第三話(第二十話)
(……気分が悪い)
エリンはアルトとレミ以外の人間にあまり興味はなく、人の輪に入るということを碌にしてこなかった。実質、他人を避けていたようなものだった。それがこんなたくさんの人で混み合った場所にいきなりやってきたものだから、すっかり人に酔ってしまった。
アル家の屋敷は――特に前庭から屋内に入ってすぐの応接間あたりまでは、人でごった返していた。慣習に倣って首長の弔式には全ての家の当主、正妻、子が男女一人ずつと大体四人ずつ集まる。小さな里とはいえ全ての家から三、四人ずつも集まればなかなかの人の量になってしまう。
弔問は順番が決まっているので、それに沿って本居の近い家の者から中に通される。近々亡くなる事が分かっていたおかげか、式の準備、段取りが手早く、正午前から順に奥に通され始めた。
エリンは正午過ぎに訪れたところをまずナルザに捕まった。
エリンの家――始祖八家のウルの傍系にあたるウルカ家は、弔問の順はかなり遅くに割り当てられていたため、本来はもっと遅く来てもよかった。
「全員の安全をできるだけ確保するため、弔式場には早めに来場するよう、願いします」
朝、首長の訃報と弔式の通達が来てから間もなく、ナルザの家からも使いが訪れそんな言伝を受け取った。
そういうわけで仕方なく言伝通りに早めに訪問したところ、すぐにナルザに捕まり、昨日のことを事細かに聞かれ、労りの言葉も貰った。
弔問の順番はまだ当分先だったが、敷地内は酷く混み合っているため庭の端の日陰になっているところで休むことにした。里で一番大きいアルの屋敷とて全員は屋内に入り切らず庭にも順待ちの弔問客用の椅子がいくつも出されていたが、エリンは地べたに座ってひんやりとした塀の内側に凭れ掛かかっていた。両親は挨拶などで揃って何処かへ行った。ちなみにエリンの家は未だ男児に恵まれていないため、エリンと両親の三人での出席だった。
しかし、これだけ端のほうに逃げて来ても、塀に囲まれほぼ閉じられた空間に人が祭りほどに溢れ行き来している様は、エリンには息苦しかった。何か自分の居場所がない、自分の居てはいけない場所に居るような気がして、すぐにでも外へ飛び出したかった。
「エリーン!」
気分は悪くなる一方でくったりして呆けていると、聞き慣れた声がした。
「大丈夫? 顔色悪いよ?」
昨日の今日でどう対応していいのか分からず内心慌てふためいているエリンに対し、レミは何事も無かったかのように、いつも通りの笑顔でエリンに話しかけた。面倒見の良い、ただの優しいお姉さんだったレミとして。
「……ちょっと人に酔ったみたい」
「やっぱりねー。ほんと人多いの苦手だよね、エリンは」
そうやって普通に年下の子を扱うようにエリンの頭を撫でてくる。
(なんでそんな、いつも通りでいられるの……?)
――私は……私は未だ応えられていない。答えを出せていない。
レミ姉さんのことは好きだ。でも、私と彼女の「好き」はきっと違う。なら答えは分かりきっているはずなのに、それを選べない。
――だって大好きなレミ姉さんのことを悲しませたくない。
もし、彼女が喜んでくれるなら、それなら私は……。
(……ううん、たぶんそれも違う)
自分を偽って答えを出したとしても、きっとそれは良くないことだ。それにレミ姉さんなら簡単に見抜いてしまうだろう。
それならやっぱり答えは決まっているはずなのに……どうしてもその答えを選べなかった。
レミ姉さんを悲しませたくない、悲しむところを見たくない。そうしてしまったら私は……。
――あぁ。
(そうか、私、ただ怖いだけなんだ……)
悲しませてしまうだけじゃなくて、その後、これまでの関係が壊れるのが怖いんだ。
レミ姉さんの為なんかじゃない。私は怖くて、ただ怖いだけで何も言えずにいるんだ……。
――だったら……ここはきっと、頑張らないといけないところなんだろう。勇気を振り絞らなければいけないところなのだろう。
(でも、怖い……)
「エリンー?」
「え、はい」
「どしたの、寝ちゃってた?」
考え込み過ぎてレミ姉さん呼ばれているのに気づかなかったらしい。
(答えを、答えを言わないと……)
――でも、怖い。いや、それ以前にここはちょっと人が多すぎるし……。
「ねー、ちょっと外行かない?」
意外にもレミ姉さんの方から誘ってくれた。むしろ危ないから外には式が終わるまで一切出るなって言ってきそうなのに。
レミは顔を近づけて耳打ちしてきた。
「今ね、刻印持ちは皆この屋敷の敷地内にいるの。だから二人だけで外に出ても安全だし、もし何かあってもこの距離だからすぐ気づいてもらえるから大丈夫よ」
エリンはレミのお誘いに甘えることにした。