第71話 引きこもりの咎人
廃墟の中を一人歩き回る。目的があるわけでもなく、ただの興味本位にすぎない。聞こえるのは自らの足音だけだ。たった一人この世界に取り残されたような感覚を憶えるが、あながちそれが間違ってもいないことにクレイスは苦笑する。
おもむろに見つけた崩れかけの建物に入る。元は食堂だったのだろうか。散乱するテーブルと椅子。かつては賑わっていたのかもしれないが、風化した今となっては考えられない。
奥に入ってみると金属で造られた身長程の巨大な箱が置かれていた。取っ手を引くと、さしたる抵抗もなく開く。中には何もない。あったとしてもこんな場所に置かれているようなものに価値などありはしないが。
「なるほど……すごいな」
まじまじと箱の中を眺める。機能は既に停止しているが、ただの箱ではない。箱には氷魔法の術式が刻み込まれていた。継続的に魔力を供給することで、中身を冷やすことを目的とした箱だ。
高い技術水準。それが庶民レベルにまで浸透している。隔絶した文明の差がそこにあった。氷魔法はあちらでも重宝されているが、ここまでシステマティックに利用されてはいない。こういったものが作られ普及するには、途方もない時間が掛かるだろう。
商人や卸売り業者などは食料の鮮度を保つ為に大抵氷魔法が使える者を雇っている。釣った魚、仕留めた獣、それらの鮮度を保ち遠方に送るには必須の工程だからだ。
魔法とは応用だ。魔法が使えれば魔法使いになるという安易なものではない。魔法とはそもそも何なのか。攻撃手段や防御手段、そういったものとして利用することは一側面にすぎず、その用途は多岐に渡っている。
少しでも魔力の素養があれば、それをどう利用するかによって様々な道が開けている。だが、この箱はそんな属人的なものではなかった。人の手を使わずに魔法を体現する装置。誰もが使えて便利で制限がない。魔法を体系化した技術。それが『機械』だった。
「……さしずめ冷蔵庫と言ったところか」
これがあれば、いつでも新鮮な料理が食べられるし、食料の長期保存も可能だ。修理することができれば、まだ使えるかもしれない。無理でも機械の構造を学べば、新たに作り出す事も可能だろう。
途切れている魔力の供給。魔力を流し込んでみるが反応はない。完全に機能を停止していた。そう上手くはいないかと嘆息するが、ふと思い出す。ゼオルと共に見たエネルギープラントは、こうした街のあらゆる機械に魔力を供給していたに違いない。
ゆえにあれだけの動力炉が必要だったし、魔力増殖炉のようなものが開発された。それが文明を滅ぼすことになるとは皮肉なものだが。
探してみれば、幾らでも残骸は見つかる。シェーラ達が脱出の際に用意していた船も、クレイス達には及びも付かない技術だった。
クレイスにはここでやるべきことが一つだけあった。ただの自己満足だが、別に時間制限があるわけでもない。どちらかといえば、時間制限があるのはあちらの方だ。クレイスが準備を終えたとき、既にあちらは滅んでいるかもしれない。
ミロロロロロには伝えてある。どうにかするのは彼女達だ。どうにかする方法も分かっている。実に馬鹿げた世紀の大茶番。ネタバレされた物語。ただしその主役はクレイスではない。どこまでいっても部外者で、どこまでいっても無関係だ。
たった一人によって救われるような脆弱な世界なら、それこそたった一人によって滅ぼされることもあるかもしれない。ならば、その一人以外の者達に存在価値はあるのだろうか。そんな思いに耽るが、その答えがきっとこれから出るのだろう。
とはいえ、これからやろうとしていることを思えば、自らもゼオルと大差ない。大罪人であることには違いないのだから。
ここからクレイスが出たとき、もし仮にあちらの世界がこうして滅んでいたとしても、なんの未練もなかった。会いたい人も、やりたいこともない。滅んでいるのなら、復讐さえも成し遂げられている。
この物語に主役はいない。助ける求める声が誰かに届くことはない。何一つ都合良くいかず、何一つ正解を選べなかった世界で、みっともなく足掻くだけしかできない。
「――それでも俺は」
幾万もの可能性、分岐点。
その全てを放棄して、辿り着く未来にあるものは――。
◇◇◇
――二年が経過していた。
この間、クレイスは研究に没頭していた。高濃度魔力地域と呼ばれるこの場所で、誰に邪魔されることなく一人打ち込んでいた。資料もサンプルも大勢存在している。過去の叡智、その全てを理解できたわけではない。そんなことは不可能だが、それでも研究は捗った。
やるべきことは決まっている。その成果を出すにはどうすれば良いのか予想も付いていた。必要だったのは、膨大な魔力の代替手段だ。クレイスが持つ魔力を以てしても不可能な奇跡を成し遂げるに必要な程の。
この場所ならそれが実現可能かもしれない。そう踏んだクレイスはこの場に留まった。言ってしまえば、これも暇つぶしの一環なのかもしれない。
完成した全長三キロもある巨大な魔法陣。計算では出力はこれで十分足りるはずだ。後は発動するだけ。それで全てが終わる。
だが、それ以前にもう終わっているのかもしれない。だとすれば無駄な努力だ。切り離されたこの場所には、何の情報も入ってこない。それが心地良くもあったが、もしかしたら、この世界には既に自分だけしか生き残っていないのではないかと、そんな錯覚さえしてしまいそうになる。
ゼオルは目的を果たしたのだろうか。ミロロロロロはトトリトートはマリアは。生きているのか死んでいるのかも分からないが、全員死んでいてもおかしくない。
時間を掛け過ぎたつもりはなかった。どのみち関わるつもりなど最初からない。物語の主役が彼等達なら、自分はそこから降りてドロップアウトしただけの傍観者でしかない。
ふわりと身体が浮き上がる。魔力の使い方も変換効率も二年前の比ではないくらい向上している。強くなっていた。――何の意味もない程に。
引きこもる時間は終わりを迎えた。
転移を使い、あちら側に戻る。
河川も森林も、何もかもが異なっている。物理法則、魔力濃度、それらの違いが、こちら側に戻ってきたことを実感させる。新鮮な空気、薄い魔力に足元が覚束ない。
視界が開ける。
眩しいまでの陽光が照らす。
引きこもった果てに二年ぶりにみた世界は
――焦土と化していた。




