27 覚悟
この時期わたしは、学校を休ませることだけでなく、日常のあらゆる場面でどこまでハルキの要求を受け入れていいのか迷い続けていた。
たとえば、学校から帰ると、ハルキは自分の部屋で乱暴に制服を脱ぎ捨てる。
本当は、ワイシャツや靴下は自分で洗濯カゴに入れ、空の弁当箱は流しに出しておく約束になっていたのだが、大抵はどちらもそのまま置きっぱなしだ。
わかっている。
洗濯物をため込んで着替えがなくなってもお弁当を持っていけなかったとしても、困るのはハルキ。その問題は、わたしではなくハルキのものなのだ。
しかしそうとわかっていながらも「いいじゃん、どうせここまできたんだからついでに持ってってよ」などと言われると、無下に扱うことができずに手を出してしまう。それどころか、うっかり忘れているんじゃないかと気を回し、こちらから取りに行ってしまうことも少なくなかった。
怖かったのだ。
そんなことは自分でやれと突っぱねたなら、ハルキはわたしに突き放されたと感じてしまうんじゃないか。朝になって「着替えがない」「弁当どうすればいいんだ」と暴言を吐かれるのではないか。それがきっかけで、学校を休むと言い出すのではないか、と。
このままではいけない。そう思いながらも、ハルキの課題をハルキ自身に返すこととハルキを受け止めることを、どう両立させたらいいのかがわからない。
わからないまま小さな譲歩を積み重ねては悶々とし、ひとりで勝手に苛立ち、その葛藤を掲示板に吐き出す、ということを毎日のように繰り返した。
そんなある日、いつものように掲示板を開くと、管理人であるカウンセラーからコメントがついていることに気がついた。
『……母親が葛藤しながらやってあげるのは、結局は子どものためになりません。
親が先回りしてトラブルを回避する必要はないのです、逆に、子どものうちに困る体験をさせてあげましょう。そしてそれを自分で解決するために、考えるゆとりをあげるのです。
もし子どもが何か言ってきたら、要求通りにしてあげるのでなく、「気持ち」を聞いてあげればいいですよ』
子どものうちに、困る体験をさせてあげる。
要求を呑むのでなく、気持ちを聞いてあげる。
もやもやとしていた思考が整理され、頭の中にスッと真っ直ぐな線が引かれていく。
しかしその一方で、胸の奥がひどくざわついていることに気づく。
もしわたしが今までのように先回りするのをやめて、ひどく困った状況に置かれたとしたら、ハルキはどれほど苛立ったり怒ったりするだろう。
それを想像するだけで、恐ろしく耐え難い気持ちに襲われた。
ハルキの負の感情と、面と向かうのが怖くて仕方がない自分。
いや、ハルキに対してだけじゃない。
昔から周りの誰かが不機嫌だったり何か上手くいかないことがあると、自分が責められているような気がしてならなかった。
何か困ったことが起きれば、わたしが気づかなかったせいだって、わたしの努力が足りないせいだって、わたしがもっと頑張らなければ、わたしがどうにかしなければと思ってしまう。
それが苦しくて、人々の輪に入っていくのを避けてきた。
なんで、そんな風に思い込んでしまうのだろう。
どうしていつも誰かに責められるのではないかと怯えてしまうのだろう。
本当はわたしのせいじゃないはずなのに。
わたしがわたし以外のものを背負う必要なんて、ないはずなのに。
これはもはや、ハルキの問題ではない。
わたしが突き当たっているのは、なにもかもを自分のせいと思ってしまうわたしの心の問題だ。わたしは、自分が抱えている正体のわからない不安を、ハルキに押し付けてきただけだ。
きっと今のわたしに必要なのは、自分の心から目を逸らさない覚悟。
そしてハルキが困るのを、じっと見守る覚悟なのだ。




