後見人
私はその日最後の相談を終えて、一息ついた。
面談室の椅子の背もたれに寄りかかりながら、今屋敷蜜からの依頼について考えた。
要するに、彼女と行動を共にして通訳をして欲しいということだ。後見うんぬんに関しては、彼女が法に違反したり、逆に問題に巻き込まれる前に私が対処すればよい。
実のところ、私はしばらく休暇を取ろうと考えていた。別居している妻との離婚調停が控えているし、イギリスの両親にも久しく顔を見せていないため、帰国して骨休みするのもいいだろう。その間の事務所経営はほかの社員に任せればいい。
それに、今屋敷蜜のことが気にかかっていた。本人は家庭に問題はないと言っていたが、高校生が一人で法律事務所に相談に来るのは珍しい。
親から虐待を受けている子がその事実を隠すという事例を聞いたことがある。そうでなくとも、別の理由で助けを必要としているのではないだろうか?
間接的な救難信号という可能性に思い当たり、私は事務員の清水夢衣可に相談票のコピーを取らせて、今屋敷蜜のことをどう感じたか尋ねた。
「かわいいお嬢さんでしたね」彼女は首をかしげた。
清水夢衣可は、二十五歳独身で素直な性格の女性だ。いつも丁寧な接客でお客さんからの評判もいい。
ついでに、先ほど浮かんだ考えについて意見を貰おうと、この後食事でもどうかと彼女を誘ったのだが、今日は予定があるからと断られてしまった。
この件で同僚の弁護士に相談するのはためらわれた。私には仕事を抜きにして何でも相談できるような相手がいなかったので、この日は東京駅近くにあるパブのカウンターで、一人でイギリスのビターエールを飲みながら今後のことを考えた。
酔うほどの量を飲むつもりはなかったのだが、離婚について考えがよぎる度に、しらずしらずジョッキを傾けて振り払った。
とりあえず明日、今屋敷蜜の両親に会おう。そう結論を出して、携帯電話に番号を打ち込んだ。
「先生、一人で飲んでるんですか?」と電話越しに今屋敷蜜が言った。
そうだと答えると、「受付の女性に誘いを断られたんですね」と指摘されて面食らった。
どちらもなぜ分かったのか聞くと、彼女は「背後の騒音からパブだとわかる」と言い、続けて、「二十分後にそこにいく」と一方的に告げて通話を切られた。
ここに来ようにも店の名前を言ってなかったので、かけ直したが、コールするだけで繋がらない。向こうから連絡があるだろうと思って待っていたら、いつの間にか頬づえを突いたままうとうとと寝てしまい、今屋敷蜜に肩を叩かれて気がついた。
「わたしの両親は心配性なんです。あなたにしっかりしてもらわないと計画がおしゃかだ!」
彼女の話しぶりが何だかおかしかったので、私は笑って、このくらい何でもないと答えたが、彼女は酔っ払いを非難し、酒の効用を否定して、悪しき面について長々と語っていたが、その時の詳しい内容は思い出せない。
飲酒に対する価値観ついては、その後続くこととなる今屋敷蜜との長い付き合いの中で、私が受け入れられなかった数少ない彼女の持論のひとつである。
この場を借りて(直接言う勇気はないので)はっきりと私の意見を書かせていただくが、当時未成年だった彼女が酒のなんたるかを語るなど笑止千万という他ない。
日本のことわざにも、酒は百薬の長というものがあるではないか。
とはいえ、この夜に関しては、いつの間にか髭がもじゃもじゃと生えたタクシーの運転手に自宅マンションの前で起こされて、ベッドにすべりこんだ。
深夜になって酔いが醒めてから、今屋敷蜜の前で失態を演じたことがわかり羞恥心に身悶えする思いだった。
携帯電話のメッセージには明日の待ち合わせの時刻と住所が残されていた。