2話「交渉の行方」
俺は顎に手を当て、思案しながら道を戻る。
この十日で伸びた無精髭がシャリシャリと音を立てた。
セルシア語を話せる人間には何人か会ったことがある。
俺が話せるのも彼らから学んだお陰なのだが、読み書きまでできるというのはとんでもなく稀有だ。
だが、セルシア語など既に失われた国の言語であり、一般的な価値観で言えば銅貨一枚の価値すら無い。
そんなものを有難がるのは、一部の好事家と研究者ぐらいのものだろう。
そんな俺がどちらなのかといえば、前者に近いだろうか。
趣味半分、実益半分、冒険好きが高じた『遺跡探検家』兼『盗掘家』だ。
そういった俺の事情からすれば、フィーニアと名乗った少女の価値は一気に跳ね上がったことになる。
是非とも手元に置いておきたい才能ではあるが、その条件が中々に厄介だ。
ジャリ……
小石が擦れた音と共に立ち止まる。
眼下に見える少女は、口を一文字に引き絞り、こちらを見上げてくる。
引き下がるものか! 何としても交渉を勝ち取ってやる! そんな気構えなのだろう。
しかし小さいな……。背は百四十センチを僅かに超える程度だろうか。
暗がりでは十四歳とアタリをつけたが、実際にはもっと幼いだろう。
せいぜい初等院の高学年ぐらいか、そんな歳の娘が健気なことだ。
肩甲骨まで伸びた髪は、ストレートに近い少し癖のある薄茶色。
勉学に励んだのだろう、色白な肌が野良仕事とは無縁の人生を感じさせた。
値踏みする視線を戻すと菫色の瞳と目が合った。
「助けて……くれますか?」
少女の言葉を鵜呑みにするつもりなどさらさら無い。
俺は嘆願を無視してセルシア語で問いかける。
『どこで言葉を覚えた? 文字も読めるのか?』
「お婆ちゃんに教わりました。文字もお婆ちゃんの家にセルシア語の本があったから」
どうやら偶然名前を答えただけ、という事はないらしい。
『歳は?』
「十六」
「十六っ!?」
思わず聞き返してしまった。
成人認定は国や政治的理由によって十二~十六歳の間で緩く扱われている。
しかし『十六歳』はどの国でも成人として扱われる年齢である。
改めて頭からつま先まで見回すが、平均的な体格からはかけ離れた容貌だった。
よほど食が細かったのか、いやそれにしては飢餓的な痩せ方はしていない。
個性なのだろう……が、成長の余地はあまり無さそうだ。
哀れみの目が向かう先に気がついたのか、フィーニアは慌てて胸を隠すと語気を強める。
「助けてくれますかっ!?」
「――――――ッ!」
頭を掻きながら舌打ちする。
「さっきも言ったが難しいだろうな」
頭の中でソロバンを弾く。だが、どうしたって運要素が絡む。
少女を攫ってしまうのが一番効率的なのだろうが、そういう手段は俺の主義ではない。
それに、そんな事をされた人間が協力的になるはずもない。
「とにかく、まずは現状確認だ、出来るかどうかはその後だ」
そう言いながら足元の状況を探る。
新しくつけられた足跡は今回の物だけの様だ。
この道沿いに野盗の根城があり、この道を常用しているという可能性は低い。
この辺りは広大な森林地帯だ、この道がどこに繋がっているのかは不明だが、野盗どもが戦利品を換金して戻ってくるとしても、数日は掛かるだろう。
「すぐに再襲撃される可能性は低いだろうが、ここからは離れた方がいいな」
絶対などとは言えないが一番の懸念を払拭する。
ならば次に確認しなければならない事は、フィーニア達がどこから来たのかという事だ。
「お前達はどこから来た? どれぐらいの距離を馬車で移動した?」
俺が来た道を戻るのは、子供には辛い道のりになるだろう。
この道が俺の知らない村に繋がっている様なら、生存の可能性が高まるのだが。
「最後に立ち寄ったのはラフォーレという村です。そこからはこの馬車で九日目になります」
九日……、随分な長旅だ。よほどゆっくり進んでいたのだろうか。
ラフォーレという名前には聞き覚えがある、ここから南にいった所にある湖畔の寒村だ。
だが、直線距離でもここから百五十キロ位あるのではなかったか?
通常、旅商が一日に進む距離が四十キロ程度。
悪路や農耕馬による牽引であることを考えると、一日に二十五キロ進めばいいところだろうか。
すると、総行程はおよそ二百キロちょっと。
状態がいいとは言えないこの道、子供の足では時速ニキロで進めればいいところか。
一日八時間進めたとしても十三日は掛かる計算、厳しいな……。
これなら道が険しくとも、俺が来た道を戻る方が良いだろう。
一度通った道だし、道中には野営に使った場所もある。
向かう場所は決まりだな、となれば次だ。
「全員、手近な荷物を持って外に出ろ。出たら一列に並べ!」
フィーニアは多少落ち着きを取り戻した様だが、他の子供達はそうはいかない様だ。
ビクビクと縮こまる様に馬車を降りていく。
空になった馬車をザッと見渡すが、役に立ちそうな物は残されていない様だ。
せいぜい木片が燃料として使える程度だろう。
視線を外に戻すと、六人の奴隷達が整列し、俺の言葉を待っていた。
「じゃあ、全員服を脱いで両手を挙げろ!」
「なっ!?」
「助かりたいんだろう? さっさとやれ! 時間が一番惜しい!」
「くぅっ……!」
真っ赤になって睨んでくるが、この場の決定権が俺にあることは理解しているのだろう。
フィーニアは抗議の声をぐっと飲み込むと、他の子供達にも「大丈夫だから従って」と行動を促している。
彼女等が纏っているのは粗末な貫頭衣のみだ。
それを脱ぎ捨てれば当然一糸纏わぬ裸となる。
その上、両手を挙げるよう命じられては体を隠すこともできず、羞恥に顔を染めることしかできない。
俺は一人ずつ順番に、体の隅々まで視線を這わせていく。
内訳は男が二人、女が四人。
成人が一人いたが、その他の見かけ上の年齢は、六歳から十二歳位の年齢構成となっていた。
「よしっ、全員反対を向け!」
今度は全員素直に尻をこちらに向ける。
俺は背中側にも同様に視線を這わせていった。
「よしっ、こちらを向け! もう服を着てもいいぞ」
俺の名誉の為に言っておくが、視姦が趣味と言うわけではない。
いや別に嫌いな訳ではないが、時と場合は弁えているつもりだ。
全員が向き直ったところで、その中の二名に前に出るよう命じた。
「お前とお前、一歩前に出ろ」
指名された一人目の女児は、背中に大きな裂傷があった。
おそらく馬車が横転した際に、木片でザックリやったのだろう。
即座に命にかかわるような深刻さではないが、傷口が粗く化膿して重症化する恐れがある。
次の女児は鼻をすすり咳をしている、額に触れてみるとやや熱があるようだ。
典型的な風邪の症状だが、それだけでなく少し病的な痩せ方をしている。
栄養失調だろうか、長旅に耐えられるだけの体力があるのか不安が大きい。
他の者達は多少の打ち身が見られたものの、さしたる問題は無さそうだった。
それらをフィーニアに説明した上で、俺は再度確認する。
「で、お前は『全員を助けて欲しい』だったか?」
「そうです!」
子供の約束だな、という感想しか出てこない。
「それじゃ駄目だな」
「どうしてっ!?」
こんな恥ずかしい思いまでして従ったのに、と怒りを露わにするが、俺は手でフィーニアを制して続けた
「条件が具体的じゃない。後になって『助ける』という条件にはここまで含まれる、などと後出しされたら際限が無い。そんなものはとても面倒を見切れん」
「うっ……」
助かる為の道筋をまったく思い描けず、相手に丸投げした事の証左だ。
交渉なり契約なりとは無縁だったのだろうから仕方の無い事だが。
「次に、只でさえ全員が子供という条件に加え、指摘した二人には問題がある。その二人に限った話ではないが、最善を尽くしたとしても不慮の事態は起こりうる。『全員を』などと軽々しく約束はできない」
「……ッ」
フィーニアは自分の想定の甘さに、言葉を詰まらせる事しかできなかった。
「どうしようもない事態を以って契約違反だと騒ぎ立てられてはかなわんという訳だ、理解したか?」
「……はい」
厳しい指摘に交渉が決裂することを覚悟して、フィーニアの目には涙が溜まっていた。
一通りの確認作業が終わった所で、俺も一呼吸整える。
もう彼女には交渉に使える手札は残されていない。
震える体を自らの腕で抱きとめることで、折れそうになる心を繋ぎとめ、俺の言葉を待つことしかできないでいる。
――――ああ、これは同情だな。
頭の中の冷めた部分が、胸に染み出す感情を分析する。
感情よりも現実的・合理的に判断することを良しとしてきた自分にとって、これは抑え付けるべき感情だ。
その筈なのだが『この娘は俺にとって有用だから』と言い訳じみた理由を、自分に言い聞かせている様な感覚がある。
本心はそこにはない事を自覚しているのだが、どうにも曖昧だ。
故に俺は最後の決断を少女に託そうと思った。
「明確な達成条件を提示しろと言っても難しいだろうから、俺の方から条件を提示する」
その言葉に、俯いていたフィーニアは不安げな目を向けてくる。
「現在の状況から脱出し、全員の生存の可能性に渡りをつける事。これを以って契約の完遂とする。ただし、不慮の事故や病など、著しい過失の無い物の責は問わないものとする」
堅苦しい言い回しでは子供たちには伝わらず、互いの認識にズレも出るだろう。
俺は子供たち全員を見渡しながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「最終的な状況はそれぞれ異なるだろうが、保護施設での受け入れや、奴隷として買い手を見つけ、そこで新たな生活を送ってもらう。その後、自分の買戻しがしたければ自分の努力で掴み取れ」
そして最後にフィーニアに向き直り、俺への報酬を告げる。
「それらに尽力することと引き換えに、お前はお前自身を俺に提供する、以上だ。 コレに異論があるようなら契約は無しだ。自力で生き延びることだな」
そう言い切ると、辺りに静寂が訪れた。
契約の主体ではない子供達も、自分達のその後について思案しているのだろう
だがそれも長くは続かない。
自分達がどう思おうが、運命を握っているのはこの年長の少女なのだ。
五対の視線が自然とフィーニアに集まっていく。
俺もまた、目を逸らさず小柄な保護者の返答を待った。
フィーニアは目を閉じたまま、空を見上げるように顔を上げる。
俺の言葉を反芻しているのだろう。
そして、ゆっくりと顎を引くと静かに目を開け、覚悟の眼差しを俺に向ける。
「わかりました、異論はありません!」