43 歪んだ信念
唐突に感情を爆発させたその日から、穏やかな日常は壊れ始めた。
怒りでエネルギーを使い果たし精神的なバランスを崩したわたしは、ただ布団にくるまって数日をやり過ごした。
日が経つにつれ動けるようになってはいったが情緒はすこぶる不安定なままで、たとえばスーパーで買い物をするだけで、罪悪感に胸が押しつぶされそうになるのだった。
たかが数百円の商品さえも贅沢に感じ、物を買うのが怖くて仕方ないのはなぜだろう。
そうか、わたしは自分のことを、この金額すら使う価値のない人間だと思っているんだ。
そう気づいた瞬間、お金にまつわる数々の記憶が怒涛のように押し寄せてきた。
保育料がもったいないと、幼稚園も保育園も入れてもらえなかった幼い日。「あいつの家は一日百円で暮らしてる」といじめられた小学校時代。何度もしつこく食い下がり、やっとのことで許してもらった大学進学。
あの家のつましい暮らしがわたしに刻み付けたのは、決してお金の大切さではなく『わたしはお金をかけてもらえる価値などない人間だ』という歪んだ信念だった。
そして、ボロをまとい何の楽しみも持たず、苦虫を噛み潰したような顔でひたすら家族のために汗を流し続けた親の生き方から感じ取ってしまったのは、愛情でなく『時間もお金も自分のために使ってはいけない、幸せになってはいけない』というメッセージだ。
今ならわかる。若き日に私有財産が一切許されないカルト教団にいられたのも、借金まみれの結婚生活に耐えることができたのも、そういう扱いこそふさわしいと心のどこかで自分を卑下していたからだ。
自分を犠牲にすることで、やっと安心できる。
苦しむことでやっと自分を許せるようになる。
歪んだまま危ういバランスを保ってきた心。
誰もそんなことを求めてなんかいないのに。
自分を責める必要なんて、何もないはずなのに。
胸の奥にしんしんと積み重ねられた寂しさが、今も消えずに残っている。
見捨てないで。
嫌わないで。
わたしを見て、笑って。
失敗しても
わがまま言っても
何もできなくても
わたしを好きでいて。
何の役に立たなくても、
生きていればそれでいいよ、と抱きしめて。
泣いているのは、幼い頃のわたし。
大人になったわたしの心の岸辺に何度となく打ち寄せながら、胸の奥に刺さった棘の痛みから解放される日を、ただひたすら待ちわびている――。




