第二話(第二十三話)
応接の間にて上座に前アル当主夫人を仰ぎ、九の家の長女たちが集められた。未だレミの亡骸に寄り添っているエリンには落ち着いてから来るようにと伝えられた。
あまりに衝撃的で凄惨な現場を見てしまったために、怯えて正気を失いかけていたイマリはナルザがなんとか落ち着かせた。怒り心頭だったカルナもどうにか自分を抑えてじっと話が始まるのを待っている。
「先程の刻印を持っていたという謎の襲撃者、及びハルキの殺害。それらの話しをする前に、今一度始まりからのすべてを改めてお話しさせて頂きます」
全員が夫人に注目する。夫人は落ち着き払った冷静な顔を崩すことなく淡々と話し始めたが、その瞳にだけは悲しみの色が僅かに窺えた。
「始まりは十五年前、私が孕んでいた双子が生まれる直前でした。ある日、エル家当主が浮かない顔でアル当主――我が夫ハルトに面会を求めて訪れました。例の天啓についての報告でした。
私はその場に居たわけではありませんが、その後夫から伝え聞いた話はこうです。
――数十年ほど先……私たちの次々代が育つ頃、この里はそのすべてを覆うほどの業火に包まれる。それはただの火事などではなく、炎そのものがただならぬ厄災であるように感じられた。
――エル当主はそのように申したそうです。
周知の通り、エルの家は天啓の家系。大抵は当主のみが天啓――未来に起きるはずの出来事を夢で知ることができる力を持っています。
天啓とは唐突に夢に現れ、目が覚めても鮮明に覚えている光景。ただの映像だけではなく、その状況についても感覚的に知ることができる場合もあるそうです。
そして本人にはそれがただの夢ではなく、未来を映した特別なものだと直感的に確信できる。それを我らは天啓と呼んでおります。
一度降りた天啓は、それを阻止するために動かなければ必ず現実となる。逆をいえば、それからの行動次第で阻止することも出来る。アルとエルの家にはその過去の実績の詳細な記録が残されております。
――ですが、今回の天啓は特別でした。通常エルの当主のみに降りる天啓が、当主以外の複数のエルの者の夢にも現れたのです。
アルとエルに伝わる記録によれば、大きすぎる厄災を予知する際にそのようなことが稀に、数度ほどあったそうです。それ故にアル、エルの両当主は共にこの天啓が指すものが非常に大きな厄災であると確信。とはいえ、時期はまだかなり先ということもあり、当面は伏せることに致しました。
しかし、その直後にあの男が尋ねて来た。遂には素性を名乗りませんでしたが、あなた方に『外から来た呪い師』と説明した人物です」
ふぅ、と一息ついて夫人はさらに話を続ける。皆、静かに聞き入っていた。
「得体の知れない不思議な人物で、我らとは違う術法で自然を操る力を持っているようでした。けれど一番の問題は、かの者も既に天啓の内容を知っていたということです。
そしてその厄災を避けるための手段を私たちに示しました。これが今行われている儀式のことです。
まずは産まれた双子の片割れの男児――アルトに、かの者の術法によって延命処置と、時が来れば氷牢の術が発動する刻印を施す。これは貴女方の刻印とは異なる紋様のものです。
もう片割れの娘、つまりハルキには『刻印の種』とも言うべき『大刻印』を施し、以後『儀式』の進行役とするために育てる。
時が来ればまずハルトの具合が危篤へと傾き、次にアルトに掛けられた氷牢の呪いが自動的に発動する。それを以て合図とし、ハルキの持つ成長した大刻印を一定の年齢層の十四人の少女たちに分け与え、争奪戦を行わせる」
ここで違和感……というより、不審な点に気づいた数人がぴくりと反応した。夫人はそのままさらに話を続ける。
「そしてその勝者がアルトを氷の牢獄から解放し、その妻となる。やがてその二人の間に生まれる子こそ、この里を救う希望となる、と。
その時は、当然ながらそんな突飛な話をすぐに信じることなぞできず、そうこうしているうちに私はアルトとハルキの二人を出産致しました。。
そして……アルトの方は悔しいことに、呪い師の言った通り今にも息絶えそうな虚弱児でした。アル家の医療を持ってしても、早々に長くはないと宣告されました。
ご存知でしょうが、我が夫にはアルトと伏せられていたハルキの二人しか子がおりません。それは私が二人を孕んだ直後に、夫が病により再び子を望めぬ体となってしまったからです。首長という立場でありながら、側妻を碌に娶らなかったのはこのような事情もあったのです。
呪い師の提案について、私も夫も悩みました。しかし、決断を急がなければ時間がない。
最終的に、里を救う宿命があるからという理由をつけたものの、結局のところ我が子の命可愛さが決め手となりその呪い師を頼ることにしました。それが片割れである娘、ハルキの半生をも犠牲にすると分かっていても、まずは二人共の命を選択してしまったのです」
ここで夫人は深く溜め息をついた。彼女が一体どれだけの覚悟をもってその選択をしたのか。それが「親として」正しい判断だったのか。それはその場にいる若い娘たちには想像すらつかない。
「かの者の術法による施しを受けた結果、アルトの容態はみるみる良くなり、程なくして我が家の医療師も太鼓判を押すほどの健康体に至りました。
ですが既にお話した通り、その代償としてアルト、ハルキは共に『刻印』を与えられました。
アルトの刻印は引き続き本人の命の力を高め延命する機能。そして儀式が始まる際に発動する氷牢の呪いの二つの力を。
ハルキの刻印は体の成長と共に広がっていき、いずれ儀式に必要な数の刻印の元となる。
そして今、十五年を経て夫ハルトの体調の悪転を皮切りに、呪い師の告げた通り氷牢の呪いが発動してしまいました。
娘ハルキに関しては、儀式のことは表向き伏せたまま進行役にすべく育てなければいけないため、それが終わるまでは普通の子供として生きることが許されない。それ故、長くその存在を内々に育てるに至りました。
やがてアルトへの縁談を断る理由も兼ねて、その正妻という形をとって表に出すことになりました。アルトにもハルキにもある段階で儀式に関連するすべてのことを話してありました。
……長々とお話し致しましたが、ここまでは『ある一点』を除き、大体は既に貴女たちは説明を受けた内容のはずです」
大半の者は内心首をかしげていたが、数人は気づいていた。ある一点、決定的に辻褄が合わないことに。
「……儀式が始まるよりしばらく前、一つ問題が発生しておりました。
此度、十三家の長女に刻印を配りましたが、本来呪い師より告げられていたのは『十四人の長女』だったのです。――つまり一人足りなかったのです。
……エリン、貴女なら心当たりがすぐ思い浮かびませんか?」
夫人はいつの間にか応接間の入り口に佇んでいたエリンに問いかけた。
「私の従姉……ウルド家長女ですね」
そう答えるエリンの声は平坦で、何も感じさせない空虚な色が顔を覆っていた。身体中に包帯を巻いた痛ましい姿も相まって、いつものふわっとした雰囲気とはまるで別人のようだった。
はい、と夫人は頷きエリンにも座るように促す。
「呪い師の指定した年齢層に当て嵌まり、十四人のうちの一人だと思われていたウルドの娘は春先に、不慮の死を遂げてしまいました。それが呪い師の予測を狂わせたものと私たちは解釈し、まずは十三家の長女のみに計二十六画の刻印を配り、余った二画と元々進行役として必要だった一画の合わせて三画をハルキが所持したままとしました」
つまり存在する刻印の数は全て合わせると二十九画となる。
「儀式の開始時点では収集すべき刻印の数を各々の二画に残り十二人から奪取した十二画を加えた十四画と伝え、最後にハルキから本来十四人目から奪取するはずだった最後の一画を譲り渡すことで十五画とし、儀式を完了する予定でおりました」
ですが……と言って、夫人はここにきて少し言葉に詰まってしまった。呼吸を整え気の揺れを正し、夫人は続ける。
「昨夜、ハルキは屋敷に忍び込んだ何者かに殺されました。しかも、その手にあったはずの刻印は三画すべてが強奪されておりました」
気丈に振る舞ってはいるがやはり実の娘だからだろうか。ここまで毅然としていた夫人の声と表情に、共に少しばかりの乱れが生まれた。
「既に何人かはお気づきでしょうが、この刻印は持ち主を『殺す』ことで最後の一画まで奪うことができます」
皆、何も言わない。最年少のイマリから最年長だが問題児のカルナまで、皆々そのことにはもう気づいてしまっていた。気づかない振りをしていたかった者もいたが、遂にはっきりと現実を宣告されてしまった。悲劇を呼び寄せる絡繰りを。
「私たちとて、この小さな里の中で殺し合いなどさせるのは本意ではありません。そもそもそんな事をせずとも、全員から一画ずつ集めれば数が揃う計算になっています。
――ですから、このことは最後まで伏せたかったのですが……早々に明かされてしまいましたね」
本当に早かった。
最初の犠牲者が出たのは儀式が始まってからたったの三日目だ。しかも、最初に真っ当な対決で刻印の争奪戦が行われた当日だった。いち早くこの儀式の危険性に気づいていたセラやカナミから見てもそれは早すぎた。
「そして……最後に、先程のことについて。エリン、貴女にいくつか質問をしてもよろしいですか」
皆々の視線がエリンへと向く。
そこに在ったのはいつもぼやっとしていた少女の顔ではなかった。その表情は無機質で、悲しみも悔しさも憎しみも、何も感じさせなかった。
エリンは「はい」と答え、夫人からされた質問に順に応じた。
襲撃者の体躯はそこまで大きくなく、黒布で全身を包んでおり正確には分からなかったものの、おそらく齢十五の女子相当。声は完全に若い女のものだったが、エリンには聞き覚えがなかった。おそらくレミにも。
能力としては、最低でもあの場では雷、光、風の三属を操ったという。
「んな馬鹿なことあんのか?」
声を荒げるカルナに、セラも聞いたことがないとつけ加えた。
この中で最も古書に精通しているセラが知らない以上、少なくとも表の記録上には存在しない可能性が高い。夫人も存じていなかった。
夫人は最後にもう一点、エリンに確認をした。
「かの者が見せたという刻印……それは何画刻まれていたか分かりますか?」
「十画でした」
エリンはそう即答した。馬鹿げた話しだった。
雷単極のレミですら雷撃の撃ち合いで勝ち目がなかったのも当たり前だ。二画だけでも驚異的に力を増幅させる刻印が十画。一体どれ程の力を持っているのだろうか。その場の誰にも想像がつかなかった。実際に目の当たりにし、その身に受けたエリンですらあの力の底は見えやしない。あれで全力だったとはとても思えなかった。
「……わかりました。ありがとうございます。しばらく楽にしてて構いません」
夫人にそう言われ、エリンは「はい」と答えて視線を降ろし、再び沈黙に徹した。
「この十四人目……それが誰なのか、何者なのか。それは私たちとしても全く見当も付きません。
まず考えられるのが、昨年亡くなったウルドの娘が十四人目だったという解釈が間違っていたという可能性ですが……そうだとしても、ではやはりあれは誰だという話しになります。アル家の把握している限り、この里に他に該当する人物は存在しません。
三属持ちについては、何かしらの特異体質かもしれません。私は同例を存じませんが、適性に関する特殊な体質についての事例は過去にもいくつかはあったそうです。アルとエルの記録を洗えば何かあるやもしれません。
私たちアルの家にて把握している情報は以上で全てとなります。十四人目については何も有益な情報を持ち得なかったこと、申し訳ありません。
そして十四人目の存在、ハルキが殺害されたこと。この二点において、アル家は静観中立の立場を崩すことに致します。十四人目への対策に限りますが、私たちも貴女方に全面的に協力をいたします」




