30、蝕む狂気(後編)
人間には、強い人間と弱い人間がいる。
抽象的に強い弱いと言ったところで、その二点は様々な事柄において人間を分けられる。
単純に、力が強い人間と弱い人間。
何かをする技能、例えば、ゲームが強い人間と弱い人間。
そして、心が強い人間と弱い人間。この点においては、後者の方が多いのではないだろうか。
例えば、部下が上司に金を積み昇進することが行われるのは、上司の、金銭欲が部下の悪行を咎める正義の心に勝る、つまり心が弱いためだ。
心の弱い多くの人間は、自分の利益を最優先にして行動する。そして時に身の破滅を招くのだ。
かつて、タナトスと名乗っていた一人の木こりがいた。実名はウッダー。
彼は、本物のタナトスから差し出された創造の粉の力に魅入られ、最後には自己の破滅を招いた。
廃れて間もない村。
ここにも、創造の粉の力に魅入られた人間がいた。
「きゃあっ!?」
女性の悲鳴。
全員が一斉に悲鳴が聞こえた場所に振り向く。
恐怖に震える女性がいた。その女性の首筋にはナイフがあてがわれており、一筋の血が流れている。
ナイフを手に持つのは、四十歳ぐらいの一人の男だ。
周りにいる村人達が急いでその場から離れる。
「あんたはっ!?」
星が驚いたような顔で叫ぶ。隣でカノンも同じような顔をしている。
その男は、ついさっき二人が助けた、モンスターに襲われていた男だった。
男は言う。二人に向かって。懐から小さな小瓶を取り出しながら。
「俺はなぁ、この粉を渡され、お前らを殺せと言われたんだ」
誰に、などと聞くのは愚問だろう。
「だが、それでお前に得はあるのか?」
「力だ。お前らを殺せば、俺は更に多くの粉を手に入れることができる」
「力を手に入れて何になるんだ!?」
「力さえあれば、何不自由なく暮らしていける。金は奪えばいい! 盗賊なんかに襲われても返り討ちにできる! どうだ、最高だろう?」
「…………」
それでは自分が盗賊となり、結局は同じ、苦しむ人間が増えるだけだ。
女性は依然としてナイフを突きつけられており、とても自力で脱出できるようには見えない。
男を無駄に刺激してはいけない。女性の安全のためにも。そのうえで男を説得し、女性が無事に解放されれば最上なのだが……。確実に女性の命は守らなくてはならない。
(くそ……どうすればいい)
星は考える。
説得は難しいだろう。星自身が何かした所で女性を無事に助け出せるとは思えない。カノンの魔法、身体能力でなら或いは助けられるかもしれないが、男自身こちらに注目しているし、女性の首筋にはきっちりとナイフが突きつけられている。よって確実ではない。
村人に頼るのは論外だ。
(残った手は──)
突然、男が持つナイフが何か衝撃を受けて手から離れ、創造の粉となって消えた。
超圧縮された風がナイフをピンポイントで弾き飛ばしたのだ。
風の砲弾、とでも言うべきか。
放ったのはもちろんディオネ。
男は突然手から離れたナイフに唖然とし、その間に僅かだが隙が生じた。
カノンは、ナイフが弾き飛んだ時点で足に電光を発生、その勢いで一気に男のもとへと跳躍した。そして男に電撃を浴びせ、気絶させた。
女性は腰を抜かし、その場にへたりこんだ。
駆け寄ってきたディオネは、星とカノンに話し掛ける。
「外周をたむろするモンスターは全て倒してきたが、どうやら村内では何かあったみたいだな」
「ええ」
と言って、カノンは事の次第をディオネに説明した。
「なるほど。……しかし村人が創造の粉を持っていたとはな。あの粉が造るものは偽りだ。強さなどではない。表面上の効力に惑わされ、己を見失ったか」
創造の粉。それは使用した者の精神を蝕む狂気の粉だ。
(まるで麻薬だな……)
星は思った。
しかし創造の粉とはいささか不思議な代物である。ただの粉が、生命体になり人を襲う、身体の構造を変化させる、色々な道具を創る、はっきり言って何でもありなのではないだろうか。汎用性も高いし、ゲームに出てきたら確実にチートクラスである。
「それはさておくとして、この男をどうするかが当面の問題だな。創造の粉を取ったうえで自由にするか、軍かなんかに引き渡すか、それとも殺すか」
殺す、という単語に星は生々しさを感じた。地球、というか日本にいた頃は、たまに聞いていた言葉だ。あっちでは、殺すなどと言った所で本当に殺すことは普通の人間ならまずない。だが、ここは日本とは違う。あちこちにモンスターがはびこっているし、人間同士の殺し合いだって起こる。
「とりあえず、起きるまでまってみましょ」
カノンが言った。
「まあ、そうだな。では、残った村人と話してみるか」
ということで、気絶している男が起きるまで、村人の話を聞くことにした。もちろん創造の粉が入った瓶は取った上で、だ。
村人達は皆、幾分か憔悴した表情で座り込んだり、倒れる男に向かって怒りの目を向けたりしている。
と、ディオネ達が村人のもとに行こうとすると、一人の村人がこちらに歩いてきた。
二十代半ばぐらいの青年だ。服は、村人のほぼ全員に言えることだが、あちこちが汚れたり破れたりしてしまっている。顔も随分とやつれているように見える。
彼は言う。
「僕は、この村──今では村とは呼べない有り様ですね──、この、そう、廃墟の長だった男の息子です」
だった、ということは、すでにこの世にはいないのだろう。埋めた人達の中にいたかもしれないが、ディオネ達には誰が誰だが分からなかったので、長のことも知る由がない。
「何で、僕達の村がこんなことにならなければいけないんです。あの男──ズゴソがやったんですか?」
彼は倒れている男──ズゴソというらしい──を指差す。
「いや、おそらく、タナトスという男だ」
それは、ズゴソが持つ創造の粉の量ではこんな大規模な破壊は起こせないだろうということを根拠にしているのだが、一般人が創造の粉について知っていることはない筈なので、あえて言わないでおく。
「そうですか……」
村人はホッと息を吐いた。少なくともズゴソが村人達を殺戮した訳ではないと分かったからだろう。
「あの男は、この後どうするんだ?」
とディオネが問うた。
「他の村人達と話し合ったのですが、ズゴソにナイフを突きつけられていた女性が、彼にはこの村にいて欲しくないと言ったのです。なので、軍に連れて行こうと思います」
「そうか。まあ、軍なら悪いようには扱わないだろう」
軍とは、地球上での軍隊と同じく、統率された軍人による集まりだ。ウェリアルには二十箇所の軍事拠点が存在しており、各地の防備、治安維持などを行っている。規律が厳しいので、よほどの犯罪者でなければ、軍にて更生し、そのまま働くことができるのだ。
それでは生き残った村人達はこの後どうするのか。
死んだ村長の息子は言う。
「僕達は今でこそ皆意気消沈していますが、必ず村を復興させます。必ず」
それは村長の息子としての使命感だけではなく、一人の村人として、もとあった村を復興させる強い意志が感じられた。
と、ガサッと物音が聞こえた。気絶していたズゴソが起きたのだ。ディオネ達は、そちらに向かう。といっても直ぐ近くなので、ほとんど歩かない。
ズゴソは、仰向けのまま虚ろに空を見上げていた。抵抗する気はなさそうだ。もっとも、抵抗した所で意味はないのだが。
「村人達は、お前を軍に連れて行くと決めたようだ」
「……そうか」
一言。そして黙る。
「お前に幾つか聞きたいことがある」
「……何だ」
「お前に創造の粉を渡したのは、どんな奴だ?」
「赤い髪に、黒いマントの男だ」
案外正直に答えるズゴソ。
「やはりタナトスか。……では次の質問だが、創造の粉を所持している時のことを鮮明に思い出せるか?」
「ああ。あれを忘れられる訳がないだろう」
「ふむ。では、その時どんな気分だった?」
「今だから不思議に思うが、気持ちよかったんだ。俺は強い力を得た選ばれた人間なんだ、と思ってな」
「なるほどな。聞きたいことは以上だ」
そう言ってディオネは質問を終えた。ズゴソは、なぜこんなことを聞いてきたのか、といった顔を一瞬したが、直ぐに虚ろな顔に戻る。
「では、そろそろ私達は行くか」
その言葉に、星とカノンは、
「そうですね」
「そうね」
と同意する。
「何かお礼をしたい所ですが、すみません」
故村長の息子は、律儀にもお礼をなどと言ったが、確かに村がこの状況ならば、渡すためのものはない。わずかに残った食料は生き残った村人達の分でいっぱいの筈だ。
それに、別に見返りが欲しくてやったことではない。だから、ディオネは彼に笑い掛ける。
「君達で新しい村を興し、豊かに暮らしていけばそれで十分だ」
そうして、星、カノン、ディオネは、再びアグライアのもとへと旅を始めたのであった。
皆さん、こんばっぱ~。 遅くなりましたが、後半です。各部分、というかパートをかなりはしょってる感がありますが、とりあえずはこんな感じで。
次回も一、二週間ぐらいだと思います。それでは。