14話「命令」
ドォォォォォォ…………
早朝から響き渡る地鳴の様な音は、昼前には耳を劈くほどの轟音となって鼓膜を揺らした。
「グラム……、これ何の音?」
「もう少ししたら分かるよ」
二番手を歩くアキムも疲労の色が濃く、目元に隈まで浮き出ている。
爆音に晒され続けるというのは案外疲労を助長してしまうらしい。
だが、ひたすら歩み続けた俺達の前方が、少しずつ明るくなる。
頭上を薄暗く覆っていた木々は、徐々に切り株へと姿を変えていった。
ようやく俺達は人の手の入った領域へとたどり着いたのだ。
開ける視界、東からの眩い陽光が地面を照らす。
森の空気で湿気った肌を、秋の日差しが穏やかに焼くのが心地良い。
そして、アキムの疑問に答える様に、轟音の正体が姿を現す。
落差五十メートルの大瀑布。
そこでは、前方の幅四十メートルに及ぶ渓谷から、西の崖下へと膨大な量の水が注ぎ込まれていた。
「うわー、でっけー滝!」
「すごい、こんな大きな滝初めて見ました」
みんな壮大な景色に目を奪われている。
俺はもう一つの物にも目を向けてもらおうと声をかけた。
「ここまで来ればもう見えるはずだ。ほら、あそこ!」
俺は渓谷に架けられた木製のつり橋の傍に立つと、目標を指差しみんなの視線を促した。
崖下に広がる森林地帯の先、草原との境界に目を向けると街が見えた。
そこは三方の国々へ繋がる交通の要所であり、俺たちの旅の目的地でもある。
「大っきいね~、何て街なの?」
「リアンカス。俺達が目指してきた街だ」
交易都市リアンカス。
北方の帝都ロマヌ、西方の王都メルグラント、東方のトルパドール。
これら三カ国の特色が入り混じり、目がくらむほどの彩を見せる都市。
有り体に言ってしまえば、ごった煮の街だ。
それだけに、様々な選択肢がそこには有る。
きっと子供達の将来を繋ぐ『何か』を見つけられるはずだ。
旅の終点を明確に視認できた事で、疲労で濁っていた子供達の目が希望の色に染まっていく。
同時にそこでお別れなのだという寂しさも胸に湧き起こってしまう。
だが、一人の大人としてやり遂げなくてはと、改めて気を引き締める。
「パパ~……、リーンも……見る……」
「ああ、悪い。今下ろしてやるからな」
体調を崩して以来、リーンは背負子に後ろ向きに座っている。
当然、俺が街を見ていたらリーンには見えない訳だ。
それを忘れて自分達だけ浸っていた事を詫び、リーンを担ぎ上げてやろうと手を伸ばす。
「パパッ!」
突然、リーンが俺の頭にしがみ付く!
ドッ! という鈍い音と衝撃が少女の体から伝わってくる。
リーンの体がずれ落ち、地面に激突しそうになるのを慌てて抱き止めた。
衝撃と痛みで気を失ったリーンの背中から矢が生えていた。
俺達とは違う視界の中に居たリーンだけが、ソレを見つけてしまったのだ。
「くっあぁぁぁっ!!」
頭が沸騰する。喉を引き裂く様に言葉にならない叫びが零れ出る!
状況は分からない、だが立ち止まっていたら皆殺しにされかねない。
「全員、荷物を捨てて橋を渡れ! 走れぇぇっ!!!」
リーンをフィーニアに託し、鉈を抜く。
敵の数は!? 配置はっ!? 目を血走らせて周囲を睨みつける!
矢は東側から飛んできた。どこだっ!?
木々の隙間に見覚えの有る風貌の男。
そいつが子供達に向けて弓を構えている!
反射的に足元の石塊を拾い上げ、男に向けて投げつけた。
運よく弓を握る腕に当たり、矢はあらぬ方向へと飛んでいく。
――――野盗の生き残りか!
子供達はまだ三分の一も渡っていない。
古い木製の釣り橋だ、急ぎたくとも思うようには行くまい。
他の敵の存在は確認できないが、最優先は弓兵だ。
あいつを無力化……、若しくは俺だけに注意を向けさせる!
弓兵との間合いを詰めようと踏み出した瞬間、藪から二人の男が飛び出す!!
弓兵を相手にすれば二人に子供達を追われ、二人を止めれば弓兵に狙撃を許す。
だが、そんな二択で迷っている時間など無い!
俺は懐から着火液の小瓶を取り出すと橋に叩き付けた。
瓶が割れ、琥珀色の液体と銀色の粉が飛び散る。
その瞬間、爆発した様に火柱が立ち上った。
その光景に怯み、橋を渡ろうとした二人が足を止めた。
火が付いたからといって直ぐに橋が焼け落ちるわけではない。
もしそのまま炎を突っ切られたらお手上げだったのだが、どうやら二人の意識を俺に向けることには成功したようだ。
俺は再び弓兵との距離をつめる。
弓兵は己に突進してくる脅威を最優先と認識したのか、こちらに向けて弓を構える。
敵視を集められた事を確認し、俺は後方の様子を探る。
右後方から迫る二人はまだ遠い。
ヒュッ! と風を切り裂く音と共に矢が迫る!
咄嗟に鉈で叩き落したが、こんな曲芸の成功率は低い、次は無いだろう。
矢を打ち払った事で俺は僅かに減速し、後ろの二人との距離が縮まった。
奴らの間合いには僅かに遠い。
だが俺は頃合と判断し、切り株を蹴って急反転すると、振り向きざまに鉈を振り抜いた。
鉈は髭面の男の左腕を深々とえぐり、骨まで断ち切る。
俺はその勢いのまま地面を転がると、奴らとの立ち位置が入れ替わる。
弓兵との間に男達を挟み、射線を遮ってやった。
これで弓兵は簡単には射れないが、前衛となった男達は弓兵の射線を通す為、動き回ってくるはずだ。
弓兵もその瞬間に備えて狙い続けてくるだろう。
多勢に無勢は代わらないが、子供達が橋を渡る時間を稼ぐには都合の良い状況に持ち込めた。
だが、そこで俺は違和感に気がついた。
髭面の左腕は皮一枚でぶら下がっている状態だ。
下手に切断されるよりも、ぶらつく腕が振り回され、傷がひきつれ痛むだろう。
視覚的にも心理的な影響が出そうなものだが、平然と笑っている。
その時、ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「ひっひっひ……お前だけぇ逃げられるとぉ思うなよぉ? お前も俺達とぉ、終わるんだよぉぉぉ!」
もう一人の男、御頭の呂律が回っていない、ところどころ声も裏返っている。
ろくな装備もなしに追って来たのだろう、顔つきは以前よりやつれていたが、目だけは異様に血走り爛々としていた。
麻酔粉……麻薬か、こいつらキメてやがる!
痛覚が脳に届かず、異常な興奮状態にある
防衛本能を捨てた滅茶苦茶な攻撃ほど面倒なものは無い。
だが逆に言えば、髭面は放って置けば失血死するまで自分の状態に気づかないだろう。
奴らは今、冷静な判断力を欠いた状態にあると判断し、戦略を組みなおす。
俺は鉈を左手に、ダガーを右手に持ち替え回避に専念する。
抑制を麻薬で取り払われている為、打ち込みの威力は強烈だが、太刀筋はやや単調。
戦略も何も無く、俺に向けて攻撃を繰り出してくる。
そして俺は攻撃の隙を突き、男達の隙間から弓兵に向けてダガーを放つ!
射線をふさぐ男達のせいで俺の行動が掴めず、突然死角から放たれたとあっては反応できるはずも無い。
投げたダガーは弓兵の左腋付近から深々と胸に突き刺さった。これで後二人!
チラリと後ろを振り返ると、どうやらみんな無事に渡り終えたようだ。
ならば長居は不要、橋が焼け落ちる前に俺も向こう側へ!
俺が視線を外した事を隙と見て、髭面が突進してくる!
俺は右手に持ち直した鉈で髭面の単調な一太刀を切り返す!
髭面は残された右腕の手首から先を失い完全に無力化する。
いや、したはずだった!
髭面はそのまま俺にぶつかり、手首の無い腕で俺にしがみ付くと、首筋を食い破ろうとしてくる。
堪らず鉈の先端で髭面の喉を突き潰す。
だが、読み違えた一手が隙を生んでしまった。
飛び上がった御頭が突きを放つのが見える!
拘束から逃れようと髭面の体を押しのけるが、御頭は打ち下ろすように味方ごと俺を貫いた!
奴の長剣は髭面の胴と俺の左肩を刺し貫いて地面まで打ち据える。
だが、もつれて倒れこむ三人分の体重が刀身に掛かり、力の逃げ場をなくした長剣は根元から破断した。
俺は折れた刀身を無理やり引き抜き身を起こすと、一目散に橋へと駆け出す!
――――まだ、間に合う!
マントを脱ぎ、それで炎を散らしながら、服に燃え移る前に一気に炎を駆け抜けた。
ドスッ!!
突然右腰に痛みが走り、橋板に倒れ込んでしまった。
背後で弓兵が崩れるのが見える。即死じゃなかったのか!?
ミシッ!
倒れ込んだ衝撃でつり橋が悲鳴を上げた。もう時間が無い!
急いで立ち上がりかけた俺の背を、御頭が馬乗りになって押しつぶす。
「くそっ! しつこい野郎だなぁ!」
「ひっひっ、そう邪険にするなよぉ、お友達だろぉぉ?」
何のだ! と不毛な返しをしかけたが、悠長な掛け合いをしている暇なんて無い。
「おやぁ? お前、何か生えてるぞ? ひひっ」
などと言いつつ脇腹に刺さった矢をグリグリと弄んでくる。
「ぐぁぁぁっ!」
何度もひねられ、抉られ……、そして矢が折れた。
「取れた、ひひっ 取れたぁぁ はぁ~はっは~~」
右手の鉈を逆手に、奴の脚や脇腹に叩き込む。
「んん~、楽しいなぁ。 お前、良いぞぉぉ んふふぅ」
「ジャンキーがっ!!」
体勢が悪いとはいえ、刃物でこれだけ打ち据えられれば体組織はズタズタになる。
だと言うのに奴は平然と笑っている。
燃え広がった火が脚を焼く、奴ももう完全に火達磨だ。
その時、橋から微かに振動が伝わってくることに気が付いた。
慌てて視線を上げると橋の向こうから、フィーニアが走ってくるのが見えた!
――――駄目だ! もう、崩れる!
「フィーニア!! みんなを連れて逃げろぉぉぉぉ!!」
全身全霊、これ以上無いという気持ちを振り絞り、最後の命令を下した。
「嫌っ……、 グラムさん! 取り消してください! 嫌ぁぁ――――っ!」
恨み言を叫びながら、彼女の体は意思に反して勝手に引き返していく。
――――悪ぃ、でも許せ……。
縄が焼ききれ、体が浮いた。
ゆっくりと上方に流れていく視界の中で、向こう岸にたどり着いたフィーニアが見えた。