面談
次の相談の時間になって、事務員が私のいる面談室のドアを叩き、相談者を連れて入室した。
事務員の後ろにいたのはまだ少女と言ってもいいような日本人女性だったので、私は思わず手渡された相談票にすばやく目を通した。
そこには相談者の属性と相談の概要があらかじめ記入されているが、彼女の年齢は二十歳、職業欄には専門職とだけ書かれている。
「今屋敷蜜さんですね。初めまして、外国法事務弁護士のオリバー・オースティンです」
握手を終えると、彼女は何気ない様子で面談室の内装に視線を動かしていたが、私が事務員に部屋を下がらせて椅子を勧めると、会釈して着席した。
これが私と今屋敷蜜の出会いである。
弁護士と依頼者以外の立場になるなんて考えようがなかったし、友人の関係を超えた長い付き合いになるなんて夢にも思わなかった。
この時の彼女といえば、凛としたかわいらしいお嬢さんといった印象だった。
ただ、弁護士との面談となると気負って固くなる相談者も多いのに、彼女はまだ若いにも関わらず、例えば、そこの本棚に置かれている本のタイトルを全て知っているかのように落ち着いていた。
「先生に依頼するのがベストだと判断しました」と彼女が切り出した。
「ほう、それはなぜですか?」
私はイギリスの法廷弁護士の資格を持っているが、日本の裁判所で代理をすることは認められていないし、それなら同僚の日本人弁護士が対応する。
そのため、依頼となると海外在住の日本人か外国人が多いのだが、彼女はわざわざ私を指名して予約をしたのだ。珍しいことだ。
「先生は専門用語の通訳も可能で、ヒンディー語も話せるし、現地の法律の知識もあるから後見人として申し分ない。それにまとまった時間を取っていただく必要があるし、危険も伴うから、身軽な人にしかお願いできない。全ての条件を満たすのは先生だけです」
私はとりとめのないことを言う彼女に思わず苦笑しかけたが、初回の面談で、相談者の前でそのような態度をとることは避けるべきなので、私は意識して笑った。
「たしかに、私は国際案件を中心に扱っているし、ヒンディー語も話せます。つまり、私に現地でどなたかの後見人になって欲しいという依頼でしょうか? しかし、こう見えて事務所の経営で忙しい身なので、ご希望に沿えそうにありません」
「いえ」 彼女はすっと立ち上がって、じっと座っていられないというように部屋の中を歩いた。
「先生にお願いしたいのはあくまで通訳がメインで、後見人は形式的なものです。わたしはまだ年齢的に制限行為能力者にカテゴライズされているので一人では満足に旅行もさせてもらえない身分なんです。ただ私の行動にお墨付きを与えて下されば先生に迷惑はかかりません」
制限行為能力者という単語を聞いて、私は相談票の生年月日欄をもう一度確認した。
「しかし、先ほど記入いただいた相談票を見ると、今屋敷さんは二十歳で成人されているのでは?」
「それは記入ミスです。わたしは十七歳です」
私は驚いて、相談票から視線を上げて彼女の顔を見たが、彼女に慌てた様子はない。
しかし未成年者からの相談は基本的には親権者の同席がないと受け付けられないことになっている。
「先生、報酬の心配はいりません。わたし名義の特許のライセンス料と著書の印税があるので十分な額を払えます。万一の場合にも後見人として金銭的な負担を負うことはありません」
「いえ、今屋敷さん、そういうことではなく、あなたと委任契約を結ぶためにはまず親権者と会わせていただく必要があります」
十七歳でなんてふてぶてしいお嬢さんなんだろう。私は年齢も門前払いされないようにわざと間違えて記入したのではとの疑念を抱いた。
このような依頼は当然受けることはできないが、私は彼女個人に興味を持った。わざわざ弁護士をからかいに来たわけではないだろう。
すると彼女は笑顔を見せた。
「わたしがここに一人で来たのは、両親から完全に信頼されているからです。家庭は円満です。明日、先生の希望の時間を言っていただければ両親に会えるようにします。それと」
彼女は小切手帳とペンを鞄から取り出して、机の上で私に見えるように金額欄に数字を記入した。
その金額は私の弁護士としての二ヶ月分の収入だった。
「引き受けていただけたら前払いでお支払いします。気が変わったら連絡して下さい」と告げて、彼女は面談室のドアノブに手をかけた。
そこで、彼女はもう一度振り向いて、「先生、二日後の火曜にロンドンへ飛びます。九時四十五分羽田発ヒースロー行きの便です。今朝ロンドンで焼死体が見つかったのはご存知ですか?一緒に来て欲しいんです。Happy《楽しい》 holidays《休暇を》!」
と言い残して部屋から出ていった。