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40 シャッター

 ありのままの自分を許そうとする試みは、わたしにもうひとつの変化をもたらした。

 それは、ハルキに対する感情だった。


 この1年余り、わたしはハルキが何をしても大きな心で受け止めてあげるべきだ(・・・)と理性で判断し、意識的に許容の方向に気持ちを向けようとしてきた。


 しかし頭で考えることをやめ親としての義務感も手放してみると、わたしの素の感情は明らかにハルキの横柄な態度に傷つき怒りに震えていた。


 何のためらいもなく暴言を吐き、自分の要求ばかりをごり押しするハルキはかつてのいじめを思い起こさせ、無神経に踏みにじられていく感覚は、虐げられた記憶を呼び覚ました。


 わたしを否定するなら、わたしもお前を思い切り踏みにじってやる。

 全身全霊で、思い知らせてやる。


 誰に対するものかも判然としないそんな怒りがふつふつと煮えたぎり、過去の痛みは忘れたのでも消えたのでもなく、目につかない片隅に追いやられていただけなのだと思い知らされる。


 その葛藤に、いつまでも成長の跡が見られないハルキへの苛立ちが追い打ちをかける。


 また宿題が終わらずに、ずる休み。

 あんたはいつまでそうなの!?

 せっかくわたしがここまで受け入れてやったのに(・・・・・)、まだわからないの!?


 唐突に腹の底から噴き出す自分の本音に愕然とする。


 結局わたしは我慢しているだけだ。

 怒りを凍らせ、大らかな母親のふりをして。



 ちょうどそんな葛藤を抱えていた時期に、2年生になって最初の保護者面談があった。


「わたしは、小日向君がこのクラスのキーマンだと思っているんです!」


 面談が始まるや否や力強い笑顔で宣言した新しい担任は、その言葉を証明しようとするかのように、精力的にハルキに関わり始めた。


「家に帰ったら何もしなくていいように、朝は40分早く登校して、放課後も少し残って勉強を済ませてしまおう!」


 そう言って毎日ハルキの携帯にモーニングコールをし、朝の自習と放課後の居残り勉強に付き合い、わたしにもまめに連絡を入れてくれる。


 ハルキの生活は、その熱意に引っ張られるようにしてみるみるうちに変わっていった。


 毎朝6時前に起きて、7時には家を出ていく。

 それだけでも驚きだったのに、「確実に間に合いたいから、もう少し早く起こして」と言われたときは、夢ではないかと思ったほどだ。


 正直なところその頃のわたしは、受容だ傾聴だと1年以上努力してきたにも関わらず、さしたる変化がみられないハルキにうんざりし始めていた。


 だからこそ、担任の熱意にほだされた。

 これで変わってくれるならありがたい、そう思ってしまったのだ。


 やがてわたしは、ハルキが休みたそうにしているときでも、あえて目を合わさずに「ほら、早くご飯食べないと!」と背中を押すようになった。

 滞りなくこの流れに乗っていってくれることを、こっそりと願いながら。


 しかし1か月を過ぎるころになると、担任からの働きかけは目に見えて減っていった。

 風船がしぼんでいくように、ハルキへ注ぐエネルギーが感じられなくなっていく。


 ああ、切り捨てられたんだ――。


 

 聞けば、真面目にやっていたのは最初だけで、先生がつきっきりでなくなったこのごろは、朝も放課後もただ教室で時間をつぶしているだけだという。

 物珍しさで流れにのってみるものの、ひと通りわかってしまうと途端に興味を失う。飽きっぽいハルキのいつものパターンだ。


 先生にとっても期待はずれだったのだろう。

 ここまでやってやったのに、と思ってしまうのも当然だし、ハルキひとりにエネルギーを注ぎ続けることができないこともよくわかる。


 でも。


 それなら、期待させないで欲しかった。

 一筋縄ではいかない子供だということは、十分承知していたのではなかったのか。


 これが逆恨みに過ぎないことはわかっている。

 しかしそれでも思ってしまうのだ、『中途半端にするなら関わらないでくれ』と。


 こんなことで裏切られたと感じてしまうわたしは、きっとおかしいのだろう。

 何よりも、やすやすとハルキを普通の子供に仕立て上げてもらおうとしたのが間違いだったのだ。


 でも、そんな自分をもう否定はすまい。


 ただ、このやりきれない気持ちに居場所を作り、静かにシャッターを下ろそう。

 この感情が、決して誰かを傷つけてしまうことのないように――。

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