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11話「五日前」

今回は物語開始直前のお話です

 一トンを越える大柄な馬に引かれ、幌馬車が地響きを立てて疾走する。

 道は足の長い草に覆われ、路面の状況など全く把握できない。

 そこを全速力で駆け抜けるなど狂気の沙汰だ。

 それでも走らせねばならなかった。馬車は追われていたのだ。


「はーっはぁっ! 御頭っ、こいつが棚から牡丹餅って奴ですかねっ」

「集中しろ! 草に脚をとられて落馬するぞ!」


 馬車を追う馬は五頭。前を走る輓馬よりは小柄だが、こちらは走る為に生まれた者達だ。

 その絶望的なまでの速度差は、一分と経たぬ内に男達の牙を届かせるだろう。

 運が悪かった、そうとしか言いようがない。

 年に一度往来があるかどうかという、忘れ去られた道での鉢合わせなど。


 馬車の持ち主は気が小さかった。

 詐欺に恐喝、火事場泥棒。自分には商才がないと知っているからこそ、悪事にも手を染めた。

 しかし直ぐに不安になってしまうのだ。そんな男が今度は人攫いをした。

 彼の醜く膨れ上がった脂肪は、贅の限りを尽くした物ではなく、不安を紛らす為の防衛本能による物であった。

 そんな男だからこそ、心寂しいこの道は心休まると期待したのだ。


 片や野盗共はといえば、名を知られ始めたばかりの盗賊団だった。

 それ故彼らは天狗になり、王都で調子に乗りすぎた。

 結果、今は同業に追われる立場だ。

 十二人いた手下は今や六人にまで減っている。

 広く知られた道では追っ手に食いつかれる。

 そうして男は、いつどこで耳にしたかも忘れたこの道に、血路を見出したのだ。


 だが、偶然始まった狂気の競争劇は、あっけなく終止符が打たれた。

 側面から回り込まれそうになった御者は、幅寄せして妨害する。

 するとすかさず野盗達は反対側から抜きにかかった。

 御者が慌てて輓馬の鼻先をそちらへ向けると、草で蹄がすべり輓馬が転倒したのだ。


 その巨躯に振り回され幌馬車が大きく傾く。

 その勢いで投げ出された御者は、道脇の木にしたたか打ち付けられ、錐揉みするように藪の中へと落ちていった。

 その点、荷台に乗っていた者達は幌があった事が幸いした。


 なんとも拍子抜けな幕切れに、野盗たちも気が削がれてしまった。


「何すかね~、折角気が乗ってきたのに呆気ねぇ」

「余計な手間が掛からないならそれでいい、さっさと金目の物を回収してこい、食い物もだ」

「へい!」


 旅商であれば馬車一台につき護衛を二、三人雇っているのが普通だ。

 野盗達もそんな事は百も承知。

 反撃の初動を制すべく弓で警戒しながら、包囲を完成させていく。


 だが馬車に乗っていた護衛はたったの一人だった。

 通常の編成であれば、あるいはこの場を切り抜けることが出来たかもしれない。

 だが馬車の持ち主は、護衛といえど屈強な男供を同乗させる事を恐れたのだ。

 そんな依頼であるからこそ、この男の依頼を受ける者は居なかった。

 当然である。たった一人で護衛など、事に至っては死ぬ未来しかないのだ。

 そんな依頼を受ける者は、よほどの猛者か戦闘狂のどちらかに違いない。


 そして今、その勇敢な護衛は野盗共の包囲が始まると、即座に行動を起こした。

 幌影から躍り出るやいなや、一目散に斜面を転がり逃げたのだった。


 奇声を上げながら野盗どもの前を走り抜ける男は、護衛と評するには余りにも貧相な体つきだった。

 猛者でも何でもない、男は襲撃に合わない確率に己の命を懸けた愚か者だったのだ。

 無論そんな男が逃げ切れるはずもなく、彼の掛け金はいとも容易く刈り取られた。


 尚も野盗共は警戒しつつ包囲を狭める。

 一人が幌馬車を覗き込もうと身を乗り出すと、大きな丸い肉塊が転がり出てきた。

 それが人間であると、その場に居た誰もが認識できない程の膨れ様だった。


「ぴぃぃ、許してください! 命だけはっ、命だけはぁぁ!」


 呼吸の度に、贅肉で押しつぶされた喉や鼻が、豚の鳴き声に似た振動音を響かせる。

 極限まで脂を吸収したスポンジを握り潰す様に、その肉塊から脂汗がにじみ出ていた。


「奴隷もお金も全て差し上げます! どうかぁぁ! ぐひぃ」


 命の対価を口にするその顔からは、涙もよだれも鼻水までもが垂れ流される。

 男の真正面に立ち、刃を突きつける野盗の顔が、余りの不快さに歪んでいく。


「積荷は既に俺達のものだ、何の交渉材料にもならん」


 御頭と呼ばれた男が奴隷商人の言葉を冷淡に切り伏せる。

 奴隷商人は絶望の余り蒼白となったが、言葉を交わせたことに希望を見出した。


「で、では! そう、街に戻ったら金貨百枚! 百枚差し上げます! それで手を打ちませんか? ゲヘッゲヘッ」


 自分の土俵に持ち込めたと勘違いしたのか、下卑た笑顔湛えてゴマをすり始めた。

 ある意味天性の才能といえるかもしれない、因縁をつけてくるゴロツキなど足元にも及ばぬ不快さで、野盗共の神経を逆なでする。

 食事の度に、眠りに就く度に、野盗どもの脳裏に蘇る不快な顔。

 それを刻み付けた事は、この男にできたささやかな復讐だったと言えるかもしれない。


「二十秒待ってやる、逃げてみろ。逃げ切れたら見逃してやる」


 御頭がそう言い渡す。


「ま、待って下さい! ゲヒッ それなら、二百……いや三百でも!」

「一つ……二つ……三つ……」

「ぶひぃぃいぃぃ!」


 必死の誓願にも取り合ってもらえず、奴隷商人は歩くかのような速度で走り出した。

 だが、何故か野盗共まで併走している。

 逃がす気など毛頭ないのだ。


「ゼェ……ゼェ……助けて…………」

「おーぅ? 御頭の温情を無駄にする気か? キリキリ走れや! おらぁっ!」


 獲物をチラつかせて囃し立てる。


「十七……十八……十九!」

「グヒィッ…………!」


 命の期限が迫った奴隷商人は、神に祈り、斜面へと飛び込んだ。

 丸々とした体は勢いよく斜面を転がり落ちる。

 そして、自らの体重で首を折って絶命した。


「マジかよ、俺ぁこんなの初めて見たぜ、ガハハハハ」

「イーヒッヒッヒ、腹が……ブフッ、フハハハハ」


 奴隷商人の醜態を見て笑いがこだまする中、押し殺すような声が聞こえた。


「ね、ねぇ、走って逃げた方が……」

「俺があいつに飛び掛るよ、その隙に……」

「ダメっ! 大丈夫だから、騒がないで……、みんな集まって」


 御頭が幌を覗き込むと、奴隷達は一塊になって顔を伏せていた。

 冷静な判断だ。子供にこの状況が打開できるはずも無く、逃げることも不可能。

 ならば大人しくして目をつけられるのを避けるのが最良だろう。

 無論、野盗がそれで見逃してくれるはずもないが。


「御頭、どうしやす? こいつらも連れて行きやすか?」

「先の状況も分からん状態だ、今は金と食料だけでいい」

「じゃ、じゃあこの場で楽しんでもいいですかい?」

「ガキ相手じゃ面白くも無かろう、先を急ぐぞ!」

「いやぁ、俺ぁーコレぐらいが好みで、手早く済ませますんで、ヘっヘっヘっ」


 御頭がギロリと睨みつける。

 しかしこの髭面は一番の新入り。

 今まで役得を味わったことが無かったのだ。

 欲望を満たす餌を目の前にして、昂りを抑える事ができずに食い下がる。


「ご、五分もあれば! いや三分……一分だけでもっ!」


 御頭が剣の柄に手を掛けたところで、ようやく髭面と股間のソレが頭を垂れた。


「逃げ延びて、商談を終えたら、戻ることも考えてやる」

「さすが御頭! さぁ! 直ぐ出発しやしょう! ささっと片付けて、回収しにきやしょう!」


 御頭が振り返ると、奴隷の中心にいた少女と目が合った。


「再建の資金には使えるか……」


 少女の目は、野盗共が立ち去るまで逸らされることはなかった。

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