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桃源の乙女たち  作者: 星乃 流
終章「未来へ」
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最終話(第五十九話)

 「お待ちしておりました。彼女は既に奥でお待ちです」

 そう出迎えてくれたのはアル家前当主正妻――つまりアルトの実母その人だった。

 エリンは奥へ奥へと廊下を進み曲がり、進み、曲がり……。そして最奥の敷居を跨ぎ、表から隠された裏庭へと再び足を踏み入れる。――今回の一件の初日以来のことだった。

 (……あれ、何日経ったのだっけ)

 「よくいらしてくれました」

 ハッと振り向くと、庭を臨む縁側の端のほうに彼女は座って居た。

 相変わらず無機質で無表情で、一縷の乱れも感じさせない雰囲気を纏い、漆黒の黒髪に紫の瞳を持つ少女、カナミ・イェ・ウルは、ただ、座っていた。

 「では、私は一度失礼いたします」

 引き戸を閉め、アルトの母は屋内に下がっていった。

 こちらを視るカナミと視線を合わせ合う。

 ……まったく読めない。彼女が何を考えているのか、何を思い、何を望んでいるのか。

 レミの想いを知ったあの時から、その想いに今際のその時までも応えられなかったあの時から、ありとあらゆる声に耳を傾けるようにしてきた。

 耳に入るだけの周囲の声、視界に入るだけの表情、仕草。人に限らず風から、自然からの声にまで耳を傾け、感じてきた。

 しかし……まだ彼女、カナミの心にはまったく触れることが敵わないらしい。

 何も感じとることができない。

 怒りも悲しみも情愛も。その声からも表情からも姿からも何も感じとることができなかった。

 だから……つい構えてしまった。あれだけお話したいとか言っていた癖に。

 「まだ構えなくて結構よ。今のところは」

 そう言われハッとして無意識に纏っていた風を解いた。

 「ごめんなさい。私は……あなたの考えていることが、思いがまったく分からない、感じられないのです」

 正直に答えた。相手の本心が分からないなら、まずは正直に自分の心の内を明かす。複雑なコミュニケーションをとれない私には今はそうすることしかできないし、今はそれが最善だと思った。

 「そうやって真っ直ぐ答えられるところ……私は好きよ」

 カナミは相も変わらず無表情のままそう答える。

 ――褒めてくれているのだろうか。

 彼女の言葉と心の繋がりが見てとれない。本音なのか建前なのか、何も分からない。

 「まずは私の心の内を勝手に想像するのはおやめなさい。私の表情が石のようなのは事実なのだから」

 「……はい」

 ――私はまるで分からないのに、こっちのことはお見通しってなんかずるくないですか。

 「では、お話とやらを始めましょうか」

 彼女はまず座るように手で促した。

 何となく四、五人分の距離を開けたところに庭を向いて縁側に座り、そして彼の封じられている祠を眺めながら「お話」を始めた。

 「まず貴女は……これに勝ったらどうしたいの? なんのために勝ちたいの?」

 そんなもの、答えは決まっている。

 「――あの人が、アルトが好きだからです」

 まっすぐに、ひたすらまっすぐに心の内を答えた。今の私にそれ以外の理由なんてない。

 この儀式とやらの最中、短い間に色々なことがあった。

 大切な人を亡くした。

 たくさんの人が傷ついた、傷つけた。

 それでも私がここまで進むことができたのは、根底にこの想いがあったからに他ならない。

 「そう、私もなのよ」

 ――え?

 「あら、意外そうね」

 ここまでやって来た以上、その理由はあっておかしいことではないのだけれど……。だけれど……本当に意外だった。

 「そうね、石面とまで言われる私がそんなこと言ってもしっくりこないでしょうね」

 エリンのほうに顔を向け、視線を向けて彼女は話す。やはりその表情も、声からも何も感じられない。決して話す声に抑揚がないわけでもない。――なのに、なぜかその声色、話し方から何も気持ちが伝播してこないのだ。

 「すいません……確かに頭のなかで上手く繋がらないのです」

 「では……少し私と彼のことをお話しましょう」

 彼女は彼の居る祠の方に視線を向け、話始めた。

 「あまり知られていないとは思いますが、私は血縁上彼のはとこにあたります。母同士が従姉妹というわけですね。

 私の家の話になりますが、私の実母は第二夫人です。正妻である第一夫人がなかなか子を授からなかったために早めに娶られた第二夫人である母は、早々に私を孕みました。

 それが第一夫人には面白くなかったようです。正妻としての立場とプライドからでしょうね。

 おかげで母と私は、私が物心ついたころには既に正妻によって蔑ろにされ、地味で浅はかな嫌がらせを受けていました。

 家庭内の立場でいえば、正妻が最も強いことはこの里ではよくあること。いくら私の母が長女を産んでいようが、我が家も例外ではありませんでした。

 ですが、第一夫人はついに子供を授かり、しかもそれは跡継ぎとなる男の子。大喜びで私たち母娘のことなどどうでもよくなったようです。

 そして嫌がらせの類は無くなりましたが、代わりに居場所も無くなりました。それまでは長子とその母ということで一応の居場所はあったのです。

 家の者が総出で跡継ぎを可愛がったので当然の流れでした。父も全く私たち母娘を見てくれなくなりました。跡継ぎである私の弟は、あれだけ猫可愛がりされながらよく真っ直ぐに育ってくれたものです。感心します。

 ――話を戻しますが、正妻の嫌がらせから解放されたものの居場所を失った私たち母娘は、外にそれを求めました。母が小さい頃から仲が良かった、母の従姉妹にあたるアルトの母を頼ったのです。

 ですが、アル家は仮にもこの里の首長。その家に私と母のような微妙な立場の人間が出入りすることはあまり好ましくありませんでした。そういう訳で、できるだけこっそりと彼の家に通うようになりました。

 途中からはアルの家が持つ、もう使われていなかったこぢんまりとした小屋を勉学のためと称して使わせてもらいました。そこで彼の母、そして彼自身と共に過ごすことが増えました。――彼と貴女が出会ったのもその頃ですね」

 あぁ、だから彼はアルの本居から距離のある、あんな人気のない花畑なんかに度々やってきていたんだ……。

 「彼は私たちがいないとき、隙があればよく抜け出して何処かへ――おそらく貴女の思い出の場所に赴いていたようです。

 私がいるときは共に遊び、共に勉学に励みました。彼の母はとても博識で聡い方ですので、色々なことを学びました。

 ――ところで先程、彼は私と共に遊んだといいましたが、私は当時から既に今の石のように動かない表情、そして感情のみえない声音の持ち主でした。――そうなった訳は……まぁ、私の特性と育ちのせいとだけ言っておきましょう。

 ですが彼は、そんな私とも当たり前のように普通に接し、共に遊んでくれたのです。

 勉学に励むだけなら最低限の、事務的な意思疎通だけで済みます。しかし、彼は私と一緒に遊んでくれた。――くれたなんていうと卑屈ですね。二人で楽しく遊びました。あの場所で二人でもできる遊びは一通りやりつくしたように思います。

 ……さて、ここまで話せば私がどのような想いで今この場所にいるか、お分かりで頂けたでしょうか」

 たしかに伝わった。彼女の想いとその深さ、純粋さが。

 しかし、彼の側にこんな相手がいたなんて知らなかった。――その事に少しだけ嫉妬を覚えた。

 彼女はきっと私のことを知っていたのだろう。彼は何をしていたのかと聞かれれば素直に答えただろうし。私は何も聞かなかったから知らなかっただけ。

 ――けれども。

 だからといって、私も譲るわけにはいかない。彼女のその尊い想いに触れたからといって、それだけのことで揺らぐほど私の想いも柔じゃない。

 私は八画の刻印を持っている。彼女もおそらく八画。

 彼女からの呼び出しには、最低限八画は刻印を揃えてくるようにと書かれていた。お互い譲れない想いを持ち、そして敢えて互角の状況を作る。――きっとそういうことなんだろう。

 「あなたの気持ちは、十分に伝わりました。その深さと愛おしさが。――けれど、私はその気持ちに触れても尚、譲るつもりはありません」

 「わかっています」

 だったら……。

 「あなたはわざわざ八画用意するように私に伝えた。きっとあなたも八画もっている。つまり刻印をすべて奪い取れば、たとえ最後の一画を残しても必要な十五画が揃う。――それはつまり……」

 クスッ

 ――あれ?

 今、笑った?

 相変わらず微動だにしていないはずの彼女の表情が一瞬、クスッと笑った気がした。

 「ここのところ『お話』とやらにやたらと拘っていた貴女が、今日は――いえ、この場で私を相手にすると、とても好戦的ですね」

 ……確かにそうだった。思い返すと、さっきからすぐに戦おうとしてしまう自分がいる。

 「やはり本物の恋敵が相手となれば落ち着いてはいられませんか」

 何も反論できなかった。きっとそうなのだろう。恋敵……そう言われればその通りだ。初めての恋敵だ。

 ――そして、絶対に譲るわけにはいかない、負けたくない。彼女の想いが強く、本物だからこそ負けたくない。

 「ですが私は実のところ、今、私たちの手で決着をつけるつもりはありません。――おば様、確かに大丈夫なのですね?」

 「はい、あの人物が残した言葉が確かであれば、ですが」

 引き戸が開いて彼の母が再び姿を見せた。――全く気配を感じなかった、いつから居たのだろう。それともずっと居たのだろうか。

 「おば様にはある程度時間が経てば再びお越しいただけるようにお願いしてありました。貴女が気配に気づかなかったのも仕方がない話です。そもそも貴女は私の話にとても引き込まれていましたし、おば様も気配を薄めるぐらい造作もありません」

 本当に彼女相手に心の内は全部一方通行にお見通しのようだ。リゼにはあれほど理解出来ないといった顔をされたのに。

 しかし、それこそが彼女が純粋で強く、深い想いを持ち合わせている証なのだろう。けれど私だって、それに負けたくない。負けてるなんて思いたくない。

 「おば様、例の話を」

 「はい」

 彼の母は続けた。

 「この儀式の下準備を施したあの呪い師――彼は儀式を執り行うに際してとても細かくそのルールなどを記していきました。ほとんどの重要事項は伝えたはずですが、伝えきれていない条項もまだいくつか存在します。

 そのうちの一つに――複数人が同時に手を重ねて刻印を行使することでも、彼を解放できる、と」

 ――!!

 「――お分かりいただけたました?」

 つまり、つまり彼女は……。

 「加えて改めて確認いたします。彼を解放するための刻印――それは十五画より多くても問題ない。それでよろしいですね?」

 「はい、この記述が間違っていなければ」

 私と彼女はそれぞれ八画ずつ持っている。あわせて十六画。

 そういうことなのね。

 ――負けた。

 本当に彼のことを想っていたのはきっと彼女だ。そうだよね、それが一番だよね……。

 「私が何をしようとしているか、理解しましたか?」

 コクンと頷いて返事をした。そしてつい視線を下げてしまった。

 「もし貴女がそれを思い付かなかったことを恥じいているのなら、それは間違いです。そもそもこんな手段があることに偶然気づいたか、気づかなかったか、それだけの違いです」

 ……本当に全部お見通しのようだ。まるで勝てないよ、こんな人に。人としては今は何も敵わない。

 「さて、どうします?」

 彼女は改めて問いかけてきた。

 「刻印を譲る、もしくは奪いあっても、残り一画を残して十五画を揃えることができます。――ただし、私は譲る気はないので、貴女が一人で彼を解放したいのなら力尽くで私から奪う必要があります。

 逆に、貴女が無条件で私に七画譲るというのならば、私は遠慮なく受け取ります。

 そして最後の選択肢。私と貴女の手を重ね、二人で解放する。

 ――さぁ、どの手段を選びますか」

 決まっている。

 「私は……今はあなたにはまるで勝てる気がしません。全てを見透かされているだけではなく、やはり本当に彼のことを想っているのはあなただと思います」

 ――しかし。

 一呼吸間をおいてから続ける。

 「私はそれでも彼を諦めません。諦めたくありません。だから――」

 左手を前に差し出して、私は私の答えを告げた。

 「私と一緒にお願いします。そして……彼が目覚めたら、彼自身に選んでもらいます」

 なんのことはない。

 力尽くで奪い合った刻印で彼を解放したとしても、結局彼は喜ばない。そう思っていた。それもあってリゼから刻印を奪うことはしなかった。カルナとも、戦いは挑まれたから応えはしたものの、力尽くで奪う気はなかった。

 ――けれど、彼女はそれより上にいた。

 そもそも彼を解放した者が彼の妻に、正妻になるという、その時点で彼自身に選択権がない。

 だからこそ、せめてもの選択の余地として、そして一人の女として彼自身に選んでもらいたくて……。

 それでこの手段に思い至ったのだろう。

 確かにこんな手があることは聞いていなかったけれど、私にはこんな発想はそもそもできなかったろう。

 この手段を思いついたから彼女は、彼の母を尋ねて確認したのだろう。そして行動に移し――おそらく私が来ると分かっていて、私を待っていた。きっと私を恋敵と認識していてくれたんだ。

 カナミはエリンの差し出した左手をとり、ただ短く答えた

 「はい」

 と――。

 その瞬間、気のせいではなく、彼女は――カナミは本当の彼女の顔で微笑んだ。

 ――そんな顔で笑うんだ。やっぱり勝てないなぁ……ずるいよ……。

 「彼の手に刻まれた私たちとは違う紋様の刻印、そこに二人で手を重ねる。それでよろしかったですね?」

 「はい」

 彼の母は答える。

 「ではいきますね。色々とありがとうございました」

 彼女は彼の母にぺこりと一礼し、慌ててエリンもそれに倣う。

 「――いえ、やるべきことをやっただけです。息子をお願いいたします。……本当はあの子の役割だったはずなんですけどね……」

 アルトの母は――双子の母は、小さく呟いて寂しげな目をした。

 「では、私は一度屋敷の中に戻って待っております。どうか重ね重ね、息子をよろしくお願い致します」

 「「はい」」

 今度は二人同時に答えた。そして彼の母は引き戸を閉め、屋敷の奥へと下がっていった。

 「さぁ、いきましょう」

 氷漬けで封じられているだけあって、やはりこの岩をくり抜いた祠の中は寒かった。

 そしてその奥に……肘掛と背凭れのついた椅子に座った彼――アル家長男にして私たちの想い人、アルトは座ったまま目を閉じ、ひとり氷の中で静かに眠っていた。最後に目にしたときと違わぬままに。

 その右手の甲には、確かに私たちとは違う紋様の刻印が描かれていた。

 「では、いきますよ」

 「――はい」

 刻印は利き腕の反対の手に宿る。エリンは右利きなので左手に。カナミは左利きなので右手に。だからエリンは左手を、カナミは右手を差し出して重ねた。

 「なんだかこの絵面のために利き腕が決められたような気がしますね。――すべて運命だったかのように」

 本当になんだか都合のいい話だ。

 ――しかし。

 「そんなことは関係ない、ですよね」

 「はい」

 二人は微笑みあった

 「――あぁ、忘れてました」

 あとは彼に二人の手を重ねるだけとう間際で、カナミが一度動きを止めた。

 「言い忘れていました。私は心が広いので、もし彼が私を選んでも……第二夫人ぐらいの位置なら許しますよ? 私はそんな小さな女じゃありませんので」

 そう、悪戯っ子のようにニヤリと笑んで、言った。石面女と呼ばれた彼女はもうここにはいない。

 「私だって、もし私が選ばれても、彼が望めばあなたを第二夫人に迎えることぐらいなんでもないですよ。私はとても寛大だから」

 エリンも負けじと言い返してニッと笑み返す。それから二人してフフッと笑いを溢した。

 「さぁ」

 「いきましょう」

 二人は重ねたその手を彼の手の甲の上に置いて、力を――それぞれの純粋な願いを彼に贈った。


fin

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