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桃源の乙女たち  作者: 星乃 流
一章「乙女たち」
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第三話

 その日、アルヴの里の首長であるアルの家に十二人の少女が里中から集められた。

 アルヴの里は西、北、東の三方を高い山に囲まれた盆地である。そして南方向は切り立った崖が滝を降ろし、陸の孤島と化している。

 その盆地全体を「里」とし、それをいくつかの「集」に分け、その中に最小の単位として「家」を置いた。この里の社会活動は主に家単位で行われる。

 その家々の中でも代々首長の役を継承してきたのが「アル」の家である。

 アルヴの民がこの地に入植した際にあった始まりの八家。その長だったのがアル家であり、これまで絶えることなく代々首長の役を務めてきた。

 首長とは有り体にいえば里の長ではあるものの、長としての権力というものはあまりない。そもそもこの里では権力という概念にほとんど縁がないのだ。

 長の役目の一つは、里の中での重大な方針、規律などの最終決定、及び諍いごとに関する最終的な裁定、仲裁を行うこと。ただし、大概の場合、長の決定、裁定を仰ぐ前に問題は解決してしまう。ある意味平和である証でもあった。

 そしてもう一つは米、塩など重要な食糧の管理。

 アルヴの民が入植したときより栽培し続けている稲、それから作られる米は主食の一つではあるが、栽培するための水田に適した土地がこの閉じられた里の中では極一部に限られている。そのため収穫された稲は脱穀などを経てから一度首長の家が預かり、その後各家に平等に分配する。――はっきりいってこれは雑用である。

 別に一度預かるからといって多めに貰えるわけでもなく、不正を働く隙もない。

 他にも細かなことはいくらか有るものの、大体が雑用である。一応地位に見合う優遇はあるにはあるが、わざわざこれらの厄介事を引き受けてでも欲するほどのものでもない。

 つまり、これまでアルヴの里の歴史で揺らぐことなくアル家が首長の地位を独占し続けることができたのは、ただ単にその座にあまり魅力がないということでもあった。

 そして今、そのアル家の裏庭に十二人の少女と一人の少女、――そして彼がいた。

 アルの家の屋敷は大きい。実情はどうであれ、仮にも首長の屋敷だけあって里の中でも一番の広さを誇る。

 最も特徴的なのは、母屋を囲った高い塀だ。この里では家屋に塀がついていることのほうが珍しい。特に大きな屋敷丸ごとともなれば、だ。

 だから誰もが知らなかった。屋敷の最奥にこんな庭があるなんて。

 広い立派な前庭は誰もが知っていたし、これまた風流な中庭があることも、直接見たことがなくとも聞き及んでいた。しかし、さらに奥の果ての庭の存在はその場に招かれた誰も知らなかった。

 招かれた少女らは、広い屋敷の中に通され、長い廊下を進んで曲がって進んで曲がってを繰り返し。中庭の横も通り過ぎ、さらに奥へ奥へと進んだ先で視界が開けて、その庭に辿り着いた。

 質素な庭だった。小さな石ころが敷き詰められていて、石垣のような塀に囲まれている。石垣やその足元に置かれた大きな石にはところどころむした苔が緑を添えている。

 そして一番目を引いたのは、中央に構える巨大な岩だった。中はくり抜かれて空洞のようで、祠のように飾り付けがなされている。

 ――それは紛れもなく祠であり、その中に在るのは御神体ではなく、一人の人間が鎮座していた。

 アル家の嫡男、アルト・イ・アルは物言わぬ氷像と化して、そこに座っていた。


 「――夫、アルトは産まれながらにしてとても虚弱でした」

 この庭に通された時点で、誰もがゾクリと寒気を感じていたがそれは正常な反応であり、その原因はこの祠にあった。中はすべてが凍てついており、霧のような冷気を周囲に吐いて視覚にまで寒さを訴え掛けていた。

 その氷の祠の中で肘掛けと背凭れのついた椅子に座ったまま、次期アル家当主アルトは凍りついていた。彼は表情を苦悶で歪めるわけでもなく、ただ静かにそこに在った。

 そんな氷の祠の前で「彼女」は語り始めた。

 「アルトの命は母の腹より取り上げられた時には、もう既に風前の灯火だったそうです。本来なら尽くせる手はありませんでした」

 肩まで伸びたさらさらとした銀髪に一点の汚れもない白い肌。それを包み込む、華美ではないものの、どこか繊細な艶やかさを感じさせる衣。透き通る空色の瞳。差し込む夕暮れの陽光。そのすべてが相まって、幻想的で、儚げな雰囲気を醸し出す少女。

 彼女の名はハルキ・ル・アル。――アルト・イ・アルの正妻である。

 「しかし、彼が産まれる直前、外界から来た『呪い師』を名乗る人物がアル家を訪っていました」

 そう語るハルキの声は決して大きくはない。だというのに、その透き通る声は不思議とはっきりと聞こえ、頭の芯にまで届いて言葉を理解させる。

 「その者は全身を、顔までもを黒布で包み隠した誰が見ても怪しげな風貌の人物だったそうです。結局素顔を見た者がいたのかどうかは私も聞いておりません。

 その者は告げたそうです。『間もなく産まれるあなた方の男児は産声と共に既に死の淵にあるだろう。だが、私ならばある代償と引き換えに子の命を救い、未来への希望を繋ぐことができる』と。

 そして産まれた男児――アルトは、本当にいつ息が絶えてもおかしくない虚弱児でした。

 結果として、両親である現アル当主夫妻は呪い師の条件を飲み、彼を頼りました。今この日この時、あと幾日かで齢十五を迎えようとするまで彼が生き存えているのは、その呪い師の力があったこそなのです。

 しかし、呪い師からは前言の通り、彼が生き存えるに当たってある代償を提示されていました」

 そこまで言うと彼女は一息ついて、冷たい祠の中の彼にちらりと目線を向けた。物言わぬ氷像から視線を皆の方に向き直し、彼女は話を続けた。

 「カルナ様は右利きでいらっしゃいますでしょうか」

 「ん? あ、あぁ、そうだが」

 唐突に話を振られ、短めの赤い癖っ毛の大女――カルナは困惑しつつ答える。ただでさえ話がさっぱり飲み込めていないところにいきなり振られたため、柄にもなくおどおどしてしまった。

 「では、左手をこちらに差し出してもらえますでしょうか」

 訝しげな表情をしながらもカルナは左手を前に差し出した。

 「失礼いたします」

 そう言ってハルキは差し出された手を右手で取ると、目を瞑り息を整えた。その場の全員がカルナの左手――背丈に比例するかのように大きな手――の甲に注目していた。するとハルキの右腕の袖の下から「黒い線のような何か」が彼女の手の表面をするすると曲線を描いて伝い、カルナの左手の表面に流れ込んだ。

 「あぁ!? おい、何した!?」

 カルナは咄嗟にハルキの手を振りほどき、自身の手の甲をまじまじと見つめる。

 「……おい、何だこれ」

 「カルナ様、お手を――手の甲を皆様にお見せください」

 ハルキは事態が飲み込めず混乱して動けないでいるカルナの左手を再びとり、その手の甲をよく見えるように皆に向かって差し出した。

 そこには二本の黒い線が組み合わさり、なにか記号のような、単純な紋様のようなものが描かれていた。一本の線が真ん中で二辺に折れ曲がり、その折れ目から両端にかけて内側に曲線を描いて凹んでいる。それが二本、対に描かれてひしゃげた菱形のような形を作っていた。

 「な、何なんだよこれ!」

 動揺して大声をあげるカルナを余所に、ハルキは相変わらず静かで、しかしよく通る声で皆に告げた。

 「これより、皆様にはある儀式を――この『刻印』の争奪戦を行っていただきます」

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