76 余命宣告
蔵之助の腎不全が見つかったのは、わたしの片耳が聞こえなくなる少し前のことだった。
夏の終わりから、トイレに行っても思うようにおしっこが出ず、家のあちこちでお漏らしをするようになった蔵之助。
これはおかしいと病院に連れていったところ、尿路結石ができているという。
その手術のための検査で、腎臓の数値がひどく悪いことがわかったのだ。
「腎不全でもコントロールがうまくいって長生きする猫ちゃんもいますが、この結果だけ見ると、かなり厳しい状態です」
もう長くは生きられないと暗に告げる獣医の言葉にわたしはひどくショックを受け、そうなるまで蔵之助の異変に気づかなかった自分自身を責めた。
だが手術を終え家に帰ってきた蔵之助は、首に巻かれたエリザベスカラーに戸惑ってはいるものの、以前と変わらないようすでご飯を食べ、しっかりした足取りで家中を歩き回っていた。
もしかしたら、思ったほど深刻な状態ではないのかもしれない――わたしはそんな希望的観測を抱きながら、脱水を防ぐためせっせと点滴に通い、栄養価の高いフードを探し続けた。
実際それから数か月の間、蔵之助の状態はかなり落ち着いていた。
結石ができる前と比べれば体重は減って毛艶もよくなかったが、とりたてて目立つ症状もなく、検査結果も悪いなりに安定してはいたのだ。
それが急に悪化したのは、12月の半ばのことだった。
仔猫のころからあまり吐くことのなかった蔵之助がある晩突然嘔吐し、じっとうずくまり何も口にしなくなった。
朝になるのを待って病院に連れていくと、腎臓の値が急激に悪くなっているという。
そのまま入院させ狭いケージの中で点滴を続けたが、3日経っても効果はまったくあがらなかった。
「これだけやってもよくならないのは、たぶん臓器としての限界だと思います」
申し訳なさそうに獣医が告げる。
「……先生から見て、この子はあとどのくらい生きられると思いますか?」
絞り出すようなわたしの問いかけに、この数か月ですっかり懇意になったその獣医は、苦し気に顔を歪めながら答えた。
「残念ですが……この状態なら、通常は何もしなければ3日。コントロールがうまくいっても、10日ぐらいだと思います」
見舞いにいくたび「おうちに帰りたいよ」と訴えるかのようにぐいぐいと頭を押しつけてくる蔵之助。
よくなる見込みがないのなら、このまま閉じ込めておくことに意味はない。
わたしは泣きながら、蔵之助を家に連れ帰った。
ハルキもまた、あまりに短い余命に言葉を失った。
ずっと病状を気にかけながらも、「これだけ元気だから大丈夫っしょ」とどこか楽観視していた彼は、はっきりと突きつけられた残酷な現実に打ちのめされ、顔を真っ赤にしてポロポロ泣き出した。
そんなに無防備に涙を流す彼を見るのは、幼いとき以来だった。
蔵之助は、たぶん年を越せないだろう。
腎不全末期にはしばしば、嘔吐やけいれん発作が起きるという。
死が避けられないものならば、せめてその苦痛を少しでも和らげようと、病院で器具を借り、夜の間だけ家で点滴をすることにした。
ハルキにも協力を頼むと、普段は手伝いを一切しないどころか自分のことも極力押しつけてこようとする彼が、目を潤ませながら「くらの点滴、何時ごろやる?」と毎日聞いてくるようになった。
ああ、ハルキにとってもやはり蔵之助は特別な存在なのだと、胸が詰まる思いがした。
わたしたちはそれから毎晩、点滴をしながらほとばしるように泣き、祈りのように蔵之助への想いを語り合った。
愛する者を失う痛みと悲しみを分かち合うことで、わたしもハルキもそれまでになく素直な気持ちで本音を口にするようになっていた。
「俺、こんなに泣いたの人生初だわ」
目を真っ赤にして弱々しく微笑むハルキの姿が胸を締めつける。
そう、彼の中には誰かを大切に思う心がちゃんと育っている。
それでいい。
それだけで、もう十分ではないか。




