6話「実験と後悔」
石段に腰掛け竹ヒゴを作っていると、木桶に籾米を満載したフィーニアが通りかかった。
「お疲れ、沢山取れたな」
「手にマメが出来そうです……。でも頑張らないと!」
文官肌の彼女にとって野良作業はさぞ苦労した事だろう。
別の作業を任せた方が良かったか……。
そう反省したが、ふと別の可能性に思い至る。
ひょっとして、隷従契約のせいで文句を言えなかったのか?
事前に説明を受けた限りでは、思想や精神にまでは強制力で干渉できないという話だったが……。
昨日は共同生活初日という事で忙殺されてしまったが、実際の所、隷従契約とはどんな按配なのだろうか。
気持ちに余裕が生まれたせいで、自然と好奇心が湧き出てしまう。
試しに命令してみるか。
「フィーニア、右手を挙げてみてくれ」
「右手がどうかしましたか?」
突然の事でフィーニアは何を求められているのか分からない様子だった。
それでも軽く逡巡した後、顔の高さまで手を挙げて、ヒラヒラと振ってみせた。
どうも反応が鈍い。
俺は軽く唸り、隷従契約の仕様について考える。
「いや、隷従契約ってどんな感じなのかと思ってな。もっと『強制的に従わせる』ってのを想像してたんだが、こんな感じなのか?」
「さぁ? 私も初めての経験ですので……」
「何か強制力みたいなものは感じたか?」
「いえ、特に何も……」
そう言うと、フィーニアは再び両手で桶を抱えた。
まだ手を下ろしていいとも言ってないのだが……。
フィーニアの答えを聞いて、改めて俺は唸る。
今のは『命令』というよりも『お願い』口調だったからダメなのか?
どうやら、どんな些細な要求に対しても絶対服従、という訳ではないらしい。
ならば次はもっと強くはっきりと命令口調で試してみるか。
例えば『両手を挙げろ!』という命令なんか妥当かも……。
「あっ……」
「ん?」
フィーニアは何かに気づいた様な顔をすると「ふふふ♪」と笑い、再び手を挙げて俺に手を振ってくる。
少し照れながら愛らしく小首を傾げて。
まぁ、ちょっとかわいいと思ってしまったが……。
だが、そこで俺も気づいてしまった。
こいつの目には今、俺が子供たちと同列に見えているのだと。
赤子が見つめてくるとあやしたくなる、それに似た衝動に駆られたのだろう。
俺が命令してまで、そんな愛情表現を求めたと思ったのだろうか?
子ども扱いされていることに内心イラッとしたが、悟られないように湧き上がる復讐心と悪戯心を隠し、俺も輝くような笑顔を投げ返す。
こめかみには青筋が浮いていたかもしれないが……。
そして、絶対に従わせる! という気合を込めて命じる!
「フィーニア♪ 両手で服の裾を持ち上げろ」
コーン! という音を響かせて木桶が落下し、籾米が一面に散らばった。
残響が消え、静寂を取り戻した遺跡の中で、俺とフィーニアは笑顔で向き合っていた。
先ほどとは違ったポーズで――――
どうやらフィーニアには、自分の腕が勝手に動いた自覚がないらしく、状況の変化に気がついていない。
「……んん~~?」
少しずつフィーニアの笑顔が強張っていく。
たっぷり十秒は掛かっただろうか、何か変だと気づくまでに。
フィーニアは猫のように丸めた手で、裾を胸元まで持ち上げていた。
彼女が身に纏っているのは貫頭衣のみ。
さらに言えば、成長による発毛さえ無い体質。
すなわち、男女の違いが丸見えなのである。
「ひ……ぁっ、えっ!? うそっ! やだっ……」
見る間に顔が紅く染まっていく。
しかし、今回は命令を拒絶できないらしく、腕を自由に出来ない様だ。
少しでも俺の目から秘所を隠そうと、腰を引き、くねらせている。
――――なかなか可愛い反応をするじゃないか。
俺が命じたのは両手で裾を捲り上げる事だけ。
別に股ぐらを見せろと命じた訳じゃない。
思考にまでは干渉出来ないらしいので、フィーニアは体が自由になる範囲で、必死に抵抗している。
「なるほど、命令者の意識次第で強制力の強さが変わるのか。もう手を下ろしてもいいぞ」
フィーニアは尻を突き出した格好のまま、ようやく自由になった腕で股間を押さえる。
そして、その前かがみの姿勢のまま、真っ赤になって俺を睨み上げた。
――――すっごい涙目だ。しかし、これは……。
「フィーニア、コレはやばい……。悪戯心を刺激されまくりだぞ」
「む~~~~っ!!」
罵倒やら文句やらの文言が頭を駆け巡っていた様だが、彼女の中では隷属しているという意識の方が勝ったのか、言葉を飲み込むと、プイッと顔を背け無言で駆けていった。
その後、散らばった籾米を一人で回収する羽目になったのは言うまでもないだろう……。
二日目の空が赤から藍色へと変化していく。
みんなその日の作業を終え、思い思いに体を休めていた。
広場では現在ノーラが夕食の調理を進めている。
献立は残念ながら前日と同じ内容だ。
ハンナは看病だけでは暇だったらしく、予備の草鞋を作って遊んでいた。
手先が器用なので聞いてみたが、どうやら裁縫も出来るらしい。
明日からハンナには、幌の麻布で長足袋を作ってもらう事にした。
そこでふと、服の修繕を俺がやってしまったことを思い出し、気になったら直してくれと言ったのだが「このままが良い」と元気な笑顔を返してくれた。
皆が広場に集まると、ノーラとフィーニアが夕飯を運んできた。
俺は『いただきます』を言うタイミングを見計らい、今日の成果の一つを披露する。
「実はみんなにプレゼントがある」
腹ペコのこのタイミングでなんだろう、早く食べたいのに。
そんな視線が俺に突き刺さる。
「コレだ!」
そう言って背中に隠し持っていた物を、みんなの前に差し出す。
竹筒の中には十四本の竹の棒が入っていた。
「あ! スプーン!」
「フォークもある!」
そう、竹製の食器だ。無いものは仕方が無いという事で、俺達はこれまで手づかみで食事をしていたのだが、竹という素材が手に入ったので作ってみたのだ。
しかし、凄いぞ! コレまでで一番の尊敬の眼差しを感じる!
その時、彼らの中で俺の評価が鰻のぼりに上昇したのだった。
『竹細工職人』としての評価だが。
グラム・アヴェイン、二十六歳。
職業は『探検家』なのだ……。
食事の後片付けをフィーニアとノーラに任せ、俺は今晩も道具作りを始める。
竹を編みながら、隷従契約のことを思い起こした……。
うむ……、『すばらしい光景』だった。
瑞々しくポニョッとした丘に刻まれた一筋の――――
――――フィーニアと目が合った。あ、ジト目で睨まれた……。
何を思い出しているのか見透かされた……のかな?
おほんっと、咳払いをして気持ちを切り替える。
しかし、実際問題アレはまずい。
隷従契約がいかに危険なのかがよく分かった。
本人の自覚もなしに、勝手に体を思い通りにできてしまうのだ。
本気で死ねと命じれば、当人が認識するよりも早く、自らの胸に刃を突き立てるだろう。
明確な殺意でなかったとしても、不意に発してしまった一言が命取りになる事も有り得る。
一歩下がれと命じた先が崖だったなら?
誰かを守れと命じたとしたらどうだろう。
その時、自分自身の命は守るのか?
矢面に立って肉の壁になろうとするのではないか?
はじめは強制力など感じることなく、自分の意思で動けていた。
何気ない会話なら大丈夫なのだろう。
しかし、ふとした切欠で感情が揺れ動き、意図せぬ強制力を発揮する可能性も捨て切れない。
使い捨ての駒なら、気にする必要など無いかもしれない。
だが、フィーニアはそういう対象ではない。
これなら普通に契約書でも交わしたほうが良かったと、いまさらながら後悔した。
フィーニアに対する発言は、今後注意しなくては。