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47 夫との攻防

 ずっと考えてはいた。

 常にまとわりつくこの生きにくさに、おそらく当てはまる病名はないだろう。


 いちばんしっくりくる呼び名は『アダルトチルドレン』。

 しかしそれは診断名ではないし、医学的な治療の対象でもない。

 もし行くとしたら、精神科でなくカウンセリングだ、と。


 しかし具体的にその先を考えるたび、心の中で声がする。

『おまえなんかよりもっと苦しんでいる人はたくさんいる、このくらい我慢できなくてどうするんだ』と。

 また、夫が難色を示すであろうことも、わたしの心にブレーキをかけていた。


 それでも、彼女がそっと蒔いてくれた小さな希望の種は、胸の中で静かに膨らんでいった。

 常にまとわりついて離れないこの生きにくさの、一番根っこにあるものを知りたい。そしてできることならば、それを断ち切りたい。

 灼けつくような欲求が、日に日に高まっていく。


 ある日とうとうわたしは夫に、カウンセリングを受けてみたい、と打ち明けた。


「……どうして?」


 そう尋ねた夫の瞳には、驚きの色があった。


「気分が滅入るとは言ってたけれど、いつも通りに家事をこなし笑顔を見せていた冬子が、まさかそこまで思い詰めているとは思わなかった」


 かすかに伝わる、隠し事をなじるような響き。

 わたしは得も言われぬうしろめたさと闘いながら、自分の気持ちをできるだけ正確に伝えられる言葉を必死に探した。


「……これまでずっとハルキのことで悩んできたけれど……結局ね、ハルキに現れている問題はわたしの心の問題なんだ、ということがわかったの。今は、ハルキをどうこうしようというよりも、わたし自身が越えなきゃいけない課題があるんだと感じてる。

 でも、いくらもがいてみても、やっぱり自分の力では限界があって――。

 だから……手助けをしてくれる場所が欲しいんだ」


 彼の頬が、すっと青ざめていく。


「俺じゃ、だめなのか……」


「え?」


「俺が支えるんじゃ、だめなのか?」


 冷たく強張った、夫の声。


「それは……」


 いったい、どう説明したらいいのだろう。


 わたしは知っている、彼の愛情の深さを。そして同時に、物事を良かれと思う方向に引っ張っていこうとするある種の歪んだ強引さを。

 それは確かにわたしの支えであり、救いでもあった。

 彼が無理やり手を引いてくれたからこそ、人のかたちになれずにいたわたしが、誰かと心を結ぶことを知り、家庭を築き、なんとか社会生活を営めるまでになったのだ。


 そのできごとは、わたしたちふたりの原点だ。

 そして彼は、自分の力でわたしというひとりの人間を立ち直らせたことに、今でも強い自負を持っている。


 しかし今、新たな壁に突き当たったわたしに必要なのは、おそらくこれまでのように前を向くことや頑張ることではなくて、ただありのままを受け止めてもらい、無条件に自分を許すことだ。


 無意識に夫に合わせようとしてしまう性質の強いわたしには、彼とは別のなんのバイアスもかからない場所が必要だった。

 そして、いくら彼が人間の本質を見抜く力に優れていたとしても、カウンセリングという専門性を持っているわけではない。


 しかし、それをはっきり口にすることはできなかった。それは彼のプライドを、そしてふたりの絆を、修復不可能なほど傷つけてしまうかもしれない――。



 結局夫は、わたしにカウンセリングを受けなければならないほどの精神的な問題があるということを、最後まで認めてはくれなかった。


 ――冬子はもうそんなに弱くないし、おかしくもない。自分の力でやっていけるはずだ。


 その言葉に、幼いころから誰にも頼ることを許されなかった彼の半生が滲んでいる気がした。


 彼は、心の一番奥にある柔らかい部分を、固く固く抑え込みながら生きてきた。

 今も、たぶんこれからも。


 そんな夫が、わたしのこの状態を認めることは、とても難しいのだろう。



「とにかく一度行ってみるよ。それでもし何か違うと感じたら、そのときは必ずやめるから」


 最終的にわたしは、そんな言葉で夫を無理やり押し切った。それ以外の方法が思い浮かばなかったのだ。

 夫は明らかに納得していない風だったが、それ以上反対することもなかった。


 今思えば、わたしが夫に対して最後まで自分の気持ちを押し通したのは、それが初めてだったのかもしれない。


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