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19話「履行」

 翌朝。


 目が……覚めた……、覚めてくれた。


 しかし、寝ていてさえ目が回る、視界が揺れる。

 腸が鈍く痛み、体のあちこちが引き攣れ、時に引き裂く様な、あるいは刺す様な鋭く激しい痛みが押し寄せる。


 もう自分の運命は確定したのだと、否応もなく実感させられた。

 子供たちが「おはよう」と挨拶をしてくるが、返してやる心の余裕がない。


 震える膝に手を付き何とか立ち上がると、鏡に映る自分の顔が目に入った。

 不調な顔色を土気色と言うが、そんな物は疾うに通り越して黒ずんだ色をしていた。


 流れる血が黒く腐っているのだ、顔色にもそれが出たという訳か。

 残された時間が如何ほどか分からないが急がなくては!


「みんな、今日は行く所がある、直ぐに外に出てくれ」


 俺は受付で貸しきり馬車の手配をすると、食堂で出来合いのサンドイッチを人数分購入した。

 それらを子供達に配りながらフィーニアに指示を出す。


「フィーニア、お前にはこれを頼みたい」


 そう言って封筒と手書きの地図を手渡した。


「駅馬車の寄合所に行って、御者にこれを渡してくれ」

「それは、構いませんが……」


 彼女は少し不服そうに承諾したが、心配そうな顔を俺に向けてくる。


「病院に行かなくても大丈夫ですか? 昨日よりも顔色が悪いですよ?」

「大丈夫だ、ちゃんと薬ももらってある」


 懐から薬袋を取り出し、ガサガサと振って見せた。

 もっとも中身はただの痛み止めなのだが、それでも何とかごまかせた様だ。

 フィーニアも渋々だが折れてくれた。


「ほら、命令だ! さっさと行け!」

「あっ……もうっ! こんな事で『命令』しないでください。お使いならちゃんと行きますから」


 自分の意思とは関係なくフィーニアの体が大通りを歩き始める。


「気をつけて行ってこいよ」


 俺は笑顔で手を振って見送ってやったが、返ってきたのは言うことを聞かない俺への不満顔だった。


「こんなに心配してるのに、言う事を聞いてくれない人なんて嫌いです!」


 フィーニアは曲がり角でこちらを振り返ると、舌を出して抗議の意思を示してきた。

 俺はまた怒らせてしまったか、と苦笑しながら手を振り続けた。


 小柄な少女の姿は建物の影に消えてしまったが、それでも俺は見えなくなってしまった背中をしばらく見送った。


 何とも味気なかったかだろうか……。まぁ、でも別れなんてのはこんな物だ。

 軽口を言い合ったその日に、野犬に食い荒らされた遺体で帰ってきた同僚もいたじゃないか。それに比べれば……。


 程なくして、宿の前に一台の馬車が到着した。

 黒塗りで屋根のない馬車だった。


「さぁ、みんな乗ってくれ」


 馬車のステップに足を掛けて手を差し伸べ、子供達を馬車に乗せてやる。

 ノーラの順番になった時、フィーニアの言葉を継ぐように俺に言ってきた。


「ねぇ、病院行かなくて本当に平気? アタシ付いて行こうか?」

「気にするな、そんな事よりもお前達の方が大切だ」


 俺はそう笑いかけ、皆の行動を促そうとするが、どうしたって隠し通せる物じゃなかったのだろう。

 俺の様子がおかしい事には当然みんな気がついていた。

 きつくは無いが有無を言わせぬ俺の態度に黙って従ってくれただけだった。


 俺達を乗せた馬車は中央通りをゆっくりと南下していく。

 道は舗装されていたが、それでも馬車の振動が内臓を揺さぶってくる。


 胃から逆流を感じ慌てて口を押さえたが間に合わなかった。

 ビシャリと馬車の床を黒い液体が濡らす。


「グラム!?」

「え!? これ……血?」

「お客さん! 体調が悪いなら病院に行ってください、汚されたら困りますよ」

「ぐ……、ゴホッ……掃除代なら後で請求しろ!」


 こんな時にしゃしゃり出てくる御者に苛立ち紛れに吐き捨てる。

 だが、床にぶちまけられた液体がノーラの心配を再び刺激してしまった。


「御者さん! 引き返して! 病院までお願い!」

「子供の言う事は気にするな! このまま商会に向かえ!」


 くそっ、やはり黙って事を進めるのは無理か。

 子供達を見渡すと何か言いたそうな心配顔が並んでいる。

 彼らが今黙って従ってくれているのは、俺が勝ち得た信頼のお陰なのだろう。

 何も告げないのは彼らの信頼に対する裏切りだろうか……。

 はぐらかしていい話じゃなかったな……。


「……みんな最初の契約を覚えているか?」

「そんなの後でいいよ、今は病院に!」

「ノーラ、大切な事なんだ、誤魔化したりしないから聞いてくれ」


 俺はノーラの目を真っ直ぐ見つめる。

 気持ちが伝わったのかは分からないが、ノーラは目尻に涙を溜めながらも、きつく口をつぐんでくれた。


 出会った日のことを思い出しアキムが答える。


「俺達の生存の可能性に渡りをつける……、だったと思う」

「そうだ、具体的な事も言ったな?」

「保護施設に入るか、奴隷として売るか、です」


 続いてシオンが答えた。

 俺はそれに頷くと話を続ける。


「残念だが保護施設には入れてやれない」


 処方薬を飲ませたせいで眠りこけるリーンに俺は目を落とした。


「俺の力ではこの子の寄付金しか用意してやれなかった。お前達と違ってリーンには施設以外の選択肢が無かったんだ」


 馬車は程なくして『ガルディー隷人商会』の裏手に到着した。

 そこには既に何人かの奴隷達が地べたにへたり込んでいた。

 どうやら、俺以外にも今日の出品があるらしい。


「ここって……」


 みんな自分達がこれからどうなるのか理解した様だった。


 いや、彼らにしてみてもまったく覚悟がなかったわけではないだろう。

 いつかはこうなる可能性をちゃんと考えていたはずだ。

 ただ、余りにも急だったので気持ちの整理が追いついていないのだ。


「そうだ、アキム、ノーラ、シオン、ハンナ、お前たち四人には、ココで自分自身を売ってもらう」

「アタシは……みんなと居たい! 元気になってまたあの石の家に戻ろうよ!」


 ここまで来ても、ノーラは感情や願望を抑える事が出来ない様だった。

 だが、例え恨まれようとも、彼らの反発を捻じ伏せ、納得させるしかない。

 俺は血で濡れた右手を四人の前に突き出した。


「これがお前達と同じ血の色に見えるか?」


 どす黒く粘り気のある液体に塗れた手を見て、子供達の顔が悲痛に歪む。


「俺は明日には死んでいるだろう。だからお前達には今日、ここから新しい生活を始めてもらう」


 はっきりと告げた言葉のせいで沈黙が生まれる。

 俺の前に並ぶ四人は足元に目を落とし、悔しそうに唇を噛み締めた。


「フィーニアお姉ちゃんは?」

「あいつは別の場所へ行ってもらう、能力を生かせる場所の方が生き易いだろう」


 そういえば、フィーニアには面と向かって伝えられなかったな……

 少し後悔したが、詮無い事か。


「いいか、よく聞け! お前達を売るのはお前達自身だ。売った金はお前達自身が受け取る事になる」


 俺は四人の顔を見渡し、今後の身の振り方を伝えていく。


「その金は、いつか自分を買い戻そうと思った時、大きな助けになるだろう」


 四人もまた俺の言葉を黙って受け止めてくれる……。


「これはお前達にとって望まない道だろう。辛いかもしれない……。だけど、一人でも生きていけると思える様になるまで我慢してくれ」


 みんな涙を流し俺にしがみついて来る。


「悪いな、今お前達を生かしてやれる道は、これしか無いんだ」


 これは、おれ自身にも言い聞かせる言葉だった……。

 彼らと共に過ごした日々を想うと、こんな形の別れには納得したくなかった。


 競売所に目を向けると、出迎えに来ていたミミルが静かに一礼した。


「ミミルさん、この子達を頼みます」

「畏まりました、グラム様」


 子供達はチラリと振り返りはしたが、何も言わずミミルに連れられて行った。

 俺はリーンを抱え、ただ無言で見送る事しか出来なかった。



 その後、俺は支配人室へ案内され、会場を窓から見下ろしていた。


 司会の男のよく通る声が響き渡る。

 そして、負けじと値を告げる者たちの声。競りは既に始まっていた。

 壇上に展示された商品達は衣服を剥ぎ取られ、一糸纏わぬ裸体を衆目に晒される。


 子供達はミミルによって身だしなみを整えられた様で、髪も体も綺麗に洗われていた。


 ハンナは涙を堪えられないようだが、年長組みはさすがだった。

 他の奴隷達がすすり泣く中、アキム、シオン、ノーラの三人は気丈に胸を張り、自分達を値踏みする目と対峙している。


「では次の商品です。南方のミルガン族と王国民とのハーフで――――」

「名前はアキム! 年齢十一歳! 農奴としての経験があります! まだ子供ですが、ミルガン族の血のおかげで体力には自信があります!」


 会場がどよめく――――。


 司会の紹介を遮り、奴隷自らが自己紹介してしまったのだ。

 互いに顔を見合わせる衆人の前でアキムは直立の姿勢で胸を張る。


「え……、えぇ~、以上の様に、若いですが気骨のある少年です。出品者は彼、アキム自身、グラム・アヴェイン様の紹介になります。始値は金貨八枚からお願いします!」


 混乱で静まり返った会場に、ぽつりぽつりと値を提示する声が出始める。

 金貨八枚……、九枚! 金貨十枚! 十二枚だ!

 そんなやり取りが聞こえ、値が上がっていく。


「金貨二十五枚!!」


 再び会場が大きくざわめいた。

 声を上げたのは仮面で目元を隠した中年の男性。

 身に纏った絹織物は金糸で緻密な刺繍が施され、男の裕福さをうかがわせた


 金貨二十枚、それが健全な成人男性の相場だ。

 そしてそれは市民階級の年収に相当する金額である。


 俺のたった十五日間の息子は、その意思と眼差しによって相場をはるかに上回る価値を認めさせたのだ。


 その一声を最後に皆が手を引いた。


 司会が契約成立の槌を響かせると、アキムは一礼をした。

 その仕草にまたしても会場から驚きの声が漏れる。


 会場には震える奴隷の痴態を楽しみに来ている客さえいるのだ。

 アキムの態度にはさぞかし面を食らったに違いない。


「えぇ~、続きまして……」

「ノーラ・ルコット! 十一歳! パン作りと山菜の知識を教わりましたっ! あと、同い年の娘よりも、おっぱいが大きいです!」


 アキムに続いた少女も、衆目に裸体を晒す恥辱などどこ吹く風という堂々とした態度で自分を誇示した。


 「ええと、こちらもグラム・アヴェイン様の紹介で、出品者は――――」

 「金貨十三枚!」

 「いや、金貨十五だ!」


 いつもとは違う。そんな空気が場を盛り上げ、司会の進行すら待てずに入札が始まってしまった。


 金貨二十一枚。この歳の女奴隷としては破格の値段がつけられた。


 ノーラもまた会場に一礼すると、支配人室から覗く俺に顔を向けてきた。

 あれだけみんなで暮らしたいと言っていたのだ、さぞ恨んでいることだろう。


 だが、ノーラはニカッと歯を剥き出して笑うと、ピースサインを向けてきた。


 会場では『グラム・アヴェインとは何者だ』と、何もしていないのに俺は話題の人物にされていた。


 そして支配人室……。

 会場を見つめるのは俺とガルディー、傍にはミミルが控えている。


「おやおや、これは参りましたね。グラム様に会場を乗っ取られてしまった気分ですよ」


 ガルディーは大げさに両手を挙げて肩をすくめて見せた。


「実は探検家というのは偽りで、奴隷のブリーダーをされているのでは有りませんか?」

「そんなはずないでしょう、彼らは俺の自慢の子供達なだけです」


 俺に抱きかかえられながら眠るリーンの頬に、涙が零れ落ちた。


「左様で御座いますか。もし転職なさる気が御座いましたら是非お声をかけてくださいませ」


 競売はその後も順調に進行し、懸念されていたハンナも無事に引き取り先が決まった。

 俺は、何度も脚が砕けて倒れそうになりながらも、彼らの旅立ちを最後まで見届けた。

 ガルディーもミミルも俺の様子を知りながら、終始無言を貫いてくれた。


「これで、この度の取引は終了となります。誠に良い商談で御座いました」


 そこでとうとう、俺は尻餅をついてしまった。

 どうやらそろそろヤバイらしい。


「ガルディーさん、こういう事を頼める間柄じゃないが、一つお願いがある」

「何なりと、お得意様の要望に応えるのが私ども商人たるものの矜持でございます」


 ガルディーは優雅に胸元に手を当てお辞儀する。

 この人達が何故こんな商売に携わっているのかと、この目で見ても信じられなくなる。

 だが、今は彼らの好意をありがたく受け取ろう。


「もし俺がたどり着けなかったら、この子を東区にあるアマル教の寺院へ、寄付金はこの袋に……」

「承りました」


 ガルディーは即座に短く答えると、ミミルに目配せした。


「ミミル君、本日はグラム様の専属として同行をお願いします」

「畏まりました」


 そう言うと、ミミルは扇情的な衣装の上から上品なドレスを身に纏い、俺に向けて手を差し伸べてくれた。


 ミミルに手を引かれ部屋を後にする俺には最早振り返る余裕は無かったが、ガルディーは最上級の礼をもって俺達を見送ってくれた。

 

 競売場の裏手に出ると、行きに乗ってきた馬車が待機していた。

 俺はミミルに引きずられるように、馬車に乗り込む。


「東地区のアマル教寺院へ、急ぎ向かってください」


 手配も全て彼女がやってくれた。


 ――――意識が朦朧とする。


 スピードを上げた馬車が路面の凹凸を伝えてくる。

 全身に痛みが走るが、むしろ今はそれが有りがたかった。

 痛みが走る度に手放しそうになる意識を呼び戻してくれた。


 荒々しい振動に、薬で眠っていたリーンも目を覚ます。


「ん……パパ……? どこ行くの? みんなは?」


 眠そうな目を擦りながら、他の子供達が見当たらない事を不思議がった。


「みんなには……お仕事を頼んだんだ。 リーンにもお願いして良いかな?」

「ん……ん~? 頑張る……」


 なんだかよく分からないという顔で答え、リーンは再び微睡の中へと落ちていった。


「俺は本当に、お前達のパパに成りたかったよ……」


 麻痺してきたのか、俺の体は徐々に痛みを感じなくなってきた。

 座席にもたれ掛かった体が、無意識にゆっくりと傾いていく。


「グラム様、お加減はまだ大丈夫でしょうか?」


 ミミルが俺に問いかける。


「あ……ああ、大丈夫だ」


 俺はハッとして問い掛けに答え、頭を振って意識を覚醒させる。

 まだ全部終わっていない。しっかりしろ!


 その後も俺が意識を手放しそうになる度に、ミミルは「グラム様」と声をかけてくる。


「グラム様。この子をお届けしたら、全てやり遂げられるのですか?」

「ああ…………、そうだな……この子で最後……」


 そう言って、ふと薄茶色の髪に菫色の瞳をした少女の顔が目に浮かんだ……


「フィーニア…………」


 無意識に口から名前がこぼれた。


「フィーニア?」


 ミミルは目の前の少女の物でも、『商品』リストに載っていた物でもない名前を聞き返す。


「駅馬車に…………、あいつ、迷わず着いたかな……、しっかりしていそうで、抜けているからなあ……」

「フィーニア様、駅馬車……、寄合所で御座いますね?」

「偏屈爺と気が合えば……いいんだがなぁ、あいつ怒るかなぁ……」


 既に俺の意識が混濁してきているのを察したのか、ミミルは話題を切り替える。


「グラム様はこの後どうなさるおつもりですか? 何かご要望や託などありましたら何なりとお申し付けください」

「う…………、遺跡、あの場所に……東門を抜けて……森に入って……それから……」

「グラム様! 間も無く寺院です!」


 ハッと、意識を取り戻す。リーンを託さなくては!

 俺は、もたれかかる少女を抱き上げようとして……


 出来なかった……。


 ずり落ちそうになるリーンを咄嗟にミミルが抱き止める。

 疾走してくる馬車に気づいたのか、先日の尼僧が道脇に控えていた。


 ミミルはこちらを伺い、軽くうなづくと尼僧にリーンを手渡す。

 リーンはまだ眠りの中にいて、勝手に体を動かされる事に不満の呻きを漏らした。


 俺はそれを傍で見ている事しかできなかったが、それでもこれでやり遂げたのだと素直に笑顔になれた。


 そして、尼僧にリーンのことをお願いした。


「その子を……よろしく……お願いします……」

「確かにお預かりいたします」


 尼僧はそう応えると、俺に向かい付け加えた。


「貴方様は人としての美徳を見事に全うされました。もし宜しければ私共の寺院でご供養を――――」


 尼僧が何かを言っている――――


 よく聞き取れないが俺には関係のない事だろう。

 すべき事は全部やり終えたのだから。


 ミミルはふらりと踵を返す俺の肩を抱き止めると御者に託した。


「この方を中央病院へ! それから、馬を一頭お借りします!」


 ミミルはそう伝えると、寺院の馬を借り疾風のごとく駆けていく。


 俺は馬車に積み込まれ、仰向けに青空を眺めていた。

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