51 猫と父とわたし
わたしがカウンセリングに通い始めたころ、蔵之助はまだ生まれて半年ほどの子猫だった。
一日中ちょこちょことわたしの後をついてくる甘えん坊。
背中を向けるとジャンプして、肩によじ登ろうとした。
その姿はまるで、母親の背中にしがみつく幼子のよう。
抱っこして欲しいの? そう言ってひょいと抱え上げると、身体をよじって小さな歯を見せ、必死に抵抗してみせる。
どうやら遊びたいらしい。
それでは、と家事の手を止めおもちゃを出せば、まん丸の瞳をきらきら輝かせ夢中で飛びつく。
ねこじゃらしの素早い動きに合わせてダッシュ、そして軽やかな大ジャンプ。
飽きるほどそれを繰り返し、ようやく疲れてぺたりと床に座り込む。
ときには洗面台に飛び乗り、コップをわざと床に落とす。
カラーンと響いた大きな音に自分で驚き脱兎のごとく駆けだすさまが、何ともいえず愛らしい。
幼い蔵之助の無邪気さはいつも、疲れ果て打ちひしがれたわたしの心をじんわりと癒してくれた。
だがそれは同時に、子供のわたしが失い続け、また母親としてハルキに与えることのできなかったものを、まざまざと見せつけられる瞬間でもあった。
ハルキが幼い頃、わたしはこんな風に家事の手を止め遊んでやることができなかった。
ちょっとした失敗も子供らしい些細ないたずらさえも許せず、気がつくとあれもダメこれもダメと厳しく叱りつけた。
自分がされてきたのと同じように。
今思えば、わたしはきっと蔵之助を通して、自分たち親子がそれぞれ手に入れることのできなかった自由で幸せな子供時代を取り戻そうとしていたのだろう。
だが、わたしが猫に特別な思い入れを抱くのは、それだけが理由ではなかった。
そのことに気づいたのは、カウンセリングを受け始めて2か月ほどが過ぎたある日のことだった。
その頃わたしは阿部のすすめで、幼少期からの記憶を辿りながらこれまでの人生の年表を作っていた。
何歳のときにどんな出来事があって、その時どういう精神状態だったか、思い出せるすべてを時系列で整理していくのだ。
その作業の途中で、ふと浮かんできた記憶があった。
子供の頃、いつも家では何匹かの猫を飼っていた。
わたしたち兄弟は、学校帰りに猫じゃらしを採ってきては遊び、昼寝しているもふもふのお腹に顔を埋め、競うように抱っこし添い寝をしたがった。
猫はわたしたちにとって、寒々としたあの家で唯一手にすることのできる『温かいもの』だったのだ。
しかし猫たちは、乱暴で強引な子供たちよりも無口で穏やかな父にずっと懐いていた。
父のほうでも猫たちがやってくるとこのうえなく嬉しそうに目を細め、小さな子供をあやすように群がる猫たちをそっと撫でるのだった。
自分には決して見せてくれたことのない優しい笑顔を、当たり前のように猫たちに向ける父。
その光景を毎日のように目にするうち、いつしかわたしの中にはある確信が生まれていた。
――父は、わたしよりも猫が好きなのだ。
言葉にはしなかった。
そんなことを口にできる空気など、あの家にはなかった。
ただ、嫉妬も怒りも寂しさも、何の感情さえもはっきりとは自覚することができないまま、自分は愛される価値のない存在なのだ、という確固たる信念だけが、音もなくわたしの芯をじくじくと蝕んでいった。
そうしてわたしは自分でも気づかないうちに、心の一番深いところで父の愛情をあきらめていたのだと思う。
大人になった今ならわかる。最初から求めないことでしか、そして感情を麻痺させることでしか、わたしはわたしの心を守れなかったのだ、と。
長いこと閉じ込めてきたその頃の想いにじっと耳を澄ませてみれば、消えそうにかすれた声が聞こえてくる。
猫になりたかった。
ごろごろと喉を鳴らして思い切り父に甘えたかった。
あの大きな節くれだった手で、そっと頭を撫でて欲しかった。
お前がいてくれるだけでいいと、にっこり笑って欲しかった――。
だからわたしは、繰り返し猫の夢を見る。
それはきっと、わたしの中に今もひっそり息づいている無邪気で自由な幼子の心であり、叶うことのなかった願いの象徴なのだ――。




