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65 話し合い

 少年がもたらす負の感情は、日ごとに力を増していった。

 虚無と孤独に心を食い荒らされる、あの感覚が蘇る。


 もうとっくに乗り越えたと思っていたのに、結局はあの場所に引きずり戻されてしまうのか。


 得も言われぬ不安と無力感に打ちひしがれながら、わたしは這うように次のカウンセリングに向かった。


 少年の話をひと通り聞き終えた阿部は、しばらく考え込んだあとで、わたしの目をひたと見つめてこう言った。


「……その男の子と、話し合うことはできませんか?」


 実体のない存在と、話し合う?

 わたしの戸惑いをよそに、阿部は涼しい顔でこう続けた。


「冬子さんが圧倒されてしまわないバランスで共存することはできないかと、彼に提案してみたらどうでしょう」


 共存……?

 考えたこともなかった。

 本当に、そんなことができるのか?


 半信半疑のまま、心の中の少年に呼びかけようと試みる。

 だが少年は激しく反発し、尖った敵意を向けてくるだけだ。


 ああ、この感じには覚えがある。


 ついこの間まで、わたしとハルキの関係はこんな風だった。

 正論を押しつけてばかりのわたしにハルキは心を閉ざし、冷たく激しい対立を繰り返した。


 それが変わり始めたのは、彼の気持ちを踏みにじってきたことにわたしがようやく気づいたからだった。


 ふと、頭の中に閃くものがあった。


 ひょっとしてわたしは、同じことを自分自身にしてきたのではないか?


『少年』を、そして彼に背負わせた『負の感情』を受け容れず、忌むべきものだと遠ざける。

 それはまさに、わたし自身を拒絶し踏みにじることではなかったか?


 掲示板のユミの言葉をふと思い出す。


『湧いてくる気持ちには、必要のないものはありません。

 たとえそれがどんな感情であっても、大切に居場所を確保してあげる。

 それがわたしの、自分の気持ちへの対処法でした』


 その意味が、ようやくストンと腑に落ちた。


 どんなに邪魔に思えても消えてなくなれと願っても、ひとつひとつの感情がなくてはならないわたしの一部。


 それなのにわたしはいつもそれらを拒絶し踏みにじり、ぞんざいに扱ってきた。

 ずっと自分がちぐはぐでバラバラだと感じていたのは、わたしがわたし自身を大切にすることができなかったからだ。


 本当は、わたしはわたしを受け容れていい、どんなわたしも許していい。

 もうわたしは、自分自身を愛していいのだ――。




 手探りで、心の中の少年に意識を集中していく。

 まぶたの裏にぼんやりと、青白い顔で鋭い刃を振り回す姿が立ち上る。


 少年の剥き出しの敵意をピリピリと肌に感じて身が竦む。

 だが意を決し、その意識にそっと呼びかける。


 ――お願い、わたしの声に耳を傾けて。


 少年の動きがふと止まる。

 彼の冷たい視線を浴びて、心臓がバクバクと大きな音を立てる。


 長いことキミを閉じ込めてしまって、ごめん。

 でもあのときは、ああするよりほか思いつかなかったんだ。


 少年は、何の表情もないままこちらを見ている。


 正直を言うと、今もまだキミが怖い。

 キミが抱えている怒りを、どうしていいかわからない。


 でもね、またキミを牢獄に閉じ込めるのは、イヤなんだ。

 だからわたしの心の中に、ちゃんとキミの居場所を作ろうと思う。


 ふと、少年の周りの張り詰めた空気が緩んだ気がした。


 約束するよ、もうキミを消そうとしないって。

 これからは、支え合って生きていこう。

 どうしたらそうできるかを、みんなで一緒に探していこう。



 息の詰まるような長い沈黙のあとで、わたしの意識の大部分を占拠していた暴力的な怒りや悲しみが、音もなくゆっくりと引いていった。


 やがて、冷たく尖った刃のように感じられていた少年の存在は、ほのかな温もりと淋しさを発しながら、わたしの心の片隅に静かにおさまっていった。

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