49 動き始めた心
初回の面接を終えたわたしは、その後も継続してカウンセリングを受けることに決めた。
不思議なことに、阿部に対して不信感や警戒心は一切湧いてこなかった。これはカウンセリングを続けた1年余りの間、ずっと変わることがなかった。
週に一度、しんとした小さな部屋で阿部と向き合い、問われるままに幼い頃から味わってきた違和感や誰にも甘えられなかった寂しさや、クラスでのいじめや思春期の葛藤、ハルキと向き合う辛さを語る。
阿部はときおり「どうしてそう思ったんですか?」「そのときどんな風に感じました?」といった問いかけで、わたしの意識をさらに奥へと向けさせた。
カウンセリングのあとはいつも数日間、軽い混乱に陥った。心の深い部分を掻き回され、水底に沈んでいた泥が浮きあがってくるようだった。
それと同時に、いいようのない焦りと虚しさに襲われた。
目の前にそびえる巨大な氷山をひと思いに切り崩してしまいたいのに、全力で立ち向かっても一度に削れる氷はたった数ミリに過ぎないと思い知らされる。
この作業を何度繰り返せば氷山の奥に隠れた答えに辿り着けるのだろうかと、気ばかり焦って仕方なかった。
2回目のカウンセリングを終えた晩に、夢を見た。
黒っぽいコートを着込んだ田舎のおばちゃんたちが5、6人連れ立って、ひとけのない広い道を賑やかにおしゃべりしながら歩いている。
わたしは、これから地元に帰るという彼女たちを駅まで送っていこうとしている。
ふと自分の手元を見ると、お腹の部分を白い紙でくるりと巻かれた飼い猫の蔵之助を抱いている。
どうやらうっかり家から連れてきてしまったようだ。
途中で逃げ出したらどうしよう、蔵之助は家の外に出してはいけないことになっているのに。
わたしはずっとハラハラしながら、おばちゃんたちの後ろを歩き続けている。
次のカウンセリングのときにその話をすると、阿部はとても興味深そうに耳を傾けた。
「冬子さんは、この夢からどんなことを感じました?」
そう言われてみると、蔵之助はわたし自身で、白い紙は何かを封印するために巻かれているもののような気がした。
「その、封印しているものって、何なんでしょうね?」
重ねて問われ、首を傾げて考える。
わたしはいったい、何を恐れているのだろう。
それからわたしは毎晩のように夢を見るようになった。
特に多かったのは猫の夢だが、ほかにも道に迷ったり追いかけられたり新しい服を買おうとしていたりといった意味ありげな夢ばかりを、ぐったりするほど見続けた。
そのせいかちっとも眠った気がせず、何をするのも億劫で昼間から布団にくるまりぼんやり過ごすことが増えた。
「これだけ夢を覚えていると言うことは、何もしていないように見えても心はものすごく動いているんですよ。
これだけのものを抱えていたらかなりしんどいでしょうから……ここに来る時以外は、あまり考えなくていいです。っていうか、考えないほうがいいですよ。
それとね、こういう時は、身体の声に逆らわないほうがいいです」
毎回へとへとの状態でやってきていくつもの夢の話をするわたしに、阿部は慈しむような笑みを浮かべながらそう言った。
しかしわたしは何かに追い立てられるように、一日中自分の心の中をのぞきこもうとし続けた。




