石田咲子は鞍馬へ行くか・・・。そして、京都Gホテルに現れたサングラスの男は石田咲子を尾行した。サングラスの男は、十和田湖で死んでいたパウロ・タグチだろうか?それとも、別人か・・・。そして、先斗町で石田純二と会っていたサングラス男はパウロ・タグチだろうか?それとも、別人か・・・。いずれにしても、石田咲子は鞍馬の鞍地家へ向かったとして、京都に土地鑑がない石田咲子はタクシーに乗るな。京都駅から鞍馬駅へ行くには電車を乗り継がなくてはならない。京都バスを利用するか?時刻は夕方6時過ぎか。陽は落ちて、外は暗いな。道路は混雑しているがタクシーなら抜け道を知っているからな・・・。それに、住所を示せば、そのまま鞍地家の前まで届けてくれる。鞍地麗子の母親に会っている可能性があるな。鞍地大悟さんに電話して彼の母親に訊いてもらうか。」と思った太郎は鞍地大悟の携帯に電話した。
しばらくして、鞍地大悟から返事の電話が掛ってきた。
「確かに、2月3日ころの夕方の7時前頃に女性が訪ねて来たらしいです。その女性の名前は覚えていないようですが、姉の携帯電話番号を教えたそうです。色っぽい女性だったので、母は姉の芸妓仲間と思ったようです。」と鞍地大悟が電話の向こうで言った。
「7時前に石田咲子を尾行したサングラスの男が鞍馬駅前に居たとしたら、火の子で石田純二と会っていたサングラス男とは別人だな。石田純二が会っていたのは、パウロ・タグチの可能性が高い。いや、たぶんパウロ・タグチだろう。として、鞍馬に居た男は誰だ・・・?その男が鞍地麗子さんと石田咲子を拉致したか・・・?麗子さんの携帯に電話して、その後、麗子さんと石田咲子がどこかで会ったとして、その場所は・・・?中山記者の話では、麗子さんの姿は午前中に北白川のマンションで目撃されていたのだったな。午後からは自宅に居たのか、外出していたのかは不明か。そして、置き屋などには姿を現わしていない。鞍馬駅から京都市内のどこかに戻って、二人は会った。場所は?麗子さんがマンションに居たとしたら、白川通りのレストランか喫茶店かな。午後7時半から8時ころの目撃者がいるかどうか、銀閣寺周辺と白川通りを当たるか・・・。ちょっと、警察の力を借りて、2月の石田咲子さんと麗子さんの携帯電話の通話記録と通話時の位置情報記録を入手してもらう必要がありそうだな・・・。半田警視長に頼むしかないな・・・。」
鞍馬月光22;
2012年3月6日(火) 午前11時ころ、東京千代田区の国会前庭
「ご要望の件、調べました。」と半田警視長が言った。
「ありがとうございます。それで内容は?」と太郎が訊いた。
「2月3日の19時05分に石田咲子の携帯から鞍地麗子の携帯に電話がされています。通話時間は7分32秒です。GPSによる位置情報記録から場所は鞍馬駅前から発信されています。この時、鞍地麗子の携帯電話のGPS位置情報記録では、四条河原町の交差点近くに居たことになっています。」
「午後7時05分に鞍地麗子さんは四条河原町に居た訳ですか。」と太郎が言った。
「携帯電話の場所は四条河原町の交差点近くですが、そこに鞍地麗子が居たかどうかは判定できません。まあ、可能性としては、そうですが・・・。現在、四条河原町付近の監視カメラの記録映像を京都府警が調べています。その時間帯に鞍地麗子の姿が見つかるかどうかです。」と半田が言った。
「その後の通話記録はどうですか?」と太郎が訊いた。
「2月3日、20時23分に、石田純二の携帯から鞍地麗子の携帯への通話記録があります。通話時間は45秒です。場所は、石田純二の携帯がお茶屋の『火の子』がある先斗町付近。鞍地麗子の携帯は八条京都駅前です。その後は石田純二の携帯はスイッチが切られたのか、通信不能です。現在もその存在場所が判っていません。なお、石田咲子の発信記録はありません。また、石田咲子と石田純二との間にも通話はありませんでした。」と半田が言った。
「木屋町の高瀬川で倒れた石田純二の遺体には携帯電話は無かった訳ですか・・・。」
「そうです。」
「鞍地麗子さんの携帯はどうですか?」
「同様に、現在はスイッチが切られており、その所在は不明です。石田咲子の携帯電話も同様です。」と半田が言った。
「鞍地麗子さんは午後七時ころから午後八時くらいの間に四条河原町から八条京都駅前へ移動した訳ですか。鞍地麗子さんと石田咲子さんは会ったのかどうかですね・・・?」と太郎が言った。
「ただ、面白いことが判っています。」と半田が言った。
「面白いこと?」と太郎が呟いた。
「過去4カ月間について石田咲子の携帯電話の通話記録を調べたのですが、時々、東京のJR市ヶ谷駅近くの公衆電話からの通信があります。同じ公衆電話ボックスの場合もありますが、異なる場所からの場合もあります。いずれにしても、市ヶ谷近辺の公衆電話からの通話記録で、いずれの場合も三分以内で通話は終了しています。」
「4カ月以前はどうなのでしょうか?」と太郎が訊いた。
「4カ月前から新規に現在の携帯電話の契約がされており、それ以前の携帯については通話記録が発見されていません。現在、警視庁で調査中です。」と半田が言った。
「市ヶ谷ですか・・・。」と太郎が考えるように呟いた。
「心当たりがありますか?」と半田が訊いた。
「まあ、何とも言えませんが、自衛隊に関係しているのかもしれませんね。元自衛隊情報部に居た知人の話では、電話の盗聴対策や潜入捜査員の身元秘守目的で時々、公衆電話を利用する場合があるそうです。」
「なるほど、やはり自衛隊だと思いますか・・・。」と半田警視長がニヤリとした。
「何か、心当たりでも。」と太郎が訊き返した。
「まあ、調査してみましょう。事実が判明するかどうかは判りませんが・・・。他にも何か情報をお持ちでしたら、教えてもらえませんかね、大和探偵。」と半田が訊いた。
「実は、石田咲子さんから鞍地麗子さんへの手紙が麗子さんの実家にありました。その手紙には、2月3日の午後5時に京都Gホテルのコーヒーラウンジで会いたいと記されていました。しかし、この時、二人は会っていなかったことが、ホテルの監視カメラ記録映像やホテルの従業員の話から判りました。」
「石田咲子が2月3日、午後5時に京都Gホテルに居たのですか。」
「ええ。石田咲子さんは午後6時過ぎにホテルを出て行きましたが、サングラスの男が彼女を尾行して行きました。その男は石田咲子さんを尾行して京都Gホテルに来たようです。その後の午後7時ころ、石田咲子さんは鞍馬駅前の鞍地麗子さんの実家に到着し、麗子さんの携帯電話番号を麗子さんのお母さんから聞き出したようです。」
「そのサングラス男は殺されたパウロ・タグチに似ていましたか?」と半田が訊いた。
「私はパウロ・タグチ氏の姿を見ていませんから、ちょっと判断ができません。」
「それでは、京都府警に京都Gホテルの監視カメラ記録映像を確認させます。」と半田が言った。
「サングラス男が東京から石田咲子さんを尾行してきたのでしょうかね?」と太郎が訊いた。
「警視庁と京都府警が東京駅と京都駅の監視カメラ記録映像で石田咲子が駅構内を歩いている姿を確認していますが、サングラス男が尾行していたとの連絡は受けていません。再度、チェックさせましょう。東京からは他の人物が尾行して来て、京都でサングラス男に尾行をバトンタッチしたのかもしれませんから、その線からも、もう一度監視カメラ映像を慎重にチェックさせましょう。」と半田警視長が言った。
「サングラス男が石田咲子さんを尾行して鞍馬駅前まで行っていたとすれば、午後7時過ぎから『火の子』で石田純二と話していたパウロ・タグチではないことに成りますかね。」と太郎が言った。
「もう一人のサングラス男がいて、パウロ・タグチと尾行するのを入れ替わったりしていたかどうかですが・・・、時間間隔を考えた場合、その可能性は小さいでしょうね・・・。石田咲子を尾行していたサングラス男はパウロ・タグチではなさそうですね。別人か・・・。何者でしょうね・・・。その男が石田咲子を拉致して連れ去ったのか・・・?そして、鞍地麗子も・・・?」と半田が考えながら言った。
「私は何となく、二人は別々の所に居るような気がするのですが・・・。」と太郎が言った。
「その理由は?」
「いえ、何と無くそんな気がするだけです。」と太郎は言いながら、ジョージ・ハンコックが言った『石田咲子を探す必要はない』と云う言葉を思い出していた。
「CIAのジョージ・ハンコックか・・。ハンコックは石田咲子さんの何かを知っているな。咲子さんは自衛隊に関係した人物か?そして、CIAは何故に鞍地麗子さんを探しているのか。それとも、CIAではなく、ビッグストーンクラブが鞍地麗子さんを探しているのかな・・・?麗子さんの左手のひらに現れた十字架との関係があるのだろうか・・・?」と太郎は考えを巡らせた。
鞍馬月光23;
2012年3月8日(木) 午前11時ころ、秋田県八郎潟
一人の白人女性が、東部承水路の南端に掛っている大潟橋の上から、干拓によって小さくなってしまった八郎潟調整池の方向を眺めている。橋の上には黒塗のタクシーが止まっており、その横には一人の日本人男性が立っている。
今年は例年より寒い時期が長引いており、八郎潟はまだ、氷が張っており、その上には白い雪が少し積もっている。氷上ではワカサギ釣りをしている人の姿もちらほら見える。
八郎潟は、かつては琵琶湖に次ぐ日本第二の大きさを誇った湖であった。
しかし、干拓事業によって、今では日本離れした広大な水田地帯に変化している。
その埋め立てられた干拓地の西の端を南北に県道42号線が走っている。
県道42号線は男鹿街道と呼ばれる国道101号線のバイパス的な役割を担っている。
また、干拓地・大潟村の中央には羽州街道と呼ばれる国道7号線と県道42号線を結ぶ県道298線が南東から北西に向かって走っている。
奥羽地方には八郎潟誕生についての『八郎太郎伝説』の昔話がある。三湖伝説とも呼ばれ、十和田湖、田沢湖、八郎潟にまつわる八朗太郎と云う大蛇に変身した猟師の話である。
大本教の教祖であった出口王仁三郎によると、鹿角の地で生まれた八郎太郎は出雲で須佐乃王命に退治された八岐大蛇の霊魂が乗り移った人物あったらしい。ある日、八郎太郎は村の男たちと三人で山に入り奥入瀬川で岩魚を捕ったが、他の村人の分の岩魚も食べてしまった八郎太郎は喉が渇き、水をガブガブ飲んで大蛇に変身してしまう。そして、八郎太郎は川をせき止めて十和田湖を造り、十和田湖の主となってしまう。
十和田湖の名称はアイヌ語で岩間の湖を意味するトーワタラから来ているらしい。
その後、時が立って京の都から追放された関白・藤原是実の子孫である娘がこの鹿角の地で生まれ南祖丸と名付けられる。この鹿角の地で男として育てられた南祖丸は、紀伊熊野に行って修験者として修業をしたのち、南祖坊と呼ばれるようになった。そして、神のお告げに従って、南祖坊は呪術を用いて十和田湖の主である八朗太郎の大蛇霊と戦い、追い出して、十和田湖の主となる。
十和田湖を追い出された大蛇の霊である八朗太郎は秋田県の海岸の地で水を堰き止めて八郎潟を造り、八郎潟の主となる。
アイヌ語のハッタラは水の淵を意味する言葉であるらしい。
(参考文献;出口王仁三郎聖言集・三鏡、476頁〜510頁の十和田湖の神秘)
その後、神成村に生まれた娘・辰子は自分の美貌を永遠に留めるため観音様に祈り、泉の水をガブガブ飲んで龍の霊に変身してしまう。そこで、辰子は泉を拡大して湖を造り、そこの主となる。その湖が田沢湖である。
辰子の美貌を知った八朗太郎は南祖坊と争い、勝利して辰子を嫁としたらしい。冬になると八郎潟が凍るので、八朗太郎は八郎潟から田沢湖に来て辰子と暮していたらしい。
「ロザンナさん。そろそろ行きましょうか?」と大隅司教がイタリア語で白人女性に向かって言った。
「はい。でも、ナオキはこの湖を見たのでしょうか?」とロザンナ・ザッケローニがイタリア語で言った。
「確か、ナオキ・パウロ・タグチさんの計画では、京都から秋田、そして青森に行く予定だったのですね。」と大隅司教が訊いた。
「ナオキから聞いていた話ではその予定でした。しかし、先ほど訪問した秋田市湯沢台の聖体奉仕会には来ていなかった、と云うことでしたが・・・。」とロザンナが言った。
「秋田に来る前の京都でパウロ・タグチは拉致され、殺されたとしたら秋田には来ていないかも知れません。しかし、青森で殺されたとしたら、秋田に来る目的が京都に住む鞍地麗子さんの手のひらに現れた十字架のアザと関係していて、聖体奉仕会を訪れる可能性が高いのです。」
「聖体奉仕会聖堂の聖母マリアの像が101回、涙をお流しになったからですか?それとも、聖体奉仕会のシスターの手に十字架が現れたからですか?」とロザンナが言った。
「その両方です。そして、青森にはイエス・キリストの墓があると云われています。」
「ナオキは青森にあるとされるキリストの墓の何を確認したかったのでしょうか?」とロザンナが訊いた。
「判りません。青森のキリストの墓所が真実なのかも判っていません。竹内文献と云う古書には、キリストは青森で死んだと書かれているとされているだけですから、偽物の墓かも知れません。パウロ・タグチはその真偽を実感するために青森にあるとされるキリストの墓所へ行くことを計画されたのではないでしょうか。」と大隅司教が言った。
「そう云うことですか・・・。京都で殺されて青森に運ばれたのですかね・・・。」とロザンナが淋しそうに呟いた。
「パウロ・タグチが秋田に来ていたかもしれません。ロザンナさんはパウロ・タグチの日本で訪問した場所に行きたいと云うことでしたね。私は彼が訪問した可能性がある場所に貴方をお連れするようにローマ教皇庁の国務省から依頼を受けております。したがいまして、パウロ・タグチが訪れたのではないかと思われる所へは、すべてお連れするつもりです。仕事ではなく、観光目的の場所も含みますので、よろしくお願いいたします。」
「ありがとうございます。それで、次の訪問場所は?」
「この八郎潟の干拓地にある大潟富士です。では、お車に戻りましょうか。」
「はい。」
鞍馬月光24;
2012年3月8日(木) 午前11時ころ、秋田市湯沢台の聖体奉仕会
失踪した鞍地麗子の行方を追って大和太郎は秋田市添川湯沢台に来ていた。
聖体奉仕会の木造和風建築の玄関口で太郎とシスターが話している。
「先ほどもイタリア人の女性が鞍地麗子さんを探されて、当所に来られましたよ。」とシスターが言った。
「イタリアの女性?」
「ええ。十和田湖で遺体が発見されたナオキ・パウロ・タグチさんの恋人のかたです。ローマ法王庁大使館の司教の方が案内人として同行されていました。なんでも、パウロ・タグチさんは秋田を訪問する予定だったということで、聖母マリア予言に関係するこの聖体奉仕会の聖堂を訪れたのではないかと云うことでした。また、鞍地麗子さんがパウロ・タグチさんと一緒ではなかったのかどうかを気にされていました。しかし、パウロ・タグチさんがこちらに来られた形跡はありませんと申し上げました。もちろん、鞍地麗子と云う方の訪問記録もありませんでした。」とシスターが言った。
「それで、そのイタリア人はどちらへ行かれたかご存知ですか?」
「司教の方の話では、八郎潟を見てから青森の十和田湖へ向かう予定だったと思います。」
「何時間前にこちらを出て行かれましたか?」
「20分くらい前でしたかね。待たせていた黒塗りのタクシーに乗って行かれましたよ。」
太郎はシスターに礼を言って、外に待たせていたタクシーに乗り込んだ。
そして、八郎潟をめざした。
「運転手さん、八郎潟の見どころは何処でしょうか?」
「まあ、大潟富士ですかね。山頂が海抜ゼロメートルの高さにある小さな富士山です。富士山の1000分の1の高さで造られています。この時期、ワカサギ釣りなら大潟橋付近ですがね。」
「じゃあ、大潟富士に行ってください。なるべく急いでください。」
「それでは、秋田自動車道を通りますが、よろしいですか?」
「構いません。最短時間でお願いします。」
鞍馬月光25;
2012年3月8日(木) 午前11時30分ころ、八郎潟の大潟富士
曇り空であるこの日の大潟富士周辺は雪が浅く積もっていた。
3mと77.6cmの高さに造られた円錐形の大潟富士に向かう雪道には足痕がクッキリと残っている。
大潟富士には東側と北側にそれぞれ23段の階段が設けられ、山頂まで登れる。
山頂には、東西南北の方角を示す石のプレートが埋め込まれている。
誰かが雪を取り除いたのであろうか、雪に埋もれたままの石のプレートが顔を覗かせている。
大潟富士の近くには、登頂記念に名前を記帳するノートが置かれた小さなボックスが立っている。
大和太郎の乗ったオレンジ色のタクシーが大潟富士に到着した時に丁度、女性と男性の二人が黒塗のタクシーに乗り込もうとしていた。
「運転手さん。クラクションを鳴らしてください。」と太郎が言った。
クラクションの音に何事かと、二人の男女が駐車場に入ってきたタクシーを見た。
そして、オレンジ色のタクシーから大和太郎と運転手が降りて、黒塗りのタクシーに近づいて行った。
黒塗のタクシーの運転手も車から降りて来て、5人の人間が立ち話を始めた。
「何か用事か、高橋。」と黒塗タクシーの運転手が言った。
「いや、すまないな、矢島。こちらのお客さんが、そちらのお二人に用事があるそうなのだ。」と高橋運転手が言った。
二つのタクシーの運転手は顔見知りであった。
「私たちに何か?」と大隅司教が言った。
「私立探偵の大和太郎と申します。」と太郎は名刺を差し出しながら言った。
「そちらの女性はパウロ・タグチさんのお知り合いと聞いていますが・・・。」と太郎が言った。
「ロザンナさんに用事ですか?」
「いえ。今しがた、聖体奉仕会の方へ立ち寄ってきました。そこのシスターからお二人が八郎潟へ向かわれたと聞いて、追いかけてきました。実は、鞍地麗子と云う女性の行方を探しているのですが、青森で遺体が発見されたパウロ・タグチさんが鞍地麗子さんと京都で会っていなかったどうかを知りたいのですが・・・。やはり、判りませんよね。それで、こちらの女性のお名前は?」と太郎が単刀直入に言った。
「ああ。イタリアから来られた、ロザンナ・ザッケローニさんで、パウロ・タグチの恋人の方です。私は通訳兼案内人の大隅と申します。東京にあるローマ法王庁大使館に勤めています。パウロ・タグチは鞍地麗子さんと会うために京都を訪問する計画でした。そして、秋田と青森も訪問計画に入っていましたが、何故か、青森の十和田湖で遺体となって発見されましたが、その理由が判りません。ロザンナさんはパウロ・タグチが日本で見たであろう風景やパウロ・タグチの思いを知るために日本に来られました。」
「ロザンナさん。こちらは私立探偵の大和太郎さんです。失踪された鞍地麗子さんを探しておられます。」と大隅司教が太郎を紹介した。
そして、太郎とロザンナは握手を交わした。
「それで、パウロ・タグチさんはこの地を訪問したのでしょうか?」と太郎が訊いた。
「それは判りません。警察からの情報で、一昨日は京都先斗町にある『火の子』というお茶屋に寄ってきましたが、パウロ・タグチがそこに居たのか判然としませんでした。ここに立ち寄ったのかどうかも判りません。あのボックスにある記帳ノートを調べましたが、パウロ・タグチの名前はありませんでした。」
「そうですか。それで、これからはどちらへ行かれますか?」と太郎が訊いた。
「秋田駅周辺で昼食を取り、午後1時すぎの特急列車に乗って弘前へ向かう予定です。今日は、弘前で一泊する予定です。大和探偵は、パウロ・タグチのことで何かご存じですか?」
「いいえ。私も全く、情報は持っていません。」
「あの、十和田湖で死体となって発見された方のお知り合いだったのですか。」と高橋運転手が言った。
「おまえ、木の十字架を見たんだろ、ここで。」と矢島運転手が言った。
「十字架を見た?」と太郎が驚いて訊いた。
「ええ。確か、十和田湖の事件が新聞に載った何日か前でした。事件の3、4日前だったかな?ひにちは・・・、はっきり覚えていません。」と思いだすように高橋運転手が言った。
「それで、どんな状況でしたか?」
「八郎潟駅から大潟村の温泉保養センターまでお客を送って行った帰りでした。午後1時ころだったかな。確か、八郎潟駅に12時49分に到着した上り快速電車を降りた客を乗せて温泉保養センターまで20分くらい。そこから引き返して10分くらいで大潟富士に来れるから、時刻は午後1時30分くらいですかね。ヤボ用のためにこの駐車場に車を止めたんだが、山頂に7人くらいの山伏が立っていて、ちらちらする雪の中で何か呪文を唱えていましたね。その時、大きな木の十字架が山頂に立っていましたよ。7人でその十字架を支えていたんですかね。寒空の中で、山伏が何か修行でもしているのだろうと思いましてね、用を済ませてそのまま、秋田市内へ戻りました。」
「呪文の内容は何か覚えていますか?」と太郎が訊いた。
「いや、何も覚えていません。ああ、『南無妙法蓮華経』と云う言葉だけは聞き取れましたが、後は何を言っていたのか、さっぱりです。」と高橋運転手が言った。
「十字架がどの方向を向いていたかは覚えていますか?」
「十字架の向きですか・・・?」
「例えば、十字の面が北を向いていたとか。どうですか?」
「ああ、そうですね。確か、十字架の面は道路に並行でしたよ。だから、北東に向いていましたかね。この前の道路は県道298号線で南東から北西に向かって走っていますからね。」
「ここから北東と云えば、その方向には十和田湖がありますね。」と太郎が言った。
「ええ、そうですよ。北東には十和田湖があります。なるほど、そうですか・・・。あの山伏達が十和田湖十字架殺人事件の犯人ですか。」と高橋運転手が言った。
「いえ。まだ、それは判りません。しかし、人間が磔に出来るくらいの大きな十字架を乗用車では運べないな。」と太郎が言った。
「ああ。その時、この駐車場にはヤマネコ宅急便の冷凍トラックと、トラックと離れたところには黒いワンボックス車が2台、止まっていましたよ。この寒いのに冷凍車で運ぶような荷物があるのかな、とその時に思いましたよ。冬にはあまり見かけませんからね、よく覚えていますよ。」
「冷凍トラックですか。それで、十字架を運んでいた。山頂の十字架には人間が磔にされていたと云うことはありませんでしたよね?」と太郎が念を押すように訊いた。
「ええ。確かに、木の十字架だけでしたよ。少しの時間、1分くらいでしたかね、7人の山伏と十字架を眺めていましたから、間違いないですよ。そう、確かに7人でした。」と高橋運転手が思い出しながら言った。
「7人の山伏ですか・・・。」と太郎は呟いた。
ロザンナ・ザッケローニと大隅司教が弘前で泊まる予定のホテル名、電話番号を確認してから、太郎は大潟富士の方向へ歩きだした。
そして、ロザンナと大隅司教は黒塗のタクシーでJR秋田駅に向かった。
大潟富士の頂上を調べたあと三種町に向かい、国道101号線近くの姥御前神社や湧出神社、国道7号線近くの八竜竜神が祀られている蓮沼など八郎太郎の伝説に関係している場所を見学した。それからJR八郎潟駅へ出て、弘前に向かった。
鞍馬月光26;
2012年3月9日(金) 午前11時30分ころ、十和田湖畔・中山半島
十和田湖の上空には青空が広がっている。
ロザンナと大隅司教、そして大和太郎の3人は御前ケ浜にある『乙女の(祈り)像』の前に立っていた。
雪は広場の端の方に掃き寄せられている。
十和田湖の水面は穏やかで青空を映した様に青く輝いている。
高村光太郎作の二人の乙女の像が湖面を背景にしてひっそりと佇んでいる。
乙女は光太郎の妻であった長沼智恵子を模している。
智恵子抄(昭和16年版ではなく昭和31年の再出版書)には『裸形』と云う標題の詩がある。
なお、智恵子は昭和13年に死亡している。
『智恵子の裸形をわたしは恋ふ。
・・・・・・・・・・・・・
智恵子の背中のちいさな黒子まで
わたしは意味ふかくおぼえていて、
今も記憶の歳月にみがかれた
その全存在が明滅する。
わたしの手でもう一度、
あの造形を生むことは
自然の定めた約束であり
・・・・・・・・・・・・・・
智恵子の裸形をこの世にのこして
わたしはやがて天然の素中に帰ろう。』
この詩は、昭和24年10月時点の光太郎の思いを述べたものである。
高村光太郎は昭和27年に乙女の像の制作に取り掛かり、翌28年に現地で徐幕された。
光太郎は十和田国立公園記念碑の製作を昭和27年に依頼され、現地を視察している。以前から構想していた智恵子の裸像を十和田湖に置くことがふさわしいと思い、裸像を製作する決意をしたのであろう。しかし、何故に向かい合う二人の智恵子の裸像なのであろうか。
ところで、智恵子抄には昭和3年5月の『あどけない話』と云う詩がある。
『智恵子は東京には空が無いといふ、
ほんとうの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
・・・・・・・・・・・・・・・・
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
・・・・・・・・・・・・・・』
高村光太郎は十和田の空に、智恵子が求めた空があると思ったのだろうか。
乙女の像徐幕式の3年後である昭和31年に高村光太郎は73歳で天然の素中に帰った。
「ナオキはここで死んでいたのですね。」と涙ぐみながらロザンナが淋しそうにイタリア語で言った。
「ナオキ・パウロ・タグチのために祈りを捧げましょう。」と大隅司教はロザリオと聖書を手に持って『病者の塗油』の儀式をおこなう時に述べる言葉を唱え始めた。
ロザンナと太郎は右手を胸に当て、頭を垂れている。
「聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。
御子とイエス・キリストはわれらのために生まれ、十字架に釘つけにせられて死に給えり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
イエス・キリストを十字架に釘つけにし奉るを赦し給え。・・・・・・・・・・・・。
憐れみ深き御母にまします聖マリア、我を敵よリ守り、最後の時に我を受け取り給え・・・・。
主イエス・キリスト、わが霊魂を天国に導き給え。
イエス、マリア、ヨセフ、ご保護のもとに安らかに息絶えるを赦し給え。」
祈祷文を読み上げた後、大隅司教は胸の前で十字を切り、聖油(オリーブ油)を右手で撒いた。
「パウロ・タグチさんは十和田湖に来る予定だったのでしょうか?」と太郎が訊いた。
「十和田湖ではなく、新郷戸来村にあるキリストの墓を見る計画だったようです。」と司教が言った。
「この後、戸来村に行かれますか?」と太郎が訊いた。
「ええ。十和田湖を見学してから、キリストの墓へ行きます。」
「それでは、私もご一緒してもよろしいでしょうか?」と太郎が訊いた。
「ええ。ぜひ、ご一緒してください。ロザンナさんもそのつもりでいます。」
「私はこれから十和田神社に参拝にいきますので、十和田湖を出発する時に携帯に電話をいただけますか?携帯電話の番号はこちらです。」と言いながら太郎は電話番号を書いたメモを大隅司教に渡した。
※十和田神社;
807年、坂上田村麻呂が奥州征伐で東征した時に創建した神社。扁額には十和田山神社と書かれている。祭神は日本武尊である。龍神としての南祖坊は摂社の熊野神社の祠に祀られている。
古くは熊野権現、青龍権現とよばれていたらしい。それは、南祖坊の伝説にちなんだ名前である。
神社裏の丘の上には二つの祠が建っている。その祠の祭神の名前は不明である。
その丘から岩場の絶壁を50mくらい降りると『占い場』と呼ばれる湖岸に出る。そこからは中山半島の対岸にある御倉半島が望める。中山半島と御倉半島の間に十和田湖の最深部がある。
鞍馬月光27;
2012年3月9日(金) 午後1時30分ころ、青森県三戸郡新郷村戸来ケ丘のキリストの墓
中山半島のホテルで昼食を取った後、太郎たち3人は国道454号線沿いにある新郷村の『キリストの里』に来ていた。
沿道にはまだ雪が残っているが道路は除雪されている。
駐車場でタクシーを降りた太郎、ロザンナ、大隅司教の3人は、除雪された坂道をしばらく歩いて登り、キリストの墓所とされる場所の前に立っている。
80cmくらいの高さがある盛り土の上に白い雪が積もっている。その積もった雪の中から木の十字架が突き出ている。十字架の高さは2mくらいであろうか。十来塚と書かれた白く塗装された木の柱がその近くに立っている。
その隣に並んで、十代墓と呼ばれる十字架の墓がある。こちらは、イエス・キリストの弟であるイスキリの墓と云うことである。そして、イベント広場の向こうにはキリスト教会風建築の伝承館がある。冬季の為か、あいにく、伝承館は閉ざされている。
二つの墓の間は除雪され、雪の窪みができている。その窪みには、鎖で囲われた小さな空間がある。そこには磨かれた黒い御影石に囲まれ、そのまん中にヘブライ語の文章が彫られた白い石が地表に埋められている。
白い石を囲む黒い御影石には日本語と英語の文章が彫られている。
『この石はイスラエル国、エルサレム市と新郷の友好の証としてエルサレム市より寄贈されたものである。The stone on the right was・・・・June 6. 2004 ・・・・駐日イスラエル大使・・・・平成16年6月6日・・・・』
毎年行われるキリスト祭りの慰霊祭では十和田湖地方の盆踊り唄・ナニャドヤラが歌われるそうである。
ナニャドヤラの唄はヘブライ語に訳すと進軍の歌であり、愛し合う二人の歌でもあるらしい。何故に進軍歌が戸来村に残されているのか不明。本当に進軍歌なのだろうか。
ロザリオを手に持つ大隅司教が胸元で十字を切った。
そして、ロザンナが大隅司教にイタリア語で訊いた。
「ここに、ナオキは来たのでしょうか?」
「パウロ・タグチがこの場所に来た後に殺されたという可能性もあります。しかし、警察からの報告では、遺体が凍っていたため、死亡推定時刻がはっきりしなかったそうです。確かな死因も不明だそうです。強いて言えば凍死だそうです。」と大隅司教がイタリア語で言った。
「本当に、イエス様はこの地でお亡くなりになったのでしょうか?」とロザンナが訊いた。
「竹内文書と云う古代の文献にはそのように書かれていると聞いています。その文献は偽書であると云う人もいますが、事実は定かではありません。」と大隅司教が説明した。
「しかし、イスラエル国から白い石が寄贈されていると云うことは、イエス様の墓所として認められていると謂うことなのでしょうね。」とロザンナが言った。
「イスラエルのユダヤ人社会としては、分霊した地と云った意味合いが含まれているのかもしれません。イエス様のお墓と認定した訳ではありません。しかし、この場所が縁で、新郷村とエルサレム市は友好都市の関係を結んでいるようですね。あるいは、霊的な能力のある人物がこの場所でイエス様を感じたのかもしれませんね。」と大隅司教が説明した。
イタリア語の判らない太郎が大隅司教に訊いた。
「今は、何のお話をされているのですか?竹内と云う言葉が出ていましたが。」
「ああ、すいませんね。このお墓が本当にイエス様のものなのかどうかをロザンナさんに説明していたところです。それと、パウロ・タグチがこの場所を訪れた可能性について話していました。」
「そうですか。この場所は、竹内文献を発見した竹内巨麿と云う人物が、キリストの墓所と断定した地です。それが事実なのかどうかは証拠品が出土したのではありませんから、不明のままです。しかし、私の知り合いの藤原と云う大学教授は、何か意味がある場所と考えています。特に、この場所をイエス・キリストと関係する土地とすれば、北斗七星の暗示が何であるかを解明する手立てとなりそうなのです。まだ、北斗七星の暗示とは何なのかは推理出来ていませんが・・・。」と太郎が言った。
「北斗七星の暗示ですか。それはローマの七つの丘の将来を暗示しているのでしょうか?」
「すません。まだ、何も判っていません。それを推理する材料を探すため、私はこの地に来ました。八郎潟と十和田湖の伝説。そして、竹内文献のキリスト伝説が繋がるのかどうかです。」
「そうですか。現在のローマ法王の後に登場するのはペテロ法王なのでしょうか?ペテロの洗礼名を持つ石田純二さんが死亡し、そして、パウロの洗礼名を持つナオキ・タグチさんの死亡。何か意味があるのでしょうか?」と大隅司教がいった。
「まだ、これからです。その謎を解く鍵を握っているのが鞍地麗子さんであると私は考えています。」と太郎が言った。
その後しばらく周辺を散策した後、3人は待たせてあるタクシーが止まっている駐車場に向かった。
太郎が助手席に乗り込み、司教とロザンナが客席に座った。
『バタン』とタクシーのドアーが閉まった。
そして、3人を乗せたタクシーが駐車場を発車した。
タクシーのリヤーウィンドウを透して、ロザンナ・ザッケローニが寂しそうに『キリストの里』の方を振り返って見た。
ナオキ・パウロ・タグチを思うロザンナの目に涙があふれてきた。
白い雪に縁取られた国道454号線の道路が細長く続いて伸びていき、その道の彼方へ『キリストの里』が遠ざかって行く。
そして、カーラジオから久保田早紀が歌う『異邦人』の歌曲が車内に流れた。
♪子供たちが空に向かい両手をひろげ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪あなたにこの指が届くと信じていた♪
♪空と大地が触れ合う彼方♪
♪過去からの旅人を 呼んでる道♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ちょっと振り向いて見ただけの 異邦人♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪私を置き去りに 過ぎて行く白い朝♪
♪時間旅行が 心の傷を♪
♪何故かしら 埋めていく 不思議な道♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪あとは哀しみをもて余す 異邦人♪
平成24年6月6日 『鞍馬月光』前編 完了
後編に続く
参考文献:
増補三鏡 出口王仁三郎聖言集 八幡書店 2010年4月 初版発行
超図解竹内文書 高坂和導 徳間書店 1995年3月 初版
謎の竹内文書 佐治芳彦 徳間書店 1984年5月 13刷
戦慄の聖母予言 上下 鬼塚五十一 学習研究社 昭和63年4月
ファチマ大予言 鬼塚五十一 サンデー社 昭和56年12月 初版発行