71 手を取り合って
力が でないよ
世界は 灰色
空っぽなんだ
鉛のように 体が重い
なんにもしたくない
あったかいお布団にくるまって
丸くなって 眠りたい
幸せな夢を見ながら
ただゆっくりと 眠りたい
祭りの日以来、幼い頃の感覚が生々しく思い起こされるようになった。
ひどく疲れ、昼間から何時間も布団にもぐって泥のように眠る日々。
心の中の『小さい冬子』に意識を向けると、優等生然としたいつもの姿とはかけ離れた、激しく泣きじゃくるイメージばかりが浮かぶ。
「何がそんなにつらいの?」と尋ねると、「わからない。わけがわからなくて、苦しいの。もうイヤだ」とまた泣きじゃくる。
目を真っ赤に泣きはらし、仔猫のように丸まってしゃくりあげている心の中の小さな冬子。
実体のない彼女の確かな悲しみだけが、現在のわたしの心にしくしくと染み渡っていく。
ひだまりでにゃんこと頭をくっつけて
寄り添うようにお昼寝をした
なにもないあの家で
温かかったのはにゃんこたちだけ
幼いわたしが手にすることのできた唯一の温もり
口淋しくて
気がつくと いつもお菓子をつまんでた
そうせずにいられなかった
おかしいね
空っぽなのは おなかじゃなかったはずなのに
夜祭のときの対応は淋しかったのだと伝えてみても、兄にはきっと何のことだかわからないだろう。
だって、兄は何も悪いことなどしてないのだから。
そう、何もしなかった。
手を差し伸べようとすることも。
思えばあの家はいつもそうだった。
冷淡なのか厳しさなのか、幼いわたしは置き去りにされ、途方に暮れてばかりいた。
その時の感情としっかり向き合おうとすると、胸を押さえ大声で叫び出したい衝動に駆られる。
物心ついたころからつきまとう、わけのわからない生きにくさ。
身を守り寒さを凌げるもののないまま放り出されたような心もとなさ。
震えながらひとりさまよい、自分で自分を温めようともがき続けた長い時間。
ああ、小さい冬子が泣いてる。
霧の中でただひとり、身を硬くしこの世界に怯えている。
わたしのそばにはだれもいない
わたしのまわりには何もない
何でここにいるの?
どうしてひとりぼっちなの?
胸の中がすかすかするの
あったかいものがほしいの
ねえ、だれかきて
そして声をかけて
わたしに笑いかけて
頭をなでて、手をつないで
おねがい、わたしのほうを見て
ここはからっぽ
なにもない
だれもいない
おとうさんもおかあさんもいない
だれもあたしをみてくれない
ずっと、そうだった
これからも、そうなのかな
ずっとずっと、このままなのかな――
テレビでは繰り返し、津波のあとのガレキの映像が流れていた。
それを見るたび、小さい冬子が『これはまるであたしの頭の中だ』と感じているのがわかった。
おかしい?
でも、ずっと
こんなふうにガラクタの山を見上げて
どこに自分の居場所があるのか
何から手をつけていいのかわからずに
ひとりぼっちで途方にくれてたの
いったいどうして?
これからどうしたらいいの?
わたしはガレキの前で
つめたい風にふかれながら
ばかみたいに突っ立ってた
そして気づいたの
おうちがなくなったんじゃない
最初からなかったんだって
ああ、寒い
それにすごく、疲れたよ
わたしもよその子みたいに
あったかいおへやで、ゆっくりしたい
自分でおうちをつくればいいのかな
でも、どこに?
どうやって?
よその家を見てわかった
「土台」っていうのが必要なんだって
でもそれ、どうやったらできるの?
よその子はみんな
ひとりで作ったりしてないよ?
頭の中に繰り返し流れるそんなイメージを、カウンセリングで話してみた。
おうちがなくて泣いているのは、小さい冬子。
「ちびふわのほうはどうしてるの?」と阿部に問いかけられて、心の中をのぞきこむ。
次々と浮かんでくる光景をたどっていくと、ちびふわが小さい冬子とは対照的に元気いっぱいの姿で現れた。
「おうちがないのって、冒険してるみたいで楽しい!」
暗い表情でわが身を嘆いてばかりの冬子を尻目に、目を輝かせながらあちこち走り回るちびふわ。
やがて山の斜面に洞穴を見つけると「ここでいいじゃん、雨も入ってこないし、頑丈だよ!」と大喜びだ。
それを聞いた小さい冬子が、とたんに渋い顔になる。
「そんなのダメだよ、他の子みたいにきちんとしたおうちに住んでないと、みんなにみとめてもらえないよ。
それに……お父さん、絶対嫌がるよ?」
だが、ちびふわは何を言われてもどこ吹く風だ。
「いいじゃん、そんなの。あたし、この洞穴、おもしろくて好きだもん。
みんながみとめてくれなくてもお父さんが嫌がっても、カンケーないし」
「またそんなこと言って。
ちびふわは何にもわかってないんだから!
もういい、わたしがひとりでなんとかする。
あんたはみんなに見つからないように、おとなしく奥に隠れてて!」
小さい冬子は怒って、ちびふわをカーテンの向こうに無理やり閉じ込めた。
そしてほかの子たちが住んでいるような立派な家を自分も建てようと必死に走り回った。
だがいくらがんばってもちゃんとしたおうちを作ることはできないままで、気がつくと長い長い時間が経っていた。
ぼろぼろに疲れ果て、とうとう動けなくなった小さい冬子。
「あんた、いろいろ心配しすぎだし、ひとりでがんばりすぎ。
別にいいじゃん、なんとかなるし。
ならなかったとしても、あんたが全部背負う必要なんてないんだよ?
大丈夫、もっとラクになりなよ」
何十年かぶりにカーテンの後ろから姿を現したちびふわが、力強く言い放つ。
その邪気のない笑顔が、小さい冬子の弱った心に沁みていった。
ちびふわは、たくましいなぁ。
堅苦しくてうじうじと自分を責めてばかりのわたしと違って、無邪気で自由で前向きで、図太いくらいに頼もしい。
もしかしたら、それが今の自分に足りないものなのかもしれない……。
その日から、わたしの中でふたりのちびが少しずつ歩み寄り始めたのだと思う。
ガチガチに自分を追い詰めていると感じたときは、心の中でちびふわに呼びかけた。
すると次第にポジティブな気分になって、肩の力が抜けていく。
逆に感情や欲望を抑えられないときには、小さい冬子がちびふわを諭す姿をイメージした。
口をとがらせ渋々それを受け入れるちびふわ。
長いこと相いれなかったふたつの性質が、ゆっくりと混ざり合っていく。
わたしの中で手をつなぎ、共に生きていこうとしている。
ひとりじゃない。
唐突にそんな思いが突き上げてきた。
それはこれまでに味わったことのない、不思議に満ち足りた感覚だった。
◇ ◇ ◇
あのね、冬子はずっと
「大丈夫?」って聞かれたこと、なかったんだよ。
あの家では、大丈夫なはずだ、っていう「あんもくのりょうかい」があったの。
それって、言葉にはなってないけど
「我慢しろ」「もっとがんばれ」ってことだよね?
それで冬子は馬鹿正直に、くたくたになるまでがんばってたんだ。
どんなにがんばっても、わかってなんかもらえないのに。
ほんと、バカみたい。
だからあたし時々ね、冬子が気づかないようにこっそり出てきて、言い返したりしてたんだ。
あたしが出てくるようになってから、お母さんは「昔は素直でいい子だったのに、どうしてこうなっちゃったんだ?」ってよく嘆いてた。
お父さんは「ニガムシをかみつぶしたような顔」ってやつになった。
そう、お父さんはあたしのこと嫌いなんだよ。
ワガママで頑固だからなんだって。
あたしだって、お父さんなんかどうでもいい。
「あたしらしいあたし」が嫌いなお父さんなんて、どうでもいい。
そんなお父さんに好かれようなんて思わない。
でも冬子は、それじゃダメだって言うの。
嫌われるのは、あたしが悪いんだって。
だから、がんばっていい子にしてないといけないんだって。
いつもそう。
冬子は苦しくても我慢しなきゃって。
だけど、あたしは絶対イヤだって抵抗するの。
そうすると冬子は混乱して、顔をひきつらせて固まっちゃう。
それで周りから『めんどくさいヘンなやつ』って思われて、
「やっぱりあたしはダメな人間だ……」って、落ち込むの。
バカだよね、人の目ばっかり気にしても意味ないじゃん!
でも、しょうがないか。
あの頃のあんた、無茶苦茶しんどそうだったもんね……。




