前略 異世界の女勇者様
「ただいま」
帰宅時にそんな言葉を言うのが習慣になっているが、返事があるはずもない。気楽な一人暮らしである。
僕の名前は柳沢慎司。二十四歳の会社員だ。従業員二十人程度のソフトウェア開発会社で、プログラマーとして働いている。
この業種にしては、残業も少なく、定時で帰ることが多い。
今日もいつものように、築三十年のボロアパートの六畳間で一人寂しくコンビニ弁当を食べていたのだが、ふと、机の引き出しが開いていることに気付いた。
おかしいな、ちゃんと閉めたはずだったんだが。
立ち上がって、机に近づく。きっちり閉まっていないと、どうも落ち着かない。
ん?
引き出しを閉めようとしたところ、中に入れた覚えのない便せんが入っているのが目に入った。手に取ってみると、その便せんにはびっしりと字が書きこまれている。
僕は不審に思いながらも、その便せんを読み始めた。
『この手紙を読んでくれている方へ。私の名前はレリア・ヘザード。日本にいたころの名前は佐藤麗奈といいます。私は今、アクロセビアという、日本にとっては異世界にいます』
なんだこりゃ。異世界だって? 時代遅れのライトノベルじゃあるまいし。なぜこんなものが机の引き出しに入ってるんだ?
『貴方にはとても信じられない話だと思います。でも本当なんです。私は十七歳の女子高生でした。かつては両親と弟と共に暮らしていました。弟は十五歳で、同じ高校に通っていました。
ある朝、弟と一緒に登校していたときのことでした。突然トラックが歩道に突っ込んできたんです。私はとっさに弟をかばおうとして、彼を突き飛ばし、自分はトラックにはねられて死んでしまいました。
でも、信じられないことが起きました。気が付いたときには、あたり一面が真っ白な世界にいたんです。そして目の前には、見たこともないような美しい女性が立っていました。
彼女は、自分は神だと言いました。そして私に告げました。”貴方はまだ死ぬ運命にはありません。貴方の肉体は死にましたが、魂はこうして生きています。もし貴方が望むなら別の世界へと転生させることができます”と』
トラックにはねられて異世界転生、という設定の物語が一時期流行っていたことは知っている。
ひょっとして、この部屋の前の住民が残していった小説だろうか。
いや、そんなはずはないな。僕がここに引っ越してきてから、もう二年以上が経っている。その間、この便せんに気付かないはずはない。そもそも、この机は僕が持ち込んだものだ。
『死ぬのはもちろん嫌だったので、別の世界に転生したいと答えました。すると神様は、何やら呪文のようなものを唱え始めました。そして私は意識を失いました。
気が付いたときには、私は赤ちゃんでした。私は日本にいた頃の記憶を持っており、この世界の言葉も理解できました。どうやら、本当に異世界に転生したようです。
でも、それを両親には悟られないように気を付けていました。自分たちの子供が異世界の人間だなんて、受け入れられないでしょうからね。
私は優しい両親の愛情を受けながら、すくすくと育ちました。
そして十五歳になった時、《天職の儀》という儀式を受けることになりました。ここアクロセビアでは誰もが神様から職業を授けられます。【農民】【商人】【戦士】【魔法使い】といった職業です。
私に与えられた職業は【勇者】でした』
ひょっとして、僕が留守の間に誰かが侵入して、この便せんを引き出しに入れていったんだろうか。そんなことをする意味は全くわからないが。
『私が勇者だと知った両親は嘆き悲しみました。勇者は魔王を倒すという使命を果たさねばならないからです。それはとても危険なことでした。
でも、私は勇者という天職を与えられた瞬間、体の内から湧き上がる大きな力を感じていました。剣など持ったことがないはずなのに、熟練の剣士のように剣を扱うことができるようになりました。また、偉大な賢者のように、魔法も使えるようになりました。
それから私は、魔王を倒すために旅に出ました。その途中で頼もしい仲間と出会い、強力な敵と戦い、どんどん力をつけていきました。
そしてある時《迷宮》と呼ばれる場所で、とても貴重なアイテムを見つけたのです。
それは縦三十センチ、横十五センチ、高さ十センチぐらいの長方形の箱でした。
《鑑定》というスキルを使ってその箱を調べたところ、その箱は《異世界ポスト》というアイテムでした。その効果は説明文によると、”この箱に手紙を入れると《日本》という異世界に届く。手紙を受け取った者が返事を書くと、この箱の中に届く”と書いてありました。
つまり、日本にいる誰かと手紙でやり取りができるのです』
僕はこの荒唐無稽な話に興味を持ち始めた。
もう少し、読んでみるか。
『この手紙が日本にいる誰かの元に届くことを信じて、書きました。
私が気になっているのは、なんといっても家族のことです。両親と弟は、私が死んだことで悲嘆にくれていることでしょう。
でも、私はこの世界で元気に生きています。もちろんつらいこともありますが、素敵な仲間に恵まれ、幸せです。そのことを家族に知らせて、安心させてあげたいのです。
そこで、この手紙を受け取ってくださった方にお願いします。私の家族にこの手紙を見せて頂けないでしょうか。そうすれば、私が生きていて、幸せだという事が伝わると思います』
その後には、彼女の実家の住所と家族の名前が記されていた。
もちろん、こんな話を信じることはできなかった。
だが、この手紙が引き出しに入っていた理由が説明できないことも確かだ。
それでも僕は、異世界から手紙が届いた、などという世迷い言を信じて彼女の家族に会いに行くのは嫌だった。頭のおかしい人だと思われるに決まっている。
そこで僕は、本当に異世界に手紙が届くのかを確かめるため、返事を書いてみることにした。
『僕の名前は柳沢慎司。二十四歳の会社員だ。君の手紙は読ませてもらったが、とても信じられない話だ。もし信じてほしければ、この手紙に返信してほしい。
確かに僕の手紙を読んだことを証明できるように、合言葉を設定しておこう。そうだな……《今夜はウイスキーで乾杯》と書いて返信してくれ』
棚に置いてあるウイスキーがたまたま目に入ったので、そんなことを書いた。ただの合言葉なので、内容はどうでもよい。
でも、この返事をどうやって出せばいいのだろうか。
宛て先がわからないので、どこに出せばいいのかわからない。
仕方がないので、便せんをそのまま引き出しに入れて、きっちりと閉めておいた。
翌日、帰宅して引き出しを開くと返事が入っていた。
『ホントに届いてた! 久しぶりの日本語に感動してるよ、私。
ああそうだ、こう書けばいいんだったね。
《今夜はウイスキーで乾杯》
これでいい? ねえ、私が未成年だってこと理解してる? まあいいや、慎司さん、これで信じてもらえたかな? 信じてもらえたなら、私の家族への連絡、お願いします』
……驚いた。
だが、認めるしかないだろう。彼女が書いていることは、事実だと。
まあ、住所は都内だ。彼女の言う通りにしてやるか。
週末の休日に、僕は手紙に記されていた住所に行ってみた。
だが、その家には「佐藤」ではなく「鈴木」という表札がかかっていた。
どうしようかな。せっかく来たのに、このまま何もせず帰るわけにも行かないか。
インターホンを押してみる。しばらくして、年配の女性の声がスピーカーから聞こえてきた。
「はい、どちらさまでしょうか」
「あの、こちらに佐藤という方が住んでいると聞いて来たのですが」
「ああ、たしか佐藤さんは、以前この家に住んでいた方だと聞いています。でも、それ以上のことはわかりません」
「そうですか、どうも失礼しました」
どうやら、彼女の家族は引っ越したらしい。さて、どうするかな。
そこへ買い物袋を下げたおばさんが通りかかった。丁度いい、この人に聞いてみよう。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか」
「なんじゃ、私になんか用かね」
「以前、この家に佐藤さんという一家が住んでいたと聞いているのですが、その後どこへ行ったか、御存じじゃありませんか?」
「ああ、佐藤さんか。ほんに気の毒なことじゃわ。なんでも、長女が交通事故で亡くなり、その弟はショックで精神を病んで自殺したそうですわ。両親はそれ以来、夫婦仲が悪くなり離婚したそうじゃが、今どうしているかまでは、わからんねえ」
「……そうですか。どうもありがとうございました」
僕はショックを受けていた。
こんなこと、とても伝えられないな……。どうしよう。
僕は悩んだ末、こう返事を書いた。
『君の家族には会えなかったよ。近所の人の話では、なんでもお父さんがアメリカに転勤することになって、一家そろって引っ越したそうなんだ。君の事故のことはとても悲しんでいたが、なんとか立ち直ったように見えた、とのことだよ』
翌日、返事が引き出しに入っていた。
『そうなんだ……でも、立ち直ってくれたならよかったよ。肩の荷が下りました。ありがとうございます』
よかった。納得してくれたようだな。
その後にはこう書かれていた。
『あのね、慎二さんさえよければ、これからも私と文通してもらえないかな? やっぱり日本人と日本語でやり取りするのは楽しいんだよね』
僕は「構わないよ」と返事を書いた。
異世界の女勇者と手紙のやりとりをするのが楽しく思えてきたのだ。
次の日、また返事がきた。
『なんだか不思議な感じだね。お互いに違う世界にいるのに文通するなんて。
何を書こうかと考えたんだけど、私、日本が今どうなってるか知りたいな。総理大臣って誰なんだろう。私がいたころは小泉さんだったんだけど。
それから、私TOMIOのファンだったんだけど、メンバーのみんな、元気にやってるかな。特に大地くんが好きだったんだよ。
そうだ、マリナーズのジローは今年、何本ヒット打った?
うーん、もっといろいろ聞きたいことがある気がするんだけど、今はこんなもんかな。思いついたらまた書くね』
どうやら、彼女が日本にいたのは、けっこう昔のことのようだ。まあ、異世界で十七年も過ごしたなら、こっちでも時間が経っているか。
『どうやら君がいたころから、こっちではかなり時間が経っているみたいだよ。今は2020年なんだ。総理大臣は安倍晋三だよ。聞いたことあるかな?
TOMIOは今でも元気に活動してるよ。もちろん国文大地もね。ジローは四十五歳まで現役を続けて引退したよ。日米通算で四千三百六十七安打を記録した。
僕からもレリアの住む世界のことを聞きたいな。耳のとがったエルフとかいるの?』
僕はTOMIOのメンバーが減ったことは書かずにおいた。彼女の推しが国文大地でよかったな。
『2020年てマジ!? 私がいた頃は2003年だったんだけど。ということは私の方が慎司さんより年上じゃん(汗) これからは私のことはレリアさん、と呼んでくれたまえ(笑)
安倍晋三……知らないなあ、まあ、もともと政治にはあんまり興味なかったんだけどね。TOMIOのみんなも元気でよかったよ。ジロー四千三百六十七安打ってすごいね! 異次元の数字じゃん!
それから、エルフって、君ねえ……。異世界って聞いてまず知りたいことがそれなわけ? まあ、いいけど。
実は私の一番の親友がエルフなんだよ。驚いた? アイネっていう子で、私より魔法が上手なんだ。エルフは人間よりずっと長生きで、彼女はもう二百年以上生きてるんだって。見た目は私と変わらないのにね。
日本の事で聞きたいこと思いついたよ。ワンビーズの最終回はどうなった? 私、あの漫画大好きで、ずっと続きが気になってたんだ。ルルフィは海賊王になれたのかな?』
僕は今まで女の子と付き合ったことはなかったので、十七歳の女の子(中身は年上だが)と文通をする、という状況に舞い上がっていた。
ほとんどアパートと会社とを往復するだけだった毎日に、楽しい日課が加わった。
『レリア、と呼ばせてもらうよ。どうも君が僕より年上な気がしないんだ。まあ、呼び方なんてどうでもいいか。
エルフの友達なんてうらやましいな。僕と君の文通のことも知ってるのかな?
ワンビーズはまだ連載が続いてるよ。あらすじを書いてやろうかとも思ったけど、漫画って文章で説明しても全然面白さが伝わらないからやめておくよ。いつか日本に帰ってきたときに読むといい。その可能性はなくはないよね?
だって、日本からアクロセビアに行けたんだから、その逆ができないわけがないよ。
魔王と戦おうとしている君のことが心配だ。いくら勇者でも、負けて死ぬかもしれないだろう。日本で安全に暮らしている僕には想像することもできないけど。
勇者が魔王を倒さなければならない、なんて誰が決めたの? 他にも強い人がいくらでもいるはずだよね。例えば君をその世界に転生させた神様とか。
ひょっとしたら君には、戦わずに平和に暮らす、という選択肢もあるんじゃないだろうか。だって《天職》なんてもので運命が決められるなんて、どう考えても理不尽だもの』
僕は彼女と文通を始めてから、毎日が楽しくなった。
そんな気持ちが、勤務中の態度にも表れていたらしい。
先輩の女子社員から声をかけられた。
「柳沢君、最近いいことがあった? なんだか明るくなったよね」
「え、そう見えますか?」
僕がそう言うと、彼女はからかうような笑顔を見せた。
「見えるわよ。ひょっとして、彼女でもできた?」
「ち、ち、違いますよ。断じてそんなことはありません!」
「ふふっ、そこまでムキにならなくてもいいのに」
彼女は佐々木さんという僕より一つ上の先輩だ。そして、僕がひそかに憧れている女性だ。
でも告白なんてできるわけがない。
彼女はとても美人だ。性格もいいし、仕事もできる。
僕とはとても釣り合わない。
僕には、手の届かない存在の佐々木さんよりも、レリアとの文通が大事だった。
『ワンビーズまだ続いてたんだ! どうなってるのかとても気になるけど、慎司さんの言う通り、自分で読んだ方がいいよね。
日本に帰れる日なんて来るのかなあ。もうほとんど諦めてるんだけど。
アイネには慎司さんとの文通のことも話してるよ。実は彼女には日本語を教えていて、そのテキストに慎司さんの手紙を使ってるんだ。いいよね?
それと、私はやっぱり魔王を倒さないといけないんだ。その覚悟もできてる。だからもう、戦うのをやめろなんて言わないで。
でも、慎司さんが本気で私のことを心配して書いてくれたのは伝わったよ。本当にありがとうございます。
慎司さんて、優しいよね。女の子にも、もてるんじゃないの? ひょっとしてもう彼女がいたりする?』
『この手紙が教材に使われるなんて恥ずかしいな。下手なことは書けないね。
君の覚悟は伝わったよ。もう戦うなとは言わないけど、くれぐれも命は大切にしてね。
彼女はいないよ。まあ、憧れてる人はいるんだけどね。とても素敵な人で、僕とはとても釣り合わない人なんだ。
それよりも君と文通するのが今は楽しいよ。こんなにあけすけに自分の気持ちを打ち明けられる相手は他にいないから』
『私との文通が楽しいって言ってくれるのはすごくうれしいよ。私も楽しいもん。
でもね、よく考えてみて。私はどこにあるかもわからない、遠い世界にいるけど、慎司さんの憧れの人は、会おうと思えば会えるほど近くにいるんだよね?
だったらその人に気持ちを伝えてみなよ。いきなり告白なんてしなくていい。まずは食事にでも誘ってみたらどうかな。そこからだんだん距離を縮めていくといいと思うの。ね、頑張ってみて!』
僕は腹が立った。
頑張ってみて、なんて気軽に言ってくれるものだ。上手くいかないのはわかりきっているのに。
佐々木さんとは、これからも同じ職場で働いていかねばならないのに、気まずい関係になったらどうするんだ。
『レリアが僕のためを思って励ましてくれたことは、とてもうれしい。でもこれ以上は言わないでほしい。今の僕は君との文通が生きがいなんだ』
そう書いてから会社に行って、不安になった。あんなことを書いて彼女に呆れられるんじゃないだろうか。
文通が生きがいなんて言われても、重いし、ひかれるかもしれない。もう返事をくれなくなったらどうしよう。
仕事が終わると、急いでアパートに帰り、引き出しを開けた。
『そっか……うん、わかった。もう言わないよ。この文通が生きがいなんて書いてもらえて、私もうれしいよ。それより、もっと慎司さんのことを聞かせてほしいな……』
僕は安堵のあまり、畳に寝転がって、大きく息をついた。
それからも彼女との文通が続いた。
僕が書く内容は他愛もないものだ。
会社でのちょっとしたエピソード。小さいころどんな子供だったか。好きな音楽は何か。どんな本を読むか。
それから日本や世界でどんな事件が起こったか、あの芸能人は今どうしているか、などだ。
彼女が書くことはもっと刺激的だった。
体長二十メートルはあるドラゴンを倒した。迷宮で転移魔方陣を踏んだらモンスターだらけの部屋に転送された。語尾に『にゃ』をつけてしゃべる猫耳の人間がいた。自分が考えたゲームだと言ってリバーシを流行らせ、大金を儲けた、などだ。
あるとき、彼女からこんな手紙が来た。
『慎司さんて優しいよね。……あのさ、私の家族がアメリカに転勤したって話、嘘だよね。だって、お父さんの会社は、アメリカに転勤があるような会社じゃないもん。
責めてるわけじゃないよ。私を傷つけないために嘘をついてくれたんだよね。ありがとう。
私なら大丈夫だよ。この世界にも大事な人たちがたくさんいるし、それに慎司さんもいるしね』
このままずっと彼女とのやり取りが続けられればいいな、と思っていたところ、ある日の手紙に、こんなことが書いてあった。
『いよいよ明日、魔王を倒すために敵の本拠地に攻め込みます。私はとても強くなったし、アイネをはじめ、頼りになる仲間たちがついているので、きっと大丈夫。次に書く手紙では、勝利の報告ができると思うよ』
もちろん僕は心配だった。
でも、いつかこの時が来ることはわかっていたので、こう返事を書いた。
『この手紙を君が読むときには、すでに君は魔王を倒したあとなんだろうね。まず、おめでとうと言わせてくれ。
実はずっと前から期待していたことがあるんだ。それは、魔王を倒せば君は日本に帰って来られるんじゃないか、ということだ。
魔王討伐という大きな功績があれば、神様もご褒美を与えてくれるんじゃないかな。
まあ、無理だったとしても、その時はその時だ。改めて文通を続けよう。返事を楽しみにしているよ』
だが、返事はこなかった。
それまでは毎日のように返事が来ていたのに、一週間たっても届かない。
僕は最悪の想像をして気が気ではなかった。
――いや、そんなはずはない。
彼女には強い仲間たちがついているのだ。きっと何か事情があって返事が遅れているのだろう。
僕は彼女を心配するあまり、注意力が散漫になり、仕事でつまらないミスを繰り返すようになった。
「柳沢君、大丈夫? 最近調子が悪そうよ」
佐々木さんが心配そうな様子で言った。「ねえ、悩みがあるなら相談してもらえないかな。私じゃ力になれないかもしれないけど、話したら楽になるかもしれないよ」
話せるわけがない。
「心配かけてすいません。でも、大丈夫ですから」
「そう……でも無理はしないでね。私ならいつでも相談に乗るから」
佐々木さんにまで心配をかけて、僕は何をやってるんだろう。ほとほと自分が嫌になる。
そして彼女の最後の手紙から一ヶ月後、引き出しを開けると、手紙が入っていた。僕は震える手で、その手紙を手に取る。
『慎司さん、おひさしぶりー!
……ごめん、すごく心配したよね。すぐに返事を書きたかったんだけど、魔王との戦いで右手を怪我しちゃって、書けなかったんだ。でも、もう大丈夫だよ。
魔王はちゃんと倒せました。パチパチパチー! もうすごかったよ、みんなの喜びようは。
あれから世界中の城や町をめぐって、お祝いの宴やパレードをやってたの。心配している慎司さんのことを考えると、心からは楽しめなかったんだけどね。
ホントに心配かけてごめんなさい。また文通しようね』
僕は隣の部屋の住人から苦情がくるのも構わず、雄叫びをあげた。
そして安堵と歓喜の涙を流した。
その日からまた、レリアとの文通が続いた。
僕の心には余裕ができ、また仕事にも身が入るようになった。
「柳沢君、元気になったみたいね。本当によかったわ」
「ありがとうございます。その節は御心配をおかけしてすいませんでした」
「ふふっ、どうしたの、改まって」
佐々木さんには随分と迷惑をかけてしまった。
今ならわかる、彼女は本気で僕のことを心配してくれていたのだ。
その時、幻聴が聞こえた。
レリアの声で「ね、頑張ってみて!」と聞こえた気がしたのだ。
彼女の声など、聴いたことがないはずなのに。
レリアがあの日の手紙で「頑張って」と書いた気持ちが今ならわかる気がする。
僕は本当に駄目な人間だった。傷つくことが怖くて逃げていただけだった。彼女はそれを見抜いていたのだ。
「あ、あの、佐々木さん」
「ん? どうしたの?」
レリア、君の勇気を僕に分けてくれ。
「今晩、一緒に食事でもどうですか?」
佐々木さんを食事に誘って、楽しい時間を過ごしたことを手紙で報告すると、レリアは褒めてくれた。
『慎司さん、よく頑張ったね! あたしゃ嬉しいよ、あんたも遂に大人になったんだねえ、なんちゃって(笑)
でも、これからだよ慎司さん。前に私が書いたこと、覚えてる? これから徐々に距離を縮めていくんだよ』
僕はその通りにした。
どうやら佐々木さんも僕のことを、憎からず思ってくれていたらしい。
そして、正式にお付き合いをすることになった。
僕は佐々木さんとの、のろけ話を手紙に書いてやった。
『もう、そんな話ばかり読まされる私の身にもなってよ(怒)
うそうそ、冗談。私、慎司さんが幸せそうで、ホントに嬉しいんだ』
そして僕は佐々木さんにプロポーズをした。
佐々木さんと結婚することになった、と報告した後の彼女の返事を読んで、僕は彼女が狂ったのではないかと不安になった。
『よおおおおおおおおおおおっしゃあああああああああああ!!
勝った! 勝った! 勝った! 私と慎司さんの勝利じゃああああああああああああっ!!』
新居にも例の机を持ち込んだところ、それまでと変わらず、引き出しの中で文通を続けることができた。
それからも結婚生活について、あれこれと書いて送る日々が続いた。彼女はそれに対しても、嫌がることなく自分の事のように喜んでくれた。
そしてある日、僕はこんな手紙を書いた。
『今日はレリアに報告があるんだ。今日の午前四時三十五分、娘が生まれたよ。母子ともに健康だ。きっと母親に似て、美しく優しい子に育つことだろう。そう願って、名前は『美優』と名付ける予定だ。僕もこれからは親として、責任を持って美優を育てるつもりだ』
僕は彼女からどんな祝福の言葉が届くかと楽しみだった。
そして翌日、彼女からの手紙が来た。
『慎司さん。娘さんの誕生、心からお喜びします。きっと慎司さんに似て、優しい子に育つことでしょう。
でも私はこの手紙で、悲しい報告をしなければなりません。
レリアは今から一年以上前、魔王との戦いの末、亡くなりました。
魔王は倒すことができたのですが、レリアはそのときに負った傷が元で、その三日後に息をひきとったのです。
今、この手紙を書いている私は、レリアの親友だったエルフのアイネです。そして、魔王討伐後からずっとレリアのふりをして手紙を書いていたのも私です。
彼女は死の間際、私にこう言いました。
”慎司さんが、私の手紙を待ってる……返事を書かなきゃ。
だって、慎司さんにとって、私との文通は生きがいなんだよ。私からの返事が届かなかったらどう思うか……。
ねえ、アイネ。お願い、私の代わりに慎司さんと文通を続けて。
無理なお願いなのはわかってる。でもお願い、慎司さんが、私からの手紙がなくても生きていけるほど強くなるまで、文通を続けてほしいの”
私はそれまで、レリアが書く手紙は全て見せてもらっていたし、慎司さんからの手紙も日本語の教材として使っていました。だから、レリアのふりをして書くことができると、彼女は思ったのでしょう。
私はそれから、彼女の筆跡を真似る練習をしました。そして、ようやくバレないほどの字をかけるようになった時、最初の手紙を出しました。
その後も、私は慎司さんと文通を続けていました。そして佐々木さんと付き合い始めた貴方が、徐々に自信に満ち溢れていくのに気付きました。
そして貴方は結婚し、子供が生まれました。
私は貴方がもう、レリアとの文通がなくても生きていけるほど強くなったと確信しました。
今まで騙していてごめんなさい。でもレリアを責めないであげてください。あの子は本当にあなたの事を心配していたんです。
この手紙をもって、慎司さんとの文通を終えたいと思います。
どうか、貴方と貴方のご家族が、いつまでも幸せでいられるよう、願っております』
茫然自失、というのはこんな状態のことを言うのだろう。
僕は、自分の浅はかさに気付いた。
考えてみれば、アイネと文通をするようになってから、佐々木さんとの付き合いの様子など、自分の事ばかり書いていた。レリアが今何をしているか、という話はほとんどしなかったような気がする。
レリアは、自分が死のうという時まで、僕の心配をしてくれていた。僕はそんなことを知らずに、アイネを相手にのろけ話をしていたのだ。
僕は今度こそ自分が嫌になった。
アイネは僕が強くなったと書いていたが、全然そんなことはない。僕は変わらず弱い人間だ。
その夜は、レリアのことを思って泣いた。
正直、何をする気にもなれなかった。
死んだレリアのことを思うと、自分だけが幸せになってもいいのだろうか、と自分の心に問わずにはいられない。
翌日、それでも妻と娘に会いに病院に行ったのは、彼らに会いたかったからではなく、夫として、そして父親としての義務感のためだった。
僕は、妻の手に抱かれている娘を見た。娘も僕を見た……ような気がした。
そのとき、僕の心にガツンと強烈なパンチが打ち込まれたような錯覚を抱いた。天国にいるであろうレリアに、しっかりしろと叱られたような気がしたのだ。
……………………。
そうだ、落ち込んでいる場合じゃない! 僕は父親なんだ!
僕は妻と娘を守らなければならないんだ!
「どうしたの、あなた。何かあったの?」
相変わらず目ざとい妻が、僕の様子を見て言った。
レリア、もう僕は迷わないよ。
「決意を新たにしていたんだよ。君と美優を絶対に幸せにするとね」
それから一年が過ぎた。
美憂はすくすくと育っている。「パパ」「ママ」としゃべるようにもなった。
そんな娘の様子を眺めているとき、ふと、例の机の引き出しが開いているのに気付いた。
おかしいな、あの日以来、開けたことはないんだが。
中を確かめると、手紙が入っていた。僕は恐る恐る、その手紙を読んだ。
『はじめまして、柳沢慎司様。私は神です。
そう、レリアをアクロセビアに転生させたのは私です。
あなたに報告があります。
レリアは自らが致命傷を負いながらも、魔王を倒しました。その功績はとてつもなく大きいものです。
そこで私は、彼女にご褒美を与えることにしました。
地球で交通事故にあって死んだときのように、肉体は死んでも、魂は生かしてあげたのです。
私は彼女の魂に言いました。”もし貴方が望むなら地球にでも、アクロセビアにでも、転生させることができます”と。
でも、彼女は答えました。”私はもう、生きることに疲れました。どうかこのままでいさせてください”と。
そこで彼女は魂のまま、天界で過ごすことになりました。時々、下界の様子を見ていたようですが。
そんなある日、彼女は言いました。”地球に転生したくなりました。その場合、生まれてくる親を選ぶことはできますか?”と。
わたしは可能だと答えました。
今、あなたがこの手紙を読んでいるのは、彼女から、一年経ったら父親に、あなたの娘はレリアだと知らせてほしい、と頼まれていたからです。彼女は……』
僕はハッとして娘を見た。
まだ、いくつかの単語しか言えなかったはずの娘が、しゃべった。
「今夜はウイスキーで乾杯!」
唖然とする僕に対して、彼女は続けた。「お久しぶり、慎司さん。……うーん、違うな」
そして彼女は満面の笑みを浮かべて言い直した。
「これからよろしくお願いします。お父さん」