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67 シクラメン

 夏休み明けに何日か登校したあとぱったりと学校に行かなくなったハルキは、それからずっと夜通しパソコンに向かい明け方に眠りにつくという生活を繰り返していた。


 夫を送り出したあとの家の中はひっそりと静まりかえり、まるで自分たちだけが深い海の底に取り残されてしまったかのような錯覚に囚われる。


 もうすぐ中間テストが始まるはずだ。

 そのあとには修学旅行だってある。

 どうするの?

 このままで、本当にいいの?

 喉まで出かかるその声をぐっと呑み込み、腹の底に抑え込む。


 わかってる。

 親として言うべきことはすべて伝えた。

 あとは一切口出しせずにハルキ自身に任せる、そう決めたのだ。

 それでも何か言いたくなるのは、決してハルキのためではない。

 ただ自分の不安をどうにかしたいだけ。


 わかってる。

 いつかハルキはこの日々を悔やむかもしれない。

 だとしても、失敗し後悔する権利を奪ってはならない。

 ハルキの人生は、ハルキ自身のものなのだ。

 何度もそう自分に言い聞かせる。


 ベランダのシクラメンが新しい芽を出したのは、ちょうどそんなときだった。


 花は好きだが、世話をするのは苦手だ。

 何度か鉢植えを枯らしてしまい、植物を育てることはあきらめていた。

 だが去年の春、勤めていた事務所が閉鎖され、引き取り手がないシクラメンを仕方なく譲り受ける羽目になったのだ。


 わが家に来てからも、ひと月あまり薄紅色の花を楽しませてくれたシクラメン。

 うまく夏越しできれば、翌年もまた花をつけてくれるという。

 だが残念ながらこの狭いマンションには、シクラメンが夏を越すのに適した涼しい日陰がなかった。

 室内で夏を越させようかとも考えたが、猫にとっては毒になる植物だということを知りそれもあきらめた。


 ――ごめんね、こんなところで我慢させて。


 心の中で手を合わせながら、わたしは夏の間中、シクラメンを灼熱のベランダにほったらかしにした。

 そしてせめてもの罪滅ぼしに、正しい水やりの仕方をきちんと調べ、それだけはきっちり守ることにした。


 といっても、たいして難しいことではない。

 土の表面が白く乾くのを待ってからたっぷりと水をやる、ただそれだけだ。


 だがやがてあることに気がついた。

 鉢の土が乾くには、たいてい数日かかる。

 少なくともシクラメンに関しては、毎日水やりをする必要はない。


 脳裏に浮かんできたのは、これまでダメにしたいくつもの鉢植えたち。

 わたしはそれらに、毎日せっせと水をやっていた。

 それだけではない。

 しおれて元気がないと心配でたまらなくなり、ときには日に2度も3度も水やりをした。


 そうなのだ。

 いつだってわたしは手を出しすぎる。

 本当に大丈夫なのだろうかと不安に駆られ、いてもたってもいられなくなってしまうのだ。


 わたしがすべきだったのは、その花が内に秘めた生きようとする力を、信じて待つことだったのに。


 そのことに気づいてからは、さまざまに湧いてくる不安を押し殺し、鉢の土がカラカラに干からびるまで何日も水やりを我慢するようになった。


 その甲斐あってか、夏の間死んだように眠っていたシクラメンの球根は、秋風が吹き始める頃に小さな新芽をのぞかせた。

 そして、花屋にずらりと並んだ仲間たちからはかなり遅れたタイミングで、小ぶりだが愛らしい花を無事に咲かせてくれたのだ。



 今年もまた同じように、過酷な夏を生き延びたシクラメン。

 白く乾いてひび割れた土の真ん中にひょっこりと頭を出した新芽が、ハルキの姿と重なって見える。


 腐ってるわけじゃない、ボクにはボクのペースがある。

 乾き切ったら水を与えて、あとはちゃんと放っておいてくれればいいんだよ。


 小さくてたくましい緑の葉っぱに、そう教えられたような気がした。

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