第2話 黒蘭宝珠
「うーん、久しぶりに帰ってきたわね! これよこれ! 私の居場所はここだったのよ!」
健康的な褐色肌を思い切り空に伸ばして、ニウラが身体をほぐす。
ここまで馬車に乗ってきたので、身体の節々が固まっていた。
ぐるぐると肩を回しながら揉み解すと、凝り固まっていた筋肉が徐々に弛緩していく。
「ニウラ、今回は協力してくれてありがとう」
「ううん。私も久しぶりに故郷に帰れたし、ま、帰省みたいで楽しかったわ」
ニウラは5年ぶりに家族と再会したらしい。最も、ニウラは顔を見せた途端に家族から、危険な冒険者なんて止めて帰ってこい、孫の姿はまだかなどと、散々責め立てられて辟易していたりもしたのだが、それは俺には関係ない。
「そう言ってもらえると助かる」
「パパもママも元気そうだったしね。それにしても、無事に確保出来て良かったわ。貴方が粘るのには困ったけど。でも本当に良かったの? ギルドからの報酬を全部貰うのは流石に割に合わないと思うんだけど……」
王都から程遠いブランデンの街の一画で、俺は一緒について来てくれた相棒に素直に感謝を述べた。自分だけでは決して得られない成果であり、そしてそれは俺の未来を決定付けるものだ。
今回俺はある目的の為にソロで冒険者をしているニウラと即席のパーティーを組んだ。普段は別のパーティーを組んでいるが、現在は次のクエストに向けて待機中であり、時間が空いていたのだ。
「いいんだ。俺が欲しかったのはコレだけだから」
「わざわざ買えるのに自分で取りに行くなんて、クレイスもモノ好きよね」
「既製品だと、本来の意味合いと変わっちゃうからな」
「そんなのお伽話じゃない」
目の前の女性、ニウラの言葉に思わず照れ笑いを浮かべる。手に持っていた漆黒に染まる小さな丸い石を大切にしまう。
「約束したんだ。あいつは憶えてないかもしれないけど。だからどうしても渡したくて」
「妬けるわねー。そんなに好きになってもらえて、羨ましい限りだわ」
こちらの好意を煩わしく思っているであろう幼馴染の顔が浮かび、かぶりを振る。
「ま、あっちの方には俺は嫌われていると思うけど」
「えっ、本気で言ってるの!? 男にそこまで想われてトキメかない女なんていないでしょ」
ないない。きっとアイツからしてみれば、「は? あんた馬鹿なの? 死んだら? 足舐める?」なんて言われるのがオチだろう。俺は決して舐めたりしないがな!
「当たって粉砕骨折の精神だよ。あ、そうだ俺からもニウラに報酬を渡したいんだけど、うーん……なにがいいかな? そうだ、このダガーとかどう?」
「いや、砕けすぎでしょ。――って、ちょっと待って! これって……トリストンダガーよね? はぁ。まったくSランク冒険者様の懐具合ときたら……」
呆れた様子のジト目のニウラに苦笑する。
あれ、良い選択だと思ったんけど、微妙だったかな?
トリストンダガーは珊瑚とドミニオンタートルの甲羅を加工して作った特殊なダガーであり高価な品だ。碧色がかった刀身が美しく非常に頑丈なのだが、購入するなら700000ジルはくだらないだろう。とある伝手で手に入れたものの俺が持っていても仕方がない一品だった。シーフのニウラなら使う機会もあるだろうと思ったのだが……。
ま、まぁ、別に質屋に持ち込んでももらっても構わないしね?
◇◇◇
俺とニウラは1週間掛けて海沿いの辺境に造られた港町ザックラブまで行っていた。
ようやく帰ってくることが出来たが、といってもクエストはあくまでもついででありギルドのお使いのようなものだ。本命は別にあり、それにはザックラブ出身のニウラの協力が絶対不可欠だったのだ。
【黒蘭宝珠】
ブラックパールの1種と呼ばれるそれは黒蘭蝶貝から取れる。
浅瀬の岩礁で取れる黒蘭蝶貝は見つけるのが難しく、ザックラブに行ったことがない俺では生息地を見つけるのは困難だと思えた。そこでザックラブが出身というニウラに声を掛けたのだった。
黒蘭宝珠は、ある意味では冒険者に取って良く知られた宝珠だった。
それは冒険者にとってのお伽話の一つ【アンネの回顧録】(因みにギルドにも置いてある。全③巻)に登場する宝珠であり、アンネとルイドという2人の冒険者の恋物語に由来する。
物語としてはありきたりな恋愛譚で、冒険者という危険な職業を選んだ2人が愛を誓い、その証として互いに送ったものというだけなのだが、その逸話が今でも冒険者の中では語り草になっており、自分の好きな相手に黒蘭宝珠を贈り愛を誓うことは、冒険者なら誰もが夢見るロマンスだった。
黒蘭宝珠は購入することも可能だが、その由来を考えれば、自分で見つけて渡してこそ意味がある代物だろう。
「そんなことより良いの? もう彼女を1週間も放ったらかしにしてるんでしょ。そろそろ会いに行ってあげないと、それを渡す前にフラれちゃうかもよ?」
「その覚悟もしてるさ。待ってくれているなんて思ってない」
「夢のない話ねぇ。私だったらイチコロなんだけど」
「ニウラにも素敵な人がきっといるよ。それに俺も本当はもうちょっと早く帰りたかったけど、やっぱりこういうのは大きい方が良いのかなってさ」
手に入れたばかりの黒蘭宝珠を大切そうに撫でる。
「サイズなんて拘らないわよ。貰えるだけで気持ちは伝わるんだから」
「そんなものかな?」
「えぇ、そうよ。だから早く会いに行ってあげて」
これを渡したらアイツはどんな顔をするだろう?
喜んでくれるだろうか? 受け入れてくれるだろうか?
いや、こんなものでアイツが喜ぶことはないだろう。
これまであいつに近づいてきた男達だって、これくらいのものは用意していた。
だが、それで喜んでいる姿を見たことがない。
ここまで待たせすぎたという自覚はある。それが悪かったんだろう。
優しかったアイツが、だんだん俺のことを疎ましく思うようになってきているのを感じていた。
特にここ1年くらいは、昔みたいに上手く話せていない。
パーティーが3人になってからは、その傾向が顕著になり、それが寂しくもある。
喧嘩をしているわけじゃない。
ただいつも、アイツは不機嫌そうにしていて、俺に対して厳しい言葉を投げつける。
最近のアイツの態度は、俺のことを嫌いになったと思うしかない。
それはそうだ。アイツは美人な上に、それも【剣聖】という貴重なギフトを授かっている。
何の才能もない俺が並び立てる人間じゃない。
――本当は自信がなかった。
――だから焦っていた。
黒蘭宝珠を用意したのは、臆病さからだった。少しでも前みたいな関係に戻りたかった。
いや、戻りたいのではない。これまでの関係から前に進みたかったのだ。
だから【リンネの冒険譚】なんてお伽話に縋った。
これまでにもアイツは沢山言い寄られていた。
それを見て、いつか自分じゃない誰かと一緒に離れていくのではないかと、いつも不安だった。
あの日、2人で成人になるまで“そういうことはしない”と約束し、アイツの18歳の誕生日に告白すると伝えた。だから、それだけは覆したくはなかった。そんな約束一つも守れないような男が、アイツの隣に立つ資格なんてないと思っている。
一足早く18歳の成人を迎え、俺はこの日を心待ちにしていた。
あの悪女に心をボロボロにされた俺の隣でずっと寄り添ってくれたアイツに気持ちを伝える。
その為に相応しい冒険者になる、それだけが冒険者としての俺の矜持であり、島を出てからこれまでの人生であり、努力の全てだったと言えるだろう。
パーティーだって、アイツはずっと2人のままで良いと言っていた。
なのに、ギルドマスターの斡旋を受けて最終的に4人までメンバーを増やしたのは俺だ。
アイツの才能を埋もらせたくなかった。
それに俺は急いでSランクに上がりたかった。
そうすれば自信が付くと思っていたからだ。
しかし、Sランクパーティーに昇格し、周りから称賛されるようなパーティーになっても、依然として俺は臆病のままだ。俺には何の才能もなく、周囲は才能ある人間で溢れている。それはあの頃と全く同じで、場違いなところに自分がいるような気がしてならない。
裏切られた記憶は今も脳裏に焼き付いて離れない。
今度はいつか、アイツにも裏切られるんじゃないかと怯えている。
もっと触れたい、もっと触れ合いたい――いつも、そう思っていた。
初めて出会ってから10年以上経っていた。心変わりもしているだろう。
この告白は成功しない。
そう、俺には分かっていた。
でもこれは、けじめだ。
例えフラれるのが分かっていたとしても、俺を立ち直らさせてくれたのは紛れもなくアイツで、俺はそんなアイツが好きだったのだから。
男クレイス一世一代の大勝負。
だからこそ、キチンと責任が取れる年齢になるまでアイツのことを俺は大切にしたかった。
だけど、それは俺にとってもあいつにとっても、あまりにも長い時間で、2人の関係が変わっていくのに十分な時間でもあった。
もし、アイツに他に好きな人がいるなら、そのときは素直に諦めよう、祝福しよう。
少なくとも、それが出来るくらいには幼馴染として年月を重ねたのだから――。
でも、もし受け入れてくれたのなら――
そのときは、この停滞から前に進もう。
そんなありもしない都合の良い想像に自嘲する。
黒蘭宝珠、こんなものに頼っている俺にアイツが振り向くことはない。
「きゃ!」
突然、強風が吹いた。
よろけたニウラをとっさに抱きとめる。
「アイタタ。目にゴミが入っちゃった」
「大丈夫か?」
「うん、平気だと……思う。よし、取れた!」
ニウラはうるうると目を潤ませているが大丈夫そうだ。
5日後、その日はやってくる。
どんな答えが返って来ても、俺は受け止めよう。
それだけの時間を一緒に過ごしてきた。それだけが俺にある唯一のアドバンテージだ。
マーリーに裏切られて消沈していた俺を救ってくれた幼馴染。
12年間ずっと傍にいてくれた、好きだと言ってくれた幼馴染。
ヒノカの誕生日はもうすぐだ。
さぁ、ヒノカの所に帰ろう。