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届かぬ背中  作者: もぴお
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序章 徴兵

 その日、村には帝国軍の旗が掲げられていた。

 黒地に双頭の鷲を描いた旗は、いつも遠くの街で翻っているのを見かけるだけだった。だがそれが、僕の暮らす農村の広場に立てられているのを見たとき、心臓がひとつ跳ねた。


「徴兵だってよ……」

 誰かが呟いた声が、まるで風に運ばれて村中に広がるようだった。


 僕は畑から駆け戻った。鍬を投げ出し、泥だらけの手のまま広場へ走ると、そこにはすでに何十人もの村人が集まっていた。兵士たちが列を組み、槍と銃を携え、無言で村人を見渡している。


 その前に立つ士官が声を張り上げた。

「皇帝陛下の名のもとに! 本日より、帝国の新たな兵を徴用する!」


 ざわめきが広がる。年配の者や子供を抱えた女たちは顔を曇らせ、若者たちは互いの顔を見合わせた。


 僕の胸はざわついていた。

 知ってはいた。帝国は今、王国との戦争の真っ只中だ。魔法を主力とする王国軍は幾度も国境を越え、村を焼き、砦を攻め立てていると。けれどそれは遠い話で、自分には関係のないことだと思っていた。


「十七以上の男子は前に出ろ!」


 その声に、僕の脚は硬直した。

 僕は今年で十七だ。父の畑を手伝い、母と妹と共に暮らしてきた。ただの村の少年だ。だが帝国にとっては――兵士の卵にすぎない。


 背中を押された気がして、足を一歩前に出した。何人かの同年代の青年も震えながら前に進んでいく。広場の空気は重く、誰も口をきけなかった。


 士官は順に名前を確認し、羊皮紙に書き留めていく。やがて僕の番になった。

「名は?」

「……カイル」

 声が震えていた。

「年齢は?」

「十七です」

「よし」


 士官の羽根ペンが音を立てる。僕の名前が戦争の紙に刻まれた瞬間、心臓が痛みで軋んだ。


 その夜、村は沈黙に包まれていた。焚き火の煙が軒をくぐり、子供たちの泣き声が遠くに響く。家の中では母が黙って布を縫っていた。僕の軍服代わりに渡される簡素な外套だ。


「カイル」

 母の声はかすれていた。

「これを持っていきなさい」


 掌に握らされたのは、小さな石だった。

 角が削れて丸みを帯びた、どこにでもありそうな石。けれど土の匂いが染み込み、手にすると不思議な冷たさが伝わってくる。

「祈りの石よ。畑の端で拾ったの。あなたが無事に帰ってくるように」


 僕はうなずくことしかできなかった。喉の奥が詰まり、言葉にならなかった。


 翌朝、広場には徴兵された若者たちが集められていた。皆、無言で家族に見送られている。

「カイル、必ず帰ってこい」

 父が短く言った。その顔は土に焼け、皺が深かった。手に力強く握られた鍬が、僕への唯一の餞別のように見えた。


 妹は泣きながら袖を掴んできた。

「いやだ、行かないで……!」

「大丈夫だ、すぐ帰る」

 そう答えた声は、自分でも信じられないほど頼りなかった。


 出立の号令が響いた。

 僕は小銃を手渡され、革のベルトを締められた。鉄の冷たさが体に食い込み、これがもう農村の少年ではなく兵士である証だと突きつけられる。


 列に並ぶ。後ろを振り返れば、母が涙をぬぐい、妹が小さな体で必死に手を振っていた。父は何も言わず、鍬を掲げて見送っていた。


 行軍が始まった。村を出る道は、昨日まで見慣れた畦道だった。麦畑が風に揺れ、土埃が舞う。

 でももう、二度と同じ景色には戻れない気がした。


 僕はポケットに忍ばせた祈りの石を握りしめた。冷たさが掌に伝わり、心臓の鼓動と重なった。


 こうして僕は、戦争へと踏み出した。

 十七の僕が「兵士」になるという現実を、まだ信じられないまま。

初投稿です。

誤字脱字等ありましたら適宜修正します。

よろしくお願いします。

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