第1話 追放
「落ちこぼれは所詮、落ちこぼれということか。お前は追放だ」
見上げんばかりの巨躯を持つその男は、その身に纏う覇気とは裏腹に、まるで何の感慨もなく、それがただの事実確認であるのような無関心さでそう言葉を放った。
洗礼の儀を終えたクレイスは、その侮蔑のこもった言葉に身を固くする。それはクレイスにとって最後の希望であり、そして今まさにその希望は潰えた瞬間だった。
同席していた同門達のクスクスという嘲笑が胸に突き刺さる。
大陸3大国家の一つ、エクラリウス帝国には9つの貴族が統治している。
しかし、この国において最も長い歴史を持つ大貴族は別にある。
それが10番目の貴族ウインスランド伯爵家であり、その影響力は他の9貴族を遥かに上回っていた。
しかし、その存在は秘匿され表向きには知られていない。
その理由はウインスランドという家の特殊さにあるが、最も単純な理由としては、帝国の貴族として領民を抱えていないということである。つまり、ウインスランドは統治の義務を負っていない。
ウインスランド伯爵家の領土は帝国領の小さな島カラマリスにある。
その島では一般市民はおらず全てがウインスランド家の者で成り立っている。それが帝国の影、存在しない10番目の貴族ウインスランドという家だった。
ウインスランド家は帝国を築き上げた初代国王、賢帝エリガルの右腕として仕えた【剣神】マリアルによって興された家であり、その功をもって伯爵の地位を得た。
【剣神】マリアルは帝国を支える<帝国の剣>として、ウインスランド家を興す。
以来、ウインスランド家の代々<帝国の剣>として帝国に仕え、その使命を全うしてきた。
帝国の発展と共に尽くしてきた<帝国の剣>。
それはウインスランド家の人間にとって誇りであり、<帝国の剣>足るその家は、弱者の存在を許さない。
弱者である僕、ウインスランド本家の4男、クレイス・ウインスランドは、たった今、ウインスランドの家名を失ったのだ。
「今すぐこの島から消えろ。お前には何の価値もない。二度とウインスランドの名を語るな」
19代目当主であり、僕の父でもあるその人、【剣聖】オーランド・ウインスランドはまるで虫けらでも見るかのように一瞥すると、すぐにその場から立ち去ってしまった。
別れとなる、その言葉だけを残して。
クレイス・ウインスランドには戦士として才能が何もなかった。
毎日ひたすら剣を振っても、がむしゃらに槍を突き出しても、どれだけ身体能力の向上に努めても、クレイスの成長は遅々として進まなかった。そして、それはこの家においては無価値と同義語だ。
最後のチャンスが6歳の時に発現する「ギフト」だった。
そのギフトがウインスランド家にとって有用であること、それだけがクレイスがこの家に残る為の唯一の希望だったのが……。
「どうして、どうして僕はこんなに無力なのかな……」
無力感に苛まれ、あまりの惨めさに涙がこみ上げる。
これまで自分なりにあらゆる努力をしてきた。少しくらい報われても良いのではないかと、そんな思考がグルグルと頭をかき回す。
6歳の少年は洗礼を終え、ただただその結果に悲観することしか出来ない。
授かったギフトは【聖杯】という使い道も良く分からない聞いたこともないギフトだった。
この家では戦闘系のギフト以外に存在価値はない。
帝国の武力の象徴ウインスランドに求められているのは純粋な力だけだからだ。
ウインスランド家は<帝国の剣>として力を発揮するべく、ギフトに合わせて表裏八門の家に振り分けられている。皇帝を護衛する直属の騎士団、近衛第一騎士団の団長は表一門エドル家から選ばれるといったような具合だ。裏門とは工作や潜入といった暗部を専門とする家である。
クレイスが得たギフトがそのどれにも該当しないのは明らかだ。
戦闘に長けたギフトを獲得すれば、その瞬間一気に身体能力が向上するが、クレイスには何の変化もない。
「お疲れさん。やっぱりゴミはゴミだったな」
「お前みたいな奴が、同期っていうだけでも恥ずかしかったからな。消えてくれて清々するよ」
ヘラヘラと笑みを浮かべながら嘲笑してきたのは、広間で洗礼の儀を見ていたリドラ・エンドバーとニギ・マギだった。
リドラは年齢に似合わない逞しい身体を持ち、ニギは細身だが良く見ればしっかりと筋肉に覆われていることが分かる。
この2人は既に表門への配属が決まっており、ギフトもそれに相応しい【剛剣士】、【上級槍士】といった戦士としての最適解を授かっている。
「未だに【門】すら開けないなんて、なんでお前みたいのがウインスランドにいるんだ?」
「クク……。最もクレイスの場合、仮に【開門】しても大したものは出てこないでしょうけどね」
あらゆる武を集め研鑽・開発してきたウインスランド家には、本来帝国のルーツには存在しない武力を隠し持っている。その一つが【門】だが、クレイスは初歩中の初歩である【開門】にすら一度も成功したことがなかった。
「本当になんでクレイスみたいなゴミが本家なんだろうね」
「折角ギフトを授かったんだし、俺らが実験台になってやるよ。ホラ、攻撃してみろ!」
「グッ……!」
リドラに殴られる。重たい一撃がクレイスの下腹部に突き刺さる。
思わず、せり上がってきた胃液を吐き出す。
クレイスにはどうあっても届かない戦士としての力。
クレイスが目の敵にされるのは、クレイスが本家の人間だということも影響している。
幾ら武の強さで全てが決まるとは言え、本家と分家ではやはりそこには格差が存在していた。
自分達より弱いクレイスが本家の人間である。
それはこの島に住んでいるものにとって、妬みや嫉妬といった感情を想起させるのに十分なものだった。
「追放なんてまどろっこしいことしないで、この場で殺してやろうか? どうせお前なんかが“外”に行ったって生きてけねぇしよ」
ニヤニヤしながらリドラが嘲る。
ウインスランド伯爵家があるこのカラマリスは、外の世界と分断されている。島外との交流は最小限に留められており、基本的には島外任務などで外に出るか、騎士団に入るといった以外は、この島で自らの「武」を研鑽し続けることを課せられている。
何故、島に留まる必要があるのか、そこには一つの大きな理由が隠されているが、とはいえクレイスがそれを知る由もない。
そして、クレイスが虐めの標的にされるのも日常だった。
力を信奉するこの島では力を誇示することが咎められることはない。むしろ強くなるばなるほど、上へと登り詰めることが出来るこの島において、戦士達の衝突は日常茶飯事のことであり、それが当たり前の日々だった。
例えば今クレイスがこの場で2人を打倒すことが出来れば、周囲の見る目も変わり、クレイスは表裏八門の何処かに所属することくらい可能だろう。だが、クレイスは、まるで勝てるとは思わなかった。それくらい隔絶した力の差が存在している。
この島で最弱のクレイスは常にターゲットであり、武力の誇示という名目の下、実際には暴力のはけ口として虐げられていた。
「そこら辺で止めておいたら?」
殴られ続けるクレイスの耳に、空気を引き裂くような凛とした声が響いた。
間断なく続いていた暴行がピタリと治まる。
赤みががかったのツインテールが揺らめき、朱色の瞳がクレイスを見据えていた。
マーリー・クリエール。
裏一門ザリス家の令嬢でありクレイスの許嫁だった。
「あ、ありがとうマーリー」
ヨロヨロとクレイスが立ち上がる。こうして暴行を受けていると、いつもマーリーが助けてくれる。マーリーはクレイスにとって、母親以外で唯一信頼のおける味方だった。
「ようマーリー。お前もギフトを授かったんだろう?」
「えぇ、私は【伊邪那岐】を授かったわ」
「ひゅ~♪ やりますねぇ。ザリスの奇跡をキッチリ受け継ぐなんて、やはりザリス筆頭の座は君のようだ」
「まだ、分からないわよ。それよりもクレイスはもう出ていくのよ。そこまでにしときなさい」
「わかったよ。俺もジジイに呼ばれてるしな。じゃあなクレイス。俺が任務で外に出たとき、お前を見つけたら殺してやるよ」
「アハハ。ま、“外”なら誰も気にしないよね」
歪んだ笑みを浮かべながら立ち去るリドラとニギ。
マーリーが大きなため息を吐く。
「あ、あのマーリーごめんね? 僕やっぱり駄目だったみたいだ」
「急ぎなさいクレイス。既にこの島に貴方の居場所はないのだから」
矢継ぎ早にそれだけ言うと、マーリーは足早に去っていった。
◇◇◇
翌日。準備を済ませたクレイスは島から立つ船に向かう。
追放という処分に驚きはなかった。こういう日が来る予感があったし、この島から出られるということにクレイス自身も喜びを感じていた。
この島での生活はクレイスの優しい心を少しずつ削り取り、蝕み始めていた。
他者からの暴力のはけ口にされている一方、クレイス自身にははけ口が存在しない。徐々に憎悪が沈殿していく気持ち悪い感覚、自分が塗り替えられてしまうような悪意が僅に、だが確実にクレイスの心に積もっていた。
それでもクレイスが心を壊さなかったのは優しい母のおかげだった。
クレイスは道中、昨日の母親クランベールの言葉を思い出す。
母の見せたその泣き顔にジクリと心が痛んだ。
母は病気を患い、身体が弱っている。大丈夫だろうか、それだけがクレイスの心配だった。
(冒険者か……。母さんは僕のギフトのこと、何か知っていたのかな?)
クレイスのギフトを聞いた母親のクランベールは、驚きに目を見開くと、優しくクレイスの頭を撫でた。
『ごめんねクレイス。貴方に辛い思いばかりさせて、守ってあげらなくて。貴方は優しすぎるだけなの。あなたの価値はこんな島にいる連中には分からない』
(母さんはあまりこの島が好きじゃないみたいだった……)
『貴方は強い。この島での強さなんて“外”では何も意味なんてないんだから。貴方は優しく育った。その優しさを持つ貴方はこの島の誰よりも強いの』
抱きしめられた温かさがクレイスの心を軽くする。しかし、その母親の温かさを感じられるのもこれが最後だと思うと、胸が締め付けられた。クレイスもまだ6歳、甘えたい年頃である。
『母さん、僕はこれからどうすれば良いのかな?』
胸中に複雑な想いが去来する。不安と葛藤。
外で生きていけるのだろうか、外でも同じような目に遭うのではないだろうか。
誰もが母さんやマーリーのように優しければ良いのに……。
『いずれ誰もが貴方を放っておかなくなる。貴方の価値も分からず追放するなんて、ウインスランドがこんなに馬鹿の集まりだったなんて。貴方はこんな脳筋になっては駄目よ?』
クレイスは兄妹と血が繋がっていない。
母はオーランドの2番目の妻であり、子供はクレイスしかいない。
それが、クレイスが目の敵にされる理由の一つでもある。
『そうね、冒険者を目指すのが良いかもしれないわね。自由に生きて、何者にも縛られず、貴方らしく生きれば良いの。そして貴方が心から信じられる人を探して、心から誰かを好きになったら、きっとギフトが答えてくれるわ。そして貴方の眼で世界を「視る」のよ。この世界で貴方だけが、貴方こそが――――』
(何を言ってるのか分からなかったけど、母さんは真剣だった)
まだ6歳のクレイスにとって母の言葉は難解だったが、冒険者という言葉はクレイスの胸に深く刻まれていた。生き方を定められているこの島では得られない<自由の象徴>。それはクレイスにとっては、この上なく魅力的に映った。
「マーリー?」
波止場に着くと、マーリーが待っていた。見送りに来てくれたのだろうか、マーリーはやっぱり優しいなとクレイスは思った。
マーリーはクレイスの許嫁だったが、それはこの島では珍しいことではない。
優れたギフトを持つ者の子供は、同じように優れた資質を持ちギフトを受け継ぐ可能性が高い。
【剣神】マリアルがウインスランド家を興したのもその為であり、マリアルの【剣神】の血を絶やさないようにすることが目的だった。そうすれば、いつかまた何処かで【剣神】のギフトに発現する者が表れるはずという期待が込められている。
そしてその期待はいつしか絶対的な家訓へと変質していく。
一方、貴族でありながらもウインスランド伯爵家は武術に優れた才能を“外”から受け入れることにも注力してきた。純血統主義には拘らなかったのである。
そうして類稀な両親から血を受け継ぐ子供は、やはり類稀な才能を見せる可能性が高く、それが帝国の武力の核心となっていた。その為には、時に才能に溢れる兄妹間で婚姻が結ばれることもあり、過去には父親が娘に子供を産ませた例もあった。
近親相姦も辞さない、徹底的な武力の濃縮。
それこそが10番目の貴族ウインスランド伯爵家を公に出来ない理由だった。
クレイスにマーリーがあてがわれたのも、当初は本家の4男として期待されていたからであり、マーリーが裏一門ザリスの血を色濃く受け継ぐ才能の持ち主だったからである。
「最後に一つ言っておきたいと思って」
「うん。えっと、ごめんね、君と結婚できそうもないや。ハハ……こんな僕に君は勿体ないよ」
申し訳なさそうに謝罪するクレイス。
追放された以上、許嫁も解消される。当たり前のことだった。
「はぁ、あのねクレイス。貴方は知らなかったかもしれないけど、私はもうとっくにメテウスの許嫁なの」
「えっ……そうだったんだ」
ここにきて突然明かされた事実に驚きを隠せない。
メテウスとは表二門ロウガ家の嫡男であり、若手の中でも屈指の実力を持つ戦士だ。この島でも上位に位置する力を持っている。
マーリーが髪を指で弄る。それがイライラしているときの仕草だと、クレイスは知っていた。
「あのね、私がアンタにこれまで優しくしてきたのは、もしかしたらアンタが何か貴重なギフトを獲得するかもしれない可能性があったから。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでもそのミジンコ並の淡い可能性を気にしていただけなの。でも結局アンタはいつも通りゴミでしかなくて、私の労力は全てパーよ。どうしてそんなに無能なの? 馬鹿なの? 死ぬの? なんかもー本当に無駄な時間だったわ!」
「マ、マーリー……? なに言って―ー」
これまでずっと味方だと思っていたマーリーの豹変に動揺を隠せない。
同年代の中でマーリーだけがクレイスを助けてくれていた。マーリーの存在は心が擦り切れそうなクレイスにとっての支えだったのだ。
だが、今マーリーはこれまでクレイスが聞いたことがない、これまでずっとクレイスを苦しめてきた連中と同じことを口にしている。
「これまで散々アンタみたいなゴミの世話をさせられて苦痛だったの。私の貴重な時間を返してくれない? むしろ時給払って? なんでアンタみたいな完全無欠のド底辺のゴミクズが私の許嫁だったのかしら? おぞましい! あぁ、もう虫唾が走るわ」
――あぁ、そうか。マーリーもウインスランドだったんだ――
そんな当たり前のことが酷くショックだった。
ドス黒い感情が噴き出すのを抑えきれない。
クランベールはクレイスのことを優しく育ったと言ったが、内心クレイスはそれを否定していた。優しいのではなく、力への嫌悪があるだけだった。クレイスがこの島で見てきたのは、力を使って人を貶めることしか考えていない奴ばかりだ。
「どうしてアンタを助けてきたか分かる? なんの才能もない役立たずはどうせ追放される。私がゴミの世話をやっていたのわね、散々くだらない労力を掛けさせてくれたアンタを嘲笑してやりたかったからなの。だから優しくしてアンタを喜ばして、そして私を信頼して、最後の最後に何も知らないクレイスを絶望に叩き落してやろうと思ってたの! 今、どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち?」
マーリーの嘲笑が木霊する。
靴で石畳の上をトントン叩きながら、愉快そうに嘲笑う。
「やめてよマーリー! 聞きたくない!」
「だからねクレイス。これが私達の交わす最後の言葉」
マーリーの朱色の瞳が呆然としているクレイスを映し出している。
この上ない愉悦を浮かべて――その女は言った。
「ざまぁ」
なるべくエタらないよう終わらせます。
多分そんなに長くならない予定。