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58 本当の神様

 カウンセリングに通い始めたばかりの頃、「自分自身の年表を作ってみるといいですよ」とカウンセラーにすすめられた。

 自分や家族に起きた出来事とそのときの精神状態、かかった病気などを年代順に書き出すことで、見えてくるものがあるという。


 なるほど、と軽い気持ちで早速取り掛かったが、それは想像以上に大変な作業だった。


 ただ単に昔のことを思い出すのとはちょっと違う。

 より深く長く記憶の底に潜るため、その分強く当時の想いに引きずられそうになった。


 わたしは不安定になりがちな心をカウンセリングに支えられながら、少しずつその作業を続けていった。そうして1年近くの期間を経て、ようやく十数ページの年表が完成した。



 最初の欄、小学校に上がるまでのできごとを、わたしはこう記した。


『両親は一日中農作業

 昼間は祖父と過ごす

 土を食べる癖

 排気ガスの匂いが好き』


 その横のメンタル欄に綴られたのは、わたしの最も古い記憶。


『怖い夢を見て抱きしめて欲しくて母のところに行くが、空腹で泣いていると思われおにぎりを与えられる』


 そうじゃない、ただぎゅっと抱きしめて欲しいだけなのに。


 まだ2歳か3歳だったわたしは、その気持ちをうまく言葉にできなかった。

 ただその時の絶望的な淋しさだけは何十年経ってもなお胸の奥に残り続け、それからの人生を灰色に縁取っていった。



 そのあとも、幸せな思い出はほとんど書かれていない。

 ページをめくるたびに浮かび上がってくるのは、孤独感や疎外感をつのらせ精神や体調に変調をきたしていく自分の姿だ。


 学校にも家庭にも居場所を見つけられずに心身のバランスを崩し、自傷行為を繰り返した中学時代。

 20歳になったら死のうと決めて、その暗い希望を心の支えに辛うじて生き続けた高校時代。


 しかしわたしは死ねなかった。

 あと半年で20歳になるというときに入信したカルト教団で、自殺は大罪と教えられたからだ。


 罪を犯せば地獄に落ちる。楽になろうと死を選んでも、結局は永遠に苦しみ続けることになる。


 それが本当かどうかはわからない。

 だが、無駄に純粋で世間知らずだったわたしは真に受けた。

 甘く幸せな死を夢見ていた小娘は、永遠の苦しみを味わい続けるという恐怖に打ちのめされたのだ。


 結果的にわたしはその後の10年間を、カルト教団の信者として生きることとなった。

 教義を信じたというよりも、信仰を捨てれば自分も家族も、果ては先祖の魂までも地獄に落ちるという、その教えが恐ろしかった。


 ……いや、それだけではない。

 本当は、外の世界で生きられる自信がなかったのだ。



 自分が社会に適応できない人間だという根深い劣等感は、カルト教団にどっぷり入り込んだことでますます強くなった。

 そしてそれは、脱会したからといって簡単に薄れることはなかった。


 それでも普通の暮らしを取り戻していくにつれ、あの異常ともいえる期間にもちゃんと意味があったのだと、少しずつ気持ちを整理できるようにはなっていった。


 もしあのまま20歳を迎えていたら、わたしはなんのストッパーもなく死に向かって堕ちていくしかなかったはずだ。

 運よく死ななかったとしても、生きる核を持てないまま、ギリギリのところをさ迷い続けたに違いない。


 そう考えると、あと数か月で20歳というまさにそのタイミングで、死を夢見る隙も与えられないあの環境に置かれたことが、ただの偶然だとはどうしても思えなかった。


 きっとわたしは、目には見えない大きな力によってあの場所に導かれ、命を救われたのだ。


 それはおそらく人智を遥かに超えた何か、すべてをつかさどる大きな流れ、あるいは意思――もしかしたら人はそれを『神』と呼ぶのかもしれない。


 その考えはいつしかひとつの確信としてわたしの心に根を張っていった。

 特定の宗教の神とは違う、もっと大きくとらえどころのない存在に、わたしは守られ、生かされている。



 だがその日、出来上がった年表を眺めているうちにふつふつと胸の奥から湧き上がってきたのは、それとは別の想いだった。


 そうじゃない、あれは導かれたのではない。


 ()()()()()()()()()()()()()()()


 それまでバラバラに存在していた断片が一気につながり、くっきりとひとつの答えが浮かび上がってくるような不思議な感覚だった。


 わたしを守ってきたのは、ほかの誰でもなく、わたし自身なのだ。

 わたしが自分で、無意識のうちに選び取ってきた。


 掲示板のユミの書き込みが、ふと脳裏に浮かび上がる。


『子供は必要のないことはしません。何かにはまるのは、本当にはまるしかないときなのです』


 あれは子供のことだけじゃない。

 わたしもまた、そのときどきに必要なことをしてきた。

 いつも、いつの日も。



 きれいな軌跡を描くことのできない親不孝者と、自分を責め続けてきた。


 けれどそうではなかった。


 道を踏み外したのではない、あのときのわたしは、横道に逸れなければ生きていられなかったのだ。


 わたしは生きのびるために、自らあの道を選んだ。

 自分の手で、わたし自身を守ったのだ。



 ああ、そうか。

 人はみなそういう力を生まれ持っているのだ。

 自分の人生に必要なものを選び取る力。


 それは常識でも正論でも測ることのできない、心のもっと奥に潜む叡智。


 答えはいつも自分の中にある。

 本当の神様は、きっとわたしの中にいるのだ。

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