31 遅刻の理由
2学期に入り、ハルキの生活は氷が溶けていくようにゆっくりと崩れていった。
遅刻はもはや当たり前、欠席の日数もじりじりと増えていく。
「インフルエンザで学級閉鎖にならないかな……」
そうつぶやきながら毎朝のろのろと登校の準備をする背中は、迷っているようにも自分と闘っているようにも見えた。
その姿に、若かりし頃の自分自身を思い出す。
不安定な精神状態で過ごした20代。新しい仕事に就いてふた月ほどたつと、毎回さしたる理由もないのになぜか砂を噛むような虚しさがじわじわと押し寄せてきて、力が出なくなっていった。
それでも必死に続けていくと今度は体がおかしくなった。潰瘍ができ過呼吸を起こし、最後は燃料がなくなった飛行機が不時着するみたいに動けなくなって、結局は辞めざるをえなくなる。
そんなことを何度も繰り返し、そのたびに普通のことが普通にできない自分を責めた。
今ならわかる。あの時のわたしは、生きていくのに必要な物をきちんと受け取れないまま生きていたのだ。空っぽの心を無理やり絞り出しながら。
今のハルキは、あのときの自分に似ている。
ハルキの心も、きっと空っぽなままなのだ――。
その朝もハルキは、遅刻ギリギリの時間に家を出た。
帰宅後、何の気なしに「間に合ったの?」と尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。
「電車乗り過ごして、1時間目は途中から出た……って実は、半分確信犯なんだけれどね」
イヤホンつけて大音量で音楽を聴きながら寝たふりをして、いくつか先の駅まで行って引き返したという。度重なる遅刻とその理由に、先生はさすがにあきれてたよ、と笑って話すハルキ。
そうなんだ、とうなずきながらも、胸が詰まる思いがした。
ハルキがとった行動とそっくり同じことを、私は高校時代にやっていたのだ。
寝たふりをして1時間以上、隣の県まで乗り過ごした。
終点で起こしてくれた駅員さんはあきれ顔。
担任に「胃が痛かったんで」と遅刻の理由を答えたら、「胃が悪いようには見えないけどな」と適当にあしらわれて終わった。
死ぬ覚悟もできず、人生に立ち向かうこともできずに、ギリギリの崖っぷちをさまよっていたあの時のわたし。
できることなら、そのままどこかに消えてしまいたかった。
でも、そんなことは誰ひとり気づかなかった。
ハルキは、いったいどんな気持ちで電車を乗り過ごしたのだろう。
もしわたしがハルキなら、こんな風に思うに違いない。
力を振り絞っても、もう間に合わないかもしれない。結局遅刻して怒られるなら、最初から頑張らないほうがいい。
いっそのことあきれられるくらいの、逆に「あいつすごいぜ」って言われるくらいの理由をひっさげて遅刻しよう。
それはきっと、何に対しても一緒なのだ。
必死になってもできなくて、そこでダメだしされたら、もう立ち直れない。
それなら最初から、興味ないって顔して、思いっきりアウトローな生き方をした方がいい。
君はそう思っているのではないの?
それがますます自分を追い詰めていくと、心のどこかでわかっていながら。
全力で頑張れ、もっと、もっとできるはずだ!
半端なことやってるんじゃない、なんで必死にならないんだ!
おそらく彼が小さい頃から、私はずっとそう言い続けてきた。
60やったら、できていない40を最後まで要求した。
100までやるべき、という正しさを押し通して。
彼の気持ちを無視して。
かつてわたしがされてきたように。
中学受験の時に、わたしたちは彼にこう言った。
「君は、本気になったらすごい力があるんだよ、がんばりなよ」
でも、彼は最後まで必死にならなかった。
それがとても歯がゆかったけれど、今思えばハルキはおそらく本能的に感じっていたに違いない。もし本気でやって親が満足する結果が出せなかったら、自分はきっと見捨てられるに違いない、と。
それならいっそ、不戦敗の方がまだマシだ。
俺は最初から勝負を捨ててたからって、言いわけができる。
きっと彼は今もまだ、その気持ちを抱えたままなのだ。
強がってかっこつけてはいるけれど、期待外れと思われるのが怖くて、自分の足で歩きだせずにいる。
そして、彼をそんな風にしてしまったのは、わたしなんだ。
取り返しのつかない、13年間。
しかしどんなに苦しくても、そこから逃げ出すわけにはいかない。
わたしたち親子の現実を変えられるのもまた、わたしだけなのだから。




