第三話(第十三話)
「もう一度確認します。彼女の手の――右手の甲には確かに刻印が一画も、少しの跡も無かったのですね」
「はい、確かに何もない……普通の少女の……手でした……」
カナミは血色の悪い青ざめた顔をした義母――父の側妻の一人――に確認を取った。
「ありがとうございます。辛い役目をお任せして申し訳ありません。よく休んでおいてください」
「そうさせて頂きます……」
これでカナミも殺害されたサリャの手の刻印が完全に消失していたことを把握した。自身の目で確かめに行きたかったものの、今外に安易に出掛けるのは危険と判断して義母の一人に遺体を――惨殺されたというサリャの遺体を――確認してきてもらった。自身が外出するならば護衛を最低二人は付けたいところだったが、まだ屋敷の中で早急に終わらせたいことが残っていて人を割けなかった。カナミ自身の巫術は戦闘に不向きなので、こうなってしまっては下手に外を出歩けない。慎重で警戒しすぎかもしれないが、それぐらいはする必要がある。
――想定していた最悪の事態がやはり発生してしまった。
確定したわけではないが、おそらくは対象を殺害することで、本来奪うことができないと説明された最後の一画まで、刻印を奪い尽くす事ができるようだ。刻印の奪取方法あたりの説明がどうも歯切れが悪く口を濁していた節があったので、何か隠していることは分かってはいたものの……とんでもない事実を伏せていたようだ。
カナミも「闇」の使い手であり、その力の指向は「人の気持ちを気取ること」に特化している。飽くまで「気取る」程度なので、頭の中で考えている事の委細を正確に知ることはできない。ただ、何かを隠していれば「隠している」ということ自体は認識できるし、その隠し事の「重み」もある程度は把握できる。
また、嘘をついているかどうかはほぼ確実に見抜くことができるので、それを忌み恐れられ、珍しい瞳の色にちなんで「看破の紫眼」などと陰では呼ばれている。
その能力もあって、刻印の授受の説明の折にハルキが何か大きな事を伏せているとは分かっていた。そしてその可能性として、この事態も想定はしていたものの、いざ現実になってみると……。
――吐き気がする。
この狭い里の中で死の宴なぞ始めてしまったら、一体その後どうなってしまうことか。
カナミは是が非でも、手段を選ばず最後まで残って勝者となるつもりだった。だが、想定でき得る中で最悪の事態がこんな早々に起きてしまった。しかも、その初手が既におぞましい。
刻印持ちの中でも特に若いサリャ。その彼女のまだ幼さの残る肢体は無残な姿に変わり果てていたそうだ。遺体は体中にいくつもの穴が穿たれ、血は既に赤黒く固まり、内蔵は破れ骨は露出し……とても見るに堪えない状態だったという。見に行ってもらった義母には悪いことをしたと心底思う。
遺体の見つかったその場に凶器は無かったものの、発見時周囲は水浸しだったという。
おそらく凍術の使い手の仕業だ。近くには小さな用水路も通っていたし早朝には雨も降っていた。氷刃を作る素材には事欠かなかっただろう。
凍術は水さえあれば自前で、その場で凶器を作製できる。刻印持ちの中で凍術を扱えるのはセラ、ナルザ、ライラ、アズミ、イマリ、ハレ、そしてカナミの七人と特に多い。それ故、容疑者がすぐに絞り込まれるようなことはないだろうが、自分も疑われるうちの一人だ。
だが、候補が多いといっても、普段の里の中での交流、交友関係の立ち位置から自分が真っ先に疑われる可能性は高い。
理解はしていたが、やはり他人からの信用というものはとても大事なもののようだ。そしてそれは一朝一夕で築けるものではない。
しかし、そもそもの話として、たとえ直接手を下したのが凍術の使い手だったとしても、それが印持ちの犯行とも限らない。
二人組で一人が氷を使って獲物を殺害し、もう一人が刻印を奪う。そんな手段も有り得るのだ。屈服、心を折る等といった心理的要因に関係なく刻印が奪える以上、「誰が」直接手を下したかが関係ない可能性は十分有り得る。
とはいえ、そこまで悪知恵を働かせ実際に行動できてしまえる者はどれだけいるだろうか。この長く平和に満たされていた里の中で。
――私は是が非でもこの儀式の勝者となりたい。そしてたとえ勝利したとしても、それによって手に入れたその一瞬の幸福で満足する気はさらさらない。私はもっとその先も欲しい。
だが、このまま血に塗れた宴が続くようならば。――その勝利の先に果たして未来はあるのだろうか。状況次第では私の手だって血で汚すことになるかもしれない。
……ともかく、まずは生き残る。そして私自身が出来得る限りいらぬ恨みを買わないように立ち回ろう。
静観しつつも刻印を集める手段を模索し、隙あらば他の刻印持ちからできるだけ平和的に、友好的に交渉し、集めてゆく。
誰かに――下手をすると殺人鬼に出し抜かれたまま、勝者の座を失うかもしれない。けれども、勝利の先の未来をも望んでいるのだから仕方がない。
――それにしても、だ。
「最初に闇に飲まれたのは誰なのかしらね」
カナミはぼそりと小さな声で呟いた