第62話 価値
「なにをやっているんだろうな俺は」
雨が振り始めていた。濃密な魔力に満ちた水滴が、しとしとと身体を濡らしていく。時空鞄から取り出した傘を差し、上空から眼下に見下ろす。
高度を下げ、灰色の地面に足を下ろす。硬質な感触は、自然物ではなく、かつては整備されていたことを暗に示していた。
その都市は森林に半ば飲み込まれるように存在していた。残骸か成れの果てか、いずれにせよ栄えていたであろう過去からすれば、今の目の前に広がる光景は、その終局。滅びた後に、僅かばかり残った痕跡と言えるのかもしれない。
ここは震源地。魔力濃度の濃い方を目指して進んできたが、到着してみればどうということはない。こうして都市を発見したが、自分以外他に誰も目撃者がいない現状、それは存在しないのと変わらない。もっとも、何かを公表するつもりもなかった。
歴史学者でもなければ、遥か過去に何があったのかなど特段関心を持たないだろう。人は未来を目指して生きている。過去の真実を知るより、今日食べる食事が豪勢になった方が嬉しいし、賃金が上がって生活が楽になることの方が重要だ。
過去は変えられないのだから。未来だけが変えられる。今更、取り返しのつかない過去に思いを馳せてもなにもならない。真実など、誰も求めていない。
どれほど願っても、どれほど望んでも欲しかったものは手に入らない。記憶から忘れられ、風化していく。この都市と同じように。
「こんなところに何があるってんだ」
明らかに、帝国や王国を遥かに上回るような高度で巨大な建造物、見た事のない建築様式、魔力を元に稼働していたであろう機械、何もかもが文明レベルの違いを指し示している。標識、看板。書かれている文字は古語だろうか。時間を掛ければ読み解けなくもないが、そのつもりはない。
ただ真っ直ぐに足を進める。
何かが見つかるというのだろうか。そんなものに、なんの興味もないというのに。
◇◇◇
「もーどうしてなんですのーどうしてなんですのー!」
ミロロロロロは駄々をこねていた。ちょっと散歩に行ってくると軽いノリで出掛けた男の行き先は禁足地だ。付いていこうにも邪魔と言われれば、従わざるを得ない。彼がいなければ自分達は立ち入ることさえもできないのだから。
だからといって、置いていかれたことが面白くないのも事実だった。
「あの、ミロロロロロさんはお仲間ではないのですか?」
おずおずとエルフの族長トトリトートが質問する。億劫に身体を向けてミロロロロロは答えるが、拗ねた態度が隠しきれない。
「ぶー。仲間だと思われているなら光栄ですわね!」
「そ、そうなのトトちゃん?」
困ったようにトトリトートは視線を妹のトトリートに向けるが、妹の反応もまた同じようなものだった。
「あはは……。そうですね。クレイス様はきっとそんなこと思っていないはずです」
「あの方は、誰も必要としていませんので」
「は、はぁ」
一言二言しか言葉を交わしていないトトリトートには今一つ実感が湧かないが、多少なりとも彼と過ごしていた二人が言うのならそうなのだろうと納得する。
「お礼をしなければならないわね……」
トトリトートからすれば命の恩人だ。それこそ、その魔獣の件も含めて仮に金銭を請求されれば幾ら払っても足らないくらいだ。
「止めておいた方が良いですわ。ダーリンも受け取らないでしょうし」
「そ、そういうわけにはいきません」
「コホン。大変失礼ですが、あの方を見ていて分かったことがあります。トトリトートさん、本人の前でこう言うのは失礼ですがお許しください。彼は、本当は貴女がどうなっても別にどうでも良かったんだと思いますわ」
「私が、エルフの族長だから助けようとしてくれたのではないのですか?」
トトリトートの顔に困惑が浮かぶ。自分を助けようとしてくれたから、わざわざ危険を犯してまでエリクサーの原料を取りに行ってくれたのではないのだろうか。トトリトートが持っていた人物像がどんどん崩壊していく。
だとしたらどうして自分を助けてくれたのか――
「重要なのは結果です。貴女は助かった。それでいいではありませんか」
「ですが、族長として礼を返さないわけには――!」
「トトリトートさん。そんなにその立場が重しなら、捨ててしまえば良いではないですか」
「なっ――!」
「あの言葉、どう思われましたの?」
蒸し返されるとは思っておらず、トトリトートは言葉に詰まる。胸の内を当てられたかのように、見透かすように放たれた言葉は深く心に根を張っていた。
「申し訳ありません姉上。姉上がそんなに苦しんでいるとは知らず、私は暢気に姉上に頼ってばかりで――」
「ほ、ほら。泣かないでトトちゃん」
えぐえぐと泣き出すとトトリートの背中を摩りながら、反芻する。そんな選択肢が、自分には本当に存在しているのだろうか。
「私だって答えられませんでしたわ。目の前に困っている人が助ける。なら、目の前じゃなければ助けなくて良いのでしょうか。全員を助けることなど出来ませんが、なら自分は何処まで助ければ良いのか。何故、自分が助けなければならないのか。まったくもって冷たいようですが、その通りです」
「【聖女】を辞めたいと思った事はないのですか?」
ふと、そんな疑問が頭によぎり、ミロロロロロに質問してみる。
「自らなりたくて選んだ道ではありません。選ばれたのだと、栄誉なのだと最近まではそう思っていましたわ。ですが、今は分かりません。きっと、もし本当に私が辞めたとしたら、私に変わる誰かが補充されるだけなのではないかと、その程度ことなのだと、そういう気がしています」
それはまるで用意していた言葉のように澱みがなかった。【聖女】でさえも、そんな風に思うのなら、自分が今拘っているその地位に、どれだけ価値があるのだろうかとトトリトートはぼんやり考えていた。
「姉上は五大老達に都合良く利用されているのです!」
「ですが、それでも私は族長として――」
なさなければならないことがある。そう口に出そうとして疑問に思う。何を? と。自分が本当にしなければならないこと、自分ではないと駄目なことがあるのだろうか。魔獣の討伐も、傷一つ付けられずに失敗した。無謀な行動。結局はそれが余計な手間を生み出し、魔獣は彼によって苦も無く討伐されたという。
「私は、無価値なの?」
ポツリとトトリトートの口から零れる。
ミロロロロロもまた、言葉を返した。
「誰もが、等しく無価値なのです」
それが、人類最高の価値を持つ【聖女】が得た結論だった。




