20話「生きる道」
「帝都行きの馬車はさっき出ちまったから、個別に交渉するしかないかもな」
その男は御者台でタバコをくゆらせながら『私』が差し出した手紙の内容に目を通していく。
「ああ、俺ん所は無理だぜ。これから西に向かうんだ。他を当たってくれ」
「そうですか、失礼しました」
その御者は封書を私に返却すると、そんな答えを返してきた。
私は御者から封筒を受け取りながら疑問に思った。
帝都? グラムさん、北方に行く用事があるのかな?
とにかく自分は命じられた使いを果たさなくては。
彼に命じられてやって来た寄合所。
そこには長距離輸送を専門とした者達の組合が有り、小ぢんまりとした建物の隣には、長距離移動で疲れた旅客をもてなす喫茶店なども併設されていた。
長方形の敷地には現在五台の馬車が横付に駐車され、御者達は馬の手入れや合間の休憩に精を出していた。
私は二台目の馬車に近づくと積荷の点検をしていた御者に封筒を手渡した。
「あのっ、これをお願いします」
「あん? 郵便なら、あっちの窓口で受け付けてるぜ?」
御者は封筒を目にすると組合の建物を親指で指し示した
「いえ、主人の言伝で、帝都方面の馬車に用がある様でして。この手紙の内容をお願いしたいと」
「どれ、見せてみな」
御者は開封された封筒を受け取ると中身を確認した。
「……封筒が二通入ってるな。それと金貨に手紙……、これが依頼内容か。この封筒は嬢ちゃんに渡せばいいみたいだな」
「封筒ですか?」
そう聞き返しつつ、二通の封筒を受け取る。
そこには『帝都大学 考古学研究院 ドレスデン教授』と書かれていた。
そういえば、仕事で教授と知り合いだとか、好事家仲間だとかそんな話を聞いた気がする。
私は二通目に目を落とすと、心臓が跳ねた。
『フィーニアへ』
嫌な予感がする、背中があわ立つような感覚。
読んだ方がいいのだろうか……、いや、でも何も話を聞いていないし。
そんな逡巡をしていると、御者の方から声が掛かる。
「あぁ、いいぜ。ちょうど貨物の依頼があるからな、嬢ちゃんも一緒に帝都まで乗せて行ってやるよ」
――――え? 帝都に乗せていく? 誰を?
思考の迷路に迷い込みそうに成っていると、突然背後から悲鳴が聞こえた。
「うわぁっ! 危ない!」
「こらっ! 街中で出すスピードじゃねーだろ、姉ちゃん!」
「やめなっ、あれ、ガルディー商会の……! 殺されるよ!?」
喧騒に振り返ると寄合所に駆け込んでくる一頭の馬が見えた。
騎乗していた女性は手綱を引くと颯爽と降り立ち、辺りを見渡す。
とんでもない美人だった、背が高く豊満な胸、艶やかな金髪。
衣装も飾りも化粧品も、どれもが一級品と一目で分かる。
貞淑な貴族の様でありながら同時に妖艶な娼婦の香りも漂わせ、『女』という存在感をこれでもかと凝縮したような存在だった。
そんな女性と目が合った。
こちらは粗末でみすぼらしい奴隷服に草鞋という出で立ちだ。
およそ、自分とは縁遠い存在に見えるその女性は、こちらの姿を見て取ると。
「フィーニア様でいらっしゃいますか?」
と、私の名を呼ぶのだった。
自分の知らないところで何が起こっているのだろうか。
急に色々なことが起こりすぎて訳が分からない。
「失礼しました。私、ガルディー商会のミミルと申します。故あって只今グラム様にお力添えをさせていただいております」
「グラムさん? そうだグラムさんは何でこんな事……」
「グラム様のご意思もございますので、私の口からは申し上げ難く……」
私は混乱しかけた頭で女性に問いかけるが、彼女は必要以上には語ろうとしなかった。
その女性は目ざとく私の持つ封筒に目を留める。
「そちらの文にしたためられているのでは御座いませんか? できればお早くお読みになる事をお勧めします」
分からない、何故教えてくれないのかも。
でも、いい加減な気持ちじゃないのは彼女の焦りに似た表情から読み取れる。
手が震える……、封を開けると一枚の便箋が姿を現した。
『フィーニアへ
こんな形で伝える事になって済まない。
本当はこんな手紙、使わなくて済めば良かったんだが、
これを読んでいるという事はどうやら俺はダメだったらしい。
症状が出たら手の施しようがないそうだ。
なにせ天下のリアンカス中央病院、バンク院長のお墨付きだからな。
本当は、俺もこのまま皆で暮らしていけたらどんなに良かったか。
それ程までに皆に出会ってからの生活が楽しかった。
それでも、俺は大人で、契約とか関係なく守ってやりたいと
思ってしまったんだ。
きっと皆は恨むだろう、これは俺の独りよがりな押し付けだ。
だけど、それでも皆に生きて欲しい。
俺に新しい幸せの形を教えてくれたお前達に、
お前達がまだ知らない幸せを感じる可能性を失わせたくなかった。
俺一人で勝手に決めて、お前はまた怒るかもしれない。
だけどお前の能力を必要としてくれる人がいる。
そこに行けばきっとお前の人生は大きく開ける。
帝大はそれだけの影響力が有る場所だ。
お前が成長し、自分の足で人生を選べる様になるその時まで
我慢してくれ。
その後は、俺の墓を足蹴にしに来てくれても構わない。
いつでも受け止めてやる。
だから生きてくれ。
フィーニア、ありがとう。 愛してるぞ。
グラム・アヴェイン』
あの人はどうして、いつもこんな……。
私を苛めたいの!?
涙が止められない、だけど泣き崩れている場合じゃない!
私はミミルと名乗った女性に問いただす。
「グラムさんはどこですか!? 今どんな状態なんですか?」
ミミルは御者から仕事内容の書かれた手紙を受け取り、読んでいた。
「私はグラム様のご希望に沿うべくこの場におります。この手紙には貴方様を帝都へお連れするよう書かれておりますので、フィーニア様にはそのようにお願いしたく」
そう感情を押し殺したように冷たく言い放つ。
だめだ、怒りで頭が真っ白になりそうだ。
「そんなの関係ないでしょっ! 教えてください!」
「アレだけの覚悟をされたお方のご遺志、職務でなくとも叶えて差し上げたいと思うのが人情というものです。それを無にする様な者を私は許容できません!」
私の激高にミミルも表情が険しくなる。
だけど、構わずその鼻先に手紙を突きつけてやる!
「文句があったらいつでも墓石を蹴りに来い! そう書いてあります! なら今行ってもいいはずです!!」
「……詭弁で誤魔化――――」
もう口など挟ませない!
「大体! 貴方は愛する人が一人で苦しんでいるのに、平気で捨てていける人間なんですか!? それのどこが人情なんですか!!」
鼻息が荒くなる、今の自分の顔は人前で晒していい顔ではない。
そう思うのだけど止められるものか!
「フ……フフフ、失礼しました。どうやら貴方様を子供と見くびっていたようです。私が思っていたよりもずっと『女』だった様ですね。好きですよそういうの」
ミミルのきりりとした真剣さの中に不敵な笑顔が浮かんでいた。
「子供じゃありません! 私、十六です!!」
「「「十六――――ッ!?」」」
大勢の人でにぎわう寄合所、そこで突如繰り広げられた愛憎劇。
それを見守っていた大衆が一斉に斉唱した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「先生! 急患でさぁ!」
『俺』を乗せた馬車が止まった。
意識も呼吸も鼓動さえも、俺は幾度と無く手放したような気がする。
荒々しい馬車の振動が、その度に心臓を突き上げ、頭を打ち据え、肺から吐息を押し出した。
もう痛みも感じない。ただ、とても静かだった。
その時、俺を上から覗き込む老人が見えた。
「ああ、院長……、ありがとう……全部終わったよ……」
「これは……、君、こんな状態でよく生きて……」
バンク院長は俺の状態を見て驚きの表情を見せた。
「宿屋に残っている物は……処分してください……俺にはもう……必要が……無い」
「ふむ……、分かった」
俺は転がり落ちるように馬車を降りると、屍の様に歩き出す。
「それじゃぁ……、俺……行きますね」
「行く? 何処へだね?」
「『家』…………に……帰ります」
――――そう、遺跡に。
「ちょ、ちょっとあんた、そんな体で大丈――――」
俺を掴んで止めようとした御者を、院長が手で制す。
「思う通りにさせてやってくれんか。アレはもう、生きているとは言えん。せめて力尽きるまで好きにさせてやるのがよかろう」
一歩、また一歩。
俺はゆっくりと東へ向かう。
道行く人が俺を見ては避けて行く。
多くの店で賑わう東門へ向かう道、何処からかほのかにパンの香りがする。
ノーラが自慢していたっけ。
石釜で焼いたパンを食ってみたかった。
競売場で胸を張るアキムを思い出す。
俺アレぐらいのガキの頃あんな胸張って大人に対峙できたか?
ふふ、無理だな。
震えて動けなかった自分が情けない?
何言ってんだシオン、お前は俺を助けちまったんだぞ、英雄じゃねぇか。
リーン……、元気になってくれるだろうか。
元気になって、もっとハキハキしゃべる所を見てみたかった。
ハンナ、お前が俺と皆の距離を近づけてくれたんだよな。
あの時の笑顔、忘れられないよ。
みんなで帰りたいなぁ、あの遺跡に……
焦点のぼやけた俺の目に、店先に展示された白い服が映り込む。
そうだ、皆に服を買ってやりたかったんだ。
あんな格好のまま送り出すなんて……。
もっと時間さえあったなら……。
あの服、あいつに似合うかな。
飾り気が無かったからな、リボンとかいっぱい結んでやったら喜ぶだろうか。
いや、絶対怒るな。あぁ、でもそれも良いな。
真っ赤に照れたり、怒ったり、コロコロ変わる表情をもっと見ていたかった。
あの瞳で見つめて欲しかった。
契約とか覚悟とか責務とかそんなんじゃなく、ただ俺を見て欲しかった。
フィーニア………………
石畳が目の前に迫る。
俺は砂埃を巻き上げてその場に崩れ落ちた
微かに周囲のざわめきが聞こえる。
「おい、医者呼んだほうが良いんじゃないか?」
「いやぁ、アレは触れたら伝染るヤツじゃね?」
「汚いわね……」
はん! 何んとでも言いやがれ、俺は満足だ。
どうだ、俺はやり切ってやったぞ! ざまあみろ!
仰向けに体を起こすと大の字になって嘲る様に笑ってやった。
「…………さん! グラムさんっ!!」
フィーニアの声が……聞こえる? まさか戻って来たのか!?
俺の苦労をなんだと思ってんだあいつは。
俺を苛めたいのか?
瞼が重い、目が開けられない。
いやもう開けてるのか? 良くわかんねぇ。
石畳を叩く蹄の音。近くで馬が止まったのがわかる。
軽い着地音と、もう一つ少し大きな着地音が聞こえる。
「下がりなさい! この場はガルディー商会が預かります! 下がりなさい!!」
この声、ミミルさんか? 勇ましい声だ。
「グラムさん!」
瞼を通して感じていた日差しが何かに遮られた。
「グラムさん!!」
二度目の呼びかけの時には、思いっきり頬を叩かれた。
「痛えよ……! もっと……俺にも……優しくしろよ」
「誰がそうさせるんですか! こんな悪い人はもっとぶちますよ!?」
彼女は俺に馬乗りになり、両手で胸倉を掴んでくる。
悪い、か。そうかもな。
「何で……戻って……来たんだよ」
「いつでも蹴りに来い! そう書いてあったから来ました!」
「それは……死んでからの……話で……だな……」
「死ぬとか言わないでください! 命令ですっ!!」
「ふ…………くっくっく……命令か……、命令は……きついな」
命令なんて物で縛った関係。
二人で結んでしまった誤った隷従契約。
俺もお前も、振り回されて辛い思いをしたな。
人の思い通りに動かされるなんて、堪ったモンじゃなかったよな。
「ごめんな……、でもお前は、紹介状を持って……帝都へ。そこに……お前の……生きる道が……ある……」
「嫌です!! 私が生きる道はここです! ここに有るんです!」
ほんと、わがままな娘だ…………。
俺を何回苦しませるんだ、もう『命令』なんてさせないでくれ。
正直、もう泣きそうな気分だった。
「フィーニア……命令だ、俺のことを……忘――――――――」
「言わせません!!」
柔らかい感触で唇が塞がれる。その柔らかさが俺の言葉を妨げる。
なんて強力な強制力だ。
「私、フィーニア・インフェルトは、グラム・アヴェインと生涯共にあることを誓います!」
それはもう、どこからどう聞いてもプロポーズの言葉だ。
「私の生きる道を奪わないでください! 私も……愛しています!」
再び唇が交わり、名残惜しげに離される。
「あぁ……俺も愛してる。フィーニア……お前と……ずっと一緒にいたい」
そう伝えた瞬間、目の前が真っ白になる。
ああ、これで思い残すことなく終われるんだ……。
そう思った。
だが、何かが違う。目の前で何かが吹き荒れる。
かすんで見えなくなっていた目を開けると、フィーニアの首輪が白く光り輝いていた。
すさまじい力が暴風となって辺りをかき乱す。
「フィーニア!? 大丈夫か!?」
何が起きたのか分からない。
フィーニアの身に何かとんでもない事が起きた、それだけしか。
なんだ? 隷従契約の暴走か!?
「う……っくぅっ!」
フィーニアは首元から起こる奔流にうめき声を上げる。
もう、これ以上苦しめないでくれ! 俺達を解放してくれ!
俺は無心でフィーニアを抱き止める! そして……
パァァァ――――――ン!!!
一際大きな破裂音がして、フィーニアの首に巻かれた白い首飾りが弾けとんだ。
あたりに静寂が訪れ、耳鳴りが聞こえる。
「ハァッ……! ハァッ……!」
最初に聞こえたのは俺の耳元で繰り返される荒い呼吸の音だった。
「大丈夫か? おい!!」
「ハァ……、はい……。大丈夫です、急に風が、ちょっと息苦しかったけど、もう大丈夫」
抱き寄せたフィーニアの肩を掴んで体を離すと、その顔を覗き込んだ。
少し辛そうにしていたが、ほんのり笑顔を滲ませて答えてきた。
「あぁぁ~~もうっ! お前はホントに俺を心配させてばっかりだな! 泣くぞ!?」
「ひ、人の事言えるんですか!? 私がどれだけ泣かされたか! 胸に手を当ててよ~~~く考えてみてください!」
この分からずやめ! そう思ったらもう手が勝手に動いていた。
モニュッ……と、俺は目の前の慎ましやかな胸に手を当ててやるっ!
「んにゃぁ!? 自分の胸です!! 自・分・の!!」
「もうコレは『俺のモノ』だろ!? なら、これも自分の胸だ!」
「そ、そうですけど、そうじゃな~~い!!」
再び違った種類の静寂が訪れる。
――――あれ?
「あのぉ……、グラム様? その、お体の方は……?」
ミミルが、ポカーンとした顔で俺達に問いかける。
「体? いや、痛くないな。 眩暈もないし、何が起きたんだ?」
そう言われて、フィーニアも状況を思い出したのか、見る間に目に涙が溜まっていく
「うぁぁぁぁぁん、グラムさんのばか~~!!」
そういって思いっきり抱きついてくる。
ゴツッ! 少女に押し倒されて後頭部をぶつけてしまった
「痛ってぇ。こら、俺死にかけてたんだぞ! もっと労われっ!」
「ひっく、無理~! うっく……うあぁぁぁ~~ん」
こりゃ落ち着くまで待つしかないな。
すっげー見られてるけど、もうこの際見せ付けてやるか。




