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全宇宙シミュレーション

作者: 牧名もぐら

 シミュレーションを稼働させてから月が3度、満ちるほどの時間がたった。兼任している他の研究もあって滅多に顔を出せずにいた博士は、少しの申し訳なさと、あとは期待に胸を膨らませながら研究室へと入っていった。ここしばらくの間は助手がずっとシミュレーションの進捗を連絡してくれていた。久しぶりに会った助手は、元々出不精だったのに最近は研究のことで外に出ないで済む口実まで得てしまったものだから、すっかり青ざめて見えた。


「タイムスケールは調整しておいてくれていたんだろうね」

「もちろん、抜かりなく」


 久しぶりに会ったというのに二人は特別多くを語ることなかった。博士の言葉に軽く返しながら、助手はコンピュータルームへと入っていく。


 部屋の中は常に足元を冷気が漂い、左右の壁には細かい光の点滅するサーバーが設置されている。これらの機械は同型のものが複数個置かれているように見えるが、実際は一纏まりの機械であり、この部屋は、ひいては施設も、その巨大なコンピュータを組み立てたところに後から造られたものだった。助手は入った扉から直進したところにあるコンソールを操作すると、ちょうどそこから見上げられる位置に光の球が出現した。


 光の球は一見まだら模様で、微小な粒子の集合によって作られているの分かった。それぞれは均等に配置されおらず、場所によって光の強さにムラがあったが、時に錯覚のように赤みや青みを帯びた光点がちらと主張し、脈動しているのが感じられた。無数の点によって形作られた巨大な光球は静止しておらず、注意して見なければ分からないほど緩やかに回転していた。


「美しい」


 博士はしばらくそれに見入ったあと、うわごとのように言葉を漏らした。


「これが、我々の宇宙か」

「はい、我々の作った宇宙です博士。私でなかったら誤解しますよ、その言い方は」


 言いながら助手はコンソールの上で手を滑らせると、光球が機敏に回転し、ある点で止まったかと思えば、急激に拡大されていった。しかし部屋の中が光の線でいっぱいになることはなく、実は光の玉が見えないモニターに表示されているかのように”範囲外”の部分は消えていく。


 光の点は拡大されると泡の集合のように見えた。光の筋が手を取るように四方八方へと延び、何もない、虚無の空間を囲んでいる。泡の輪郭に見えた光の線は、さらに拡大すると螺旋の集合物にみえはじめ、また膨大な光点によって形成された螺旋の一部を拡大し続けると、やがて光の割合を虚無空間の割合が凌駕し始め、最終的に一かたまりの光球と、その周囲を回るいくつかの球を見下ろすように立体映像は止まった。回転の中心にある光球をのぞき、他の球は発光しておらず、中心に向いた一面がなんとか光を反射しているようだった。


「まったく、素晴らしいな」博士はわずかに笑いを含ませながら言った。

「レポートで聞いていたが、実際に目で見るのはわけが違う。我々の科学はついにここまで来たのだな……つまりこれは、完全な我々の宇宙のシミュレーションであり、素粒子からなる原子、分子の結びつきから演算し、ビッグバンからここに至るまでの宇宙のすべてを再現できたということだ!」

「しかし博士」


 興奮する博士に、助手は冷たい口調で続けた。


「あくまでシミュレーションです。次世代型量子コンピュータの演算は確かに見事ですが、正直、精度はまだまだです。宇宙の完全な再現に必要なサンプルは、全人類がこのプロジェクトに参加したとしても集まり切らないでしょう」

「つまり、これが限度だとでも?」

「はい。この星系の、第三惑星です。見て下さい」


 助手は光球から三番目に近い星を拡大していく。光球を向いた面が光を反射する一方で、影となった面には光の点が無数に存在しているの分かった。文明だ。文明のある星、高度な知性を持った生命の住む星は他にも発見されていたが、助手の言うところにはこの星が最も進んだ技術を持っているとのことだった。


「準備はいいですか」


 助手の言葉に、わずかに間をおいて博士は頷いた。地表が拡大され、都市が見え始める。そしてすぐに、その知性体の姿が立体映像として浮かび上がった。


 博士はわずかにうめき声を漏らした。醜い。全身にまばらに生えた毛と、不気味な体色、頭部と思しき箇所は―—鼻や耳なのだろうか―—やたらと穴が空き、衛生面の不安を隠せない。助手のレポートで聞いてはいたが、先進的とも、原始的とも言えないその形はひたすらに不安を煽ってくるようだった。


「なるほど」


 形だけの感想を言った博士は、助手の言わんとすることを理解し、すぐに映像を切り替えるよう言おうとした。博士は立体映像に映る不気味な生命体が、ふっとその頭部を変形させたのに目を見張った。変形というには小さな変化だが、そこにある種の、生物学的な進化の帰結のようなものを博士は感じた―—最も、その分野は彼にとって門外のことだったが、それで一挙に好奇心を駆り立てられた。


「今のはなんだ」

「コミュニケーションの一種かと思われます」

「あのようなコミュニケーションがあるか? 我々の既存概念ではそうそうあり得ない現象だぞ」


 急に熱っぽい反応を見せた博士に、助手は軽くため息をついた。


「いいえ、古い映画のアイデアでああいった生命体が登場することは珍しくありません。そういった娯楽作品も一つのサンプルの足しとしてこのシミュレーションには混ぜ込んであります。所詮我々の想像力の延長にしかないんですよ、この世界は。それでいて、こんなクリーチャーが生まれてしまう……」


 博士は助手がころころ変えて見せる立体映像を見入った。なにか重大なことに自分は気付こうとしているようなもどかしさがあり、その正体を掴もうと必死になっていた。


「これは! 今一瞬写り込んだ娯楽形態は我々に持ちえないものだぞ、きわめて奇妙だ」

「サンプルの足りない部分はランダムで生成されるんですから、我々の想像しえないものが生まれることだってありますよ。でもね、よく見て下さい。これ、こんなものは娯楽として成立しませんよ、普通じゃあね。ただ眺めるだけなんて、おかしいじゃないですか」

「それはそうだが」


 博士の威勢が弱いのをいいことに、助手はさらにまくしたてた。


「僕は博士がここを僕に任せてから今日にいたるまでの一週間ずっと、このシミュレーション内のあらゆる動向に目を凝らしてきました。でもそれで分かったのは、所詮無機質なコンピュータの生み出すシミュレーションでしかなく、そこに想像力はなく、現実性もなく、究極、これは宇宙の模倣なんかではない、我々人類の限界なのだということだけなんです」


 助手なりに言葉を選びながらも、そこにある種の激情があるのが博士には感じられた。繰り返し観測を行い、徐々に失望していく中で、彼は無意味なことをしているのではないかと自問自答し自分の帰還を待っていたのに違いない。そう思うと、博士の心には助手への申し訳なさが湧いてきた。助手は有能な学者だから、自分が他の研究とこれを兼任しているように、他のことにも熱中したい気持ちがあったに違いないと、博士は思った。


 博士は助手の目を見つめ返せず、わずかな沈黙を作った。


「宇宙再現シミュレーションは、試運転で一週間の期限をつけていた。結果が良好ならこのまま続けるつもりだったが、君がそう言うなら無理はするまい」

「僕も、少し言い過ぎました」


 助手はそう返すと、博士に断りを入れて小休憩を取りに部屋を出て行った。博士は落胆しながら、コンソールへ近づき、それを操作した。コンピュータが我々を再現しようとして作り出した、似ても似つかないクリーチャー。ランダムに生成され、宛がわれた無意味な娯楽。我々の想像力に端を帰する特異な出力形体。


 いくら宇宙を極小粒の働きから再現しようとしても、所詮は機械の生み出した、我々にとって都合がいいもの。このコンピュータは我々の技術によって作られているからだ。触角を使って目の下の毛を撫でつける。博士は助手が帰ってきたらこれを停止しようかと決めて、名残惜しむように立体映像のフォーカスを次々と切り替えていった。


 それはちょうど、博士がいる部屋のようだった。そこには何十人という知性体が、今しがたの博士と助手と同じように、光る球を見上げていた。


 その立体映像の意味は、考えるまでもなく、博士は確信を得たように部屋を振り返った。


   ◆◆◆


「やはり宇宙の再現はできなかったようだな」

「このようなクリーチャーが生まれては、精度がまだまだということだ」


 暗く、細長い部屋で、二人はスクリーンに映っているものを見ていた。そこには、緑色の分厚い皮膚に全身を覆い、頭部中央にある一つ目の上下にはふさふさと毛が生えている生命体が映っていた。呼吸器は細い切れ込みのようで、頭部側面には一対の触手がある。それがふと、こちらを振り返った。


 観測者たちはそれぞれ、四つの目を互いに見合わせ、橙色の巨大な体ごとゆっくりと長い部屋を振り返った。

トイレの中で閃きました。

2時間くらいで書いたので誤字脱字酷いとは思いますが、気付いても直すかどうかは分かりません。

ちゃんとした(?)小説を書くこと自体数年ぶりで、言わばリハビリです。思ったより書けるみたいです。

仮に【上】の世界があったとしても、その階段に果てはないんだろうなと思います。考えるだけ無駄とも言いますが、我々はそういうのを考えるのが好きみたいなんですよね。こういうものが高じて、昔の人が神話を作っていったのだろうことは想像に難くありません。究極的に言えば、人は自分がいつか必ず死ぬということを否定したいのです…

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― 新着の感想 ―
[一言] SFならではの、シミュレーション仮説を題材にした面白い作品でした。人類とは、地球とは、生命とは何かを考えさせられる作品だと思います。
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