54 向こう側
年に数回、得体の知れぬ発作のようなものに襲われる。
街中で突然押し寄せてくる、わけのわからない息苦しさ。一気に膨れ上がる悲しみとも寂寥感ともつかぬ強い感情に圧倒され、叫び出しそうになるのだ。
わたしは拳を胸にぎゅっとあてて浅く苦しい呼吸を繰り返し、朦朧とした頭で繰り返す。
これはいったい何なのだろう、いったいどこからやってくるのだろう――。
◇ ◇ ◇
カウンセリングに通い始めて半年ほどが経ったある日、いつものようにカウンセリングルームで幼少期の記憶をひとしきり話したあとのことだった。
阿部がこんな問いを投げかけてきた。
「冬子さんはそのとき、どんな気持ちでした?」
幼い頃の話はそれまで何度もしていたはずだ。どうして今日に限って、改めてそんなことを聞くのだろう。
訝しく思いながら、ついさっき話したばかりの幼い頃の記憶を、もう一度丁寧に辿ってみる。
真っ先に浮かんでくるのは、玄関を入ってすぐの八畳間の光景だ。
部屋の真ん中にはこたつが置かれ、テレビの前にはいつも祖父が、祖父が寝室に下がった後には父が陣取っていた。
子供たちには目もくれず石のように押し黙りひたすらテレビを見ている父と、あれこれ小言を言いながら台所でせわしなく立ち働いている母。
冷え冷えとした空気の中で、幼いわたしは何を思っていただろう。
「別に何も感じていなかったんじゃないかな……」
そう呟いてから、ふと気づく。
家族と一緒にいれば、楽しいとか安心するとか腹が立つとか、普通は何かしらあるだろう?
わたしは、改めて当時の感覚をじっくりと思い出そうと試みた。
だがいくら記憶の隅々にまで手を伸ばそうとしても、触れるのは膜がかかったようにぼんやりと薄暗い淋しさばかりだ。
さらに、その向こうにある何かを深く手繰り寄せようとすると、突然胸が苦しくなり、大声で叫びたい衝動に襲われた。
それは、いつも街中で発作のように私を襲ってくる、まさにあの感覚だった。
幼い頃にいったい何があったのか。どうしても思い出したくない辛い経験か、あるいは記憶にも残らないほど些細なことの積み重ねなのか。
「きっと、たいしたことではないんだと思います」
そう言うわたしに、阿部はこんな言葉をくれた。
「たとえはっきりした記憶がなかったとしても、今の冬子さんの状態こそが、あなたが経験してきたことの一番の証拠なんですよ」
家族の誰とも心が通うことのない暗く冷たいあの家で、叫び出したくなるような淋しさを無理やり抑え込みやり過ごすしかなかった幼い日。
わけもわからないままに、生き延びるため感情を麻痺させた、小さなわたしが心に浮かぶ。
そうやって、わたしが本来持っていたはずの生き生きとした感情は、透明な膜の向こう側に追いやられてしまったのだろうか。
長い時間をかけ戻ってきたものもある。
しかし、いまだに遠いままの欠片があるということも感じている。
いったいどうしたらそれを取り戻すことができるのだろう。
いや、果たして取り戻すことができるのだろうか――?




