16話「交易都市」
落差五十メートルの大瀑布。
俺はその光景を見上げ身震いする。よく生き残ったものだと。
だが体の方は滝つぼで揉みくちゃにされ、あちこち悲鳴を上げていた。
それも生きている証と思えばそこまで悪い気分でもなかった。
だと言うのに、その喜びを台無しにする顔が水面から顔を起す。
あまりのしつこさに辟易として男に向け吐き捨てる。
「丸腰だからとか、そんな事言うなよ? もうその顔は見たくねぇんだ!」
精も根も尽き果て、震える腕で鉈を振り下ろす。
御頭と呼ばれた男は最後まで笑っていた。
「フィーニア……」
無意識に彼女の名前が口からこぼれた。
震える手足に鞭を打ち街を目指す。
この辺りまで来れば辺りは間伐が行われ、手入れのされた林となっている。
これまでの様に藪を切り開く必要もなく、今の状態でも移動するには支障がなかった。
経過した時間や流された距離、フィーニア達の速度を考えれば、十分先回りできるだろう。
――――しかし、怒ってるかな。怒っているだろなぁ……。
こんなに痛い目をみて、苦しい思いをして、その上怒られるなんて、ずいぶんと割りに合わない事をしたものだ。
林の先、街道を何台もの馬車が行きかう音が聞こえる。
木々の隙間を抜け街道へ踏み出そうかというタイミングで、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「………………馬車に…………ませんか!?」
愛しい人の声に安堵する、枯れ果てたと思っていた気力が蘇る。
自分自身も限界だろうに、それでもあいつは頑張ってしまうのか。
「お願いします! 馬車に乗せてください! どなたかっ!」
俺が頼んだせいで、あんなに必死になって。
あぁ、でもヤバイな……。
こんな時あいつは絶対に自分を切り売りしようとするんだ。
それを止めるのも俺の役目だ。
さぁ、背筋を伸ばせ!
あいつの前で情けない姿なんて晒してたまるか!
「リアンカスまで乗せてください! お礼は私の体で――――――」
「おおっと、いけない! それは既に売約済みですよ?」
勝手に他の奴にやろうとするな。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「みんな無事か? 随分ヘロヘロだな」
「もう歩きたくな~い!」
「グラムは~?」
「俺ももうぶっ倒れそうだ……。そこで取って置きの『探検家の知恵』を教えてやろう!」
期待の眼差しが俺に集まる!
――――そうか、そうだろう! 俺って頼もしいだろう!
野良仕事からの帰途につく馬車に向け、俺は高らかに手を挙げる。
指先には銀貨を三枚握って。
空の馬車を運んでも金にはならないが、人を運べば金になる。
リアンカスは目と鼻の先、この距離を運ぶのに銀貨三枚は破格だ。
だが俺達は一歩も歩けない、背に腹は代えられない。
さぁ、止まるがいい!!
銀貨に釣られ三台の馬車が止まったが、一番最初に目をつけた馬車を選ぶ事にした。
全員を荷馬車に載せ馬車が動き出す。
「グラムさん……、これは『お金の力』と言うのでは……?」
「何をぅっ!? お金も立派な『探検家の知恵』なのです!」
そんな具合に取り留めもない話題で車上を賑やかしていると、御者の農夫も参加してきた。
「いんゃ~、賑やかだね~。あんちゃん、訳有りっぽいけど、オラを巻き込まんでくれよ? 何にも知らんし、聞いとらんからの?」
「ああ、すまないなおっちゃん、迷惑はかけないよ。そういえば、うちの子達がこんなに乗ったが馬は大丈夫か?」
「うちの子っこは丈夫やけぇ、心配せんでよかよ」
どこの地方の訛りだろうか、何んにしても話の通じる人物で助かった。
「しっかしうちの子達て、あんちゃん若ぇのにえらいこさえたのぉ。オラも嫁さんと頑張らんと!」
「お? お……おうっ」
盛大な誤解をされたが、それで納得したならいいかとあえて指摘はしなかった。
フィーニアは俺の娘扱いされたのが気に入らなかった様だが。
「それから、おっちゃん。怪我人がいるんだ、病院まで頼むよ」
「あいよっ」
御者の農夫に行き先を告げてから、俺はフィーニアに銀貨を七枚渡しておいた。
リアンカスは中立の中継都市だが、実は検問がかなり緩い。
三方の国から引っ切り無しに旅客が来る為、検問を厳しくすると大渋滞を引き起こしてしまう。
別の国まで出向かず、それぞれの国の商品をリアンカス内で融通しあう業者も多く、流動性が阻害されると彼らの商機の損失となってしまう。
リアンカスにとっては、それらの商行為に対する課税収入が最大の収益源である為、市内で活発に商行為をしてもらいたいというのが本音だ。
通り過ぎるだけの旅客もそれなりにおり、そういった客目当ての商人が市外で露天活動でも始めたら、税収的にも困ってしまう。
だから、チェックを甘く、通行税を安くしてでも、市内にどんどん人を流してしまおうという考えらしい。
街の成り立ちが商人達の始めた宿場に起因しているせいもあり、金さえ納めれば多少の事は目をつぶるという空気があるのも緩さの一因かもしれない。
だからと言って治安が悪いというわけでもない。
ここが無くなると困る連中が大勢いるので、悪党も市内では揉め事を控えるという不文律が出来上がっている。
それでも無法を働く者はいるが、そういった輩は商人達の間で制裁されてしまうのが常だ。
そんな事情から、旅客は規定の通行税さえ納めればほぼノーチェックだ。
ただ、俺達は見てのとおり訳あり風の一団だ。
間違いなく詰問攻めに合うと容易に想像がつく。
だが、俺達は一刻も早い休息と治療を必要としている状況なのだ。
規定の通行税なら全員で銀貨二枚もあればおつりが来る。
そこを一人当たり銀貨一枚と、多めに『袖の下』をしてスムーズに乗り切ろうって訳だ。
馬車代に通行税、合わせて銀貨十枚。
ちょいと気風が良すぎかと思ったが、もうあれこれ考えたくもない。
後のことは後で考えよう。
「着いたら……起こしてくれ……」
最後まで言い切れたか覚えていないが、そこでスイッチが切れたように意識が暗転した。
「……ちゃん……、おーい、あんちゃん! 着いたぞ!」
「ん、あぁ、助かったよ!」
さすがに睡眠時間が足りなかったのか、少し目が回るような感覚と共に目が覚めた。
馬車を降りると、リアンカス中央病院と書かれた建物が俺達を出迎えた。
リアンカスは広大な森に囲まれている為、建材には木材を用いるのが主流だ。
ここ中央病院も例に漏れず木造だが、三階建ての立派な建て構えをしてた。
様々な都市の人間で賑わう街だけに、防疫の第一線となる事も多く、それらに対応する内に医療技術がどの国よりも発展したと言われている。
何しろ貴族が王国からわざわざ治療に来るぐらいだ。
この際だからと、負傷した者だけでなく全員の診察をしてもらう事にした。
大層な混雑状況だったが、俺やリーンの状態を見た看護師が融通を利かせ、先に診察してもらえる事になった。
家族と説明したせいで、同じ処置室に詰め込まれ、全員真っ裸コースとなってしまったが……。
正直もう、みんなそんな事気にしなくなっていた。
まぁ、俺とフィーニアはだけは、お互いを意識してしまった訳だが。
検査だけの子達は補水液だけ摂取し早々に解放された。
さすがに外科手術が必要な俺とリーンはお残りだ。
リーンは背中の矢を摘出し縫合。
俺は、輸血を行いつつ左太腿の抜糸と左肩の縫合、右腰は鏃を摘出し縫合した。
治療が終わり、麻酔でふらつく足でみんなと合流したが、程なくして看護師に呼び出された。
「グラムさーん、グラム・アヴェインさーん、院長室へどうぞ」
「はいっ。少し行って来るな」
そう言うと、フィーニアは頷いて見送った。
受付でも診察室でもなく、院長室というのが気になったが、導かれるまま一番立派な扉に入った。
革作りの豪華な椅子に座るその人物が、リアンカス中央病院の院長、バンクであった。
「あ~、グラムさん? 大家族の保護者の方ですな?」
そう、切り出すと彼はみんなの診断結果を教えてくれた。
ノーラは清潔さを保った事が幸いして、背中の傷がふさがれば問題無いという事だった。
リーンは……、矢が肩甲骨で止まった為、肺や心臓に損傷はなし。
栄養失調の方は、胃腸が弱っているので点滴治療で体調を改善していけば大丈夫だろうとの事だった。
他の子たちは異常なし、栄養をとって休ませなさいとだけ言われた。
「え~、それから……。君、本当にあの子達の保護者かね?」
どんな意図での発言か判断が付かなかったが、野盗の襲撃など、あの子達を襲う脅威が続いたせいで、殺気立ってしまう。
「それは、どういう意味ですか?」
「ん~、言い辛い話じゃが……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
すでに日も傾き、窓から差し込む夕日で院内は赤く染まっていた。
フィーニアも含め、疲労の限界を迎えていた子供達は待合室で舟をこいでいた。
ガチャリ……
「一度掛け合ってみることにします、ありがとう御座いました」
「あ~、お大事に」
院長室を出て振り返ると、フィーニアが目を覚ました。
「はっ……、終わったんですか?」
「ああ、今日はもう休もう」
「でもこれ、どうしましょう?」
フィーニアに寄り添うように五人が眠りこけている。
「真ん前の宿屋は患者の家族用に病院が融通しているらしい。そこを借られる事になったから二人で運ぼう」
宿の受付でバンク院長の紹介状を渡し、一階の大部屋を借り受けた。
俺達は子供達を抱きかかえ、部屋で寝かせてやる。
そして、フィーニアにも今日は休むようにと伝えた。
フィーニアは俺にも休むよう言ってきたが、もう少しだけやることがあると伝え俺は宿を出た。
痛み止めは飲んだが、重傷の体が悲鳴を上げているのがよく分かる。
しかし後回しにするわけにも行かないのだ。
俺がやって来たのはリアンカスの東地区。
そこには東方地域に広く浸透しているアマル教の寺院がある。
祭りにも使われる広々とした境内があり、その奥にはお参りをする拝殿、僧たちの修行や各種行事のを執り行う講堂、その奥に本尊を祭る本堂という三つの建物に分かれた構造になっている。
バンク院長から手渡された住所を今一度確認する……。
俺はアマル教徒という訳ではないので参拝に来たわけではない。
用があるのは敷地の一角に立てられた平屋の建物だ。
建物の隣には厩があり、馬が二頭つながれていた。
周囲には小さな菜園も有り、そこそこ手入れが行き届いているらしく、大きく育った南瓜や冬瓜などが実っていた。
他にも芋の葉の茂り具合などを見るに、収穫は中々期待できそうだ。
建物に近づくと子供達の元気な騒ぎ声が聞こえてくる。
「御免ください! どなたかいらっしゃいませんか?」
「はーい」
中から現れたのは、黒い僧服の上から割烹着を羽織った壮年の尼僧だった。
俺の姿を見て事情を察した表情をすると用件を聞いてきた。
「どういったご用件でしょうか?」
「まだ未定ですが、六歳の女の子を一人預かってもらう事は可能でしょうか?」
予想通りという風に驚きもせず、あらかじめ用意していた返答を返してきた。
「申し訳ございません、私共も博愛を旨としておりますが、全ての方を掬い上げる事は人の身には余る業。大変恐縮ですが現在はお受けしかねる状況に御座います」
「中央病院のバンク院長のお話で、こちらなら引き受けてくれるのではと……。失礼ながら寄付金を納めるという形で何とかならないでしょうか?」
バンク院長の名が出ると女性の表情が真剣味を帯び、こちらの顔を真っ直ぐに見据えてきた。
「大変不躾ながら、貴方様は冒険職のお方とお見受けしますが、そのお子様とはどういった間柄で? 旅先で不憫な子を拾ったものの、費用をご負担いただく算段になった途端、そんな金は出せぬと憤慨される方もいらっしゃいますので」
「娘です、可能な金額なら出してやりたいと思っています」
女性の鋭い視線が、俺の言葉の真偽を探ろうとする。
俺は目を逸らさずに見返す。
関係は偽りであっても、本心に偽りはない。
「左様に御座いますか。その場合、金貨十枚をお納めいただく事になりますが宜しゅう御座いますか?」
「分かりました、状況がハッキリしたら改めて伺います」
そう言ってから思い直して訂正する。
「いえ……、場合によっては俺の代理か、本人にお金を持参させる事になるかもしれません」
「確かに承りました。そのお子様のお名前を伺っても?」
「リーンです。姓は…………ありません。よろしくお願いします」
それだけ伝えると俺は尼僧にお辞儀し帰路に着いた。
そして、苦虫を噛み潰したかの様に一人ごちる。
「念の為だ、念の為……」
宿屋に帰り着いた時には既に日が暮れていた。
部屋を覗いてみたが、みんな運び込まれた時のまま眠り続けている様だった。
子供の身にはそれほど過酷な道程だったということだろう。
全員無事に連れて来られたことに、改めて安堵した。
その後、俺は受付奥の食堂で一人夕飯をとった。
バケットに野菜やハム、チーズを詰め込んだ一品だ、中々美味い。
片手で持ってかぶり付ける手軽さが俺としてはポイントが高い。
そして、空いた右手にはペンを持ち便箋と向かい合っている。
大分付き合いが長くなったが、あの偏屈教授に手紙書くなんていつ振りだろうか。
白髪で髭面で丸メガネで、楽しそうに考古学を語る老人の顔を思い出しながらペンを走らせる。
俺の功績を喜ぶだろうか、それとも顔を真っ赤にして悔しがるだろうか。
そんな事を考えながら好事家仲間への近況報告をしたためていく。
執筆が苦手な為か、書きながら口の中でブツブツと内容を口走ってしまう。
「きっと爺さんの研究の役に立ってくれる。よろしく頼む。…………グラム・アヴェイン……っと」
使わずに無駄になるのが最良なのだが、と思いながら三通の便箋を見直す。
思わず便箋を握りつぶそうかと思うほど、恥ずかしい内容になっていた。
「下手すりゃ黒歴史だなコレは」
三通の内二通をそれぞれ別の封筒に入れ、さらにそれらを入れる一回り大きな封筒を用意する。
慣れない作業をやり終えたせいか、一通目の封筒に宛名を書いていると強い眠気が襲ってきた。
そろそろ明日に備えて休もう。
俺は最後に一行、二通目の封筒に宛名を書き加える。
『フィーニアへ』