第五話(第四十八話)
二人の戦いは本当にあっさりと終わった。セラは思いもかけず、里を恐慌に陥れた怪人の無様な敗走を目の当たりにした。勝敗が決するまでにかかった時間でいえば十四番のほうが粘ったが、戦いとしてはカルナのほうがまだ奮戦していただろう。真正面からぶつかったカルナに対し、十四番はエリンの言霊を使った連技に一方的に翻弄され続け、挙げ句に爆煙を起こしてこの場から逃走した。
……とはいえ、それも仕方がない。はっきりいって異常な光景だった。
エリンはまるで最初から撃ち込まれる光矢の軌道が、着弾点が見えているかのようだった。だがもしそうだったとしても、その全てを避けきるのは不可能なはずだ。いくらエリンが常識外の風の使い手だとしても、その力で動かすのは結局は生身の人間の肉体だ。それでいてあの動きは異常としか言いようがない。少なくとも風の力なんてものじゃない。本人に自覚はないのかもしれないが、あれはきっと風の巫術の範疇なんて越えた、きっと全く別の何かだ。
一体何が彼女をここまで変えてしまったのか。レミの死が切っ掛け? 言霊の力? 潜在能力の覚醒?
セラの知識と洞察力をもってしても、正しい答えには辿り着ける気がしない。
「待ちなよ」
エリンが逃走した十四番をすぐさまに風の加速で追いかけようとしたところに、待ったが掛かった。その声に反応してぴたりとエリンの足が止まる。
「熱くなりすぎだって。深追いして罠があったらどうするのよ」
声の主はその細い身体をやや突飛とも言える小洒落た衣装で包み、頭頂部の少し後ろで一本に括られた長く、艶のある黒髪を風に揺らしていた。
(……闇使いか)
――アズミ・ワル・アルメス。今回の儀式の参加者でありながら、これまで完全な沈黙を保っていた齢十五の少女。万能と呼ばれるナルザは何でも卒なく、完璧に近くこなせるが、アズミは何でも「そこそこ」にやってのける人間だ。カルナやエリンと違い協調性も悪くはないが、どこか捉え所のない、なんというか、セラからみるとなにか違和感のある人物だった。
そして彼女の持つ適性は氷と闇。セラの把握している闇使いは、今、生き残っている参加者の中ではカナミとアズミの二人。あとは既に脱落しているサリャ。サリャの能力は自分自身に作用させるタイプ、カナミは他人の心をある程度読み取る、アズミはおそらく直接的に他人の心に働きかける。今、エリンの動きが不自然なほど即座に止まったのは、おそらくアズミの能力の仕業だろう。
「一旦落ち着きなよ」
アズミにそう言われてエリンは自身の纏う風を解いた。緊張の糸が切れたのか、そのまま地べたにぺたりと座り込んだ。
「ほら、連日の連戦でもう精神もへとへとじゃないか」
「……ずっと見てたのか?」
セラは一方的な会話に割って入る。
「うん。私はまだなーんにも戦っていないけれど、やっぱ今の状況とかは知っておきたいからね」
そしてアズミはセラが戦場から端のほうへ引き離した意識のないカルナのほうに近寄った。カルナは結局、エリンと十四番の戦闘が始まると同時に気絶してしまった。おそらく能力の使い過ぎだろう。あの炎にすべてを賭けて、あとは本当に根性だけで立っていたようだ。
「少し骨が怪しいところもあるみたいだけど、内蔵も無事だしたぶん重症は負ってないね」
アズミは少し近づいただけで触れてもいないのに、そう言ってのけた。
「……何をした?」
セラはアズミを睨みつけ、問い糾す。カルナの身体を庇うようにしながら。アズミは同世代ながらも分からないことが多すぎて、どうにも警戒心が疼いてしょうがない。
「ちょっと、そう怒らないで、警戒しないで! 少しばかり心の中を通して身体の様子を見させてもらっただけだよ。気絶してる心には何の影響も与えてないから!」
闇術に関しては表向き存在しないことにされていることもあって情報が少ない。その上個人個人でその特性が全く異なるため、セラにはそれが事実かの判断はつかない。――が、今はその言葉を信じておくことにするしかないようだ。
「分かった。睨んでごめんね。あとは私がどうにかするよ」
カルナはセラより随分大きな体格ではあるが、セラとて風の使い手。少し風の力を借りれば、彼女をイルの家まで運ぶぐらいはできる。
「はーい。じゃー私はまた何かないか見て回ってくるよ。じゃーねー」
そう言ってアズミはさっさと何処か行ってしまった。やはり掴みどころのない奴だった。
――しかし、それ以上に。
「エリン、意識はある?」
アズミの姿が見えなくなるのを待って、ずっと地べたに座ったままだったエリンに声を掛けた。応じてこちらを向いたので意識は大丈夫のようだ。
「大丈夫です、ちょっと疲れちゃっただけで」
「動けるならちょっとこっち来て」
エリンはよいしょと立ち上がると、迷いなく、まっすぐこちらに歩いてきた。
(もし罠とかだったらどうするのよ、不用心な……)
「なんでしょうか」
そう問いかけるエリンに、セラは自身の右手の甲を差し出した。
「この刻印から一画、それとカルナの刻印とれるだけ持っていきなさい」
理解が追いつかないのか、きょとんとするエリンに畳み掛ける。
「いいから持ってけ!」
そう言ってゴリ押ししようとしても彼女は首を傾げるばかり。
(あーもう……全部話すか……)
「――エリン、私は君に感謝しているんだ。
今日、展開によっては……私はこれでカルナを殺す気だった」
そう言って小刀を取り出し、地べたに投げ出した。氷ではなく、包丁より少しばかり刃渡りのある、十分に人を刺殺できそうな鉄製の小刀。
エリンは顔を強張らせて「なんで?」といった目をしている。それは正常な反応だ。
「私はね……もうこれ以上、苦しむこの子を見たくなかったんだ」
気を失っているのをいいことに、勝手に膝枕に乗せているカルナの頭の赤い癖っ毛を優しく撫でる。
「この子はね、本当に……人一倍臆病なんだ。ちょっとしたことに怯えてしまう。でもそれが嫌で、けれどそんな自分を受け入れられなくて、その結果が里一番の利かん坊さ」
……本当に不器用な子なんだから。
「だからこんな……疑心暗鬼で殺し合いまで起きる状況は、彼女には堪えられなかった。それで私が――これは私が早まってしまったのだけれど、私がこの子のために必要な刻印、全部揃えてくるなんて言っちゃったんだ。でも、それが結果的にこの子を焚き付けた。自分で刻印集めるなんて言い出してしまった。
……この子、既にナルザから一画奪ってるんだ。あのナルザから。……と、言ってもナルザに戦意はあまりなかったし、最後は私が横槍で援護しちゃったんだけどね。
それで脱落したナルザから最後の一画を奪うことはできたけれど……この子の怯えはいっそう酷くなった。
その頃には腹を括っていた。この子が恐怖で壊れる前に……私の手で終わらせてあげようと。――私もバカよね。なんでそんな結論に達しちゃうんだろうね。だから一度貴女に敗けたあと、もう駄目だと思って覚悟していたのに、この子は再戦を希望した。
意外どころじゃなかったよ。特に貴女は私たちの知らない未知の技を使っていたから。もう堪えられなくなると思ってた。
だから……この子が臆病な自分にもし打ち勝てたらって少し希望を持ちつつも、やはり駄目だったらもう終わらせるつもりでいたんだ。――そしてその結果、今、私は小刀を投げ捨てた。分かるかい?」
エリンは首を傾げる。自分でもなんでこんな問いかけをしているのかわからない。私は何がしたかったんだろう。一人勝手に空回りをして。
「えっと……さっきも言いましたけれど、私は他人の気持ちに疎いです。だから貴女の気持ちはよくわかりません。ですが、その気持ちの深さだけは分かった気がします。
それでカルナさんは――その、自分の中の臆病とかは分かりませんが、あの真正面からの力の押し合いの中で垣間見えた彼女の表情は、なにやら楽しそうに見えました」
――そうか。
良かった、きっとこの子は勝てたんだ。自分の中の自分に。そして吹っ切った。
もしかしたら、もう私は要らないのかもしれない。むしろ私がいるからこそ、彼女は私だけに頼りきってしまうかもしれない。
――それでも。
もう少しぐらいは傍に居てもいいよね。
「……ありがとね。だから私の刻印持っていきなさい、ね?」
「……まだ良く分からないけどわかりました」
エリンはようやく私の右手をとってくれた。さぁ、私の刻印、君に託すよ。
――そう思っただけで刻印の一画がするすると手の表面を這うように、エリンの左手の表面に流れ込んだ。これで五画。
「カルナの分ももって行きな。この様子だ、たぶん奪えると思う。完全にエリンの勝ちだよ、遠慮はいらない」
エリンはこくりと頷いてカルナの左手を取った。そして最後の一画まで――つまりは三画が、エリンの手の甲と、収まりきらずに腕にまで流れ込んで、新たな紋様を形作った。これで合わせて八画。
(やはり全部取れたか……)
最後は根性でまだやれると吠えていたけれど、本当は心の底から敗北を認めていたのかな。
自身の完全なる敗北というのは、中々認めるのが難しいことだ。つまり、やっぱりこの子は勝てたんだ。
「じゃあ、私はこのままこの子を連れて帰るよ。――っとその前に」
おそらくエリンが見落としているであろう大事なことを伝えなければ。
「エリン、君は十四番を追い掛けるつもりだろうが……儀式自体は十四番を倒さずとも勝利できることを分かっているかい」
彼女は首を傾げてなんだか間の抜けた顔をした。やはり分かってなかった。でも、セラの知っているいつものエリンのようで少し安心した。
「エリン、今各自が持っている刻印の数を数えてみてごらん」
不思議そうな顔をしつつも、エリンは言われる通り数え始めた。
「今、私が二人から四画貰って、あわせて八画。
セラさんが残り一画。
えーっとナルザさんのはカルナさんが奪ったんでしたっけ。ラスタさんはたしか五画?」
首を縦に振り肯定する。
「ライラさんはもう無くて、その手の二画はたぶん十四番が持っていて。
アズミさんが二画、カナミさんが二画、イマリさんが一画。
それとリサさんの二画。
……最後に十四番の七画」
うん、よくできました。
……しかし、やはり数は合わない、か。まぁ今はいい。
「じゃあ、その中で貴女と十四番以外で二画以上もっている人は?」
「ラスタさん、アズミさん、カナミさん、リサさん」
「その四人の譲渡できる刻印の数……つまり一画ずつ引いた数をさらに足してごらん」
「えーっとラスタさんが五画だから四画、アズミさんカナミさんとリサさんが一画ずつで合わせて七画」
「そして君の手にあるのは?」
エリンはハッとした。やっと気付いたようだ。
「気付いたようだね。つまりもし、四人を説得して刻印を譲り受けることができれば、もう戦わずとも十五画が揃って君の勝利だ」
実際のところ、それはまず無理だろう。
カナミはきっと譲らない。ラスタとリサはまだ可能性はあるが、実際どうかは分からない。アズミは……どうも引っ掛かる。具体的な根拠があるわけではないが、やはり警戒心が疼いてしょうがない。
ただ、エリンがどうしても十四番と直接戦うと言うのなら、他の道を示した上で覚悟をして欲しかった。
――あれ、私なんで彼女にこんなに肩入れしているんだろう。
「それでも私は……あの人と戦います」
エリンは揺らぐことのない意思を持った目をしていた。
「なら行っておいで。変な仮面なんて引っ剥がえして、その面でもぶん殴っておいで」
「はい」
十四番を倒す。それを彼女はどういう認識でいるのだろうか。ただ術比べで勝つだけなのか、それともその手を血で染める覚悟をしているのか。
……まぁ、それこそ彼女の選択だ。
「それと最後に一つ」
エリンの耳元に近づいて囁く。
「――アズミには気をつけろ」
「はい、分かってます」
杞憂だったようだ。ならば行っておいで、言霊使い。
「幸運を祈るよ」
最後にそう言ってセラはカルナを両手で抱いて持ち上げ、その場を後にした。気を失ったままの彼女の顔は、心なしか満足げに見えた。




