腹黒貴公子の秘密は暴いてはいけません
「怪我はないかな、レディ?」
「い、いいいえ、だだだ大丈夫ですぅ!」
(あら、まただわ)
ティナは学園の廊下を歩いていたとき、見慣れた光景を目にした。
そこには、転んだ女子生徒と、手を差し伸べ助けようとする礼儀正しい男子生徒の姿がある。
しかし、女子生徒の顔が青ざめると、手には目もくれず素早く立ち上がった。慌ててカーテシーを披露し、脱兎のごとく逃げ出す。
差し伸べた手は放置されるが、男子生徒は特に気にした様子もない。手を戻すと、後ろにいた別の男子生徒の背後に控えた。
「とんだ道草だな。いくぞ、ノリス」
「はっ、殿下」
そのまま二人はどこかへと歩いていく。
一部始終を見ていたティナは、やれやれとため息を吐いた。
(また、懲りずに仕掛けた人がいたのね。ノリス様がいるのに、期待しても無駄でしょう)
ティナは廊下を歩きながら、さきほどの二人のこと思いだした。
一人は王子であるクラーク殿下だ。金髪碧眼のまさに美丈夫で、文武両道。未来の国王に相応しい資質をもち、今は二学年だ。
もう一人がノリス侯爵令息。クラークとは同い年で幼い頃から親交がある。成績優秀なので、クラークの未来の側近として期待されていた。
クラークはまだ婚約者がいない。なので、妻の座を狙う女子生徒たちに囲まれてもおかしくない。しかし、そうならない理由がある。
(相変わらず、ノリス様のガードは鉄壁だわ。クラーク殿下に指一本触れさせないんだもの)
ノリスはただの側近だけではない。護衛も兼ねている。
学園内といえど、不用意にクラークに触れさせようとしない。
さきほどの女子生徒もそうだ。
彼女はわざとクラークの前で転んだに違いない。そして、彼に助けてもらい、あわよくば名前を覚えてもらおうとした。
しかしそこに手を差し伸べたのはクラークではなく、ノリス。
しかし、ノリスも侯爵令息だ。クラークに劣るにしても、優良物件に違いない。にもかかわらず、さきほどの女子生徒は触れようとしなかった。いや、触れられることを恐れて逃げたのだ。
原因はノリスにある。
(……まぁ、あの顔で近寄られたら私も怖いと思うけどね)
ノリスはとんでもないブ男だった。となりにいるクラークの美貌が霞むほどに。しかも肥満体型。
彼がいるせいで、クラークにアプローチを仕掛けようと企む女子生徒のことごとくが、撤退せざるを得ないのだ。
誰が言ったか、『国一番のブ男』。
一部、事故を装ってクラークに接近を試みるが、それはさきほどの女子生徒のとおり。先にノリスが助けようとするため、失敗に終わっている。
その光景を何度か見ているティナは、少しノリスに同情した。
(助けようとして拒否されるのは、きっとお辛いでしょうに)
さきほどのノリスは平然としていたし、彼らも転んだ女子生徒がわざとなのは分かっているはず。だけど、見た目が何であれ、心は人間だ。傷つかないわけがない。
しかしティナは子爵令嬢。ノリスに簡単に声がけできる地位ではない。
さっきの光景にもどかしい気持ちを抱えつつ、ティナは帰路に着いた。
翌日。
ティナが階段を下りていると、クラークとノリスが上ってくるのに気付いた。
二人の邪魔になってはいけないと、ティナは階段の端へ向かう。
そこで、足が階段に躓いてしまった。
「えっ」
一瞬の浮遊感。
躓いたティナの身体は、そのまま前のめりに階段から落ちようとした。
襲い掛かる衝撃に備え、目を閉じる。
「危ない!」
そこに、誰かの手が伸びる。
視界が暗転し、ドサドサと人の転がる音が廊下に響き渡った。
「ぐっ!」
ティナは襲い掛かるはずの衝撃が、思ったよりも小さくて驚く。それどころか、体が固い床にぶつからなかったのに気付いた。
(あ、あれ?私、階段に躓いて転んだのに……あまり、痛くない?)
「怪我はないか?」
「えっ?」
頭上から声が響く。目を開けると、そこには目と鼻の先にノリスの顔があった。
吹き出物だらけの口周り、たるんだ頬、脂ぎった肌、豚鼻。どれをとっても美とは程遠いノリスの顔。
それを見て、一瞬嫌悪が湧きたつ。
しかし、ティナの身体はノリスを下敷きにしていた。自分が無事なのは彼が救ってくれたからであり、すぐにその嫌悪を無視して彼に感謝を述べた。
「あ、ありがとうございます、ノリス様!ノリス様の方こそお怪我は!?」
「ぼくは大丈夫だ。これでも鍛えているからね。それより、立てそうかい?」
「は、はい」
床に手を付き、立ち上がる。そのとき、ティナはふと違和感に気付いた。
(あれ?私、ノリス様のお腹の上にいたのよね?)
彼はブ男に加え、肥満体質だ。それは今ティナが目にしている光景からも確かなはず。
しかし、さっき下敷きにしたとき、ティナはその脂肪の感触を感じなかったのだ。
(気のせい?でも、確かに脂肪ではなく、固い筋肉みたいな感触だった気が……)
見た目と触れた感覚の食い違いに、ティナは考えこんでしまった。
立ち上がったノリスが不安げに覗き込む。
「君、本当に大丈夫かい?どこか痛めたんじゃないか?」
「っ!い、いえ、大丈夫です!本当に!」
胸の前で手を振り、問題ないとアピールしながら、距離を取った。
しかし、そんな自分の行為を恥じる。
つい近寄られて驚き、距離を取ってしまったけど、これは失礼な行為だ。
(こ、これじゃあ他のご令嬢と同じじゃない。助けてもらったのに離れるなんて、許されないわ)
慌てて離した距離を詰め、失礼にならない程度の距離を保つ。
「私よりも、ノリス様こそ本当に大丈夫なんですか?その、私なんかが下敷きにしてしまって……」
「大丈夫だよ。ほらみてごらん、僕には立派な脂肪があるだろう?」
そう言ってノリスは自分の腹を指さした。確かにそこには立派に膨らんだお腹がある。けれど、さっき違和感を覚えたティナは、それがどうしても気になった。
つい手がノリスのお腹へと伸びてしまう。
そこに、はたで見ていたクラークが声を上げた。
「ノリス、時間がない。先に行くぞ」
「はっ、すみません。じゃあ、もし違和感があれば保健医の下へ行ってね」
クラークが階段を上り、ノリスが続く。彼の階段を上る足取りは軽く、本当にけがは無さそうだ。
伸ばした手は宙ぶらりんのまま、ティナは二人の後ろ姿をぼーっと見つめる。さっきの違和感が忘れられずにいた。
学園から帰ったティナは、自室のベッドの上でノリスのことを考えていた。
見た目と触れた感覚の不一致。
そこで一つの予測を立てた。
(まさかノリス様は、幻影魔法を使っている?)
幻影魔法は上級魔法の一つだ。
術者の見た目を自在に変えられる。ただし見た目だけなので、触れてしまえばすぐにばれてしまう弱点があった。
扱いが難しい上、他人に成りすますなど使い方によって非常に危険。そのため、国内でも高名な魔術師が許可を得てようやく使用できる。
一介の生徒風情が使っていい魔法ではない。
まして、王子の側近ともあろう方が使っている。
どうしてなのか。
そこでティナは、恐ろしい可能性を思い浮かべてしまった。
(もしや、本物のノリス様は暗殺されていて、偽物にすり替わっている!?そして、今度は王子の暗殺を企てているのでは!?)
自分の予想に、ティナは震えて体を抱き締めた。
本当なら、とんでもない国家転覆行為だ。ただの子爵令嬢でしかないティナにできる事はない。
しかしそう考えると、違う疑問が湧き上がる。
(でも、それならとっくに殿下は暗殺されていてもおかしくないわよね。それに、本当に暗殺者なら、わざわざ私なんかを助けなくていいはず。どうしてなのかしら……)
自分で考えた予想を自分で否定していると、ティナはだんだん混乱してきた。
そして迷走した末に彼女の出した結論は、「とりあえず直接本人に確認しよう!」になった。
翌日の放課後。
ティナは、裏庭の林の中でノリスを待っていた。
朝早く登校し、彼の机の中にこっそり呼び出すための手紙を置いている。
それを読めば、来てくれるはずだ。
(来てくれたら、抱き着いて幻影なのを確かめてみせるわ!)
ティナは気付いていない。
迷走しすぎて、侯爵令息でしかも王子の側近の彼を呼び出すのが、どれほど大それているか。
そして、淑女が令息に抱き着く意味を。
しばし待っていると、ノリスがゆっくりと現れた。いつものブ男具合は変わらず、体つきも肥満体型。
しかしよく見れば、肥満にもかかわらずその足取りは軽い。まるで、脂肪などないかのように。
それにティナは確信を強める。
(やっぱり、見た目と動きが違う気がするわ。幻影魔法を使っている可能性が、ぐんと高まったわね)
改めて校則を確認すると、学園内は無用な魔法の使用を禁じている。その中にはもちろん幻影魔法も含まれていた。つまり、立派な校則違反。
「誰かと思えば、昨日のレディじゃないか。どうしたんだい、こんなところに呼び出して」
「……ノリス様に確認したいことがあります」
ティナは一歩踏み出した。それに合わせるようにノリスは足を止める。
(今よ!)
ティナはノリスに抱き着くため、飛び掛かった。
しかし、彼はそれをあっさりとかわす。
「へぶっ!」
「あっ」
当然、ティナは顔面を地面でこすった。
草生い茂る地面だったおかげで大した傷にはなっていないけど、痛いものは痛い。
「うぅ……」
「……何がしたいのかわからないけど、ほら」
ノリスは突っ伏したままのティナへと手を差し伸べた。
その手に自分の手を乗せると、諦めの悪いティナは再度飛び掛かる。
(次は逃がさないわ!)
「おっと」
今度はノリスは避けなかった。しっかりとティナを受け止める。
そのおかげで、ティナは彼の身体に腕を回すことに成功。
そして、自分の腕が彼の身体に『めり込んでいる』のを確かめられた。
「やっぱり。ノリス様、あなたは幻影魔法を使っていますね!」
「っ!」
作戦の成功に喜び、ティナは高らかに宣言した。
ノリスは幻影魔法を見破られて一瞬驚くも、そのブ男の顔にふさわしい、醜い笑みを浮かべた。
「へぇ……まさか気付かれるとは思わなかったよ。ところで、気付いたんなら、タダで済むとはおもってないよね?」
「えっ?」
きょとんとしてティナは顔を上げた。
ノリスの表情に、どんどんその顔色を失っていく。
「あ、えっ……それ、は……」
今更ながらに気付いた。
幻影魔法を使っているのを見破った後にどうすべきか、全く考えていなかったことを。
怯えるティナに、ノリスはますます笑みを深くしていった。
「分かってる?私は王子の側近であり護衛なんだ。その任務を邪魔する君を、見逃すわけにはいかないんだよ」
「ひっ!」
恐ろしい言葉を彼に告げられ、ティナは短い悲鳴を上げた。
(ど、どうしよう!?逃げ……いつの間にか抱き締められてる!?これじゃあ逃げられないわ!うぅ、全然外せない……)
ノリスの腕がしっかりとティナを抱き締め、離さない。
その腕を外そうとしても、ティナのか弱い力ではびくともしなかった。
「さて、どうしてくれようか?」
「あ……」
耳元で、残忍さと愉悦に満ちた声が響く。
恐怖で歯が震え、みっともなくカチカチと鳴った。
(こ、殺される……?いや……そんな……)
ノリスの雰囲気は、ティナに死を予感させた。
足も震え、自分で立っていられない。
目に涙が滲み、観念するしかない……そう諦めた時、一人の男の声が響いた。
「やりすぎだ、ノリス」
草を踏む音が聞こえてくる。
聞き覚えのある声にティナは目を開けると、そこにはクラークがいた。
(で、殿下がどうしてここに?)
突然のクラークの登場に混乱していると、二人は会話を始めた。
「いやだなぁ。少しからかっただけですよ、殿下」
「お前のからかいはシャレにならん。見ろ、泣いてるぞ」
「あ、ごめん」
ノリスの腕から力が抜ける。彼のさっきまで恐ろしい雰囲気は、あっという間に無散している。
解放されたティナは地面に座り込んだ。
恐ろしいノリスの雰囲気に、まだ足に力が入らない。
「ほら見たことか、責任を持て」
「はいはい。ところで殿下、幻影魔法を使ってることバレちゃったんですけど、どうします?」
「……バレたも何も、使うと決めたのはお前だろう。それも責任を持て」
「はいはい」
座りこんだティナを、ノリスが軽々と横抱きにする。
初めての横抱きに慌てるも、ティナはそれ以上にこれから自分がどうなるかという不安で一杯だった。
(殿下はノリス様が幻影魔法を使っているのを知ってた?でも、使うと決めたのはノリス様で?ど、どうなってるの!?というか、私はどうなるの!?)
それから3人は、裏庭の人気のないベンチに座った。
ティナはノリスとクラークに挟まれ、緊張と不安しかない状況に体を縮こませるしかない。
口火を切ったのは、ノリスだ。
「さて、じゃあ仕方ないから君…名前は?」
「ティナ…です」
「ティナ嬢。これから話すのは、殿下が学園生活を平和に送るための裏話だから、誰にも言っちゃダメだからね。もし言ったら……」
「……言ったら?」
ティナは恐ろしさでつばを飲み込む。ノリスは片手を上げ、手の先に巨大な火球を出現させた。
「これが君を襲う」
「ひっ!!」
「やめろ。誰かを脅した学園生活など、私は望まん」
「はいはい」
クラークに窘められ、火球は跡形もなく消え去った。
ぷるぷると震えるティナを楽し気に見ながら、ノリスは説明を始めた。
今ティナが見ているノリスは、幻影魔法で見せた虚構であり、本当の彼の姿ではない。
醜いブ男の姿をしているのは、それがクラークにまとわりつこうとする令嬢たちを追い払うのに、最も簡単で楽だから。
幻影魔法で姿を偽っていることはもちろん学園に申請済みで、教師陣も知っている。
そこまで聞き、ティナはやっと納得がいったと頷いた。
まだ体の震えは収まっていないけれど。
「そういうわけで、私が本当は違う姿をしているのは、バラされると面倒だからしないでほしい。まぁ、分かっててもこの姿の私に近づこうとする令嬢はいない……と思ってたんだけどねぇ」
ノリスの目がティナを見る。まさかの例外の存在は、ノリスも予想していなかったらしい。
「ティナ嬢、私のこの姿が嫌じゃないの?」
「……嫌と聞かれたら、嫌です」
「だよねぇ?じゃあどうして、さっき抱きついてきたの?」
「それは、幻影魔法かどうか確かめるためで」
「なんで確かめたかったの?」
「なんで………?」
そう聞かれ、ティナは困惑した。
なんで確かめたかったのか。その答えが、自分にないと気付いてしまったのだ。
(助けてもらったとき、ちょっと違和感があったから、それが気になっただけ?えっ、私、なんで知りたかったのかしら?)
答えに窮したティナに、ノリスは呆れ半分面白半分だ。
そして、何か思いついたのか、顔にいたずらっ子のような笑みを浮かべて言い出す。
「決めた。クラーク、この娘私の婚約者にする」
「うえっ!?」
とんでもない宣言に、ティナは変な声を上げた。
(こ、婚約者!?婚約者って言ったの!?なんで、どうして、どんな理由で!?)
混乱するティナをよそに、クラークは平静を維持している。
「唐突だな」
「いいでしょ?向こう見ずで危うい、でもこのブ男姿でも逃げない度胸。こんな面白い娘、逃がす手はないし」
「かまわん。好きにしろ」
「やった」
ノリスは指を鳴らし、喜びをあらわにする。
肝心のティナは、自分が婚約者に選ばれた理由が納得できない。
(うぅ…断りたいけど、でもノリス様は侯爵令息で、子爵家のうちでは断れないわ。ど、どうしてこんなことに……)
自分はただ助けてもらった時にちょっと違和感を覚えて、それを確かめたかった。
それだけのはずが、いつの間にか王子の側近の婚約者に決まってしまう。
運命の転がり具合に、ティナは遠い目をするしかなかった。
なお、幻影魔法で姿を誤魔化すのはクラークが学園を卒業するまで。
ノリスは学園外では幻影魔法は解いているが、どうしてかティアには卒園式まで見せないと言った。
その理由が「どうせならびっくりさせたいじゃない?」という、幼稚極まるもの。
卒園式当日、ノリスの本当の姿を見たティナは、そのあまりの落差に卒倒しかけた。
(こ、こ、こんな精悍な容姿であんなブ男の姿を纏っていたなんて、詐欺もいいところだわ!)
その後、本当の姿をしたノリスとティナが並んで社交界に現れたとき、嫉妬の渦に巻き込まれることになるのだが、まだそれを知る由もなかった。




