78 希望の灯
蔵之助の亡骸を火葬した翌日は、大学の合格発表だった。
ハルキは朝からベッドに潜ったままで、時間になっても起きだす気配がまったくない。
無理もない。不合格とわかり切っている結果など、確かめる気にもならないだろう。
声をかけるのもためらわれ、わたしはひとりパソコンを立ち上げ大学のホームページを開いた。
だがその数秒後、わたしの目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
「243……246……247……? え?」
何度も画面を見返す。
「あった……?」
思わず声が裏返る。
「あったよ! ハルキ、受かってるよ!?」
ただならぬわたしの絶叫に、奥にいた夫が「どうした?」と駆け寄ってきた。
「ほら、これ。ハルキ、受かってるんだってば!」
わたしが指さす番号に夫も目を丸くし、興奮してハルキの部屋に飛び込んだ。
寝ているハルキを揺さぶって、頭からかぶった布団を勢いよくめくる。
「ハルキ、受かってるよ。合格したよ!」
だがハルキは眉間に深いしわを寄せたまま不機嫌そうに夫の手を払いのけ、布団をぐっと引き寄せる。
「ちょっと、そういうのやめてよ。からかわないでよ……」
泣きそうにくぐもった声に、思わず笑みがこぼれた。
「冗談じゃないんだって、ほんとに受かってたんだよ!」
「……え?」
言われたことの意味がすぐには理解できなかったらしく、ハルキがポカンとした顔のままで固まる。
「ほんとに? ……ほんとに、合格?」
何度も何度も聞き返し、ようやくからかわれているのでも夢を見ているのでもないとわかったのだろう、暗く澱んでいたハルキの表情が一変した。
「どうしよう、信じられない!」
「いやぁ、とにかくよかった!」
わたしたちは口々に叫び涙ぐみ部屋中を飛び跳ねながら、この奇跡のような幸運を喜び合った。
それからの数週間は、目の回るような忙しさだった。
入学手続きにアパートの契約、引っ越しの準備と、次から次へとやるべきことが追いかけてくる。
ああ、そうか。
蔵之助はわかっていたに違いない、この希望に満ちた慌ただしさがわたしたちの悲しみを否応なしに紛らわしてくれることを。
だからこそ、この時を選んで逝ったのだ。
ハルキもやはり、感じるところがあったのだろう。
新しい部屋の一番目につく場所に蔵之助の写真を飾り、「大学に受かったのは、くらのおかげだ」と言って、神妙な面持ちで見つめていた。
もちろん、ただの猫にそんな力のあろうはずなどない。
それでも、蔵之助の生きざまがハルキの心に消えることのない光を灯してくれたことだけは、確かだった。
ハルキの引っ越しを無事に終えると、二十数年ぶりの夫婦ふたりの暮らしが始まった。
大人だけの穏やかで落ち着いた日常は、淡々とした淋しさと背中合わせだ。
無条件に愛情を注げるものが欲しい――。
その想いは日に日につのり、わたしたちは再び新しい家族を探すことにした。
「まあ無理だろうけど、蔵之助と血がつながった子がいたらいいよね」
そういって5年前のペットショップの書類をひっくり返し、ブリーダーの名前から蔵之助の出生地を探した。
すると、なんという巡り合わせだろう、蔵之助が生まれたその場所は、ハルキの通う大学の目と鼻の先にあったのだ。
大きな川のほとりの、雑木林に囲まれたキャットファーム。
さっそく問い合わせてみると、ちょうど冬の終わりに生まれたばかりの仔猫が何匹かいるという。
わたしたちは、そのうちの一匹を譲り受けることにした。
5月の連休のはじめに、わたしたちはようやく生後2か月になった仔猫を迎えに行った。
ちょうどいい機会だから蔵之助の遺骨も故郷の川に還してやろうと、ハルキにも声をかけ3人でその場所に向かった。
川沿いに車を止め、コンクリートのブロックで固められた急な斜面をゆっくり降りていく。
紙袋に入った小さな骨は、歩くたびカサカサとかすかな音を立てた。
蔵之助と過ごした時間は、そっくりそのままわたしたち親子が出口の見えない暗いトンネルの中でもがき続けた時間でもあった。
「バカだなあ。難しく考えないでさ、僕みたいに自分らしく、心のまま生きればいいんだよ」
道に迷い途方に暮れるばかりのわたしに、いつもそう語りかけてくれた深い湖のような瞳。
残り少ない命をすべて傾け、ハルキの背中を押してくれた最期の時間。
すでに不登校生ではなくなったハルキがなお得られずにいたものを、蔵之助が与えてくれたのではなかったか。
やはりこの子は、わたしたちのためにこの家に来てくれたのだ――。
水際まで降りていくと、流れは思いのほか激しかった。
水面を渡る風にあおられた髪が頬を打つ。
――ありがとう、ありがとうね、蔵之助。
心の中で何度も語りかけながら、細かく砕いた骨をそっと川面に撒いていく。
白い欠片は、名残惜しそうに流れに呑み込まれていった。




