73 卒業
結局ハルキは、それから一度も登校することのないまま中等部を卒業した。
卒業までの学校側とのやりとりや通信制高校の手続きは、すべて本人に任せた。
と言いつつ何度も手を出しそうになり、そのたび「たとえ手続きが間に合わなくて入学できなかったとしても、奴の人生だ!」と念仏のように唱え、必死で見て見ぬふりを決め込んだ。
ハラハラしながら、それでもふたりの間に引かれた境界線を常に確かめながら、自分の足で歩き始めようとするわが子を見守る。
そんな母の葛藤などつゆ知らず、ハルキはいつものマイペースっぷりを遺憾なく発揮し、ギリギリのタイミングで半年間伸ばし続けていた髪を切り、願書の写真を撮りに行き、なんとかすべてをやり終えた。
そして3月の半ばに形ばかりの卒業式を済ませ帰ってくると、「さあて、やるか」とおもむろに部屋の片づけを始めたのだった。
長いこと机の上に積まれっぱなしだった中学時代の教材やプリントを、思い切りよくゴミ袋に突っ込んでいくハルキ。
その捨てっぷりには、何の未練も後悔も感じられない。
長かったこの3年間。
背中を押さずにいられない日もあったし、すべてを受け入れる気持ちになれたときもあった。
今思えば、ハルキが学校に行くかどうかより、彼に無理をさせたときに湧いてくる感情、そして「いいよ」と言えたときに味わう想い、そのひとつひとつを味わうことが必要だったのかもしれない。
そう、わたしにとって子どもの不登校に向き合うことは、長いこと蓋をしてきた自分自身の気持ちと向き合うことだった。
忘れていた幼い頃の怒りや悲しみ。
いつの間にか染み付いた自分を守るための正論。
無意識のうちに目をそらしていた本音。
「母さん、幸せなふりじゃなくてさ、ちゃんと自分らしく生きなよ!」
ハルキは声にならない声でそう叫びながら、わたしの心の水底に静かに積もっていた泥をぐるぐるとかき回してくれた。
そうして忘れ去られた感情をひとつひとつすくい上げていくうちに、わたしは自分の根底にひっそりと、そして脈々と流れ続けていた想いに行き当たったのだ。
それは、ありのままの自分を受け入れてもらえなかった悲しみだった。
父も母も、きれいないい子の枠に入りきらないわたしのことを、決して認めてくれてたわけじゃない。
頑固でわがままで可愛げのないわたしを、「やむを得ず」「仕方なく」「あきらめて」いただけだ。
自分は誰にとっても、不本意な存在なのだ。
その想いは、幼いわたしの心を光(小さい冬子)と影に分裂させた。
それこそが、わたしの生きにくさの根っこだったのだ。
そのことを理解するにつれ、ハルキに対する苛立ちや要求は消えていった。
おそらくわたしの悲しみはそっくりそのまま怒りに形を変えて、ハルキへと向けられていたのだろう。
子育てがあんなに苦しかったのも、マイペースで自由気ままなハルキの性質が、わたしが切り捨てようとしてきたちびふわそのものだったからだ。
そうしてわたしがこれまでの人生に隠されていた本当の物語と向き合い、互いを排除しあっていた心の中のちいさい子たちが手をつなぎはじめたとき、ひっそりと流れていた悲しみは、なにか温かいものに姿を変えていた。
そう、不登校という手段を使って、ハルキがわたしを明るく穏やかな場所に連れてきてくれたのだ。




