6 分岐点
ハルキが塾に通い始めたころ、わが家にはかなりの借金があった。
月々の塾代をひねり出すのが精一杯で、私立の中学はとても無理。
しかし、勉強させてやりたいから塾は行かせるが、中学受験はさせないつもりだと言うと、周囲はみんな驚いた。
「5年生になると内容も難しくなるし、6年生になれば土日も塾でつぶれるっていうよ。生活が受験中心になるのに受験させないって、かわいそうじゃない?」
確かに保護者会や面談でも、回を重ねるごとに受験が大前提で話が進んでいるのをひしひしと肌で感じるようになっていた。受験するつもりがなければいられない場所であることは明白だ。
塾をやめるか、最後まで通って中学受験するか。
――もし本人が望むなら、私立に行かせてやろう。
そう言い出したのは夫だった。
お金はどうにでもなる。
返済のペースを落としてもいいから、自分の能力を思い切り伸ばせる環境をハルキに与えてやりたい。
教育だけが、俺たちが残してやれる財産だから、と。
『身分不相応』そんな言葉が頭をよぎる。
しかし、散々お金の苦労をしてきた夫の重みのある言葉に、抗えるはずもなかった。
5年時の申し込みをする前に、わたしたちは改めてハルキに問いただした。
「中学受験、したいのか?」
夫の問いかけに、ハルキは神妙な顔で「うん」と頷いた。
冷静に振り返ってみれば、このときハルキが本気で私立に行きたがっていたとは思えない。
おそらくは周りの雰囲気に流され、夫の真剣さに圧倒されたのだろう。
そしてわたしも、無理をしてお金をつぎ込み整った環境を与えることで、ハルキをうまく愛せていない負い目から逃れようとしていたのだと思う。
しかし理由がどうであれ、この瞬間にハルキの人生は大きく舵を切ってしまった。
そしてその選択がのちにどういう結果を招くのか、このときのわたしたちにはまだ知る由もなかった。