第一話(第八話)
――ナルザ・ラム・ウェル。
始まりの八家の一つ、ウェル家の長女。巫術、体術、勉学全てに優れ、尚且つ多くの人を惹き付けるものがある、人望の厚い人物。王道の中の王道、誰よりも正しくて真っ直ぐを往く。そんな彼女のウェル家の屋敷が、母屋と複数の離れを含め全焼した。
――始まってしまった。
起き抜けにその報を聞いたセラはすぐに朝餉を済ませ、支度をして家を出た。
……まずは何処へ行くべきか。姐さんの様子見か、それとも情報収集か。いや、どうせ姐さんまだ寝てるだろうし、あの家に報が入っても姐さんには伝えないかもしれない。それならまず先に自分の足で情報収集だ。
彼女が午前の間中走り回った結果、大体の状況は掴めた。
昨夜遅くから早朝にかけて、ウェル家邸宅は母屋と複数ある離れのうちの大半が、ほぼ全焼した。その頃ちょうどナルザ自身は不在だったという。なんでも昨日の夕方に訪れてきたイマリを屋敷に送ったついでに、そのまま彼女の家に一晩お世話になっていたとのことだ。イマリはナルザによく懐いている齢十四の少女で、彼女もまた刻印を受け取ったうちの一人だ。
名家であるウェル家では当主の側妻も多く、また奉公に来ている女子も多い。その中には当然凍術使いも幾人か居り、特に側妻のほうには優れた術者もいた。にも関わらず、木造の屋敷を糧に夜闇を照らした炎は、凍術の冷却では止めることが敵わなかったという。優れた凍術使いでもあり刻印を持つナルザ自身が其の場にいれば、また違っていたかもしれない。
大概の火事なら凍術使いが二人か三人ほどいれば鎮火させることが可能だ。だというのに、これはそれなりの人数――最大で二桁ほどの人数でかかっても、明け方にちょうどにわか雨が降るまで鎮火に至らなかった。そうなると刻印の力の可能性が濃厚になる。あの力を持ってすれば常識なんて簡単に覆せる。ナルザがいない隙をわざと狙っという線も有り得る。
そして正午を少し回った頃、里の中央広場に大声が響いた。
「出てこい! 私はここに居るぞ!」
声の主は渦中のナルザ・ラム・ウェルその人。彼女はカルナほどではないが比較的がっしりとした、いい体格をしており、その声はよく響く。
「勝負なら何でも受けて立つ! 正々堂々、正面からかかってこい!」
アルヴの里の盆地内の生活圏内のほぼ中心にある広い広場。四方に伸びる道の両傍にはお店が並び、広場は子供から大人まで様々な遊戯、競技、催しに利用されている。その中央に椅子を構え、ナルザはそういったことを大声で何度か繰り返していた。
――実に彼女らしかった。
もちろん誰も出てくるはずはないが、そんなことは分かった上で彼女は正道を進む気でいるのだろう。
叫んでは待ち、叫んでは待ちを幾度か繰り返しているうちに、気づけば人集りができていた。里の中心地だけあって噂が伝播するのは早く、人々がみるみる集まってきている。刻印持ちの面々もちらほら見える。
(できれば姐さんには来て欲しくないなぁ……何をしでかすか分からない……)
やがて、そろそろかなといった感じでナルザは次の段階へ行動を進めた。
「まぁ出てこないのは当たり前か。
――それじゃあ、誰でもいい。私と何か勝負をする奴はいないか! どんな手合いでも相手になろう。そして勝者にはこのうち三画の刻印を譲ろう」
彼女の掲げた左手の甲には、四本の線が二画のときとはまた違った紋様を描いていた。おそらくイマリとハレが一画ずつ譲渡した分だろう。最年少のハレは真っ先にナルザに刻印を譲渡していたらしい。それは賢明な判断だったとセラも感心した。そして続いてイマリも譲渡していた。昨日、イマリがナルザを訪れたというのは、おそらく刻印譲渡のためだったのだろう。そしてイマリを送っていった後、この事件が起きた、と。
ナルザのこの行動はセラが予想できた範疇だった。やはり彼女はナルザ・ラム・ウェルだ。放火なんて直接的な――下手をすれば人的被害がでるような――手段ではなく「真っ向勝負」によって刻印を争奪する流れを作ろうとしている。同時に大きな騒ぎを起こすことで注目を浴び、儀式の件をまだ知らない人々にまで「何かが起きている」ことを周知させる。
既に刻印持ちの犯行と思しき放火が起きてしまったことで、雲行きは怪しい方に流れ向かっている。これ以上状況が悪化すれば、この狭い里で儀式のことを隠し通すことは不可能だ。むしろ何か知らないところで不穏なことが起きているということで、結局は人々の心に無知故の不安という闇を抱かせてしまう。それを避けるために、敢えて今大きく目立つ行動に出たのだろう。
――だが。
その策は功を奏するのか、逆に状況を悪化させてしまわないか。セラからみると怪しく思えた。
――彼女は正道を行き過ぎる。
今ここで上手くいかずとも、引き続きナルザは真っ向勝負による流れを作るために動き続けるだろう。何があっても自分が動ける限り、できるだけ多くの人が傷つかず、幸せである結果を導き出そうとするだろう。
しかし、いくらナルザといえど齢十六の少女には違いない。一人でやれることには限度がある。
――この刻印の力は強すぎる。過ぎた力は人を惑わせる。
「今日はもう誰もいないか……」
明日からも続けるぞと言わんばかりにナルザがこの場は切り上げようとしたとき、一人の少女が声を上げた。
「あ、あの……私でも……よろしい……ですか?」
か細い消えてしまいそうな声。その主はサリャ・ルム・イルヴァ。齢十三の華奢で小柄な少女だった。