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64 牢獄

 その夢を見て以来、牢獄で膝を抱える少年の姿がまぶたの奥から消えなくなった。

 十代の頃の暗く破壊的な衝動が濁流のように頭の中に押し寄せて、息ができなくなっていく。


 彼がなぜ、少女ではなく少年の姿で現れるのか。

 それはきっと、母を嫌悪していたからだ。

 大人になるということは、否が応でも母と同じ女に近づいていくということだった。

 思春期のわたしはそれを上手に受け入れることができず、膨らむ胸にさらしを巻き、黒のTシャツにGパンばかりをはいていた。


 まぶたの奥の少年は、つらつらと過去の記憶を辿るわたしを暗い瞳で見つめながら問いかける。


 ――どうして自分はこうなんだ? なぜこういう風にしかいられない?


 絞り出すようなその問いは執拗に繰り返されて、やがてわたしの意識は少年の想いに深く入り込んでいく。




 誰が泣いてもわめいても、ボクは何も感じない。

 他人が苦しむ姿を見ても心は凍り付いたまま。

 自分さえよければそれでいい。

 ボクにうるさく指図する奴らは皆いなくなればいい。


 親も兄弟も邪魔な存在としか思えなかった。

 そんな自分を恐ろしいと感じる心さえ持っていなかった。


 そんなボクを、人は異常だと責め立てる。

 ああ、きっとその通りなのだろう。

 でもボクだって、望んでこんな人間になったわけじゃない。

 ただ、与えられた場所で生きてきただけなのに。


 ねえ、誰か教えてくれないか、ボクが何を間違ったのか。

 どうして自分はこうなんだ? なぜこういう風にしかいられない?


 いつも不思議でたまらなかった。

 ボクの心にあるのはいつも孤独と不安と苦痛ばかり。

 なのに皆、どうして楽しそうに笑っているんだ?


 幸福は何かのごほうびなのか?

 笑って生きている奴らは偉いのか?

 じゃあボクがこんなに苦しいのは、一体何の罰なんだ?


 だがその疑問に答えてくれる者は誰ひとりとしていなかった。

 その代わり、皆したり顔でこう言うのだ。


 そうやって自分のことばかりにかまけていないで、周りのことを考えろ。

 いい加減大人になれ、と。


 そうだ、ボクはただのワガママな子どもだ。

 いくつになっても自分のことしか考えられない出来損ない。

 優しさを持てないままの欠陥品。

 わかってる、こんな人間、生きていてもしょうがないって。

 生きる価値などないんだって。


 それなのに、やはり夢見てしまうのだ。

 この世界のどこかにボクがボクのままでいられる場所があって、この自分勝手で(いびつ)な心に寄り添ってくれる誰かがいることを。

 

 ねえ、お願いだから、誰かボクを見つけてよ。

 ボクの気持ちに気がついて。 

 淋しい

 淋しい

 淋しい


 たまらなく淋しくて、気が狂いそうなんだ……!


 わかってる。

 誰もがただ求めるばかりで、与えることなどできない。

 ボクたちは永遠に満たされないままだ。

 幾ばくかの慰めがあったとしても、救いはない。

 皆もらえるあてのない温もりを、馬鹿みたいに待ち続けているだけだ。


 ボクは行き場のない想いを、ただ白い紙の上に書き散らす。

 何かを書き続けていなければ、叫び声をあげ暴れ出してしまいそうなんだ。




 この少年は、やはりわたしが閉じ込めたのだ。

 敵意や反抗や怒りや冷酷さ、そんな感情と共に心の牢獄に追いやった。

 そうしなければ彼は、何をするかわからなかったから。


 そしてわたしは彼の存在を忘れようとした。

 ちびふわの時と同じように、姿を現しそうになるたび必死に抑え込んだ。

 少年が引き受けたのは、わたしの中の最もどろどろした感情だから。

 それを野放しにすれば、取り返しのつかないことになってしまうから。


 なのに少年は今、再び力を増している。

 凍っていた感情が溶けだしあの頃の痛みや苦しみが生々しく胸に迫る。

 現実のわたしがどんどん圧倒されていく。


 これまでも、過去の想いが蘇り不安定な精神状態になることはあった。

 だがそれとは比べものにならないほどの勢いで、少年の負の感情はわたしを呑み込もうとしていた。


 悲観的で自暴自棄な少年の想念に溺れながら、わたしはようやく思い出す。

 あの頃どうしようもなく死に引き寄せられたのは、この絶望的な孤独感と一生戦いながら生きていくことにとても耐えられないと思ったからだ。


 その後の人生でわたしは、ありのままの感情を凍らせる術を覚えていった。

 そして長いこと、自分は危機を『乗り越えた』のだと信じていた。

 不安定な自分を少しはコントロールできるようになったのだ、と。


 でも、そうではなかった。


 わたしは自分でも気づかないうちに、一番危険な感情を牢獄に閉じ込め、頑丈な鍵をかけただけだったのだ。

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