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進化するロボットシリーズ

小さなもの

 その女の子に、その小さなロボットがプレゼントされたのは、彼女が中学の二年生になった辺りのことだった。

 女の子は心臓に病気を持っていた。と言っても、彼女自身はそれを自覚してはいない。知識としては知っているけど、それで困った経験をした事がないから、その病気の存在を甘くみているのだ。

 女の子が病気を気にしないでいられるのはロボットのお陰だった。産まれた時から在る彼女の母親より受け継いだ、体内共生ロボット。母親の体内に存在するロボットが、ナノマシンによって、まだ胎児だった頃の彼女にそれを植え付けたのだ。その体内ロボットは、母体を通じて遺伝する共生生物なのだ。そして、人体の補助器官とも言えるそのロボットが、心臓にかかる負荷を軽減してくれている。その効果はとても素晴らしいものと言えるかもしれない。だけど、自分の病気の辛さを知らない彼女は、体内ロボットの有難みを全く分かっていなかった。そして、自分の病気がどんなに恐ろしいのかも。その小さなロボットは、そんな彼女の生活態度を心配した両親がプレゼントしたものだった。彼女の健康の為に。彼女が自分の病気を全く気にせずに生きていているように見えたから。

 小さなロボットは、人間の手の平に乗ってしまうくらいのサイズしかなかった。しかし、それだけの大きさしかないのにも拘わらず、高度な思考が可能で、彼女にアドバイスしたりなんかする事もできる。何故なら、その小さなロボットの本体は、彼女の体内に存在をしていたからだ。体内共生ロボット。つまり、その小さなロボットは、彼女の体内ロボットの外部末端装置なのだ。

 彼女はその小さなロボットを両親からプレゼントされた時、とても喜んだ。しかしそれと同時に不思議な心持ちになりもした。ずっと前から一緒だった存在。でも、とても遠くにいて決して出会えなかった存在。それが目の前にいたのだから無理もない。体内ロボットは、言うなれば自分の臓器の一つみたいなものなのだ。自分の臓器と会話をするなんて、変な気分にならない方がおかしい。

 エサソン。

 彼女はその小さなロボットにそんな名前を付けた。姿を見せず、不幸な人間の仕事を手伝ってくれたりする妖精の名前だという。何処かの本で見つけたのだ。なんとなく、相応しいと思ったらしい。しかし、その名前はその小さなロボットには全然、相応しくはなかったのだった。何故なら、その小さなロボットは、姿を隠そうともしない上に、とても口やかましかったから。


 『――朝ご飯はちゃんと食べないと駄目だよ』

 彼女が自宅に帰ると、エサソンは開口一番にそう言った。

 『今日も、午前中は授業に集中できなかったろ?』

 彼女はそれを聞くと、少しふてくされながらそれにこう返す。

 「あら? 学校に行ってもいないあなたに何が分かるのよ。まるで、見てきたかのような言い方じゃない」

 エサソンはそれに淡々と応じる。

 『見てなくたって分かるさ。だって、ボクの本体は君の身体の中にあるのだぜ? 君がボーっとしてたり、怒ったりしたらボクには直ぐにそれが分かるんだ』

 それを聞くと、彼女はうんざりした顔を見せる。

 「全く嫌な現実だわ。四六時中監視されているようなものじゃない。少しくらいプライバシーが欲しいわよ」

 ここ最近、彼女は朝、学校に行く前に何も食べていなかったのだ。遅刻ギリギリまで寝ていて大慌てで出掛けるのがその原因。それを、エサソンは注意しているのである。

 『プライバシーはちゃんと守られているってば。ボクは君自身でもあるのだから。それに、だからこそ、君の事をこんなに心配してもいるのじゃないか』

 「自分の身が大事だからね」

 『そうだよ。いいかい? 君が夕食を執るのは大体、19時辺りだ。でもって、朝ご飯を抜いてしまうと、次の日の12時くらいまでは何も食べない事になる。つまり、約17時間も栄養を摂らない事になるんだ。その間に身体は飢えを経験する。もちろん、身体に毒だね。肥りもする。脳のエネルギーである糖だって不足してくるから、頭が上手く働かなくなる。すると当然、授業に集中できなくなる。こんなの当然の理屈じゃないか』

 「ああ、もう、本当にうるさいわね!」


 ……エサソンは彼女の体調管理の為に買われたロボットだ。だから、彼女が健康に良くない事をやっていれば当然、それを注意する。ただし、エサソンは人とのコミュニケーションに関してはいささか学習不足だった。それで今のところ、上手く彼女に働きかけをする事ができないでいる。彼女の神経を逆撫でしてしまうのだ。そんな訳で、彼女は事ある毎に注意してくるエサソンをあまり快く思っていない。体調の事だけならまだしも、エサソンは勉強についてまで注意してくるのだ。これでは母親が二人になったようなものだ、と半ば辟易していた。

 だけどある日、そんなエサソンが、急に何も言ってこないようになってしまったのだった。彼女がどれだけ不摂生をしても、注意も忠告もしてこない。当然、彼女はそれを不思議に思う。原因は思い当たらない。もしかしたら、壊れてしまったのかもとも思ったが、普通の会話は普通にする。そういう訳でもなさそう。何にしろ、うるさい小言が減ったのだ、それは喜ぶべき事であるはずだった。がしかし、どうしてか、彼女にはそれがそれほど嬉しくなかった。

 彼女はエサソンがほとんど注意してこなくなってからしばらくが経つと、マラソンを始めた。長距離を走るのは、エサソンから止められている事の一つだった。彼女の心臓の持病に悪い事をエサソンは知っているからだ。

 “走るのなら何も言ってこない今の内にやっておかないと。ダイエットにもなるもの”

 それがマラソンを始めた彼女の自分自身への言い訳だった。だけど本当の理由はちょっと違う。説教はされたくないけど、心配はして欲しい。エサソンの気を引こうとする、彼女のちょっと甘えた心理がそこにはあった。

 彼女は家でその事を話さなかった。両親に知られる訳にはいかなかったし、それに本体が体内にあるエサソンは、彼女が走っているのを知っていたはずだったからだ。しかし、エサソンは全くその事を話題にしなかった。彼女はそれが気に入らない。

 “わたしを心配しているのじゃなかったの?”

 どうして自分がストレスを感じているのか、彼女はそれを分からなかった。

 ――そして、そんなストレスも手伝ってか、彼女はその日、半ば自棄になってマラソンをしていた。長距離を走るのは得意じゃないし、やはり少しは自分の病気が怖かったので、今までは自然にゆるめていたペースが、その時に限っては乱れてしまっていた。

 大量の冷たい空気が肺に入る。喉が過剰に刺激されて、予期しない息苦しさが襲い始めた。彼女はそれで、思わず立ち止まる。激しく鼓動する心臓。刹那に彼女は不安になった。

 “わたしの心臓は大丈夫だろうか?”

 その不安がいけない。更に身体に悪影響を与える。血液が、大量に頭に上る異様な感覚があった。次の瞬間、胸が痛くなる。確実に心臓がおかしくなっていた。

 走る姿を見られるのを、少し恥ずかしいと感じていた彼女は、あまり人気のない道でマラソンをしていた。それがあだになった。周囲を見回しても、助けを求められる人は一人もいない。薄暗い林が、ただただ広がってあるだけだ。

 胸を抱きしめるようにして屈む。彼女はその時、当然のようにエサソンを思い出していた。今も自分の体内に居て、自分を守ってくれているはずのエサソンを。

 彼女は思った。

 “エサソン。ごめんなさい。もう、ワガママは言わないから、助けて”

 ドクン。

 気のせいだったかもしれない。しかし、その時、身体のどこかで、何かの反応があったように彼女には思えた。

 そのタイミング…… だったかどうかは分からない。苦しさのあまり、彼女は半ば意識を失っていたかもしれないからだ。しかし、気付くと救急車のサイレンの音が耳に入っていた。人がいる。彼女はそれで急速に安堵をした。そして、その後、もちろん彼女は病院へと運ばれた。


 両親が、病院にやって来た。あまり怒っているようには見えなかったが、それは心配の方が勝っていたからだろう。やはり、少し小言を言われてしまった。しばらくが経つと両親は帰ったが、帰り際に母親が「心細いでしょ」と言って、エサソンを残していった。

 ベッドの隅。彼女の目の前にエサソンは何も言わずに座っている。

 「怒った?」

 彼女はそう尋ねる。

 『少しね』

 と、エサソンはそれにそう返す。

 「エサソンが救急車を呼んでくれたのでしょう? ありがとう」

 『気にする事ないよ。自分の為でもあるのだもの。君が死んだら、ボクも死ぬ』

 「いじわる言わないでよ。素直にお礼を言ってるんだからさ」

 それを聞くと、エサソンは何とも言えないような表情になった。そして、それから少しの間を溜めてこう言う。

 『実を言うと、分からないでいたんだ。君に、どう働きかけをすればいいかが』

 彼女はその意味が分からない。無言でいるとエサソンは更に言葉を続けた。

 『君も知っての通り、ボクは本当は君の体内にいる。だから、分かるんだよ。ボクの言葉が効果を上げてない… むしろ、逆効果にすらなってしまっている事が。その体の反応から、直にね。

 でも、どうすれば君に分かってもらえるのかも分からなかった。だから、仕方なしにずっと黙ってたんだ』

 彼女はそれを聞いて少しだけ機嫌が悪くなった。「悪かったわよ」、とそう言う。自分が責められていると思ったのだ

 ところがそれを聞くとエサソンは首を横に振った。そして、それから長い話を始めた。

 『違うよ。これは、純粋にボクの能力の問題なんだ。君を責めているのじゃない。

 君が学校に行っている間に、ボクも勉強をしてみたんだよ。人間の脳に関する勉強を。そうしたら、色々と面白い事が分かった。人間は環境によって受けた刺激を元に、脳のパターンを形成していく。例えば、漫画なんかを読んで快感を感じれば、脳にそれは刻まれる事になる。そして、漫画はその人にとって重要なものになっていくんだ。もちろん、その反対に政治経済の話がつまらなければ、不快なものとして刻印をされる。そうやって刻まれていった刺激は、やがて、その人間の世界そのものになっていく。

 ただし、その作り出された世界は、現実とは違っている。幾ら漫画が面白くても、社会の明日を決定する程には重要じゃないし、どれだけ政治経済の話が不快でも、それを蔑ろにしてしまっては、社会は成立をしない。

 でも、脳はその差を認めたがらない。

 そのように育ってしまった脳には、漫画は重要な存在だし、政治経済は除外したい価値のない事柄なんだ。もちろん、理屈でそうじゃないと教える事はできる。だけど理屈は、脳の刻印を跳ね除けられる程には強いものじゃない。ほとんどの人間がそれを行えない。そして、そういった人間が群れを成せば、重要じゃない事柄を、重要だと崇め、本当に重要な事柄は無視をする社会が生まれてしまう。

 例として使っただけだけど、一応断っておくと、漫画はとても素晴しいものだよ。ストレス解消の効果もあるし、機能的にもとても優れている。貴重な文化だ。でも、小さな子供の命を救う事や環境問題を解決する事に比べれば重要じゃない。漫画のキャラが好き嫌いなんて事に労力を費やすのなら、もっと他にやるべき事はたくさんあるはずなんだ。

 自分の脳の世界と、本当の現実は違うのだって事を理解できて、行動に反映できれば、その齟齬は埋められるはずなのだけどね。理屈の力はとても弱いよ』

 そこまでを聞き終わると、少女は言った。

 「つまり、それはわたしの事?」

 『まぁ、ね。君は自分の病気の事を軽視している。それは、自分の脳にその危険性が今まで刻まれてこなかったからだ。理屈の上では理解できても、その理屈は君の脳の世界を否定できる力を持たなかった。つまり、理屈で物事を語るボクには、それを変える力がなかったって事さ。そしてボクは、今でもどうすれば良いかを分からないでいる』

 「ごめん」

 彼女は、今度は心の底からそう謝った。そして、自分の世界の小ささを想っていた。

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