【エピローグ】
「先生、ここに置けばいいですか?」
「はい。お願いいたします」
私の返事に頷くと、男子生徒は持ち運んできた書類の山を机の上へと置く。
どさりと重たい音が聞こえると同時に、彼は軽くなった肩をぐるぐると回しながら一息をつく。
「ご苦労様でした、西園寺さん。こちらをどうぞ」
私はポケットに手の忍ばせるとお菓子を取り出し男子生徒へと手渡した。
教室から資料室まで結構な量の紙束を運んでもらったお礼にはちょうどいいものだろう。
「あ、どうも。――これは、チョコですか?」
「えぇ。糖分は疲労回復の効果があるそうですよ」
えーそんなに疲れてるように見えますか?
そうつぶやきながら苦笑いを浮かべる男子生徒――西園寺優介さんは手に取った包み紙を眺めると、直に広げてから中身を口に含む。
「それ、評判のチョコレートなんですよ」
「へー、そうなんですね」
彼は手に持った包み紙を眺めながら最初は特別な感想もなくただ普段通りにチョコを味わっていた様子だったが、しかし途端に、ほんの一瞬目がピクリと動く。
「……うん。美味しい」
「そうですか。それは何よりです」
それは配慮や偽りではない心からの感想。
この一年間彼をよく見てきた私だからこそ気づけるその些細な変化にささやかな喜びを感じつつ、同じく私も自分用にと用意していたチョコに口をつける。
つい先日海外旅行から帰宅した妹が声高らかに渡してきたお土産は、その自信に見合うだけの上品な甘みを持ち口の中で広がり続ける。
なるほど、これは確かに美味しい。
「っと、そうだ。先生はこの後どうされるんですか。僕は教室に戻りますけど」
少しの時間を経てから、彼はふと壁にかかった時計へと視線を配る。
それはきっとこの後の予定を考えての確認だろう。
「すみませんが私は少し仕事がありますので。西園寺さん、羽目を外しすぎないようにお願いしますね」
いまは第一学年生最終登校日の放課後。
先ほど終業式が終わり学園としては下校時間にあたる時刻だが、私の担当クラスである一年A組は生徒たちが教室でパーティを開催していた。
お菓子や飲み物の準備は当たり前、さらには教室周りに防音の魔法を張ることで気兼ねなく騒げる環境を整えるという用意周到っぷり。
なんでもビンゴゲームやカラオケなど、みんなでパーティを全力で楽しむとのこと。
さすがにその話を最初に耳にした時は計画を立てた生徒を問い詰めざるを得なかったが、まぁ良くも悪くも悪知恵の働く彼女の話には一定の説得力が含まれており、気が付けば承認させられていたのだからため息の一つも出るというものだ。
ただ、丸め込まれたと言われればそれまでだけれど、実のところ内心でそれを良しと考えていたことが彼女にはバレていたのだろう。
この一年間、大きな成果を残してきた生徒たちのささやかな楽しみを窘めるほど野暮ではない。
そう思っている自分に思わず苦笑いを浮かべたのはつい昨日の話である。
「そうですか。もし時間があれば顔を出してください。マシロ先生あってこその一年A組ですから」
「えぇ、もし時間が空きましたら教室に顔を出しますよ」
その言葉を聞いた彼はわずかにほほ笑むと、一礼をしてそのまま部屋を後にする。
扉が閉まる音を耳にした私は、机の角に腰を落ち着けるとポケットの中から先ほどと同じチョコをもう一つ取り出す。
指で摘まめるサイズの包み紙を天井へと掲げながら少しの間ぼーっと眺めつつ、次に部屋の窓へと視線を移す。
日が差す明るい青空に、ふと私はこの一年間を振り返る。
「……まったく、本当に騒がしい一年でしたね」
何度思い返してもそこに行き着く。
月日を経てなお鮮明に思い出される始業式の一幕。
『西園寺優介です。よろしくお願いします』
毎年必ずといっていいほど才に溢れる魔法使いが現れる。
二年前は白雪ひなた。一年前は西園寺皐月。――そして今年は西園寺優介。
入学式の朝。一目見た時から何かを感じさせる彼こそ、今代の【魔法使い】になるものだとあの日の私は直感していた。
ただそれは、あらゆる意味で期待を裏切られることになる。
豊作。
そう評価することが不適切であると思えるほど、魔法使いとしての素質が底知れない生徒が他にも現れたのだ。
『ワタシ、ノナマエハ、カルナ・メルティ、デス。ヨロシク、オネガイスル』
『佐倉朱音です。どうぞよろしくお願いいたしますね』
『……松永、音子。よろしく』
こと彼を含む四名の生徒。
一万人に一人の割合で誕生するとされる魔法使いの中でさえさらに稀に見る天賦の才の持ち主。
それが同じ年代で複数人が会すことなど学園の歴史でも例を見ない。優秀な生徒は大勢いるがそれでも、である。
陳腐な表現ではあるが、それはもはや運命と呼んで差し支えない何かを感じずにはいられなかった。
だがしかし、先代二名の例にもれず優秀な魔法使いとは問題児に等しい存在でもあった。
暴れ、騒ぎ、囃し立て、賑やかす。要するに、好き放題する自由人が多数存在していたわけで。
魔法使いとは、どちらかといえば「静」を好むものが多い傾向にある。
しかしこと静謐とは対極の世界を創り出すことで過去に見ない異質な世代へと成長を遂げていくその様は、それでいて関わる者の心に何かを落としていく。
それは生徒のみならず、私たち学園教師たちもまた同じだった。
「――仕事、終わらせましょうか」
生徒たちにはまだ伝えていないが、私は引き続き新二年生のクラス担任を任されることが決まっている。
まだ詳細は決まっていないが、おそらくは一般基礎学科クラス。
魔法使いとしての基礎を知り、最も魔法についての理解を深めるためのカリュラムをなぞるコースを担当することになるだろうと予想している。
そしてそこにはかの問題児も――。
ふとそこまで考えてから、私は手に持ったままの包み紙を開くと口の中にチョコを放り投げる。
少し溶けかかった固形物は舌の上に乗ると瞬く間に溶けて甘い飲み物へと形を変える。
プレゼントをしてくれた妹は私には少し甘すぎるかもなどと口にしていたが、今はこの甘さが心地よい。
今年一年の頑張りに対するご褒美と、来年の苦労への労りと、あと少しの空腹を埋めるために。
これから仕事を片付けて、そしてお猿さんのように騒ぎ立てているであろう生徒たちのもとへと足を運ぶ。
あぁ、なんと充実した予定だろうか。
願わくば、来年もまた生徒たちとともに思い出に残る学園生活を過ごせますように。