第四話(第二十九話)
「今日のエル家の捜索は一旦は打ち切った」
ナルザの父、現ウェル家当主が一同に告げた。
場所はウェル家別邸の応接間。
ウェル家はいつの代からかは分からないが、普段から里での催しや雑務、仲介役などの務めを行っている。ウェル家の手に余ることや、より重要な案件は首長のアル家に回されるといった仕組みが慣例化されている。
そんなウェル家の応接間は様々な寄り合い等で使われることも多いため、別邸であれどアル邸宅と同様に大人数で集まるのに都合の良い部屋造りになっている。現在、其処にカナミとアル家に残っていた刻印持ちの全員が揃っている。
ライラは命に別状はなく、現在はラスタのウォル家邸宅の一室で眠っている。命に別状はないが、左手を手首よりやや上で切り落とされていた。発見が早かったため出血さえ止めてしまえば命に別状はなかったが……完全に切り落とされた左手は、療術を以っても元に戻すことは叶わなかった。
尚、切り落とされた刻印の宿っていた左手は現場からはみつけられなかった。
ライラは応急処置を施された後、距離の関係でラスタのウォル家邸宅に運び込まれ、それからずっとラスタが付きっきりで看ている。
カナミはラスタたちと別れ、ウェル家までやってきた。ラスタとライラの両家の者数名もウェル家まで同行したが、当の二名がいないのでエル家を訪れた刻印持ちはカナミだけとなった。
アル家の屋敷に残っていた面々はライラ負傷の報を受けた後、ナルザのウェル家の別邸に場を移した。
里の未来を予言し、その安寧を左右するとされてきたエル家。その閉ざされた家が最も繋がりを深く持つのが首長のアル家だ。エル家に何かがあるとわかった以上、アル家の信用も揺らぐのは必至だった。
エル家でのライラ・ウェト・アルマ襲撃事件の後、ウェル家を中心に大勢の大人たちでエルの人間を全て拘束し、敷地内の捜索を行っていた。エルの屋敷の中で起きた事件にも関わらず、エルの者が非協力的で口を濁すことから、すぐにこの家は何か隠しているということになり、エルの全員を拘束した上での大捜索をするに至った。
とはいえ、元より他の家の者をあまり寄せ付けない家。尚且特殊な任を代々担ってきたことに関係してなのか屋内の構造も少し特殊で、勝手が分からず捜索はやや難航していた。
カナミはエル家を発つ直前、もう一度リサの様子を見にいった。相変わらず何とも表現し難い、悲しみという言葉だけでは言い表せない眼をしていた。
「しばらくお眠りなさい」
カナミは彼女の頭に優しく手を乗せてそう告げ、その場を後にした。
エル家邸宅を出る前に、大人たちにリサのことは今は軟禁するだけに留めることをお願いし、彼女の両親である当主夫妻は必ず何かを隠しているとも告げておいた。
(――もっと早く気づきべきだった)
アル家には長年に渡って秘匿していた存在が実際にいた。そしてエル家もまた何かを隠し抱えていた。
エル家が何かを隠していたこと自体は、私が最もよく分かっていたはずだ。あのリサの瞳を幾度も幾度も見てきたからこそだ。だのに、気付くのが遅すぎた。推察に至る要素は揃っていたというのに。
「――当主夫妻は現在は捜索に従順で協力的だ」
「いいからさっさと捕まえろよ!!」
ウェル当主の話にカルナが声を荒げ、つっかかる。
「姉さん……!」
カルナの一つ下の弟――現在のイル家当主が、焦った顔で彼女の袖の裾を引っ張る。今までのこの儀式に絡んだ集まりでは当事者ばかりだったが、今回はその家族ら数名も同席している。連日の事態が事態だ。当事者のみなんてもう言ってはいられない。
無作法なカルナの放言をウェル当主は否定も肯定もせず、話を続けた。
「アルマの娘――ライラの状態だが、やや血が足りないものの命に別状はない。だが失われた左手は、完全に切り落とされた以上、いかなる処置を以ってしても再生は不可能だ」
しばしの沈黙が流れた。
「ですが……きっと命があるだけまだマシなのでしょう」
誰も口にできなかった言葉を、他ならぬライラの義母――前当主の次妻――が溢した。とても悲しげな声音で。
「あの子は昔からちょっとぼーっとしたところがありましたが……まさかこんなことに……」
共にエル家に赴いていたライラの実母はこの場には来ていない。
ライラが襲われた直後、溺愛する娘の痛ましい姿を見た時点で錯乱状態に陥りどうしようもなくなったため、大人たちがほぼ力尽くでアルマ家の屋敷に送り届けた。
その後はなんとか少しは落ち着いたらしいが、その代わりに代表としてきたのが前当主の第二夫人であった。過剰に溺愛する実母のことをライラ自身はあまりよく思っていなかったらしく、どちらかというと、まだこの義母の方に懐いていたという話を耳にしたことがある。義母本人もこの本当に悲しげな様子からして、実の母子のような深い繋がりが彼女たちにはあったのかもしれない。
「お嬢さんからは何か話は聞けましたか?」
ライラは最初、しばらくは意識を失っていたが、その後少しは目を覚ましたらしい。本来なら腕の激痛が続いているはずだが、そこはウォル家の医療師の力で抑えていた。始祖八家の一角だけあって、ラスタのウォル家の抱えている医療師は優秀らしい。ライラのアルマ家ではなくウォル家に運び込まれたのはこういう理由もあった。
「まだぼーっとしていましたが、それなりに受け答えはできました。何かに呼ばれるように屋敷の中を歩いて行ったところ、唐突に左手を切り落とされた、と。
犯人の姿形はほぼ見ておらず、気を失う直前に誰かの足がみえたかもしれない、ぐらいだそうで……お役に立てず申し訳ありません」
そういって頭を下げる彼女をウェル当主が宥めて、上げさせた。
――ライラは本当にそれ以上のことは分かっていないのだろう。
それよりも……エル当主夫妻だ。
彼らが何かを隠しているのはもう誰の目にも明らかになってしまっている。屋内の捜索には協力的にはなってきたそうだが、秘している核心については未だ口を割っていないようだ。これだけ大事になってもまだ伏せるのか。
(――言うべきか、どうするか)
おそらく私の推測は当たっている。確たる証拠は何もない。ただそれが真であると仮定すれば全ての謎の辻褄が合う。
それともう一つまだ皆に伝えていない情報がある。
事件の直後、カナミが真っ先に探したのは共にエル家を訪れていたラスタの母、アリーザの姿だった。彼女は応接間の近くの廊下に置いてあった肘掛椅子に凭れて、微睡んでいた。
ラスタの母は「光と風の奇術師」などと呼ばれている稀代の術者だ。彼女はとても風変わりな人物だったが、人柄もさながらに高い技能の「使い方」が大変特異であった。
その中でもある種怖れられているのが「千里の目」「千里の耳」と呼ばれている技能。理屈ははっきりと分からないが、光や風の力の応用でそのままの五感では届かない遠くのものを見たり、聞いたりできるらしい。
だからこそ……何か私たちが得られない情報を知っているかもしれない。
それ故、真っ先に彼女の姿を探し、見つけることができた。そして尋ねた。今この屋敷の中で何があったのか、何が起きているのかを。
彼女はまだ少し微睡んだまま、断片的な言葉を呟いた。
「泣いている、泣き叫んでいる。
一人は去った、もう居ない。
騒々しい、何かを探している。
怒鳴り合い、宥める、悩む。
――彼女は……何処?」
拾えたのはここまでだった。彼女は再び微睡みの世界に沈んでいった。
……いや、もしかするとさらに深く情報を探そうと、光と風の感覚の中に潜ってしまわれたのかも知れない。
最初の二言はおそらくラスタのこと。愛慕するライラがあんなことになったのだから当然だ。彼女があれほど大きな声を発するのを初めて聞いた。
逃げたのは犯人か。素早い撤退だが、そのまま潜んでいたと言われるよりはずっと良い。まだあの屋敷に居たのなら、最悪襲撃したのは関係者で何食わぬ顔で皆の前に戻っていた、なんてこともあり得た。
そして次、屋敷の者たちだろう。「何か」を探している……何を? いや、これは……「誰を」と取るべきか。それなら辻褄が合う。
怒鳴り合い、おそらく隠しているその「何か」について――そして今後の対処を検討した。
そして最後。「彼女は……どこ?」これは誰の言葉なのだろうか。屋敷の誰かの言葉なのか、それともこのラスタの母、アリーザ本人の言葉なのか。それとも――。
――これらの情報はカナミの推測をさらに確信へと近づけた。
これを今、皆に伝えるべきなのか。それで皆の心に気休めでも安寧を与えられるのだろうか。正体だけが分かったところで怒りの方向性を与えてしまわないだろうか。
既に三人が死んだ。そして一人が手を切り落とされ、事実上実質四人が脱落した。刻印を二画以上持っているのは自分をいれて七人。十四人目を加えて八人。一画しかない者を除くと半数近くが実質リタイアしているに等しい。――あぁ、そうだ、刻印といえば数が合わなかったんだった。その点についてはまだ私にもさっぱりわからない。
――そうだ、この一点がある以上駄目だ。
おそらく私の推察は当たっている。もう、ほぼ確信に近い。ただ、刻印の数の帳尻が合わないことに関しては何の見当も付いていない。これを解決しないまま下手を打つことは……最悪自分の死に繋がる。私は直接の戦いになれば決して強くない。
気づけば大人たちが今後の方針や今やるべきことをあーでもないこーでもないと必至に話合っていた。
――皆々様、申し訳ありません。私の知る情報と導き出される答え。今しばしは伏せさせていただきます。
私にだって、叶えたい願いはあるのだから。




