プロローグ:魔法使いは物語る
私立有栖川魔法学園。
日本の東側に位置する魔法使いのための学び舎。
その一角に位置する体育館において、在学生徒のおよそ全員が一堂に会し、またそのすべててが一様に宙へと視線を走らせていた。
視線の先に浮かぶのは映像を映し出す、不思議と枠組みや機械の見当たらない大きめのモニター。
まるで本物のモニターを眺めていると錯覚するほどに鮮明に映し出すそれは学園の教師が緻密な魔力の操作により創り出したいわゆる魔法学の結晶。
観客に向け、今まさに最新の情報を余すことなく伝える役割を果たし続ける。
映像、音、そして熱。
体育館の外から聞こえる、本物を背景にしながら、一つ、さらに一つと戦場の結末を皆に届けんとその役目を務め、もうじきその仕事を終えようとしていた。
始まりの合図が上がった時、体育館には誰一人の人影も存在はしていなかった。
魔法学園の教師が創り上げる多数の投影板が各戦場を映しながらもその場に観客はいない。
当然だ。皆、その映像の先で己が闘いに身を投じていたのだから。
一年生、二年生、三年生。
総勢三百名の生徒たちが、一斉に戦場へとその身を投じていた。
戦場に上がる以上、当然敗者が現れる。
一人、また一人と結末を迎えると、学園全体にかけられたいつもの魔法により、生徒は観客席である体育館へと転送される。
ケガや傷はないにしても、圧し掛かる疲労感とどこか燻る気持ちをその身に宿しながら、彼らは次に観客者として宙を見上げ始める。
自分を倒したものの行方、あるいは特定のだれかの今を知るべく、自らが後にした戦場をモニター越しに眺める。
魔法で生み出されたモニターは、時間の経過とともに少しずつその数を減らしていく。
脱落者が増えるにつれて戦場も同様に減りゆく。
教室、廊下、食堂、屋上――避難地である体育館を除くすべての学園の敷地が戦場であり、そこで起こる闘いのさまを伝え終えると、モニターはぷつりと役目を果たし消える。
はじめは五十を超えていたモニターも、残すところあとわずか九つのみとなる。
始まりは戦場を投影していたモニターだが、終盤に差し掛かるその焦点を生存者へと移り変える。
数は九。
三年生が三名、二年生が一名――そして一年生が五名。
学園有史以来初めての光景に、教員を含みすべての人間が瞬きも忘れて空を見上げていた。
あっ。
そう誰かがつぶやいた言葉に、皆の視線が自然と一つのモニターに集まる。
映像の先、眼鏡をかけた男子生徒が大きく柵を超えて跳躍すると、そのまま屋上から校庭へと一直線に落下する。
――ズドン。
映像で彼が着地すると同時に大きな音が外から聞こえてくる。
三階建ての校舎の屋上から勢いよく飛び降りるも、映像の男子生徒は一切けがをした様子はなく、さすがに若干よろけてはいたものの体制を直すと即座に後方へと飛び跳ねる。
――ズドーンッ!
次の瞬間、飛び降りてきたもう一人の生徒が落下速度そのままに校舎へと拳を振り下ろす。
魔力から生み出したものでは絶対に壊れない。
そう公言されている設備の一つである校庭にははっきりと大きなひび割れが生じており、その事実を裏付けるかのように生徒が集う体育館が衝撃波でびりびりと震える。
教員の同様かあるいは魔力の余波か、じりじりとモニターの映像に乱れが生じるが、そんなことはお構いなしにと件の二名はその距離を詰める。
片や右手に魔力を生成する男子生徒。
片や左手にさらに強大な魔力を生成する女子生徒。
立ち込める土煙も相まって両者の表情はモニターからは確認することは出来ないが、それでも彼ら二人の関係性を知るものであれば想像するに難くない。
と同時に次のような感想を抱いていた。
――あぁ、これで終わるのか。
時間にして数秒。
土煙が晴れモニターが回復した時、大きく身体を吹き飛ばされたのは男子生徒だった。
残る女子生徒は蹴りの余韻か足を振り上げたままその両手に魔力を集中させている。
追い打ちかはたまた大技の準備か。
遠近どの距離からでも他を圧倒出来るほどに強大な彼女の魔力は、まるで心臓の鼓動を模しているかのように彼女の両手の中で膨らんでは収縮するといった動きを繰り返す。
必殺の一撃。
それ以上の言葉を必要としない絶対的な一撃を構える彼女のプレッシャーは、離れているはずの観客にさえ畏怖の感情を与える。
そして次の瞬間、最強の称号を持つ女子生徒は真正面から殴り飛ばされることとなる。
代わりに姿を現すのは先ほど飛ばされたはずの男子生徒だった。
右手の指にいくつか魔力の光を宿し、一度に距離を詰めると同時に女子生徒を勢いのままに殴り飛ばす。
制御を超えた速度から体制を崩しその場にこけるも、はっと顔を見上げながら身体を起こし腕を構える。
一撃、二撃――三撃。
女子生徒が飛んだ方向から魔力の弾丸が男子生徒に迫る。
回避を許さぬ軌道、なにより尋常ではない速度が彼に守る以外の選択肢を与えない。
思考さえ不可の状況でとっさに身を守る彼の判断は賞賛に値する。
そう誰もが感じる光景の先で、それはふと顕現する。
とすっ。
例えば音にするとそのような擬音が頭に浮かぶ。
ふんわりとゆるやかに。それでいて意識などしないほど気のない音。
乾いたタオルを隣人の頭の上で置いた時のような乾いた音が、聞こえるはずのない観客の耳に届く。
それは、女子生徒の足が男子生徒の頭上を捉える瞬間に聞こえた。
「――――――。」
女子生徒の口が何かを紡ぐと、世界は正しく変わった。
真正面からの魔法に専念していた男子生徒は、その頭上から振り下ろされる衝撃にその身を沈める。
先ほどの音とは比にならない爆音が学園中を駆け巡る。
モニターに映るほかの生徒たちも気づいたのか、その手を止め各々がそれぞれの方向に視線を走らせる。
おさげ髪の生徒が、ほうきにまたがる生徒が、小柄な生徒が、皆一様に校庭へと意識を巡らせる。
――決着の刻。
ふわり。
地面に倒れ伏す男子生徒の隣に緩やかに降り立った女性生徒は、そのまま足を動かすことなく彼の方をじっとみつめる。
一言二言、なにか言葉を発しているようにも見えるが、モニター越しにその音は届かない。
戦場に立つ者も体育館で固唾を飲む観客も、件の男子生徒も女子生徒も、誰もがその場で動きを止める。
音もなく、景色も動かない。
静寂が戦場を支配し大勢が閉幕の鐘を脳裏に浮かべ始めるころ、世界の中心で一つの音が生まれる。
「あんた、いつまで寝てんのよ」
たしかな相手に向けたその言葉は皆の気持ちに僅かな波紋を呼びおこす。
あり得るはずがない。
「最強」の完璧な一撃をその身に直撃されたのだから。
起こりえるはずがない。
奇跡を顕在する魔法だからこそ、その先に奇跡など起こりえない。
ただ、それでも、もしも。
当たり前の結果に回帰する現実ではなく、「奇跡」の世界において想像に及ばない希望を叶えることが出来るのなら。
もし彼がまた立ち上がり、その腕をまっすぐ前に伸ばすのであれば。
それはきっと、本物の願いに他ならない。
「――――――――。」
声は聞こえない。
表情も見えない。
ただ、彼女は口元を釣り上げて大きく微笑んだ。
瞬く間に熱を帯び、わっと沸き立つ観客の視線の先で、男子生徒はゆっくりと立ち上がる。
疲労感を身体に滲ませるも、モニター越しでも感じるほどに練りこまれた魔力を全身に張り巡らせている。
右手の指にはそれぞれ魔力の光を宿し、その瞳からは赤い光が放たれる。
笑い、吹き出し、ため息をつく。
モニター越しに見える少女たちもまた、彼らの姿を見届けると己が戦場へと戻っていく。
一言二言、聞こえぬ言葉を交えた彼と彼女は、それぞれに構えると三度衝突する。
それより先、時計の長針が二つほど数字を進めるとやがて戦いに終止符が打たれることとなる。
のちに語られる、【魔法使い】の始まりの物語。
※同タイトル旧作品の再構成になります。
よろしくお願いします。