39 ゆるゆると
4月になり、ハルキは特進クラスのままで2年生に進級した。
一方仕事を辞めたわたしは、自由に過ごせる多くの時間を手に入れた。
この十数年間、親子3人生きるため夢中で走り続けてきた。来る日も来る日も時間と借金に追われ、生活を回すだけで精一杯だった。
でもこれからは、つましくとも丁寧で心地よい暮らしを、自分たちの手でゆっくり積み重ねていくことができる。そう思うだけで胸が高鳴った。
まずは溜まった不用品を処分して、家中の収納を見直そう。料理のレシピもすぐ見られるように整理していこう。
そして――これからは、がんばらないことをがんばってみよう。
いつも自分に多くを要求しすぎてしまう。
それがそっくりそのまま自責につながっていくのもわかっている。
でもほんとうは、わたしはわたしを許したい。
どんな自分にも、無条件に『いいよ』と言ってあげたいのだ。
どうしたらそんな心境になれるのかは手探りだ。だから今はただ、湧いてくる想いをひとつひとつ大切にすくい上げながら、自分の気持ちとじっくりと向き合ってみよう。
わたしはまず、ひとりでいる昼間の時間をできる限り気ままに過ごしてみることにした。
例えばある晴れた朝のこと、掃除をしている最中に昔好きだった曲が突然頭に浮かんできた。久しぶりに聴いてみようとCDが入った引き出しを探していると、その乱雑さが気になりはじめ、そのまま片付けに突入する。
そこで、洗濯終了を知らせるブザーが鳴った。
これだけ天気がいいならば、マットやモップも洗ってしまおう。そうだ、どうせモップを洗うなら目一杯使ってからにしよう、とサッシのホコリを取り始める。
と、今度は網戸の汚れが気になって、バケツに水を汲んで網戸掃除を始めて――。
そんな風に、次から次へといろんなことを思いつき、エネルギッシュに動き続ける日があったかと思うと、さしたる理由もないのにまったく何もやる気が起きず、食事代わりにお菓子をつまんでだらだらと過ごす日もあった。
規則正しく生活し、やることは無駄なく計画的に。
そう思い込んで生きてきたけれど、もしかしたら本来のわたしはこんな風に、気分のムラが激しく気まぐれな人間なのかもしれない。
だとしたら、厳格な枠を当てはめ意志の力で気分の波を抑え込もうとするのは、ひどく不自然で負荷のかかることだったのではないか?
それからわたしは、日に何度も自分自身に問いかけるようになった。
今日はどうしたい? 休みたいの? それとも走りたい?
午後はまだがんばりたい? それともエネルギー補給したい?
心のままに食べ、眠り、買い、出かける。
もし迷ったら、内側をのぞいてみればいい。
思考ではなく、もっと奥にあるものを。
そんな風にゆるゆると過ごすうち、ありのままの欲望や感情を許していいと思えない自分の度を過ぎた厳格さがよく見えてくるようになった。
いつも『気持ち』を無視して、『やるべきこと』ばかりをゴリ押ししてきた。
自分にも、きっと他人にも。
そんなわたしがハルキの気持ちに寄り添えないのは当然だ。
まず自分を許さなければ、心の底から誰かを許すことなどできはしない――。




