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72 忘れ物

 12月も半ばを過ぎ、間もなく冬休みが始まろうとする頃に、学校から呼び出しを受けた。

 卒業後の進路のことだとわかってはいたが、こちらを見下すようないつもの担任の態度を思い出すと、憂鬱でたまらなかった。

 それはハルキも同じだったようで、「オレは通信に行くと決めたし、『あんたに何か言われて気持ちが変わることはありませんから』って言ってすぐ帰る!」と鼻息が荒い。


 だが実際は、その話し合いは拍子抜けするくらいあっけなく終わった。


 呼び出しの当日、ハルキとふたりで小さな会議室に通され、長いテーブルを挟んで担任と向かい合った。


「通信制の高校に進みたいということだけど、君はなぜ内部進学をやめようと思ったのかな」


「まあ、今から遅れを取り戻すのは簡単ではないし、それなら新しくスタートを切ったほうがいいと思ったんで」


 特に気負うこともなく、淡々と答えるハルキ。


「なるほど。でも、通信制も決して楽なわけじゃないよ? 普通の高校みたいに先生が見てくれるわけじゃないし、それこそ意志が強くないと続かないと思うけどね。その辺は大丈夫?」


 担任が意地の悪い口調で詰め寄ってくる。


「今までみたいにしていたらだめなのはわかってるんで――まあ、がんばるしかないです」


 やや気色ばみながらハルキが言い返す。


「そう。じゃあ、通信制に行って、その先はどうするつもり?」


「行きながらバイトとかして、進学するかどうかはそれから決めるつもりです」


 拙くはあるけれど、はっきりと自分の考えを言葉にするハルキ。

 しばらくそんなやりとりをした後に、担任が小さくため息をついて言った。


「本人の意思も固いようだし、仕方ないですね」


 引き留めることも登校を強制することもないその対応に、面倒な生徒がやめてくれることを内心喜んでいるのかもしれない、とふと思う。

 それならそれでかまわない。それより気になったのは、ハルキが『孤独』や『みんなと違うこと』に対する不安をまったく感じていないように見えることだった。

「将来に不安はないの?」と担任にも聞かれ、「ありません!」と即答していた。


 強がりなのか? それとも否認?

 もしかして、こいつの情緒は欠落しているんではないだろうか?

 ひょっとして、宇宙人??? 

 なんにせよ、こいつはわたしの理解の範疇を超えている……。


 だが、それから半月余りが経ったある晩のことだった。

 ハルキがいつになく暗い表情で、リビングをうろうろしているのに気がついた。

 どうしたのかと尋ねると何度も口ごもり、やがて目に涙を浮かべながら重い口を開いた。


「不安なんだ……死んだらどうなるのか、とか、いろいろ考えちゃって……」


 そう言って、苦しそうに顔を歪めた。


 こんなにも弱気なハルキを見るのは、初めてだった。

 激しく動揺しつつも冷静さを装い、じっと耳を傾ける。

 するとハルキは、ぽつりぽつりと胸の内を語り始めた。


「自分の周りの親しい人間、例えば、親が死んでしまったらどうなるのか、とか考えると、すごく怖い。

 どうやって生活するかということじゃなくて……心の支えを失ってしまうような感じで、不安でたまらなくなるんだ。

 自分のことも、死んだら意識はどうなるのか、死んだらすべて無になるのか、では、何のために生きているのか、そういうことを考えてしまう」


 その言葉を聞いて少し驚く。

 ひょっとしてこの子は、この年になるまでそういったことを考えずに生きてきたのだろうか――。


 もしかしたらやはりハルキは、自分の気持ちをちゃんと感じることを無意識的に避けてきたのかもしれない。

 そうしなければ、やってこられなかったから。

 受け止めてもらえないと、わかっていたから。


 そうやって自分自身を守りながら、ありのままの気持ちを出しても大丈夫だと思える時が来るまで生き延びてきたに違いない。


 わたしが、そうさせてしまった……。

 そう思うと、たまらず胸が痛んだ。


 いや、だとしても、そのまま終わらなくてよかったではないか。

 いずれにしろ今がハルキにとっての『時』なのだ。

 こちらも精一杯の誠実さで向き合おうと気を取り直し、腹を据えた。


「そっか……きっとそれは、時間をかけて、自分にとっての答えを探していくしかないことなんだろうね」


「うん、それがすぐに答えが出るものではないのもわかってる。

 ずっと考えているのは苦しいから、考えないようにして忘れちゃったほうがラクなんだよね……。

 ねえ、母さんにとっての答えはなんだったの?」


 そう尋ねられ、わたしはできるだけありのままの気持ちを言葉にしようと、自分の心の中をのぞきこんだ。


「そうだね、今は……自分が死んで、個としての意識はなくなったとしても、その想いみたいなのはなんらかの形で残っていくような気がしてるんだ。

 だから、若い頃よりも死ぬことが身近になって、自然に受け入れられる心境になってきてるというか……。

 でも、ハルキに親が必要な間は、わたしたちは死なないようになってるから、大丈夫だよ。

 それにね、『死んでも、心の中に生き続ける』というのがどういうことなのか、最近になってようやくわかってきた気がする。

 きっと、愛されたという想いは温かいものとして君の中にちゃんと積もっていて、実体のその人がいなくなったとしても、ちゃんと君を守っていてくれるんだよ。

 ほら、ハリーポッターをお母さんが守ったみたいにね」


 ハルキは鼻を真っ赤にしながら、わたしの言葉にじっと耳を傾けていた。

 その姿を見ながらしみじみ思う。

 彼の中で、親という存在が『失いたくない大切なもの』になっている。

 その事実はとても意外で嬉しくて、そして……ひどく羨ましかった。


 中学生のわたしはいつも、親も家族もいなくなれと願っていた。

 温かいつながりなどあの家で感じたことがなかった。

 でもハルキはそうじゃない。


 彼が今ぶつかっている悩み。

 向き合わねばならない現実。

 本当につらいのは、これからかもしれない。

 だが少なくとも彼は、わたしが長いこと持てなかったものを手に入れることができたのだ。

 わたしが親からもらい損ね、ハルキに渡すことができなかった忘れ物。

 彼はそれを、不登校という形で取りに来てくれた。


 ベランダでは、薄紅色のシクラメンがひっそりとつぼみを膨らませている。

 店先に並ぶ鉢に比べたら花は小さいし咲くのも遅いけれど、濃い緑の大きな葉っぱがたくさん茂っている。


 そう、これはそういうシクラメンなんだ。

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