第一話
「めんどくせぇ……」
大柄で赤毛の女、カルナは木の床に仰向けに寝そべったまま、そうぼやいた。もう夏は過ぎたが日中はまだそれなりに気温が高くあるため、冷たい木の床が気持ちいい。
「そんなこと言ってないで、そろそろ出ないと遅れますよ、姐さん」
長い銀髪と澄んだ青みがかった瞳の美しい少女は、彼女を穏やかな口調で諭す。
「なー、これ何の呼び出しだと思う?」
カルナは相変わらず寝そべったまま、その銀髪の少女――セラに問うた。
「なんでしょうね……。私と姐さんだけではなく、そこそこの人数が呼び出されたようですが」
「他にだれ来んの?」
「ナルザやレミなど私たちと同世代はとりあえず呼ばれているそうです」
「げ、あいつも来るのかよ……」
あいつとはナルザのことである。齢十八のカルナより二つ下、セラと同じ齢十六にして、この里の現在の子世代の中心にいる少女。
カルナはあまりに真っ直ぐで正しすぎる彼女のことが苦手だった。好き嫌いの問題ではなく、決定的に反りが合わないのだ。
「他にももっと下の娘らも呼ばれているみたいですが……」
そんなことより、とセラは続ける。
「はい、早く起きてください。首長の命なんですよ」
「……そもそも首長の命ってそんな大事なのか?」
意地でも動きたくないとばかりにひんやりとした床に張り付いたまま、カルナはまだぶーたれる。そんな自分より歳も体格も上の少女に、セラは溜め息混じりに答える。
「この里の長からの招集ですよ? 大事に決まってるじゃないですか」
「でもさー、長っていったって別になんもしてないじゃん」
「食料の管理とか色々と大事なことやってますよ……。里の重要案件の最終決定権も首長にあります」
「でも決定権とやらってほんとにあんの? あたし知らないんだけど」
毎度毎度のことながら、ぐだぐだ言うばかりでまだ動こうとしない、この図体ばかりでかい女にセラはさらに溜め息をつく。何か面倒な用事ごとがある度に、セラはカルナと似たような遣り取りを繰り返している。
「姐さんが知らないだけです! それとこの里が平和すぎるんです。もし里全体に関わる大事とか起きてしまったとき、長という立場の人がいなければ大変なことになるんですよ」
そんなもんかねーとカルナはどうでもよさげに呟いた。いつの間にか身体を返してうつ伏せで床にへばりついている彼女の尻をセラは引っ叩く。
「いてっ」
「ほら、いつまでもぐだぐだ言ってないで行きますよ! その前にもうちょっとマシな服に早く着替えてください!」
(お前はあたしのかーちゃんかよ……)
カルナはそう小声で呟いてから渋々と支度を始めた。
「エーリーンーー!」
名を呼ばれ、ハッとしてその少女は振り返った。
「あれ、レミ姉さんいつの間に……」
「ちょっと前から居たってば! 呼んでも呼んでも気づきやしないんだもの」
呼びかけたほうの少女はややお冠に答える。
「あ、ごめんなさい、ぼーっとしてて……」
肩まで伸びた漆黒には程遠い、少し茶に近い黒髪の、やや小柄な少女――エリンは未だにぼやっとした様子のまま答えた。声音はふわふわしていて、瞼は今にも閉じそうだ。
「はーい、ちゃんと起きて起きてー! というか戻ってきなさーい! また風とお話してたの?」
あー……と返事にもなっていない声を返す彼女に対し、彼女よりもずっと長い、透けるような金髪を後ろで一つ括りにした少女――レミは溜め息をつく。
よくあることだった。エリンはとにかく気づけばぼーっと外を眺めて――いや、風を浴びている。彼女曰く「風とお話」しているらしい。多くの人はおかしな子だと呆れるか憐れむか、それとも気味悪がって敬遠するかしたが、レミだけはなんだかそれに慈愛のような感情を掻き立てられた。――だが、それとこれとは別である。
「はいはい。それで覚えてる? これから首長さんの家に行くんだよ? アル家だよ?」
頭をぽんぽんと叩いてレミがそう問いかけると、数拍の間を置いてから彼女は目を見開いて、ようやく現実に覚醒した。
「あぁ、着替え! 着替え!」
慌てふためいて用意を始めようとする彼女に、レミはまだそう急がなくていいよと優しく告げる。彼女がこんなにちょこまかと、ぱたぱたと慌てふためく姿はとても珍しい。
(まったく、世話がやけるなぁ……)
唐突な里の首長のアル家への招集。しかも、呼ばれたのは自分たちと近い年代の少女ばかり。一体何の用なのやら、レミにはさっぱり見当がつかなかったが、エリンにとってはアル家を訪うという事態が大事なのだ。
「それにそこまで畏まった服装しなくてもいいと思うよ?」
「や、そういう、わけ、には!」
普段お洒落なんて興味がない癖に、無駄に中身の揃っている衣装箪笥からあれやこれやを引っ張り出して、珍しく女の子らしくあたふたしている彼女をレミは穏やで優しい顔で見守っていた。
(こんな様子が見られただけでも、今日の呼び出しには感謝かな)
「カナミさん、お忘れものなどはございませんか」
「はい、大丈夫のはずです」
紫の瞳が神秘的で、肩よりもやや下まで伸びた深い黒髪の少女、カナミは答える。その黒髪は今日も美しく艶やかで、見た者を闇へと吸い込んでしまいそうなほど、ただただ純粋に黒かった。
彼女は考えていた。今回呼び出された理由を。
カナミが事前に知り得た情報によると、首命により呼び出された人物のうち最年長は齢十八のカルナ・イェ・イル、最年少は齢十二のハレ・ラ・ウェルス。その他の呼び出された人物も、知る限りはこの七歳の年齢層の間の少女たちだった。
呼び出された全員を把握できている確証があったわけではなかったが、彼女にとっては状況証拠として十分だった。
――おそらく、十五年の時を経た謎がようやく動き出す。
十五年前、首長の家に跡継ぎであるアルト・イ・アルが産まれた直後、いくつかの家に不可解な首命が下された。そしてそれを各家の当主の全員が全員、今も頑なに守り続けている。その中にはカナミの家も含まれているが、彼女がいくら調べてもその謎は解け得なかった。今や大抵のことには弱気となった父も、これに関してだけはいくら問うても決して答えてはくれない。あの首命に隠された真実はどのような類のものなのだろうか。
「あの、カナミさん?」
見送りの者に声をかけられ、彼女は我に返った。
「少し考え事をしていました。大丈夫です。――それと帰りはどうなるかわかりませんので、夕食は私の分は別にとっておいてください」
家人にそう言い残してカナミ・イェ・ウルは自身の屋敷をあとにした。
夏も過ぎ、そろそろ秋の涼しい風が心地よくなってくる頃合い。
少女たちはこれからこの平和な里を掻き乱す、小さくも激しく、烈しくも儚い戦いに各々の思いを秘め、身を投じることとなる。彼女らは何の為にその戦いに臨み、その先に何を求め、何を得るのか。
いずれ訪れる避けられぬ宿命へ向けて、この閉じられた楽園の運命は収束を始めた。